作品タイトル不明
0802 カフェ・ローマー愛好者
彼の名はハーゲン・ベンダ男爵。
デブヒ帝国軍付き男爵……あまりにも特殊な立ち位置は、彼だけが使える<転移>と<無限収納>の魔法が理由だ。
そのため、基本的に帝国軍と共に活動する。
しかし時々、特別な任務を与えられることがある。
もちろん彼にそんな任務を与えることができるのは、帝城の主……。
約一年前、ハーゲン・ベンダ男爵は小姓として帝国使節団に入り、この聖都に派遣されてきた。
それは、聖都の場所を『魔法的に覚えさせる』ため。
彼の<転移>の魔法は、一度訪れた場所でなければ転移できないのだ。
実際、その後、この聖都と帝都の間を<転移>で行き来している。
転移で聖都に来るたびに、必ず『カフェ・ローマー』には寄る。
超長距離の転移であるためだろうか、帝国内での転移では経験しない極度の疲労感に襲われる。
転移直後は満足に歩けないほど、それは酷い。
だが人の慣れとは恐ろしいもの。
最初は、立ち上がることすらできなかった。
それが今は、杖で支えながらなら歩ける。
しかも十二時間も眠れば、普通の行動がとれるようになった。
だから、こうしてカフェ・ローマーに来ることができる。
小姓として聖都に滞在していた時から、三日に一度は来ていたカフェ。
このカフェがあったから、彼はストレスに押しつぶされずに命を永らえたとすら思っている。
今は、感謝の気持ちを込めて店を訪れる。
数週間ぶりのカフェ・ローマーは、かなり混んでいた。
たまにあるのだ、そういうことが。
だから、もはやハーゲンは驚かない。
「相席となりますが、よろしいでしょうか?」
「はい」
当然、頷くハーゲン。
カフェ・ローマーのイスは大きく、テーブルは広い。
相席であっても、十分以上のスペースが確保されることを知っている。
ハーゲンが案内された席の前には、白いローブの若い男性が座っていた。
どこかで見たような気もするが……よく思い出せない。
ローブの男性は、ワクワクとソワソワが混在した様子だ。
注文を終えて、届くのを待っているのだろう。
ハーゲンにも分かる。
美味しいものが届くのが楽しみであるワクワク。
早くそれを食べたいというソワソワ。
ハーゲンも、注文した後は同じようになるだろうと思っている。
メニュー表を隅から隅まで見る。
今まで見たことのない新メニューもあるようだが……。
今日は、食べたいものは決まっている。
店員を呼び注文する。
「暗黒コーヒーのセット、ケーキはモンブランで。それと単品で、ミルフィーユダブルを」
スムーズに注文できて、ハーゲンは一息ついた。
深くイスに座りなおす。
すると、目の前に座る白ローブの男性が、大きく目を見開いてハーゲンを見ているのに気付いた。
驚いているようだ。
ハーゲンは、もちろん何に驚いたのかは分かる。
ケーキを二つ注文したことに対してだろう。
「め、めったに来れないものですから」
そんな言い訳をする。
言い訳ではあるが嘘ではない。
この後、夕方には、再び帝都に<転移>する。
次に、この聖都に派遣されるのがいつになるのかは分からない……。
そんなハーゲンの言い訳を聞いて、白いローブの男性は、なるほどと呟いて、何度も頷いている。
分かってもらえたようだ。
しばらくすると、白いローブの男性の元にケーキとコーヒーが届いた。
その目がキラキラと輝いているのが、ハーゲンにも見える。
気持ちはわかる。
男性の目から、届いたケーキに目を移した。
黒いケーキ?
ハーゲンはこれまで見た覚えがない、初めてのケーキだ。
白ローブの男性がフォークを入れ、口に運び…… 恍惚(こうこつ) の表情となった。
言葉などいらない。
説明などいらない。
美味しいケーキであることは、誰の目にも明らかだ。
ハーゲンは、そのケーキが気になってメニュー表を見る。
確かに、先ほど注文する時に、知らないケーキが増えていた。
しかし、その中の、どれだろう?
「新作のショコラ・ムースです」
白いローブの男性が笑顔で教えてくれた。
ハーゲンが探している気持ちが分かったようだ。
「ありがとうございます」
「いえいえ」
ハーゲンが感謝し、白いローブの男性が笑顔のまま首を振る。
そして、再びケーキを食べ始めた。
ハーゲンの元に注文したケーキとコーヒーが届いたのは、その十秒後だった。
王国使節団宿舎、アベルの執務室にて。
「アベル、すごかったですよ。ケーキとコーヒーのセットに、単品でさらにケーキを追加していました。しかもミルフィーユダブル! ミルフィーユ二個分の大きさです」
「……は?」
突然の涼の言葉には、さすがに優秀なアベルの思考でも追いつかない。
数瞬後、どこかで食べたケーキの話だと分かった。
さらに数瞬後、涼自身ではなく、誰かがケーキの大食いを行ったのだと分かった。
「隣の、カフェ・ローマーとかいう場所での話か?」
「その通りです! よく分かりましたね……アベルって、カフェ・ローマーには行ったことないでしょう?」
「ない。以前、リョウが使節団に属していた時、たまに行ってただろう? その時に話してくれたのは覚えている」
「さすがアベルです」
涼は素直に称賛する。
この手のアベルの記憶力には、いつも驚かされる。
「すごく混んでて、相席だったんです。で、目の前に座った人がそんな注文をしたんですよ」
「確かに、それはすごいな」
アベルには、ミルフィーユダブルはよく分からないが、普通のケーキの二倍の大きさなら分かる。
それだけでも凄そうだ……。
「アベルは、絶対にそんな注文しないでしょう?」
「うん?」
「だって、いつも言うじゃないですか。ケーキは一日一個までだ、って」
「ああ、そうだな」
「つまり二個食べたあの人は、アベルが上司だったら解雇されるに違いありません」
「さすがに、そんな理由で解雇はせんだろう」
涼が断定し、アベルが否定する。
「リョウが注文したケーキは、一個だけだったのか?」
「ええ、もちろんです」
アベルの確認に、胸を反らして答える涼。
アベルは知っている、こういう場合、涼は本当のことを言っている。
「一人で行ったのに、よく一個で済んだな」
「だって、もう三時まわってるんですよ? 今食べたら、美味しい夕飯に響くじゃないですか」
「なるほど」
そう、涼は、晩御飯のことを考えてケーキを一個に抑えたのだ。
「アベルはここで会談だったんですよね。残念でしたね、行けなくて」
「まあ、そのうち行く機会もあるだろ」
「いつまでも、あると思うな剣とカフェ、という 諺(ことわざ) が故郷にあります。いつでも行けると思っていると、そのうち悪い人たちが暴れて、カフェを崩壊させてしまうかもしれません」
「うん? その諺は本当にそうなのか? 間違っていないか?」
「え?」
アベルの鋭い指摘に、涼は視線を逸らす。
アベルは知っている、こういう場合、涼は嘘を言っている。
「剣とカフェを対比させるのは変だろう?」
「ぐぬぬ……実は、親と金です。まさかアベルに見抜かれるとは」
涼が悔しそうに言う。
アベルは無言のまま肩をすくめた。
涼は視線をさまよわせ、思考を回転させる。
なんとか話題を逸らさねば!
「そうそう、イグニスさんも、カフェ・ローマー愛好者なんですよ」
「……首席交渉官のイグニスか?」
アベルは善い奴なので、涼のごまかしにのってやったのだ。
「ええ。苦労してそうですから……そういう人を、甘いものは救ってくれるのです」
安どのため息をついて涼は言葉を紡いだ。
アベルは、何かを思い出したように、自分の執務机の上にあった紙を取り、涼に渡した。
「明後日の、王国騎士団側の模擬戦出場者だ。それで問題ないか?」
「わざわざ僕に尋ねなくてもアベルがいいのなら、それで……え?」
涼は言いかけてやめた。
もう一度、そこに並ぶ三つの名前をじっくりと見る。
「本当に、この人たちを出すんですか?」
「ああ。問題あるか?」
「いえ、問題はないですが……。まあ、確かに、面白そうではあります」
戦う光景を想像して、涼は何度か頷く。
「殺すのはもちろん無しだが……ニルスたちは冒険者だ。寸止めの模擬戦はあまりやったことないだろう? <エクストラヒール>の使い手をグラハムに言って揃えてもらうことになっているから、ギリギリまでやって大丈夫だろう」
「さすが西方教会の総本山が隣にあると便利ですね」
「場所は、この前見た第五訓練場だ。聖職者たちにとってもすぐ傍だしな」
対戦者たちには見えないところで、運営は動いている。
「アベルも冒険者でしたけど、寸止めの模擬戦って苦手です?」
「いや、俺は……ルンの冒険者ギルドではよく相手をしていたからな。リーヒャが<エクストラヒール>をかけれるとはいえ、ちゃんと剣は止めていたな」
「なるほど」
「だがまあ、当然だが、相手が強ければ強いほど、模擬戦は実戦に近付いていく」
「剣でお腹をぶっ刺したり、腕を斬り飛ばしたりですね」
「いや、そこまではやらない……ああ、明後日の模擬戦か。まあ、そうなっても大丈夫なようにはしておく」
アベルは頷いた。
こうして、『十号室』対王国騎士団の模擬戦の準備は整った……。