作品タイトル不明
0519 公主
ミファソシの街を出発して七日目の午前。
一行は、ついに首都ジョンジョンに到着した。
その全景が見えるようになると、馬上で固まった人物が二人ほどいた。
他の者たちは、何度も首都には来たことがあったので……。
「全て石造りですよ……」
「ミファソシの建物が、全て木造だったのとは見事な対比だな」
涼もアベルも、全て石造りの首都ジョンジョンに 驚愕(きょうがく) したのだ。
「ジョンジョンは、近くに良い石を産出する石切り場があるのです。そこから船で石が運ばれてきます。ジョンジョンは、ジョン川という大河の河口に建てられた街なのですが、運河も通して、西へ西へと広がった街です」
二人が驚いているのを見て、ミーファが説明をしてくれた。
困った師匠を助ける、良い弟子である。
「アベル、良い弟子を持ちましたね」
「それは否定せん」
涼が称賛し、アベルも同意した。
二人に褒められて、ミーファは耳まで真っ赤になった。
「以前お話しした通り、 御史台(ぎょしだい) が、お二人からお話を聞きたいということです。自治都市クベバサとアティンジョ大公国に関しての件ですが、ミファソシで我々がお聞きした内容をすでに伝えてありますので、形式上のものです」
「ああ、問題ない」
代官スー・クーの説明に、アベルは頷いた。
ミファソシを発つ前に説明された通りだ。
「お二人の身元は、私が保証しています。ですので、宿泊も我が屋敷となります。御史台も、屋敷に来て話を聞く形になっていますので、ご安心ください。そうそう、ミーファも、モゴック邸ではなくうちの屋敷に泊まりますので、 稽古(けいこ) をつけてやってください」
「承知した」
アベルが承知し、涼も頷いた。
スー・クーが、かなり手を回してくれたことは理解できた。
同時にスー・クーが、首都においても、手を回せるほど高い立場にある事も理解できた。
その日の午後。シオ・フェン公主 離宮(りきゅう) 。
「公主様、お久しぶりにございます」
「ミーファ、ここでは、いつも通りシオと」
「……はい、シオ様」
約半年ぶりに、ミーファと、シオ・フェン公主は対面した。
「ミーファは、ミファソシに戻ってからも、ずっと剣ばかりだと聞いていました。モゴック局長にも何度かお会いしましたけど、全く同じことをおっしゃっていましたよ」
「お恥ずかしい……」
シオ・フェン公主は、笑いながら言い、ミーファは顔を真っ赤にしてうつむいた。
シオ・フェン公主十七歳、ミーファ十六歳。
モゴック家は古くからの名家であり、ミーファの父モゴック局長は長くジョンジョンにいたため、二人は姉妹のように仲良く育った。
姉妹のようであり、学友であり、親友でもある。
シオ・フェン公主のダーウェイへの 輿(こし) 入れが決まり、その準備期間の間、ミーファはミファソシに戻って侍女としての知識と技術を身に付けた。
とはいえ、小さい頃から、ずっとシオ・フェン公主と共に生きていくと決めていたために、折に触れ必要な勉強はしてきていた。
だから、ミファソシに戻っていた間にやったことは、それらの、最後の磨き上げ。
そして、剣。
シオ・フェン公主の輿入れ先は、ダーウェイ第六皇子リュン、十九歳。
元々の母の地位が高くないため、次期皇帝位争いには絡んでいない。
だがそれでも、あるいはだからこそ、シオ・フェン公主の身にどんな困難が降りかかるか分からない。
もし、その困難が、剣で振り払える類のものであれば、自分が振り払う……それがミーファの決意であった。
「ミーファは、向こうに戻っている間に、剣の先生についたと聞きました」
「はい。師匠……アベル先生という方の下に弟子入りを」
「宿の前で三日間立ち続けたとか?」
「そんな事まで……。お 耳(みみ) 汚(よご) しを」
シオ・フェン公主が、ミーファのそんな無謀な行動まで知っていることに、今まで以上に顔を真っ赤にする。
さすがに、後先考えない行動であったと、今では恥ずかしく思っているのだ。
「ミーファらしい、まっすぐな行動ですね」
だが、シオ・フェン公主は愛おしそうにミーファを見る。
自分にはできない、ある種の憧れを感じながら。
「そのアベル先生という方が、それほどの事をしても弟子入りしたいと思った相手だったのでしょう?」
そこまで言って、シオ・フェン公主は何かに気付いたようにハッとして言った。
「もしかして、そのアベル先生の事を好きに……」
「違います!」
ミーファは、真っ赤な顔のまま反論した。
「そもそも師匠は結婚されており、国元に奥様とお子様がおいでです」
「そう……」
シオ・フェン公主は、少しだけ残念そうな顔になっていた。
小さい頃から、男性に全く興味を示さないミーファに、もしやようやく心惹かれる人ができたのかと思ったのだが……本当に、純粋に剣の師匠であったから。
「私は仕方ないけど、ミーファには幸せになって欲しいの。まあ、ダーウェイにも素敵な 殿方(とのがた) はいるかもしれないし、焦る必要はないわね」
「シオ様……」
小さく首を振るミーファ。
「輿入れのための出発の日時だけど、一カ月後らしいわ」
「一カ月……」
「ええ。準備はほとんど終わっているから、早く発ちたいのだけど……。輿入れを邪魔したい、あるいは失敗させたい人たちがいるみたいね。そのせいで、遅くなってしまうわ」
あっけらかんとした表情で、シオ・フェン公主は言う。
「失敗って……いったいどういう……」
「一番確実に失敗させるには、私を殺す事よね」
「なっ……」
微笑みながらシオ・フェン公主が言い、ミーファは絶句した。
「とはいえ、いちおう公主ですから……直接手にかけるのは難しいでしょう。そうなると、周りから少しずつ人材を剝いでいくでしょうね」
「……」
「だからね、ミーファも狙われるかもしれないの」
シオ・フェン公主はそう言うと、両手でミーファの手をしっかりと握った。
「十分に気をつけて」
「はい、分かりました」
「この離宮の中に入れば大丈夫だけど、ここに来るのも、一人では危ないわ。誰か供の人を連れて……。そう、さっきのアベル先生とかにも一緒に来てもらえると一番いいかも」
「え……」
シオ・フェン公主の突然の提案に、言葉を失うミーファ。
「ダメ? 不調法(ぶちょうほう) な……宮廷とかに上がれない感じの方? ここは離宮だから、その辺りは問題ないのよ?」
「あ、いえ、その辺りは問題ないでしょう。師匠は、冒険者ということですけど、元々は高い身分の方のような気がします」
「あら、そうなの?」
「師匠のヴァイオリンは……失礼ですが、王宮楽団の方よりお上手でした」
「まあ! 剣も強くてヴァイオリンも上手い……いえ、王宮楽団より上手いって、普通じゃないわね……むしろ、大丈夫かと疑うレベル」
「え?」
「いえ、本当に人間なのかを……」
「大丈夫です!」
人間である事を疑われるアベル……。
そんなアベルと涼の聴取は、結局、首都ジョンジョンに到着した翌日の一回だけで終了した。
「一回で終わったな」
「わざわざ、これだけのために首都に来たと考えると、非効率です……」
「元々、この首都の港に到着する予定だったんだから、いいんじゃないか?」
「全ては、あのクラーケンの集団のせいです。今度会ったら、ぎったんぎったんにしてやるのです!」
「何だ、ぎったんぎったんって……」
「昔、アベルのものは俺のもの、俺のものも俺のものと言っていた、暴君な独裁者の決め台詞です。アベルも覚えておくといい……あ、でも、アベルが暴君で狂乱王になったら困るので、覚えておかなくていいです」
「うん、よく分からんから忘れることにする」
そんなテレビの中の、暴君な独裁者の 土管(どかん) の上でのリサイタルを思い出しながら、涼は鞄から一冊の本を取り出した。
『実践 呪符と霊符が拓く未来』だ。
「結局、馬の上では読めなかったみたいだな」
「ええ。難しいですね。酔うとかの前に、文字が読み取れませんでした。途中で、代官のスー・クーさんに聞いてみたんですけど、慣れると常歩くらいなら問題なく読めるようになるそうです」
「あの人はそれができるということか。やっぱり経験が豊富なんだな」
「ですので、機会を見つけて騎乗も練習してみたいと思いまして……」
そう言って、涼が見た窓の外……そこは、代官スー・クーの屋敷の裏庭。
そこには広い、というより広大なという表現の方が近い、かなりの面積の裏庭が広がっていた。
木はなく、 芝生(しばふ) に似た背の低い草が一面覆っている。
さらに、その端には馬小屋らしきものも……。
「まさか、あそこで馬に乗るのか……」
「そうです! 馬上で本を読めるようになるために!」
「時々思うんだ。リョウのその情熱は、何かが間違っていないかと」
涼が決意表明した言葉に、小さく首を振ったアベルの言葉は、誰にも聞こえなかった。
変な努力も、努力は努力だ。
努力は裏切らない。
それは確かなのだが……周りからの理解を得られるかは、不明である。