軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

0385 <<幕間>> 帝国動乱 下

ここに、帝国は完全に分断された。

帝都を抑え、帝国軍の過半を握る現皇帝ヘルムート八世。

第三軍司令官を殺し、帝国に反逆した、西部のアラント公爵ジギスムント。

帝城を抜け、自領に戻って守りを固めた、北西部のシュタイン公爵コンラート・ボルネミッサ。

先帝の三人の息子が、帝国内で争う構図。

それを中心に……。

北部で反乱を起こした先のクルーガー子爵リーヌス・ワーナー。

南西部で反乱を起こしたモールグルント公爵の遺児ロルフ。

多くの帝国貴族は、じっと動かずに情勢を注視している。

もっとはっきり言うなら、動きようがない。

皇帝ヘルムート八世は、貴族たちに対して何も要求していない。

彼は皇帝であるため、当然、貴族たちの忠誠は彼の下にある……はずである。

問題を解決しうる唯一の方法は軍事力であるが、帝国内最大の軍事力である帝国軍と魔法軍、そして近衛騎士団は、基本的に彼の指揮下にある。

だから、貴族たちの助勢は必要ない。

だから、帝国貴族には何も要求しない。

それでは、帝国貴族は動きようがない。

アラント公爵ジギスムントは、帝国第三軍司令官イーヴォ将軍を殺害して以降、自領の守りは固めたが、それ以外は全く動いていない。

声明文も出していない。

それでは、帝国貴族は動きようがない。

最後にシュタイン公爵コンラート・ボルネミッサであるが……確かに、帝城の囚人の塔を抜けて自領に戻った。

それは、皇帝の命令に背いたことになり、大逆の罪に問われる可能性もある。

だが、具体的に行動を起こしたわけではない。

帝国内におけるコンラートの声望は、非常に高い。

また、その能力の高さも良く知られており、子飼いの部下たちも優秀、シュタイン公爵領軍の精強さも有名……となれば、その動きを、多くの貴族が注視しているのは当然かもしれない。

もし、彼が明確にヘルムート八世への反逆の旗を翻せば、そのもとに集う勢力はかなりの数に上るだろう。

だが、まだ動かない。

だから、帝国貴族は、今はまだ動けない。

リーヌスの反乱軍は、現在四千人にまで膨れ上がっている。

しかしながら、帝都から派遣された帝国第二軍、第二魔法軍と対峙し、膠着状態となっていた。

リーヌスは、要害の地として知られるサッカラ砦を占拠しているため、帝国軍も簡単には手を出せないのだ。

そして、モールグルントのロルフだ……。

彼に対しては、何も行動が起こされていなかった。

そう、何もだ。

以前、帝国第九軍が派遣された。

だが、第九軍は、消滅した。

それ以来、ヘルムートは、帝国軍を信じることができなくなっていた。

彼自身が、帝国軍の最高司令官であるが、最高司令官が、軍を信じることができない。

だが、唯一、ヘルムートが信じることができる者たちがいる。

それは、帝国第一軍と第一魔法軍。

これらは、ヘルムートが皇太子時代から抱えていた部隊を中心に編成された軍のため、彼子飼いの部隊といっていいものだ。

その一万五千人+二千人は、ヘルムート自身、多くの者たちの顔すら知っている、本当に信頼できる部下たち。

彼らだけは、信頼していた。

だから、帝城の守りも、彼の即位以来、近衛騎士団と共に第一軍が担っている。

ヘルムートは、いざとなれば、この第一軍と第一魔法軍だけで、けりをつけることすら考え始めていた。

信頼できない部隊を動かして、作戦行動中に裏切られたりしたら、敗北は必至だ。

それくらいなら、少数精鋭で、完全に信頼できる者たちだけでやるべきだと。

だが問題は、第一軍と第一魔法軍を動かした場合、帝城の守りをどうするのかという点だ。

近衛騎士団は残るが……その数は二百人。

一人ひとりの強さは確かだが、いかんせん数が少ない。

敵が多く分かれている現状では、一方の敵に当たっている間に、別の敵が帝城を攻撃してくるということもあり得るのだ。

「私自身が率いるのが一番か」

ヘルムートは、そう結論付けた。

ヘルムートは、決して臆病ではない。

魔法は得意ではないが、剣の腕は近衛騎士団の中に入っても、十分平均以上だ。

そのため、自身が先頭に立って第一軍と第一魔法軍を率いて、敵を撃滅するのがいいだろうという結論に達していた。

そうすれば、はっきり言って、帝城を守る必要性もない。

自分は、帝城にいないのだから。

アラント公爵領政庁の一室で、アラント公爵ジギスムントは、頭を抱えていた。

「なんでこんなことに……」

あの時から、何百回、いや何千回と呟いた言葉。

「殿下、失礼いたします」

入ってきたのは、ジギスムントの執事長マインツ。

ジギスムントが幼い頃から、ずっと付き従っている。

だからであろうか、今でもジギスムントへの敬称は『殿下』だ。

それに合わせて、周りも皆……。

マインツは、すでに七十歳になろうとしており、本来なら引退している年齢。

そう、来年には、引退するはずであった……だが、今回こんな事が起きてしまっては……。

「マインツ……私は、なんてことをしてしまったんだ……」

ジギスムントの声は、か細い。

普段は、明るく朗らかで、誰にでも分け隔てなく接する好青年だ。

それが……。

「全てはイーヴォ将軍がいけないのです。殿下のせいでは……」

「だが、将軍を殺してしまったのは曲げられない事実だ……」

マインツの言葉に、小さく首を振って嘆くジギスムント。

確かに、イーヴォ将軍は、芸術を馬鹿にした。

そんなものが何の役に立つのかと。

しかも、第三軍に糧食だけではなく、金や女を供出しろと要求した。

あり得るか?

栄えある帝国正規軍の将軍がそんな要求を?

しかも、ジギスムントは、仮にも皇帝の弟だ。

先帝の第三皇妃の子供とはいえ、先帝ルパートによって『皇子』と認められた現皇帝の弟であり、そもそも、公爵だ!

その公爵に向かって……糧食、金、女を供出しろ?

もちろん断った。

糧食はいいだろう。

だが、金を何に使う?

正規軍には、正規ルートで運用費は出されている。

金を、貴族に要求する必要はない。

どうせ、幹部たちが懐に入れるためなのだろう。

女も供出しろ?

これもだ。軍隊に必要か?

街に出ればそんな施設はいくらでもある。普通に使えばいい。

今までもそうしてきただろうが。

本来は、糧食すら公爵領から出す必要はない。

だがそこは譲歩してやったのだ。

それなのに!

席を蹴って出て行ったイーヴォ将軍と部下たち。

だが、政庁一階ロビーで再び騒動を起こした。

いちおう、ジギスムントも一階まで下りたのだ。

その目の前で、笑いながら、壁に掛けてあった絵を切り裂いた。

「これで少しはマシな絵になっただろう」などと言ったのだ。

画聖マヌンティの傑作『踊る木々』だぞ!

その瞬間、ジギスムントはキレた。

イーヴォ将軍の部下が、慌てて<魔法障壁>を張ったが全く意味がなかった。

簡単に切り裂かれ、イーヴォ将軍と部下たち四人は、見えない風によって切り刻まれた。

ジギスムントの意識はそこで途切れている。

恐らく、魔力切れに陥ったのだろう。

政庁にある公爵専用室に運ばれ……眠りから覚めた時には、全てが手遅れだった。

以来、こうして政庁に籠ったままだ。

「やはり、それしかない」

ジギスムントはそう呟くと、立ち上がった。

「殿下?」

「マインツ、帝都に行き、この身を皇帝陛下に差し出す」

「殿下……」

ジギスムントの言葉に、マインツは涙を浮かべた。

だが彼ですら、それ以外にないということは理解している。

「この身を差し出し、慈悲を乞えば、民や部下たちは許してもらえるやもしれぬ。願わくは、新たな領主には、芸術を解する心を持った者に就いて欲しい……」

そこまで言って、ジギスムントは外が騒がしいことに気付いた。

窓の外は、バルコニーだ。

その外には、広場がある。

ジギスムントは窓を開けて、バルコニーに出た。

一瞬だけ、音が消える。

バルコニーの向こう、広場にいる何千、何万もの民衆……。

彼らは、バルコニーに出てきた人物を見て、声を出し始めた。

「公爵様だ!」

「ジギスムント様が出てこられたぞ!」

「ご領主様~!」

民衆は、ジギスムントを心配して集まっていたのだ。

「これは……いったい……」

思わず呟くジギスムント。

その傍らに跪く者がいた。

キュルナッハ子爵テオ・バーン。

テオは、ジギスムントの下でアラント公爵領の一切を取り仕切る最高執政官。

四十代半ばであり、執事長マインツと共に、二十年に渡ってジギスムントの傍らにあって、彼を支えてきた忠臣中の忠臣。

その行政能力は、先帝ルパートの片腕であったハンス・キルヒホフ伯爵から絶賛された。

テオ・バーンがいるからこそ、ジギスムントはやっていける……第二皇子であった時から、ジギスムントは陰でそう言われていた。

だが、テオが一番知っている。そうではないと。

ジギスムントの能力の高さを、最も知る者の一人が、彼であった。

「殿下。民は、皆、殿下を心配して集まったのです」

「私を……心配?」

テオの言葉に、首を傾げて問うジギスムント。

「民は、政庁で起きたことを知っております。ロビーには、多くの者がおりましたので」

「ああ……」

「それで、口づてに広がり、こうして……」

「そうか。それは、皆にも心配をかけたな」

ジギスムントは、少しだけ微笑んだ。

「先ほど、帝都より布告が出されました。アラント公爵ジギスムントは、至急参内して事情を説明せよと。布告でしたので、その事も、民は知っております」

「そうか」

ジギスムントはそう答えると、バルコニーの一番前まで進んだ

民衆は、皆、口を閉じた。

そうして、ジギスムントの言葉を待つ。

「皆の者、心配をかけた。だが、見ての通り、私は大丈夫だ。ありがとう」

一瞬の後……。

「うぉーーーー!」

怒号のような歓声が上がった。

いくつも、いくつも。

ジギスムントは手を挙げる。

すぐに、民衆は静まった。

「帝都より布告が出されたとのこと。だが案ずることはない。私が帝都に行き申し開きをする。そうすれば、帝国が皆に責任を取らせるようなことは起きない。約束しよう」

ジギスムントが言葉を切る。

今度は、民衆の声はほとんど聞こえない。

だが、少しずつ、声にならない声が聞こえ始める。

「嫌だ」

「そんなの間違ってる」

「悪いのはあいつらだ」

「公爵様は悪くない」

「あいつらを送ってきた皇帝が悪い」

「俺たちの領主はジギスムント様だけだ」

「帝都にいったら殺されてしまいます。行かないで!」

そんな声が、波のようにうねり、広場中に広がり、さらには、街中に広がっていく……。

最も驚いたのはジギスムントであった。

「これはいったいどういう事だ……」

理解できない現象に思わず呟く。

「殿下、民は、帝都に行くなと言っております」

「いや、だが、そんなことをすれば、帝国軍が……」

テオの説明にうろたえるジギスムント。

帝国正規軍の強さはよく知っている。

なんと言っても、第二皇子だったのだから。

「皆の者、私が行かねば、皇帝は帝国軍を派兵してくる。そうなれば、街は焼かれることになる」

ジギスムントの言葉に、一瞬だけ静まる民衆。

だが、すぐに声が広がる。

「それでもいい」

「私たちは戦うわ!」

「西部の民五千万の力を見せてやる」

「皇帝を倒せ!」

「皇帝を倒せ!」

「皇帝を倒せ!」

「皇帝を倒せ!」

「皇帝を倒せ!」

「これは……」

ジギスムントは絶句した。

だが、彼はどうしても同意できなかった。

帝国軍は精強だ。

それに比べて、アラント公爵領軍は、お世辞にも強いとは言えない。

数だけは二万人と、それなりにいるが、これは領内全域の治安維持に必要な最低数だからいるだけで……。

正規軍と戦える練度ではない。

「殿下……民にとって、領主は殿下だけなのです」

テオがはっきりと言いきった。

思わずそれを見るジギスムント。

だが、ジギスムントも、テオの両眼に見た。決意を。

「わたくしにとっても、命を懸けて仕えるべき方は、殿下だけです」

テオが言った瞬間。

バルコニーにいた全員が跪いた。

ただ一人、立つ、ジギスムントは、目を瞑った。

その耳に聞こえる民衆の声。

「皇帝を倒せ!」

そして……。

見なくともわかる、跪き控える者たちの決意に満ちた目。

ジギスムントは、ゆっくりと目を開けた。

理解している。

彼の命は、彼だけのものではない。

上に立つ者の命は、下にいる者たちのものでもあるのだ。

勝手に死ぬことすら許されない。

死ねば家は取り潰され、部下たちは路頭に迷う。

死ねば別の領主が取って代わり、民たちは虐げられる。

自分の生死を、自分で決めていい立場ではない。

ジギスムントの表情には、一切の迷いは無くなっていた。

そして、頷き、一言だけ口を開く。

「わかった」

「陛下、アラント公爵から書状が届きました」

「書状?」

執政マルティナ・デーナーの言葉に、訝しげに問い返すヘルムート八世。

そして、書状を読む。

「体調を崩し起き上がれないため、帝都で申し開きができぬ……か。イーヴォ将軍を切り刻んだ後、ジギスムントは、倒れたのであったな」

「はい。そのように報告されております」

ヘルムートは問い、マルティナは答えた。

「マルティナ、どうするべきだと思う?」

「人を送って……理想は第一軍を送って、申し開きを聞くべきかと」

「いや、第一軍はダメだ。手元に置いておきたい」

「さようでございますか。でしたら、第十軍がよろしいでしょう」

「第十軍……フローラの軍か」

「はい。フローラ・ライゼンハイマーは、以前、アラント公の片腕キュルナッハ子爵テオ・バーンの元で軍略を学んだと聞いております。アラント公とも面識があるとのことなので、他の者よりは話しやすいかと……」

マルティナの頭の中には、帝国軍幹部の多くの人事情報が入っている。

「そうか。ならば第十軍を送れ。同時に、第一軍と第一魔法軍は、シュタイン公爵領への出征準備を完了させよ。我らはコンラートを討つ」

「畏まりました」

「これは……困りましたな」

「勅命だ。仕方あるまい」

第十軍相談役エルマーが命令書を読んでため息をつき、司令官フローラが首を振りながら答える。

「私がアラント公爵領軍の指揮官なら、罠を張っていますよ?」

「ジギスムント様は、生来争いを好まれぬお方。いきなりそのような事はないと思うが……」

エルマーの言葉に、反論するフローラ。

「ですが……理由はどうあれ、皇帝陛下が派遣した帝国軍の司令官を殺したわけです。この場合、帝国の法に照らすと、どれほどの高位貴族であっても死刑ですよね……」

「うむ、それはそうだ」

「となると、ジギスムント様は死刑……」

「……恐らくは」

「それを防ぎたいと思う者たちは、どう行動します?」

「そう……。エルマーの言いたいことは分かる。分かるが……。早まった行動はとって欲しくない……」

フローラは顔をしかめて、言葉を絞り出すように言った。

ジギスムントとは知己の間柄であり、何度も芸術に関して語り合ったことすらある。

また、彼の右腕としてアラント公爵領を取り仕切る最高執政官キュルナッハ子爵テオ・バーンは、フローラの師匠でもある。

フローラは、テオの、驚くほど高い能力を、最も知る人物の一人だ。

「テオ殿は……敵に回したくない」

「ああ……アラント公爵領の最高執政官。彼がいるから、アラント公爵領は破綻しないとか」

フローラの呟きに、エルマーは反応した。

「それは正しくないぞ」

「え?」

「ジギスムント様自身、非常に優秀なお方だ」

フローラは小さく首を振りながら、世評を否定した。

テオ・バーンがジギスムントに仕えて二十年になる。

それこそ、ジギスムントが幼少の頃からだ。

アラント公爵家が開かれたのは二年前だが、その前から、ジギスムントは領地を持っている。

帝国において皇子は、若いうちから必ず領地を持ち、統治を学ぶ。

望む場合は、皇女も領地を持ち、統治を学ぶことができる……ルパートの娘たちは、誰も望まなかったが。

十歳の誕生日に、皇帝ルパート六世によって与えられたジギスムントの領地は、現在のアラント公爵領の中心地であった。

以来十五年、ジギスムントは、領地と帝都とを行ったり来たりした。

テオ・バーンを中心に領地の運営はなされていたが、ジギスムントはそれだけでは満足しなかったのだ。

ジギスムントには夢があった。

将来、何代後になるか分からないが、彼の領地が中央諸国一の芸術の都と呼ばれるようになること……そんな夢が。

そのため、ジギスムントは、文化、芸術の振興に邁進した。

だが、テオは知っている。

ジギスムントが驚くほどバランス感覚に秀でていることを。

そして、目先の結果ではなく、計画的に物事を進めることを好むということを。

ジギスムントは、テオが予算を割り振った範囲内で、芸術の振興を行っていた。

つまり、インフラの整備や商業の振興など、本来やるべき統治にお金を費やす……そこは削らない。削れば、領地の発展に支障をきたすことを、ジギスムントも理解していたからだ。

その上で、余剰金ともいえる資金で芸術の振興を行う。

それも、十年後、二十年後を見越して。計画的に。

それは、テオが行った商業の振興と相まって、領地を非常に豊かにした。

多くの商人が集まった。

人が集まれば物も集まる。

人と物が集まればお金が集まる。

お金が集まれば、芸術家が集まる……パトロンたる後援者を求めて。

ジギスムントの領地における芸術は、貴族だけのものではもちろんなかった。

彼は、芸術家の才能と作品を愛した。

当然、出自など関係ない。

それは、近隣の、芸術を志す者たちの目に、魅力的に映った。

それだけ多くの芸術家、芸術家志望の者たちが街に集まれば、自然と、街のいたるところで芸術の機運が芽吹きだす。

しかも、領主ジギスムントは芸術好きだ。

そんな領主様は、よく街を出歩いた。

街のいたるところに芸術があるのだ、当然であろう?

民も、領主様との距離は近くなった。

政庁一階という、それなりに多くの領民が訪れる場所に、貴重な画聖マヌンティの傑作『踊る木々』が飾ってあったのも、ジギスムントの意向だ。

飲み屋に飾った絵に目を止めた領主様が、主人と絵の話をする。

軒先で、食べ物と交換して代金代わりに置いていった絵を飾っていた店主に、領主様が声をかける。

広場で一心不乱に絵を描いている絵描きに、領主様が寄付をする。

ジギスムントの領地で、よくある光景だった。

結果、ジギスムントが望む形の領地が、少しずつ生まれつつあった。

さらに、アラント公爵家を開くと、その成長は指数関数的に増えていった。

そんな中に起きたのが、今回の出来事である。

テオは、憎んだ。

イーヴォ将軍を憎んだ。

彼を送ってきた皇帝を憎んだ。

ジギスムントの純粋な思いを踏みにじる全てを、憎んだ。

彼は、全力でジギスムントを守ると決めた。

そのためなら、皇帝を、帝国軍を、帝国全体を敵に回しても構わない。

幸い、現在の帝国は、驚くほど乱れている。

一カ月前であれば、想像すらできなかったほどに。

これは、ある意味幸い。

これだけ、情勢が複雑であれば、必ず『まぎれ』がある。

本来なら、情勢を複雑にするための策を打って、そこにまぎれを求めることになるのだが、今回はすでに複雑な情勢。

それを利用するだけでいい。

ある程度の準備は整った。

帝都からは、第十軍が来るという。

司令官は、フローラ・ライゼンハイマーだ。

彼女は優秀だ。

しかも、心根も素晴らしい。

第三軍司令官イーヴォ将軍を引き合いに出すまでもなく、腐った司令官が多い現在の帝国軍の中で、極めて珍しく、まともだ。

可能ならば、敵に回したくない。

こちらに引き入れるのは難しいだろうが……中立でいてくれるように……。

策を立てるのは難しくない。

だが、理想は、事実を伝え中立を保ってもらう事。

事実は何よりも強い。

事実を語ることによって心を動かせるのであれば、それが一番だ。

だが、中立となることで、彼女や第十軍が、皇帝の不興を買うことになってはまずい。

そうなりそうであれば、彼女は部下を守るために、敵に回るだろう。

だから、彼女らが、皇帝の不興を買わない策も準備した。

フローラ・ライゼンハイマー率いる帝国第十軍が、アラント公爵領の領境に到着した。

そこには、公爵領軍の案内役がいた。

「テオ殿?」

アラント公爵領最高執政官テオ・バーン自らが、案内役であった。

「久しぶりですね、フローラ殿。そちらは、第十軍相談役のエルマー殿ですね」

エルマーは頭を下げて挨拶した。

テオを先頭に、公爵領軍の案内役の後を、第十軍がついていき、二日後、領都の政庁に到着した。

第十軍は、政庁広場に天幕を張り、そこで寝起きすることになる。

部下に設営を指示して、フローラは相談役のエルマーを従えて、早速ジギスムントへの面会を願い出た。

政庁の応接室に通されて待つこと二分。

入ってきたのは、再びテオであった。

「フローラ殿、エルマー殿、お二方に事実をお話したい」

そう言って語りだした内容は、完全な事実であった。

イーヴォ将軍の要求、一階ロビーで起きたこと、目覚めたジギスムントがその身を差し出そうとしていたこと、その後、広場で起きたことも含めて。

全て事実を話した。

フローラもエルマーも、黙って聞いていた。

途中、フローラの唇が、怒りで震えたのが分かった。

それは、イーヴォ将軍の振る舞いに対してだ。

テオが全てを話し終えても、二人はしばらく無言であった。

先に口を開いたのはフローラ。

「それで、ジギスムント様は、今?」

「バルコニーから下がられた後、倒れられた。やはり、かなり無理をしておいでだったのだ。治癒師がつきっきりで看病して、食事ができるほどには回復されているが、まだ話すことはできぬ。今日は難しいため、明日にはお会いできるように手配しようと思っている」

「そうですか……」

「明日は、とりあえず十人ほどで見えられるとよいでしょう」

テオの提案は、不思議なものであった。

話すことができないのに、十人ほどで来い?

「テオ殿、それはどういう意味?」

「はっきり言うなら、第十軍にいる皇帝の監視者も連れてくるといいということです」

フローラの問いに、テオはうっすらと笑って答えた。

影軍と呼ばれる第二十軍を除く十九の軍、十の魔法軍全ての幹部の中に、皇帝に直接報告を上げる監視者が配属されている。

明確に司令官に知らされてはいないが……当然、誰が監視者なのかは、司令官は知っている。

もちろん、第十軍にもいる。

それを連れて来いと、テオは言っているのだ。

「ジギスムント様がまだ話せない状態にあることを監視者に見せ、皇帝陛下に報告させる……そうして、時間を稼ぐ」

相談役エルマーが呟くように言う。

それを聞いて、テオはうっすら笑ったまま頷き、口を開いた。

「私は、あなた方と戦いたくはありません。帝国軍同士がぶつかるなど、愚かな事だからです。ですが、どうしてもぶつかるのであれば、全力で倒します。そして、間違いなくあなた方は、全滅します」

そこで一度言葉を切る。

フローラもエルマーも、何も言えない。

「あなた方も、私と戦いたくはないでしょう?」

第十軍に遅れること数日、皇帝ヘルムート八世率いる帝国第一軍並びに、第一魔法軍がシュタイン公爵領の領境に達した。

もちろん、シュタイン公爵コンラートに対しても、ジギスムント同様に、帝城に参内して申し開きをせよとの布告が出されたのだが、コンラートは完全に無視していた。

そのため、領境では激しい抵抗があると想定していたが……。

「陛下、偵察の報告によりますと、やはり公爵領軍は領境にはいないとのことです」

「そうか。ならば軍を進めよ、慎重にな」

執政マルティナ・デーナーの報告に、ヘルムート八世は頷きながら指示を出した。

シュタイン公爵領の公都ナイン。

「実際のところ、ヘルムート兄様は何もできない」

「殿下、それはどういう意味ですか?」

コンラートの言葉に、疑問を返す補佐官ランド。

「私が何もせず、ナインに引きこもったままだからな。明確に敵対する声明でも出せば、ナインまでの街を焼いたり、城を落としたりという可能性も、ゼロではないだろう。敵の力を削ぐのは当然の事だ。だが、私は何も表明していない。帝城から逃げ帰ったが、それだけだ。本当に敵なのかを、確認するまで攻撃的なことはできないんだ」

「もし、強引にシュタイン公爵領の街などを焼き討ちにすれば?」

「国内はもとより、国外からも非難されるだろうな。ヘルムート兄様は帝国の皇帝だ。そして、このシュタイン公爵領は帝国の領土の一部でもある。民は、帝国民だ。自国の領土、領民を焼き討ちにした皇帝……しかも、明確に敵対的行動をとってもいないのに……さすがに、まずいだろう?」

コンラートはそう言うと、うっすらと笑い、コーヒーを一口飲んだ。

そして言葉を続ける。

「ヘルムート兄様は、公都ナインまでは来るしかない。これは絶対だ。そのうえで、私の出方を見極める。そこまでの行動は、想定できる」

「陛下が率いられる帝国第一軍ならびに第一魔法軍は精鋭と聞きます。無論、我らがシュタイン公爵領軍も決して負けてはおりませんが、このナインの城壁に拠ったとしても勝ちきるのは……ハッ、すいません、出過ぎたことを言いました、お許しを」

コンラートの言葉に、懸念を差し挟んだランドだが、すぐに出過ぎたことを言ったと謝罪した。

「よい。ランドのいう事はもっともだ。第一軍と第一魔法軍は、元々ヘルムート兄様子飼いの戦力。第九軍のように消滅させることもできぬ」

コンラートは笑いながら言う。

「よしんば、戦って勝ったとしても……いくつもの帝国正規軍が、まだ後方に控えている以上、こちらに勝ち目はない。さらに厄介なのは、ヘルムート兄様はあれでも帝国皇帝。そして私は帝国公爵。明確にあちらが身分も立場も上なのだ。つまり、私がヘルムート兄様を殺した場合……皇帝殺しと呼ばれる。なかなかに厄介な状況だと思わんか?」

やはり笑いながら言うコンラートに、ランドは顔をしかめて苦言を呈する。

「そんなことを言っている場合ではございますまい……」

「だが、これはなかなかに難しい問題だぞ? たとえ、ナインに来る道中で事故にあって死んだとしても、必ず私が手を回して殺したのだと言われる羽目になる……。困ったものだ」

全く困った様子は見せずに、コンラートは微笑んだ。

微笑みながらコンラートは言葉を続ける。

「実は、ヘルムート兄様を我が領内に、無傷のまま来させることも含めて、テオ・バーンとの間で協議済みだ」

「テオ・バーンと言いますと……アラント公爵の最高執政官殿ですな? アラント公爵ジギスムント様は殿下の側についたと?」

「他に選択肢はない。聞けば、イーヴォ将軍が愚かな事をしたようだしな。イーヴォ将軍を送ってきた皇帝たるヘルムート兄様に対して、憎しみとも言える感情を持っているようだ。テオ・バーンが出してきた要求はただ一つ。『今後、何が起きても以前の通りに』だ」

「何が起きても……? いったい何が……」

コンラートの言葉に、眉をひそめて呟く補佐官ランド。

「おそらくテオ・バーンは、我らの策を読んでいる」

「なんですと……」

「だからこそ、『今後、何が起きても』などと、わざわざ言ってきたのだ」

「殿下はそれを……」

「もちろん、承諾した。実際、ジギスムント兄様は皇帝位など頓着しない。テオ・バーンの忠誠の全ては、ジギスムント兄様に注がれている。そうである以上、私の敵にはなりえないからな」

そう言うと、コンラートは、うっすらと笑った。

今の彼に必要なのは、積極的にすり寄ってくる味方ではなく、手を出してこない友好的中立。

全ての策は、もうすぐ準備が整うのだから。

ノックの音が響いた。

部屋に入ってきたのは、シュタイン公爵領軍司令官フォルカー・アーベライン。

三十代半ば、精悍でありながら知的な雰囲気も漂わせる男。

補佐官ランドがコンラートの政治を支える腕なら、このフォルカー司令官がコンラートの軍事を支える腕と言える。

「殿下、領内ならびにヘスペ男爵領、ハッデッセン子爵領、全ての準備が整いました」

「そうか、ご苦労」

フォルカーの報告に満足して頷くコンラート。

一人、首を傾げる補佐官ランド。

だが、ランドは質問しない。

フォルカー司令官の報告は、純軍事的な理由があり、それは自分の職分の範囲外の事であると認識しているからだ。

だから、心配もしていない。

むしろ心配するのは、相手に対して。

(この二人を相手にするなど……皇帝陛下もお気の毒に)

皇帝ヘルムート八世率いる帝国軍が、公都ナインを望む平野に到着したのは、領境を超えて二日後であった。

公都ナインの前には、シュタイン公爵領軍も陣を敷いている。

そうとなれば、当然、ヘルムートはコンラートに真意を問うことができる。

もちろん、二人が直接会う、などということにはならない。

お互いに、使者を行き来させ、言い分を聞く……。

「……つまり、コンラートは申し開きをする気はない、と?」

「さようにございます」

ヘルムートの確認に、コンラート陣から戻った使者が答える。

「予がここまで出張ってきたというのに……。もうよい! どうせ討つつもりであったのだ。ならば討ってやろうではないか!」

ヘルムートの指示に、戦闘隊形に移行する第一軍と第一魔法軍。

だが、対峙するシュタイン公爵領軍には動きがない。

「どういうつもりだ?」

ヘルムートの呟きに答えることができるものはいない。

これが、他の敵であれば「怖気づいたのでしょう」などと言う幕僚もいるかもしれないが、相手はコンラートとシュタイン公爵領軍だ。

油断していい相手ではない。

「どちらにしろ攻めるしかない。かかれ!」

ヘルムートの指示で、戦いの幕が切って落とされた。

帝国正規軍と魔法軍とが揃っている場合、帝国軍の戦術はほぼ一択だ。

魔法軍の一斉砲撃後、帝国軍が五百人ずつの錐行陣を組んで突撃。

単純だが、非常に強力な組み合わせで、よほどのことがない限り成功する。

よほどの事……例えば、どこかの王国の水属性魔法使いによる<動的水蒸気機雷>とかいう、非常識な魔法防御でもない限りは。

ヘルムートの号令一下、二千本の攻撃魔法が放たれた。

火属性のファイヤーアローを中心に、風属性のソニックブレードや土属性のストーンアローなど、発射後に分裂する攻撃魔法ばかり。

最終的に、一万本の攻撃魔法に分裂して、面制圧を行う。

……はずだった。

だが、二千本の攻撃魔法は、途中で全て消えた。

いや、正確には、何か見えない物に当たって消滅したというべきだろうか。

その光景は、司令部からも見えた。

「何が起こった……」

ヘルムートが思わず呟く。

もちろん、誰も答えることはできない。

傍らの、執政マルティナも呆然としたまま。

帝国軍全体で、動きが止まってしまった。

起きるはずの事が起きない場合、人は行動を停止する。

それは、個人だろうが集団だろうが変わらない。

だが、対峙するシュタイン公爵領軍にとっては、仕掛けた策がはまったのだ。

予定通りの展開。

シュタイン公爵領軍から、一斉に矢と攻撃魔法が放たれる。

魔法のある『ファイ』においては、本来、大規模戦闘で矢は役に立たない。

風属性魔法使いたちによって、跳ね返されるからだ。

だが、呆然として動きを止めた相手なら、非常に効果がある。

「ぎゃああああ」

「痛い痛い痛い」

「くそ、反撃しろ」

「いや、障壁を!」

帝国軍は、混乱した。

シュタイン公爵領軍から、間断なく放たれる矢と魔法が、帝国軍から、冷静な判断力を奪っていく。

指揮官たちは叫び、統制を回復しようとしているが、そう簡単にはいかない。

混乱からの回復には、時間が必要になる……。

「『錬金障壁』は成功したな」

そう呟いたのは、シュタイン公爵領軍司令官フォルカー・アーベライン。

一回限りの使い捨てとはいえ、最大の効果を上げることができた点は、高く評価していいだろう。

「例のタイミングを誤るなよ! そこだけは、もう一度徹底させよ!」

フォルカーが鋭い指示を出す。

今は、いわば奇襲が成功した状態だ。

だが、いずれ混乱は回復する。

本来、このタイミングで近接戦に移行すべきなのだが、今回、それは行わない。

徹底した遠距離攻撃のみで、自軍の損耗を抑え、帝国軍の混乱を長引かせる。

策のために。

その策の起動が見えたのは、戦闘開始から十五分後であった。

「閣下、あれを!」

部下が、フォルカーの注意を、後方に促す。

シュタイン公爵領軍の後方、公都ナインのさらに北西から、土煙が迫っているのが見えた。

「来たか! 全軍に通達。『開く』タイミングを誤るな。残れば巻き込まれるぞ!」

フォルカーの指示に、シュタイン公爵領軍全体に緊張が走った。

近付いてくる者たちは味方ではない。

巻き込まれれば、自分たちも死ぬ……。

「三、二、一……開け! 全速で移動しろ!」

フォルカーの指示に、シュタイン公爵領軍が左右に開く。

それは、決して整然とではない。

かなり焦りながら。

できるだけ早く、できるだけ遠くに。

中心から離れる!

その間、帝国軍への攻撃は完全に止まるが、そんなことはどうでもいい。

とにかく、早く、遠くに!

そして、やってきた者が、左右に割れたシュタイン公爵領軍の間を駆け抜けていった……。

「て、敵が割れて……」

帝国軍には、何が起きたか理解した者はほとんどいなかった。

優勢に攻撃していたシュタイン公爵領軍が、攻撃の手を止めて、一斉に左右に割れた。

割れた間から、土煙が迫ってくるのが見える。

「いったい、何が……」

帝国の前衛は、そこまで言って、あとは何も言えなくなった。

矢を食らって。

迫ってきた者たちは……。

「騎馬……」

その姿を認識した瞬間、帝国軍の多くの命が失われた。

騎馬からの近矢によって。

連続する速射によって。

騎馬隊の、最も外側の者たちだけは、剣と小盾を持っているが、それ以外は全て弓矢を放っている。

剣の男たちも、敵を倒すのが役割ではない。

倒すのは、全て矢。

道を切り開くのも、全て矢。

彼らが目指すのは、ただ一人……。

「ふ、防げ!」

ヘルムートは指示する。

指示されるまでもなく、近衛騎士団は身を挺して皇帝たるヘルムートの身を守っている。

だが、次々と矢によって倒されていく。

それは、驚くほどの精密射撃。

しかも、騎乗から。

両足だけで馬を走らせながらの矢……。

あっと言う間に、ヘルムートの周りは死体だらけとなった。

彼の前に立つ一人の赤橙色の髪の男。

「立派な服を着ているな。お前が皇帝だろう?」

その男の言葉に、ヘルムートは気圧された。

デブヒ帝国皇帝たるヘルムートがだ。

だが、それでも虚勢を張る。張らねばならない。

「予が、皇帝ヘルムート八世である」

唇は僅かに震えているが、それでも精いっぱいの威厳を見せる。

「俺が騎馬の王アーンだ。お前の父、ルパートの罪、お前が受けろ」

そう言うと、アーン王は剣を抜きざま、ヘルムートの首を斬り飛ばした。

十分に剣を使えたはずのヘルムートが、一歩も動けないままに。

こうして、デブヒ帝国皇帝ヘルムート八世は、回廊諸国のアーン王に討たれた。

その事実は、中央諸国を 震撼(しんかん) させた……。