作品タイトル不明
0464 入城
その日、スージェー王国王都ピューリの港は沸き返っていた。
第六王女イリアジャ姫が、三カ月ぶりに王都に戻ってくる……その 噂(うわさ) が駆け巡っていたからだ。
しかも、姫が女王の座に就くという噂も、同じくらい広がっていた。
注意深い者であれば、どちらの噂も、その日の朝、一気に広まった点を不審に思ったかもしれない。
まるで、誰かが意図的に広めたような。
まるで、誰かが民意を一定の方向に向けさせようとしているような。
まるで、誰かが全てのおぜん立てを整えているような……。
そうでなければ……。
「王女様は、正午に到着されるらしいぞ」
「海軍は全て、王女様に従うらしいぞ」
「護国卿となったカブイ・ソマル様は、元々王女様を女王の座に就けるために反乱を起こしたらしいぞ」
そんな詳しい噂が、民の間で飛び交うはずがない……。
涼がそんな噂を聞けば、こう呟いたであろう。
「これが、情報操作……」
はたして正午。
水平線の彼方に、船が見えた。
それは時間を経るごとに、数を増していく。
「あれは……」
「王国海軍?」
「敵だったら大変だな」
公式には何の説明もないため、港に集まった王国民は、だんだん増えていく船団を見ながら、口々に思ったことを言っている。
それでも、その場を去る者はいない。
それは期待のため。
もしあれが、噂通り王女様で、噂通り海軍が従い、噂通り常勝提督の護国卿がついているのなら……。
そんな期待。
全てが見えるようになった時。
それは、水平線を埋め尽くす大艦隊であることが理解できた。
そして、マストにはためく王国旗と、王国海軍旗。
「すげぇ……」
そこにいる誰も、これほどの大船団を見たことはなかった。
当然だ。
四百隻もの軍艦。
そんな光景、一生に一度も見ることないのが普通。
四百隻の軍艦を引き連れ、先頭を進む優美な船。
それは、一度見れば、忘れる事など決してできないトリマランの船。
「ブラルカウ号だ……」
「海軍旗艦級の一隻……」
「カブイ・ソマル様が乗艦されることが多いって……」
四百隻の軍艦は、港の外で停船。
ただ、一隻、優美なトリマランの船だけが港に入ってきた。
港の中央は、朝から守備兵がつき、桟橋も開けてある。
滑らかに、まさにそこに着くのが当然であるかのように、その船は着いた。
船から降りてきたのは……美しい女性。
誰もが知っている女性。
誰もが大好きな女性。
誰もが……王に戴くことを望んだ女性。
「王女様……」
「イリアジャ姫だ」
「姫様が戻られた!」
そして、民の感情は爆発した。
「王女様万歳!」
「イリアジャ姫万歳!」
港のあちこちであがる歓声。
その声は、港から、王都の中へと広がっていく。
イリアジャ姫は船から降り、にっこり笑って手を振った。
「うおー!」
再び噴き上がる民の感情。
スージェー王国民の元に、再び、 戴(いただ) くに足る王が戻ったのだ。
「素晴らしいです。まさに、船の女王レインシューター号のお披露目にふさわしいですね!」
「あ、うん……イリアジャ姫が主役なんだが……」
「エスコート役! なるほど、ある意味、とても重要ですもんね」
「そうだな……」
船上で、その光景を見て喜ぶ涼とアベル。
「国民の喜び方が凄いです」
「人気があるんだな。以前、リョウが言っていただろう、王は国民人気がある方がいいと」
「言いましたね。 一(いち) に 曰(いわ) く 道(みち) 、というやつです」
「なんだそれは?」
「一に曰く道、二に曰く天、三に曰く地、四に曰く将、五に曰く法。道とは、 民(たみ) をして 上(かみ) と意を同じくせしむる者なり。 故(ゆえ) に 以(もっ) て 之(これ) と死すべく、以て之と生くべくして 危(うたが) わざるなり」
「余計に分からなくなった……」
「いつもの『孫子』の一節です。道とは、民の気持ちを 為政者(いせいしゃ) に同化させることができるような政治、それが正しい政治だということです。それをちゃんとやっておけば、民は、為政者と生死を共にしてくれる……喜んで共に戦ってくれるのです」
「なるほど。まあ、当然の事ではあるが……」
「それを当然といえるアベルは、まっとうな政治を行っているということですよ。そして、イリアジャ姫も、これまでの王女としての行動が、民にきちんと寄り添ったものだったのでしょう。だから、まだ即位してもいないのに、これだけの支持を得ている。あとは、王となった後も、『道』を踏み外さない政治を行って欲しいものです」
涼が真面目な説明をして、何度も頷いている。
「リョウは、時々、まともな事を真面目に言うよな」
「失敬な! 時々ではなく、いつもです!」
「うん、それは同意できない」
「くっ……」
二人がそんな会話を交わしている間に、イリアジャ姫一行は、王城へと向かったようだ。
当然、護国卿カブイ・ソマルも、馬車で進む王女の後ろに、騎乗してついていった。
涼とアベルは、いちおう外国人なので、守備兵たちと一緒に、最後の方で入城することになっている。
ちゃんと、部屋も王城に準備されるらしい。
「ありがたいですね。ナイトレイ王国でも、王城の中に専用の部屋くらい準備してくれればいいのに」
「なんだ、専用の部屋が欲しかったのか?」
「当然です。筆頭公爵として、権力をかさに着た理不尽な命令を出して……」
「すぐに準備してやる。その日から、書類まみれになるがな」
「前言撤回! 権力をかさに着て、筆頭公爵の権威を振りかざすなんてよくありません! 僕は、民に寄り添った筆頭公爵でありたい……」
アベルの言葉に、すぐに前言を 翻(ひるがえ) す涼。
「民に寄り沿った筆頭公爵? 『カフェ・ド・ショコラ』に入り浸る絵しか思い浮かばん」
アベルのその呟きは、リョウの耳には届かないのであった。
イリアジャ姫の部屋は、王城の中の離れにある。
そこは、『白の離れ』と呼ばれており、第六王女イリアジャ姫専用の離れ。
今回の入城後も、女王に即位するまでは、以前同様にそこで生活することになっている。
そこは、王城そのものよりも出入りする者が少ない。
当然、その方が守りやすい。
王城そのものとは渡り廊下で繋がってはいるが、別棟であることは、いろいろと都合が良いのだ。
また、『白の離れ』には三つの 東屋(あずまや) が隣接している。
東屋とは言っても、一種のゲストハウスのようなもので、人が泊まるのに十分以上の設備が備えられている。
その一つに、剣士とローブの魔法使いが通されていた。
「おぉ! いいですね。東屋と聞いてどんなものかと思っていましたけど、広いリビングに二つの寝室、さらに書斎まであるじゃないですか! 離れに付属の東屋なのにこれほどとは……スージェー王国の、国としての強さを感じられます」
「ありがとうございます」
涼の称賛に、二人を案内した『白の離れ』付き侍女が、嬉しそうに微笑んで、頭を下げた。
それを横目に見るアベル。
(あの称賛で、一気に味方につけるんだよな……。リョウは天性の人たらしか)
「アベル、今、何か変な事を思い浮かべませんでしたか?」
「いや、何も? 他にリョウが気になっていたのは、コーヒーだろう?」
「あ、そうでした! 侍女さん、王城に着いたら凄く美味しいコーヒーを飲ませてくれると、カブイ・ソマルさんが約束してくださったのです。えっと、王国東部で採れるらしいのですが……」
「ああ、それは、ケンジャですね」
「え? ケンジャ?」
涼の頭には、『賢者』という言葉が思い浮かんだ。
「はい。すぐにお持ちいたします」
侍女さんはそう言うと、下がっていった。
「アベル、ケンジャというらしいですよ」
「そう言ってたな。なんだ、ケンジャだと、何か問題でもあるのか?」
「い、いえ……。そういえば、こっちで、賢者って言葉は聞いたことがないですね」
「ん? リョウが言っている意味が分からん……」
中央諸国には、賢者と呼ばれる人はいないのかもしれない。
確かに、イラリオン・バラハでさえ、自分を賢者とは言っていない……。
しばらく待っていると、先ほどの侍女がコーヒーを持ってきた。
部屋に入った瞬間に香りが広がる。
「おお……いい香りです」
「確かにな」
涼が嬉しそうに言い、アベルも頷く。
涼はもちろんコーヒー好きだが、アベルもかなりのコーヒー好き……涼はそう睨んでいる。
「アベルは、コナコーヒーを飲みふけっていましたからね」
「飲みふけっていたというか、それくらいしか、簡単な気分転換ができなかっただけだ」
「ドンマイ、書類まみれ」
「黙れ……」
そんなことを言い合っている間に、テーブルにコーヒーカップが並べられ、そこにデキャンタからコーヒーが注がれた。
「さっき以上に凄い……」
「ああ。コーヒーの香りって、安らぐよな」
香りを堪能して、二人は一口飲んだ。
「ああ……」
「おぉ……」
アベルも涼も、ああとかおぉしか言えない。
そのままもう一口。
「うむ……」
「そう……」
やはり、うむとかそうしか言えなかったが……。
「果物のような?」
「そうです、わずかな蜜? 完熟な 林檎(りんご) の中心にできていることがある、あの蜜……」
「まあ、なんにしろ……」
「美味しいです」
アベルも涼も、美味しいということで一致していた。
「ありがとうございます」
二人の満足した様子と言葉に、再び微笑みを浮かべて頭を下げる侍女。
その東屋には、コーヒーの香りと共に、平和も広がっていった。