軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

0791 涼対赤熊

「赤い熊……最後に見たのは、教皇就任式でした」

涼は覚えている。

空から魔物たちが降ってきた中に、赤い熊も混じっていた。

おそらくは、魔王山地にいたのに強制的に連れてこられ、空から降ってきた……。

体長は三メートル半ほどか。

最初に出会った時は四足歩行だったが、今は二足で近付いてくる。

目を引くのは、その体色。

やっぱり真っ赤。

カーディナルか 唐辛子(とうがらし) かというほどに、真っ赤。

だが、目は金色。

「ガアッッッッッッッ!」

赤熊は、 雄叫(おたけ) びを上げる。

それは、ただの雄叫びではない。

第三守備隊の五人全員が、膝をついた。

魔力の籠もった、聞く者の心を折る雄叫び。

「その辺は、あの時と変わりませんね」

一人涼しい表情の涼。

魔王山地で初めて会った時も赤熊は 吠(ほ) え、ハロルドとゴワンが 膝(ひざ) をついた。

「あの時より、一回り大きい気がしますし、今の雄叫びも、以前より力がこもっていました。目の色は覚えていないんですが……なんか、強くなった気がするんです」

腕を組んで論評する涼。

その涼を、じっと睨みつける赤熊。

涼は一つの結論を導く。

「もしあなたが、あの時の赤熊であるなら……もしかして、進化とかしました?」

そう、涼が出した結論。

進化。

「僕は、アサシンホークが進化した姿を知っています。彼も一回り大きくなって、存在感も増し……体が少し黒くなっていた気がしますが。あなたは赤のまま。う~ん……魔物の進化って何なんでしょうね。ルウィン様が『進化したアサシンホーク』とおっしゃっていたので、彼が進化したのは確実なのですが……。ああ、でもロンドの森でも数百年ぶりとか言っていましたっけ。そもそも、めったに進化などおきないってことですよね」

涼の言葉は独り言だ。

もちろん、膝をついている五人にも聞こえてはいるが……半分も理解はできない。

「リョウ……さん……」

「皆さんは、ここで待っていてください。あの赤熊の視線が気になります……もしかしたら、以前僕と戦ったのを覚えている? あの時はニルスたちもいっしょだったので、前線は彼らに任せていたから、僕は目立たなかったはずなんですけどね」

涼はそう言うと、歩を進めた。

赤熊に近付いていく。

無音のまま、赤熊から炎の塊が四つ放たれた。

「<アイシクルランス4>」

氷の槍で、個別に迎撃する。

赤熊の視線が、一層鋭くなったのが分かる。

「それは、さっき見せたでしょう。二度は通じません」

涼が答える。

言うまでもないことだが、涼の言っていることを赤熊が理解できているのかは分からない。

分からないのだが……何も言わないのは、あれかなと思って。

再び無音のまま、空から数十もの炎の塊が降ってきた。

だが、涼に届く前に全て凍り付いた。

「僕も無音で魔法の発動ができるんです。今のは< 動的(ダイナミック) 水蒸気(スチーム) 機雷(マイン) >といいます」

涼は微笑み、ゆっくりと歩を進める。

赤熊にとっては悪夢と言っていいだろう。

全ての魔法が通じない、そして少しずつ近付いてくる。

だが、一瞬で雰囲気が変わったのを、涼も感じ取った。

同時に、違和感も感じ取った。

「そう、懐かしい違和感。魔法無効化ですね」

涼のその言葉は、後ろで膝をついたままの五人の耳にも聞こえた。

さすがに、雄叫びを聞いた時に比べれば、かなり精神的に回復している。

「魔法無効化?」

「<ヒール>……魔法が使えない」

モーラが顔をしかめ、治癒師オミンは魔法が使えない状況であることを理解する。

「魔物が進化すると、魔法無効化の能力を手に入れるんですかね。いつか、ルウィン様に聞いてみたいです。あなたを含め、二体に遭遇したのでとか言えば、さすがに教えてくれそうじゃないですか?」

やはり微笑みながらの涼。

一瞬だった。

神速の飛び込みの赤熊。

あらゆるものをずたずたに切り裂くであろう、右腕の爪で涼を襲う。

ガキンッ。

いつの間にか手にした村雨で爪を流す。

返す刀で薙ぐ。

だがすでに、赤熊は後方に跳んだ後。

「すごい身体能力」

涼は何度も頷く。

進化→魔法無効化→近接戦。

その流れは想定通りだし、赤熊の主攻が爪であったのも想定通り。

そこに込められた力も想定通りではあったのだが……後方へのジャンプは想定以上だった。

「魔王山地で会った時は、勝てないと悟って離脱しましたよね。今日はどうしますか?」

別に、涼は煽ったわけではない。

言葉が正確に通じているとは思っていないし……。

だが、なんとなく意味は通じたようだ。

赤熊は 傲然(ごうぜん) と、涼を見下ろす。

「人間など敵ではないと言いたげです」

後ろ足の二足で立ち上がり、三メートル半の体長がある赤熊は、三メートル級の戦闘ゴーレムよりも大きい。

その高さからなら、普通に見ても、涼を見下ろしているとなるだろう。

「魔法を無効化すれば近接戦をするしかありません。そうなれば自分が負けるはずがないと思っているのでしょう? でも、大きさが全てではないということを教えてあげます」

村雨を正眼に構える涼。

目の前の人間が、自分に向かってくることを理解して、赤熊は怒りを覚えたようだ。

再び、神速の飛び込み。

その勢いのままの右腕振り下ろし。

ガシュッ。

村雨で流す涼。

当然、正面から受けたりはしない。

近接戦は物理学。

力の方向をコントロールしたものが、戦いを支配する。

だがそれでも、一度でもコントロールに失敗すれば剣を弾かれる。

場合によっては、体を吹き飛ばされる。

いやその前に、体が爪で切り裂かれる……。

「村雨だからいいですけど、これ、普通の剣だったら爪の攻撃でボロボロになるんじゃ?」

それほどに、赤熊の爪は鋭い。

いや、攻撃は当たっていないが、鋭いのが見てとれる。

「前言撤回。大きさが全てではありませんが、大きい方が有利な場合が多いのは認めます」

涼がそう言った瞬間、赤熊がニヤリと笑った気がした。

「だからといって、負けを認めるわけではありませんから!」

あえて言い返す涼。

言葉が通じているとは思わないが、馬鹿にされている気がしたのだ。

「倒したら熊鍋にして食べてやるです! その赤い色で、お 出汁(だし) も真っ赤になるかもしれませんね!」

「ガァァァァァァ!」

涼の煽りに、怒りを見せて殴り返してくる赤熊。

言葉は通じていないと思うのだが……。

多分、涼の表情と態度で煽られたのが分かったのだろう。

人と人外の間のコミュニケーション。

「ガーウィンも、第三守備隊の人たちもですけど、拳打は連撃速度が違い過ぎます」

赤熊の連撃をさばきながら涼はぼやく。

熊はなで肩だ。

肩幅は決して広くない。

立ち上がると、特によく分かる。

つまり、立ったまま頭が高い位置にあっても、腕は地面近くまで伸びてくるということ。

ガシュッ、ガシュッ、ガシュッ……。

赤熊の拳打を丁寧にさばく涼。

剣で流し、体さばきでかわす……。

それなのに……。

ザシュッ。

涼の右腕に切り傷が走る。

ローブはすぐに自動で修復される。

だが、その下の腕はそうはいかない。

魔法無効空間なために、氷の膜を張って傷を閉じることができない。

「かわしたはずなのですが……」

涼はあえて表情を変えないまま呟く。

赤熊が、こちらの表情を探っているのを分かっているからだ。

賢い生き物は、相手の表情から与えたダメージを推測する。

ここは、痛くとも我慢する時。

実際、それほど深い傷ではないし、出血もひどくはない。

ローブが自動で修復したために、赤熊自身に、あまりダメージを与えられなかったのではないかと思わせることができる……かもしれないし。

「エアスラッシュのような、不可視の魔法が放たれたのでしょうか? いえ、この赤熊は火属性。進化して風属性まで手に入れた可能性は否定できませんが……」

涼は、ほとんど無意識にさばきながら思考する。

「もしかして、当たる瞬間に爪を伸ばしている? そんなことが可能なのか分かりませんけど、風属性まで操れるようになった、よりは現実的かな」

誰も答えてはくれない。

自らの命をリスクにさらしながら、仮説が正しいかを検証していかねばならないのだ。

「毎回ではない。だから気付きにくい……」

仮説に仮説を重ねる。

実社会では、あまり褒められた手法ではないが、データがない世界においてはよく行われることだ。

そこから、新たな発想が生まれることだってある。

赤熊が腕を振り下ろし……その先から突然発生した炎が涼を襲う。

しかし、冷静に村雨で斬った。

「爪が伸ばせるなら、炎が出ることもあるだろうと思っていましたよ」

新たな発想の勝利。

ニヤリと笑う涼。

それを見て、明らかに怒りを増大させた赤熊。

赤熊が武器を持たず拳打ならびに爪での攻撃であるため、一足一刀の間合い……近接戦よりも近い、超近接戦。

その距離でも魔法が放たれる。

「魔物の魔法って厄介ですよね」

涼は、先ほど炎を斬ってみせたが、決して簡単ではなかった。

だが、余裕で対処できると見せることは大切だ。

それが、相手の手を一つ封じることになる。

戦いとは騙し合い。

そんな側面があるのは事実だ。

「アベルのように、いっつも相手をだまし続けている剣士も世の中にはいますからね。僕はそこまでしないでもいいと思うのですが」

筆頭公爵が広げる国王の風評被害。

もちろん、涼の言葉は誰にも聞こえていない。

赤熊には聞こえているが、意味は通じていないはずなので、誰にも聞こえていないと言っていいはずだ。

「アベルは普段、 権謀術数(けんぼうじゅっすう) など扱えないという純朴な表情をしています。周辺国からの評判も、 剛毅直情(ごうきちょくじょう) とかだそうです。ええ、まあ、剛毅ではあるし、気性もまっすぐだとは思います。ええ、だいたいにおいては」

誰に語っているのか分からない、涼の言葉。

「しかし! 僕へのケーキ特権が関係する時、アベルの謀略王としての才覚が花開きます。なんて恐ろしい! 虫も殺さない顔をしていながら、マキャヴェッリも真っ青の権謀術数を展開するそのギャップ」

すらすらと涼の口から出てくるアベルへの 愚痴(ぐち) 。

「おそらくアベルという人は、天然で無自覚に、多くの人をだましていると思うのです。自覚が無いために、法律で罪を問うことはできないかもしれません。殺人事件の被疑者も、殺意があったかどうかが、最も重要ですからね。アベルのような無自覚者は最強です。僕の言いたいことが分かりましたか、赤熊」

涼は問うが、赤熊は分かっていないようだ。

「これだから、獣は困るのです。いかに力が秀でていようが、そんなことでは熊鍋の材料になるだけですよ」

「ガァァァァァァ!」

なぜか涼の煽りに反応する赤熊。

もしかしたら、熊鍋という言葉の意味が理解できているのだろうか……。

怒りを増大させた赤熊が、今まで以上の速度で左右の腕を振る。

爪も伸びた状態になっている。

涼が赤熊を煽った理由。

それはいつもの……。

(相手の冷静さを奪うのは、対人戦の初歩の初歩。相手が赤熊でもいけるようですね。爪は伸びたり縮んだりしていたから厄介だったのです。伸びっぱなしなら、剣と変わりません)

その連続拳打の一つに合わせる。

カウンター。

カンッ。

「村雨が弾かれた!」

驚く涼。

拳打の一つに、カウンターを合わせて胸を真一文字に斬ったのに……弾かれたのだ。

少なからずショックを受ける涼。

しかし、赤熊を見て顔をしかめた。

「なんですか、その勝ち誇ったような顔は」

そう、涼から見ても分かるほどに、赤熊は勝ち誇った表情だったのだ。

熊なのに!

「人の剣などおそるるに足らない、とでも言いたげです」

実際に涼の剣が通らなかったのだ。

勝ち誇るのも分かる気はする。

だが……。

「村雨のせいではありません。剣を振るった者……僕が未熟でした。剣に求める……いえ、刀に求めるものを僕が間違っていたのです」

涼は呟くと、深く息を吐いた。

息を吐き切り、肺の中を空にする。

そうすれば、意識しなくとも深く息を吸うことになる。

成立する、強制的な深呼吸。

ただ一度の呼吸で、完全に落ち着く。

「 鹿島新当流(かしましんとうりゅう) 『 一(ひとつ) の 太刀(たち) 』、 薩摩示現流(さつまじげんりゅう) 『 二(に) の 太刀(たち) いらず』……そこにあるのは、刀の本質。いずれも根源は同じです。一撃。ただ一振りに全てを賭ける」

二手目、三手目を考えて剣を振るうな、ということ。

「思えば、マリエさんも見せてくれていました。彼女の抜刀術は、まさにそれです。一撃に全てを賭ける。外したら終わり? 違います。絶対の一撃は外さないのです。外す可能性を頭に浮かべるのなら、その一撃を放ってはいけない、戦ってはいけないのです」

ゆっくりと村雨を振り上げる。

涼には珍しい、上段の構え。

「マリエさんなら納刀からの抜刀術なんでしょうけど、僕はまだ、あれだけの抜刀術を放つ自信がありません。両腕が氷ならいけましたけど……それに頼ってばかりというのもよくないですからね」

涼は喋っているのだが、赤熊は反応しない。

動けないのだ。

ついに、涼が喋るのをやめる。

半眼。

相手が感じ取れないほどの呼吸。

全てが停止した世界。

何の 脈絡(みゃくらく) もなく、涼が前に進み、剣を振り下ろした。

肩口から斬り飛ばされる赤熊の右腕。

「ガギャァァァァァァァ!」

絶叫する赤熊。

魔法の力ではない。

錬金術でもない。

ただ、前に進み剣を振り下ろす。

涼が行ったのはそれだけだ。

膝をついたまま見守っていた第三守備隊の五人には、ただ涼が前に進み、剣を振り下ろした……その光景が見えた。

そう、誰の目にも止まらぬ速さ……などではない。

むしろ、それまでの二人の戦闘速度からすれば、ゆっくりと言っていい、そんな速さ。

世界がエアポケットに入ってしまったかのような……。

そんな世界で放たれた一撃。

速さを極めた一撃ではない。

強さを引き出した一撃でもない。

技を超えた一撃。

呼吸の世界における一撃……。

「さあ、赤熊、どうします?」

半眼のまま、再び上段に構えた涼が声を出す。

それは水色の声。

透明で、冷静で、揺るがない声。

何が起きても対処できる……そんな声。

赤熊は、そんな涼を一度睨んだ後、右に向かって走り出した。

斬り飛ばされた右腕を地面から拾い、くっつけて。

「うそん。進化したら、そんなこともできるようになるの?」

涼は唖然とする。

赤熊は止まることなく、東に向かって逃げていった。

「斬り飛ばされた腕をくっつけることができる……僕も欲しい能力です」

涼はそう呟くと、村雨を鞘に納めた。

アサシンホークは、右目がつぶれたままだった。

あれは、進化前に負った傷だったからなのだろう。

魔物の進化……いろいろと難しそうだ。

「アベルに言えば、王国の調査力で調べてもらえるでしょうか。利用しない手はないですね」

国王を利用しようとする筆頭公爵。

そこの字面だけ見れば、悪徳公爵そのものだが……。

「情報は力です。いつかどこかで、そうやって集めておいた情報が王国の役に立つかもしれませんしね」

自分を納得させるかの如く、何度も頷くのであった。