作品タイトル不明
0451 甲板にて
涼とアベルに割り当てられた部屋は、第三 甲板(かんぱん) の一室だ。
イリアジャ姫は船尾船長室なのだが、それ以外は、第二甲板と第三甲板に割り振られている。
第二甲板と第三甲板も、簡易的に布で仕切られているだけで、それぞれの部屋というわけではない。
そういうわけで、二人とも、寝る時以外は上甲板にいるか、食堂にいるかであった。
やらなければならない仕事はない。
それでもお金はもらえる。
なんて素晴らしい!
そんな不労所得で生きていける二人は、今日も上甲板にいる。
これが、地球のガレオン船であれば、そこまでの広さはないのだろうが……。
バシュテーク号の上甲板は広い。
そんな上甲板を、船員たちが行き来している。
錬金術による風属性魔法の操作で、どこまでの問題がクリアされるのか。
涼は、いつかその辺りも教えてもらおうと考えている。
今はまだ出航したばかりだし、船員さんたちともそれほど仲良くなっていないから……。
こういうのは、タイミングが重要なのだ。
そのため、今日も氷の椅子に座って、マニャミャの街で買ってきた錬金術の本を読んでいた。
鎧(よろい) 屋の気のいい職人さんがお勧めしてくれた本であるが、とても分かりやすく、上機嫌で読んでいる。
そんな涼から少し離れた場所では、アベルが剣を振っている。
特に、周囲の目を意識しているわけではないようだが……アベルが振る剣は周囲の視線を引き付ける。
アベル自身、第二王子として育てられたため、周囲から見られるのには慣れている。
だから、多くの人に見られていてもなんとも思わない。
アベルの場合、一口に『剣を振る』といっても、素早く振る場合と、ゆっくり剣筋を確かめながら振る場合とがある。
今日は、ゆっくりと振っているようだ。
涼はそれを横目に見て、傍らの氷のテーブルに置いてある二つの袋を開けた。
それぞれから、コーヒー豆を取り出し、生成した氷のミルに入れ、豆を挽き始める。
蒼玉亭特製ブレンドコーヒーの、豆の配合は完璧に覚えている。
そろそろアベルが剣を振るのを終えて、絡みに来るに違いないと推測した。
そう、涼はできる男なので、先を読んで行動するのだ!
案の定、フレンチプレスにお湯と挽いた豆を入れ、蒸らしている間に、アベルがやってきた。
先を読んでいた涼は、アベル用の氷の椅子も準備してある。
アベルは何も言わずに、そこに勝手に座った。
そこまではいいだろう。
アベルのための椅子だし。
だが……。
「仕方ないとはいえ、氷の椅子だと硬いな」
「なんて言い草……」
アベルの失礼な物言いに、怒りを通り越して驚く涼。
「あ、いや、椅子を準備してくれただけでもありがたいんだ。うん、分かっている」
「むぅ……。冷たくないだけでも感謝して欲しいですけどね!」
「ん? そうだな。そういえば、リョウの氷は冷たくないよな。この椅子もだし、コーヒーを飲むときのカップも」
「信じられないほどの修練の果てに手に入れた技術です! それは、血と汗と涙の結晶で……」
「魔法の訓練で、血は流れないだろう?」
「なんで冷静につっこむんですか! そこは、よく頑張ったな、素晴らしいなと褒めるところです!」
「よくがんばったな、すばらしいな」
「なんて嘘っぽい……」
アベルが乾いた口調で言い、涼は氷のテーブルに突っ伏した。
だが、すぐに起き上がる。
「氷の椅子が硬いのは仕方ないと思っていましたけど、ウォーターベッドは柔らかくて寝心地が素晴らしいです。座面に、あんな感じで……」
涼はブツブツと、そんなことを呟き始めた。
「イメージは氷枕? 中は何とでもなりますけど、問題は側ですよね。水の膜でも行けそうな気はするのですが……アベルみたいなのが座ったら割れる可能性が出てきます」
「俺が馬鹿にされている気がするのだが、気のせいだろうか」
「可変氷みたいなのは……ちょっとイメージできないですね。ああ、そうか、大きな一枚氷である必要がないのか。細かな、それこそ一枚数ミクロンの氷の板を並べて……。ああ、中に入れる氷をシャリシャリ氷にして……」
しばらくして、涼は目を閉じた。
そして、両手を肩幅ほどに開いて、氷テーブルの上に持っていって唱える。
「<アイスクリエイト アイスクッション>」
その瞬間、テーブルの上に、一枚の、青いチェアクッションが生成された。
見た目は、いわゆるゲルクッションのようだ。
「さあ、アベル、ちょっとこれを椅子の上に敷いて、その上から座ってみてください」
「お、俺がか?」
涼が提案し、アベルが問い返す。
明らかに、尻込みしている。
「僕を信じられないのですか!」
「いや、もちろん信じているが……なぜ、まずリョウ自身で試さない?」
「決まっているじゃないですか。もし失敗していた場合に困る……」
「おい!」
「というのは冗談で、アベルの体重で大丈夫なら、だいたい大丈夫だと思うからです」
アベルは、剣士にしては決して大きい方ではないが、一般人に比べれば筋肉はしっかりついている。
現代地球でいうところの、アスリート体型とでも言おうか。
脂肪に比べれば筋肉は重いため、体重は結構あるはず。
だから、お試しにはちょうどいい……。
アベルは、テーブルの上のアイスクッションを恐る恐る手に取った。
いきなり破裂しないかと、ちょっとだけ思っていたのだ。
だが、もちろん問題ない。
そして、自分の氷椅子の上に置いて……ゆっくりと、本当にゆっくりと座った。
「お?」
思わず、口から出る驚きの言葉。
ゆっくり、少しずつ体重をかける。
そして、重心を前後左右に動かし、ちょっとだけ立ち上がったりまた座ったり……。
一通り試し終わってから言った。
「いいな、これ」
「でしょう?」
アベルの素直な称賛に、嬉しそうに頷く涼。
だが、そこでアベルの表情が変わった。
それを見て、何事かと 訝(いぶか) しげな表情に変わる涼。
何か重大な 瑕疵(かし) に気付いたのか?
涼は、恐る恐る問うた。
「アベル……どうしました?」
「リョウ……コーヒーが放置されたままだ」
「しまった!」
フレンチプレスの中で、挽かれた多くの豆が、すでに底に沈んでいた。
「た、たまには長い時間をかけたものを飲むのもいいと思います」
「うん……そうだな」
二人は、コーヒーを飲んだ。
問題なく美味しかった……。
二人が、コーヒーが美味しい状態であったことに喜んでいると、一人の金髪の青年が近づいてきた。
「いい香りだな」
蒼玉商会護衛隊長バンソクスだ。
「あ、バンソクスさんも飲まれますか?」
「お、いいのか?」
涼の誘いに嬉しそうに答えるバンソクス。
涼がアイスクッションつきの氷の椅子を生成すると、すぐに座る。
そして、さらに生成された氷のカップに注がれたコーヒーを貰うと、まず香りを楽しんだ。
一通り香りを 堪能(たんのう) した後、一口飲む。
薄っすらと笑い、さらに無言のままもう一口。
ここで、ようやく口を開いた。
「確かに、これは蒼玉亭ブレンドだな」
「おお、良かったです。本場の方にそう言っていただけたら、安心ですね」
バンソクスが称賛し、涼はにっこりと笑った。
バンソクスは、少しずつ飲みながら、自分が持つ氷のカップを掲げて見た。
「リョウさんは、水属性の魔法使いなんだな。このカップもすげえわ」
「いやあ、それほどでも」
称賛され、照れる涼。
「うちは、親父が水属性魔法を使えてな」
「というと、商会長のバンデルシュさん? そうだったのですか」
「商人で水属性魔法を使えるのは、信じられないほど優位だ。特に海だとな……」
「ああ。真水を積み込む必要がないですからね」
バンソクスが言い、涼も頷きながら同意する。
王国のゲッコー商会も、水属性魔法が使える者たちを、商隊に入れていた。
その中の幾人かは、涼の弟子でもある。
ちょっとだけ、彼らがどうしているのか懐かしく思った涼であった。
「そうなんだ。真水を積み込む必要がない分、荷物を多く積める」
「なるほど……多く積み込んだ分、利益が増える……」
バンソクスの言葉に、アベルも頷いて答えた。
確かに、『魔法で水が出せる』というただそれだけで、商人としての優位性は圧倒的らしい。
「リョウさん、冒険者なんかやめて、うちに就職する気はないか?」
「すいません、それはちょっと……」
「だよな」
涼に断られ、バンソクスは大笑いした。
「バンソクス、ちょっと来てくれ!」
遠くから、バンソクスを呼ぶ声。
おそらく声からして、ダオ船長だろう。
「お? 呼ばれたか。コーヒーありがとうな、美味かった」
そう言うと、バンソクスは去っていった。
「商会長さんが水属性魔法を使えたとは……。魔法を使うのは気付いていたのですけど、僕とご同類だったのですね」
嬉しそうに言う涼。
なんとなく、一方的に、水属性魔法を使える人には親近感がわくのだ。
「俺も知らなかったが……リョウは、バンデルシュ商会長が、魔法を使えるのは分かっていたのか?」
「ええ、それは分かってましたよ」
「なんでだ?」
「ん? 魔法を使える人は、なんというか、体から魔法だか魔力だかが漏れているんですよ」
「ほっほぉ~」
涼の言葉に、素直に驚くアベル。
聞いたことがなかったからだ。
「ほら、中央諸国の魔法って、詠唱がセットになった、ちゃんと作られた魔法じゃないですか? 漏れ出る魔法を感知する詠唱とか、多分ないので、多くの人が気付いていないと思うのです」
「確かに……。俺も初めて聞いたからな」
「でも、連合のロベルト・ピルロ陛下は、人から漏れ出るのを感知していらっしゃいましたよ」
「マジか……」
西方諸国使節団で一緒になった先王ロベルト・ピルロは、中央諸国でも名の知られた魔法使いでもある。
十三年前に、王国と連合の全面戦争『大戦』において、連合の魔法戦力の中心となって、王国のイラリオンやアーサーの老魔法使いたちと死闘を繰り広げたのだ。
「あと、強力な魔法使いは、嫌でもその圧力を感じてしまうそうです。以前、エトが言ってました。ウィットナッシュで、あの爆炎のなんとかって奴と対峙した時に、溢れ出る魔力に押し潰されそうになったとか」
「爆炎のなんとかって……素直に、爆炎の魔法使いと言えばいいだろうに」
帝国を代表する魔法使いである、爆炎の魔法使いオスカー・ルスカと、『十号室』は図らずも対峙したことがあるのだ。
強力な魔法使いは、魔法だか魔力だかが溢れ出ているらしい。
「リョウも……溢れ出ているのか?」
アベルは、魔法を使えないために、その辺りは全く分からない。
「ふふふ、僕は逆に、完全シャットアウトです」
「しゃっと……何?」
「全く漏れ出ていないはずですよ。ロンドの森とかで狩りをする時に、その方が、都合が良かったですからね」
「そんなことが可能なのか……」
「これも、修練のたまものです」
二人が話している時に、船尾の方からざわめきが起こった。
そのざわめきは、二人に近づいてきて……。
「ごきげんよう、アベルさん、リョウさん」
後ろにロンク執事長を連れた、イリアジャ姫であった。
「こんにちは、イリアジャ姫」
「ああ、姫もどうですか。淹れたての蒼玉亭特製ブレンドコーヒーです」
アベルが挨拶し、涼がお茶会に誘った。
返事を待たずに、アイスクッションが載った氷の椅子が二つ生成される。
「さあ、どうぞどうぞ。執事長さんもご一緒に」
「いや、私は……」
「ロンク、リョウさんがこう言ってくださっているのです。一緒にいただきましょう」
遠慮するロンク執事長を、微笑みながら誘うイリアジャ姫。
結局、執事長も座り、蒼玉亭特製ブレンドコーヒーを楽しむことになった。
「この……椅子は氷ですか? リョウさんは水属性の魔法使いなのですね」
「はい!」
「でも、この椅子の表面は、氷みたいに硬くなくて、柔らかくて座りやすいです」
「さすがは姫様、よくお気づきに。これは、先ほどアベルが犠牲になって完成されたアイスクッションです」
「まあ! また、アベルさんが犠牲に……」
「なぜ、いつも俺を犠牲にする……」
涼が説明し、イリアジャ姫が笑い、アベルが小さく首を振る。
前衛は、その身を犠牲にして人を救うのだ。
「でも大丈夫です。アベルは、中央諸国にいる時から、その身を犠牲にして多くの人たちを幸せに導いていましたからね。これくらい、なんてことないのです」
「素晴らしいですわね」
「微妙に合っているのが、なんとも……」
涼はアベルを持ち上げ、イリアジャ姫は褒め、アベルは嘘ではないために反論できない。
国王というのは、民を幸せにするために政治を行っている……そう考えると、涼が言っているのは嘘ではない。
それどころか、国王という立場を、端的に示しているとさえ言える。
「僕は、そんなアベルのために犠牲になってきましたが……決して後悔はしていません」
「いつも、ソファーにぬべ~っと寝転がっていたのは気のせいか」
「失敬な! アベルの知らないところで、いろいろと暗躍……もとい、活動していたのです」
「そうか……それは、ありがとうな」
涼の言葉に、小さく首を振るアベル。
「その……中央諸国は、かなり遠いと聞いたことがあるのですが、どうしてお二人は、この多島海地域に?」
「え……」
イリアジャ姫の 無邪気(むじゃき) ともいえる質問で、答えに窮する二人。
二人で顔を見合わせた後、涼から説明を始めた。
「いろいろと複雑でして……。いくつかの手違いと間違いと勘違いが重なって、魔法が暴走してここに来てしまったのです」
「全く説明になっていないが、確かに説明しにくいな」
涼もアベルも、結局説明できなかった。
イリアジャ姫は首を傾げて聞いていたが、最終的にはにっこり笑って言った。
「いろいろと大変な事に遭遇されたのですね」
涼とアベルは、無邪気な追及から解放されたのであった。