軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

0382 <<幕間>> 美味表現への挑戦

彼は、帝国使節団、先帝付き 小姓(こしょう) ハーグ。

この、西方諸国への使節団に配属されるまでは、全く別の仕事をしていた。

彼の正式な身分は、ハーゲン・ベンダ男爵。

いろいろ特殊とはいえ、れっきとした貴族、男爵家の当主だ。

しかも、ハーゲン・ベンダ男爵の名は、中央諸国の軍関係者全てに知られていた。

それは、彼が、常に帝国軍付きだから。

そして、彼の持つ特殊な魔法によって。

<無限収納>と<転移>

中央諸国広しと 雖(いえど) も、彼にしか使えない魔法。

魔法というよりも呪いだと、彼自身は思っている。

だが、呪いであっても、帝国軍における 要(かなめ) の一人である誇りは、非常に大切なものであった。

その魔法は、非常に過酷であり、時には死の 淵(ふち) を 彷徨(さまよ) ったこともある。

だが、それすらも、彼の自負心を潰えさせるものではなかった。

過酷でありながらも、彼は幸せであり、誇りをもって仕事をしていた。

だが……。

西方諸国への使節団が派遣されるとなった時、彼は、新たな皇帝ヘルムート八世から、この使節団について西方諸国に行くように言われた。

もちろん、その理由は理解できる。

彼の<転移>は、一度訪れたことのある場所にしか行くことはできない。

そのため、皇帝は、まず一度西方諸国に行かせて、その後、行ったり来たりさせようとしているのだろうと。

まあ、それはいい。

それはそれで、帝国の役に立ち、彼の子供たちに、より良い国を残してやることにつながるかもしれないから。

軍の補給とは違うが、また別の誇りある仕事だと思う。

だが、小姓となって入り込むのは違う。

そもそも、なぜ小姓である必要がある?

彼は男爵だ。

普通に、使節団の一員として派遣すればいいではないか。

『ハーゲン・ベンダ男爵』が、帝国を離れたのを知られては困る?

そうだというのなら、別の身分を与えて、文官の一人でもいいではないか。

長く、軍の補給に携わってきたため、彼は糧食関連の数字にはかなり強い。

軍務省の人間たちとも、 遜色(そんしょく) ないほどに。

それなのに……。

小姓はない。

もちろん、同僚の小姓たちや、上司である小姓頭などからひどい扱いを受けているなどというわけではない。

彼らも、ハーグの正式な身分などは知らないだろうが、きちんと正当に働かされている。

問題はそこではないのだ。

仕事に対する誇りなのだ。

それが、全てなのだ!

残念ながら、ハーグは未だ、小姓の仕事に誇りを持てていない。

同僚の小姓たちが、誇りをもって仕事をしているのを、 眩(まぶ) しい思いで見てしまう。

自分の心の問題であることは理解している。

だからこそ、気が滅入る……。

誇りを持てる仕事に戻りたいという思いと同時に、せめて同僚たちのように、小姓の仕事に誇りを持って取り組めるようになれれば……そう考えている。

そんな、常に心の晴れないハーグの、聖都における唯一の楽しみが、帝国使節団宿舎の 斜(はす) 向かいにある『カフェ・ローマー』のケーキとコーヒーであった。

そこは、聖都でもかなりの高級店という事らしいが、値段にふさわしい美味しさだ。

ハーグは、この使節団で働いている間、小姓としての給金をいただいている。

さすが先帝付きの小姓ということもあり、かなりの高給。

もちろん、帝国では、小姓の給金とは別に今まで通りの帝国軍特別補給男爵としての、超高額の給金……男爵領からの徴税などもベンダ男爵家に入れてもらっているため、小姓としての給金を全部使ってしまっても何の問題もない。

そのため、この『カフェ・ローマー』には、三日に一度は通っている。

それによって、なんとかストレスの発散ができている……自分でもそれを理解していた。

だが、この日、『カフェ・ローマー』は驚くほど混んでいた。

「相席でよろしいでしょうか?」

にこやかに微笑む執事風の青年が問い、ハーグは頷く。

そして、案内されたのは、二人掛けの机であった。

対面に、自分と同じくらいの年齢、三十代半ばの男性が座っている。

その男性も、驚くほど顔に疲労を漂わせている……。

それでも、ハーグは運が良かった。

彼が案内された席が、本当に最後の一席だったのだ。

彼の次に入ってきた女性は、入口の椅子に座って、席が空くのを待っている……。

カフェ・ローマーの椅子はかなりしっかりした物で、机はかなり広い。

一人で使える机の広さが大きいのは、カフェとしては素晴らしい!

見回すまでもなく、客は女性か、カップルばかり。

男性一人の客は、恐らくハーグと目の前の男性だけ……。

もちろん、肩身が狭いなどとは考えない。

こんな美味しいものを知らない世の男たちを憐れむ気持ちの方が大きい。

美味しいものに、男も女もないのだ。

美味いものは美味い!

目の前の男の元に、ミルフィーユとコーヒーが届いた。

恐らく、『今月のミルフィーユ』だ。

前々回、ハーグも食べた。

驚くほど美味しく、前回も食べた気がする。

だが今日は、別の物にした。

このカフェ・ローマーは、どのケーキも美味しい!

目の前の男は、ミルフィーユに、そっとフォークを入れる。

丁寧に……驚くほど丁寧に。

そして、口に運ぶ。

広がる笑顔。

ハーグにも、その気持ちが手に取るように分かった。

三日前にも経験したから。

六日前にも経験したから。

少しだけ、今日もそれにすれば良かったかと後悔したのもまた事実。

だが、目の前の男に遅れること一分。

ハーグの元にも、ケーキとコーヒーが届いた。

今日のケーキは、王道モンブラン!

ゆっくりとフォークを入れる。

心を落ち着けるように。

焦るなと言い聞かせるように。

そして、口に運ぶ。

やはり広がる笑顔。

自分の選択は間違っていなかった。

その 安堵(あんど) と、安堵をさらに超えていく美味。

その瞬間、小姓や補給の仕事など、全くの 些事(さじ) となる……全てを圧倒する美味しさ。

至福の五分間。

ケーキを食べ終え、コーヒーを口に運ぶ。

至福の 余韻(よいん) 。

ふと見ると、目の前の男も、同じように至福の余韻に浸っていた。

お互いに目を合わせて、小さく笑う。

相手が誰かも知らず、会話を交わしたこともなく……それでも通じ合うことができる。

それが美味。

言葉はいらない。

説明もいらない。

ただ、食べるだけでいい。

それで全て通じるのだ。

そして二人は、店を出た。

お互いに一礼して、別れる。

失っていた活力を、二人は手に入れた。

ハーグは、帝国使節団宿舎に向かって歩き始めた。

後ろの方から、先ほど別れた男を呼ぶ声が聞こえた。

「イグニス様、こちらにいらっしゃいましたか」