軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

0492 黒い海

ローンダーク号が、大公国艦隊を振り切って一日後。昼前。

西風を受けて、順調に東に向かっていた。

「どうだ、モスターラ」

ゴリック艦長が、海図とずっとにらめっこをしているモスターラ一等航海士に声をかける。

「ええ、風がいいですから、今日の夕方には、該当海域に到着します」

「六時間以上早いか。それだけ時間を稼げたのはでかいな」

モスターラ一等航海士の答えに満足したのか、ゴリック艦長は笑みを浮かべて頷いた。

時間を区切られてはいないが、できるだけ早く情報を収集して、大使館に届けるに越したことはない。

大陸の情勢は、一刻の猶予もないのだ。

今日、明日に何が起きるか分からない……。

その時だった。

「艦長! 前方に何かが浮いています!」

フォアマストから、遠眼鏡で東の水平線を見ていたナンが叫んだ。

ゴリック艦長は、弾かれたように船首に走る。

遠眼鏡で見続けて、しばらくしてようやくそれが何か分かった。

「板?」

分かりはしたが、なぜそんな物が浮いているのかは分からない。

「さらに東にも、何か浮いています!」

ナンがさらに叫ぶ。

板は一枚だけではなかった。

何枚も、何枚も……。

「モスターラ! 東には島はないよな」

「島はありません!」

船首から怒鳴って問うゴリック艦長。

怒鳴り返して答えるモスターラ一等航海士。

いつの間にか、ゴリック艦長の隣にレナ副長が来て、同じように遠眼鏡で見ていた。

そして口を開く。

「艦長、船の残骸と思われます」

「ああ……レナもやっぱそう思うか?」

レナ副長の言葉に、ゴリック艦長も小さく頷いて答えた。

顔はしかめっ面だ。

当然だろう。

船乗りであれば、船の残骸など一番見たくないものだ。

さらに、この残骸が、どこの船の残骸なのかを推測できる情報を彼らは持っている。

「ナン! 国旗または海軍旗が漂っていないか、注意して探せ!」

「了解!」

情報通り自由都市艦隊主力の残骸であるなら、自由都市の国旗や、自由都市海軍旗が漂っている可能性がある。

もちろん、それを見つけてしまえば、一つの事実を認めなければならないわけだが。

「ヘルブ公が言った通り、自由都市艦隊の主力は壊滅したのか?」

「もしそうだとしても、生き残っている艦はあるのではないですか? 帆が折れ、推進機関が壊れて動けない艦なども……」

「ああ、もし生きている人間がいれば助けてやれる」

レナ副長の言葉は、ゴリック艦長が思っていた事でもある。

彼らは船乗りだ。

国籍に関係なく、海の上で困っていれば助け合う。

そんなところに、スーシー料理長がやってきた。

「艦長、何があるにしても、食べておいた方がいいんじゃないか?」

スーシー料理長の言葉は的確だ。

現状でも、すでに該当の海域で何か起きたのは分かる。

そこに近づけば近づくほど、時間に追われることになるかもしれない。

「そうだな」

ゴリック艦長は頷くと、叫んだ。

「全員、交代で昼飯を食べてくれ! 絶対に食べろ! 晩飯が食えるとは限らんからな!」

「お昼はカレーだよ! お替りはいっぱいあるから、お腹の中に詰め込んでおきな!」

スーシー料理長も、叫んだ。

「おぉー!」

歓声が上がる。

多島海地域にもカレーがあり、海軍にはカレーを食べる伝統があるのかもしれない……。

午後五時ちょうど。

「この辺りから、海の色が違う……」

舷側から海を見ていたゴリック艦長が呟いた。

もちろん、色が違うのは、どこの海でもよくある事ではある。

深い青の海もあれば、緑というべき海もある。

だが、ここは違う。

「なんだ、このどす黒い色は……」

青ではない。黒いのだ。

それは、決して、傾き始めた陽の光が理由ではない。

ある場所を境に、色がはっきりと違うのだから。

「艦長! 前方に島が見えます!」

その時、マストトップのニンが叫んだ。

この時間帯は、ナンに代わってニンが、フォアマストに上がって、監視している。

「島? こんな場所に?」

ゴリック艦長はそう呟きながら、傍らのモスターラ一等航海士を見る。

「大使館から提供された海図には、この辺りに島はありません」

モスターラ一等航海士は頷きながら言う。

もちろん、大使館の仕事は外交だ。

そのため、持っている海図も十数年前から使っているもので、更新はされていない。

だがそれでも、島が描かれていないということは考えにくい。

新たに島が生まれたならともかく……。

ゴリック艦長は迷っていた。

該当海域に、自由都市艦隊はいない。

生き残りの船乗りもいない。

途中で船の残骸は見かけた。

艦隊は壊滅したと結論付けていいだろう。

だが、該当海域のさらに東に、島を発見してしまった。

ないはずの島を。

島に上陸すべきか?

いや、そもそも、近付くべきなのか?

艦隊が壊滅したのは、あの島のせいなのではないか?

その瞬間、怒鳴るように命令を下す。

「面舵一杯! 急速回頭! 最大戦速でこの海域を離れる!」

「お~もか~じ」

「180度回頭後、機関、最大戦速」

ゴリック艦長の命令で、操舵手が舵を切り、レナ副長が伝声管で機関に指示を伝える。

180度回頭後、中央メインマストに、ナンが上がって後方監視を始める。

フォアマストのニンが前方、メインマストのナンが後方。

いちいち指示されなくとも、必要な行動をとれるのは、今までの訓練のおかげだ。

だがマストトップに上がってすぐに、後方監視を始めたナンが叫んだ。

「艦長! 後方、海中より何かが浮上してきます!」

聞いただけでは意味の分からない報告。

ゴリック艦長は、艦内を飛ぶように走って船尾に着く。

遠眼鏡の必要がないほど至近の海面に、大量の泡がわいている。

それを見た瞬間、ゴリック艦長の肌が泡立った。

ヤバいものが来ることを感じ取る。

「レナ! 接舷戦を準備!」

「了解!」

ガリッ。

海中から伸びてきた鎖が、ローンダーク号の船尾に絡みついた。

すぐに乗組員たちが、それを引きはがそうとするが、びくともしない。

そして、ついに海中から現れた。

一隻の船。

帆は破れ、三本のマストも途中からすべて折れ、舷側、つまり船の側面にも大きな穴が空いている。

船首近くに、船の名前が書いてある。

ゴリック艦長でも、その船の名は知っていた。

「自由都市艦隊旗艦、ポロロック号……」

そのゴリック艦長の呟きは、震えている。

ポロロック号は、自由都市艦隊の旗艦。つまり、その主力艦隊と共に常にある。

その船が沈んでいたという事実。

しかも、海中から現れたという事実。

「幽霊船になった?」

接舷戦の準備を終え、ゴリック艦長の傍らに来たレナ副長が呟くように言う。

そう考えるのが妥当な光景だ。

幽霊船がいるのは、船乗りならば誰もが知っている。

実際ローンダーク号だって、かの有名な『幽霊船ルリ』と戦ったのだし。

だが……。

「ほんの数週間まで『生きていた』船が、幽霊船になるなど聞いたことがない」

ゴリック艦長は答えた。

そう、幽霊船はいる。

だが、そう簡単に幽霊船になったりもしない。

『幽霊船ルリ』のような例外もあるが、幽霊船というのは、海の底に沈み、数十年、あるいは百年を超える時を重ねて、船と、共に沈んだ船乗りたちの魂が結びついて生み出されるものだと言われている。

少なくとも、沈んで数年やそこらで幽霊船にはならない。

ましてや、数週間など……ありえない。

「あの島が……幽霊船を生み出す……?」

「レナ……」

レナ副長が小さな声で言った言葉は、ゴリック艦長が考えていた事と一致した。

「ええ、そんな話は聞いたことはありませんが……」

「いや、まずは生き残る事だ!」

レナ副長も知らない事……ゴリック艦長は、だが現状で最優先すべき事を思い出した。

幽霊船となったポロロック号は、旗艦だけあって大きい。

遠洋巡航艦であるローンダーク号より大きく、甲板の位置も若干高い。

ポロロック号から、ローンダーク号に紐が投げ入れられる。

そして、その紐を滑ってローンダーク号に……。

ブツンッ。

そのタイミングで、ローンダーク号の乗組員たちが、その紐を斬った。

紐を滑って乗り移ってこようとしていた者たちが、海中に落ちていく。

「ゾンビだったな……」

「はい」

ゴリック艦長とレナ副長が確認する。

幽霊船ルリは、スケルトンだった。

同じ幽霊船でも違うようだ。

紐を飛ばしては斬られ、海中に落ちていくのを繰り返している。

だが、さすがに幽霊船もらちが明かないと思ったのだろう。

一気に、数十本もの紐が飛ばされた。

さすがに、全てを斬るのは無理だ。

ついに、ローンダーク号の甲板に降り立つゾンビたち。

自由都市艦隊の制服を着ている者もいる。

それに気付いたローンダーク号の乗組員たち。

最初は可哀そうな顔をしていた。

だが、そんな気持ちはすぐに吹き飛ばされる。

「情けをかけるな! 取り込まれたら、俺たちが、仲間がそうなるぞ!」

ゴリック艦長が叫ぶ。

理性からではない。

湧き上がってきた感情に従って、口にした言葉だ。

『取り込まれたら』が何を指すのか、ゴリック自身よく分かっていない。

幽霊船に移されたらなのか、心が捕まったらなのか、あるいは……殺されたらなのか。

ローンダーク号の乗組員たちは、レナ副長とモスターラ一等航海士を中心に、船尾甲板で戦っている。

戦闘開始前に、レナ副長がゴリック艦長に厳命されたのはただ一つ。

「死者を出すな」であった。

そのため、少しでも傷を負った乗組員はすぐに後方に下げ、ポーションで回復させている。

戦場が、船尾だけであるため、それが機能している。

しばらく戦闘指揮に専念していたゴリック艦長は、小さく首を傾げた。

ローンダーク号の防衛線は、決して堅固ではない。

だが、ゾンビたちは、一気に突っ込んでこない。

それどころか、ある一定の線よりも前には進まない。

「一定の線? まさか……」

ゴリック艦長は、舷側から身を乗り出して海面を見る。

ローンダーク号は海中からの鎖に絡みつかれ、前に進んでいない。

接舷戦に移行すると決まった段階で、機関も止まっている。

そして、ローンダーク号がいるのは、ちょうど海の色が変わる場所。

「ゾンビがいるのは、どす黒い海の部分だけ? あそこから出てこられない?」

ゴリック艦長はそう確信した。

勝機はある。

だが、同時に懸念もある。

今はまだ、ポロロック号も止まったままだ。

しかし、動き出し、ローンダーク号をどす黒い海域に引きずり込んだりしたら……。

風は西風のまま。

ポロロック号の帆は破れているため、風を掴めない。

だが、ポロロック号の風吹機関がどうかは分からない。

ゴリック艦長は、伝声管に走り、指示を出す。

「機関、最大でぶん回せ! 焼きついてもいい!」

「了解!」

機関室のグンノ機関長が、叫ぶように答えた。

「レナ! 繋がれている鎖を斬って欲しい!」

さらにゴリック艦長は、船尾に向かって叫ぶ。

ちらりと、ゴリック艦長を見て、その後、幽霊船ポロロック号とローンダーク号を繋ぐ鎖を見るレナ副長。

簡単ではないのは誰にでも分かる。

ゴリック艦長は、先ほど、乗組員たちがその鎖をはがそうとして、全く剥がせなかったのを見ている。

だが……。

レナ副長は、頷いた。

そして、傍らで戦っているモスターラ一等航海士を見る。

「モスターラ、敵を頼みます」

「承知!」

モスターラ一等航海士はそう答えると、ゾンビたちの間に一気に突っ込んだ。

そして、斬りまくる。

普段の、航海士の仕事を物静かにこなす姿からは、全く想像できない鬼神の如き動き。

さすがに、ゾンビですら、そちらに気が向いたようだ。

その瞬間、レナ副長が傍らを駆け抜ける。

そして、跳んだ。

逆手に持った剣を、自らの落下エネルギーごと鎖に斬りつける。

同時に唱える。

「〈風裂〉」

剣と風属性魔法が、同時に鎖に叩き込まれた。

バキンッ。

ポロロック号とローンダーク号を繋いでいた鎖がちぎれる。

華麗に、ローンダーク号に戻るレナ副長。

最大に回された機関の勢いで、ローンダーク号が走り出す。

一瞬で、どす黒い海域を抜ける。

次の瞬間、船尾にいたゾンビたちが崩れおちた。

レナ副長、モスターラ一等航海士をはじめ、船尾で戦っていた者たちは、ゾンビが崩れ落ちた光景を見ても動けない。

どす黒い海域と、ゾンビの関係に気付いているのはゴリック艦長だけだから。

彼らは、ゴリック艦長を信頼して、言われたとおりにやっただけ。

だが、だからこそ、生き残れた。

「やった……?」

「なんとか、助かったようね」

モスターラ一等航海士が呟き、レナ副長も呟くような声で答えた。

「よくやってくれた」

ゴリック艦長が船尾に来て、戦った者たちを称賛した。

その瞬間、船尾にいた者たちは座り込む。

本当に、助かったことを実感したのだ。

「艦長、報告はどうされますか?」

座り込んだが、すぐに立ち上がって艦長に問うレナ副長。

モスターラ一等航海士同様に、真面目だ。

「見たままを報告する」

「よろしいので?」

「分からん。分からんが、俺が判断する立場にはない以上、報告すべきだろう。あれは……人間にとっていいものではない気がする。海域を立ち入り禁止にするなりなんなり、複数の国のお偉いさんたちで話し合ってもらうべきものかもしれん」

ゴリック艦長は、ため息交じりにそう言った。

それが正しいかは分からないが、報告しなかったために大変なことになったら……それこそ一生悔やむだろう。

そう考えれば、報告しないという選択肢は、ゴリック艦長にはなかった……。