作品タイトル不明
0001 スローライフ
「初めての天井だ」
転生先での最初の一言……その中の定番に近い言葉であろう……ちょっと違うけど。
でも、定番は大切。
豪奢な天蓋付きのベッド……などではない。
天蓋がついていたら、そもそも天井が見えないわけで……。
現代日本の基準からすれば、当然みすぼらしいベッドだ。
板張りに藁を敷き詰め、その上に布が一枚敷いてあるだけ。
とはいえ、ルネサンス前のヨーロッパ辺りの文化レベルであると考えれば、上等な部類とも言えるだろう。貴族のお屋敷ではないのだから。
着ている物は、地球で死んだ時のまま。靴も同じ。他には持ち物は無し。
涼はベッドから降りると、まずは家の中を散策した。
寝室、居間、厨房、そして浴室。
「お風呂!?」
ルネサンス前のヨーロッパにお風呂、など聞いたこともなかったが。
「まあ、ローマ時代には大浴場もあったし、ありと言えばありなのかな。日本人としてはすごくありがたい……。ああ、僕が日本人だから、ミカエル(仮名)は作ってくれたのかな。ミカエル(仮名)……できる男だ!」
ミカエル(仮名)が、男性かどうかは不明だが。
もっとも、涼の知識も大きく間違っており、中世ヨーロッパにも公衆浴場は存在している。
ただし衛生観念が希薄であったのは事実で、その公衆浴場が伝染病の温床となっていたのは皮肉としか言えないが。
居間の机の上には、本が二冊とナイフが一本置いてあった。その横には、紙が一枚。
『食料は、外の貯蔵庫の中にあります。冷凍室になっていますので、保存が効きます byミカエル(仮名)』
「やっぱり心が読まれていた……」
できる男は敵にはまわしたくないものだ。
本は、大学図書館の貴重書庫に保管されているような重厚な本……ではなく、ごく普通の……そう、地球で言えば活版印刷が発達した後に作られたような本。
「本? 羊皮紙じゃなくて紙? 紙のある世界なのか」
『魔物大全 初級編』
『植物大全 初級編』
「これは……」
つまり転生ものの定番ともいえる『鑑定』スキルみたいなものは無い、ということだろう。
「確かにレベル制、スキル制じゃない、とは言っていたけど……」
どちらの本も、なかなかわかりやすい挿絵付き。
その点は非常にありがたい。
ナイフは、刃渡りが二十センチほどの、かなりしっかりしたつくりの物。
無人島に一つだけ持っていくなら何を持っていく?
その質問への定番の答え、それがナイフ。
「定番こそ王道! 定番こそ至高!」
涼は、とりあえずナイフを腰に差した。
周りを見回しても、他には特になさそうだ。
そして、外へと続く扉を開ける。
目に入ってきたのは燦々と降り注ぐ太陽。
家の周りに広がる草の絨毯。
そしてその先に見える林。
『 鬱蒼(うっそう) とした』という表現がちょうどいい、奥など全く見渡せない林。
反対の方角にも同じような林。
ただ、その先……恐らく距離はかなりあるのだろうが、天まで届くような山が見える。
この転移先は、温暖な気候だと思える場所だが、その山の頂上付近には雪がかぶっている。
「ああいう所にドラゴンとかいたりするのかなあ……うん、近寄らないようにしよう」
わざわざ声に出して、固く誓う涼であった。
まだお腹は空いていない。
となれば、やっておかなければならないことがある。
いや、この『剣と魔法』の世界に来たのだから、ぜひやってみたいことがある。
そう、魔法を実際に使ってみるのだ。
「水属性しか使えない。そして魔法はイメージが大切」
なんとなく、右手を前に出す。
右手の先から水が出るイメージを頭の中に描きながら、唱えてみる。
「<水よ来たれ!>」
チョロッ
右手からコップ一杯ほどの水の塊が出て、そのまま地面に落ちた。
魔法初体験!
客観的に見れば非常にしょぼい事この上ないのだが、それはそれ。
初めての魔法に成功し、感動に打ち震える涼。
「本当に魔法が存在する世界……」
嬉しすぎて何度も連発する涼。
「<水よ来たれ>」
「<水よ来たれ>」
「<水よ来たれ>」
……
「ミカエル(仮名)はイメージが大切って言ってた。もしかして……」
右手の先から水が出るイメージは同様に。
「<水>」
今までと同じように、右手からコップ一杯ほどの水の塊が出て、地面に落ちた。
「<ウォーター>」
これも同じように、右手からコップ一杯ほどの水の塊が出て、地面に落ちた。
次は、口には出さず、頭の中で唱える。
(<水>)
すると、同じように右手からコップ一杯ほどの水の塊が出て、地面に落ちた。
「口に出す必要はないのか。かっこいい詠唱とかちょっと憧れたのに……」
男は、いくつになっても中二病。
「あ、これって浴槽に貯めれば良かったのかな。水、もったいなかった」
その後、急いで風呂場に移動。
そして水魔法の練習を続ける。
「水、で出てくるのはコップ一杯くらい。もっと持続的に出続けて欲しいんだよね。浴槽いっぱいになるくらいに」
浴槽は、石造りのかなり立派なものである。
高級温泉旅館の客室露天風呂、というのが一番近いイメージだろうか。
これに<水>だけで水をためるのが大変なのは確かだ。
「水が持続的に出続けると言えば、やっぱり水道の蛇口だよね。いや、待て待て、これはお風呂だ。お風呂と言えば水じゃなくてお湯だ。そう、お湯を出してみよう」
頭の中にお湯をイメージする。
はっきりイメージするために声に出して唱える。
「<お湯>」
すると、右手からコップ一杯ほどの水の塊が出て、浴槽に落ちた。
そう、お湯ではなく、水が出た。
「あれ? もっとちゃんとイメージしないとダメなのかな」
お風呂のお湯をイメージして唱える。
「<お湯>」
すると、右手からコップ一杯ほどの水の塊が出て、浴槽に落ちた。
そう、やっぱりお湯ではなく、水が出た。
「……うん、今日はお湯は諦めよう。このロンドの森ってけっこう暑いし、水風呂でもいいよね」
涼は、努力することが嫌いではない。
でも、諦めることの有用性も知る男であった。
そう、最初からうまくいくことなんてないのだ。
「<水道>」
右手を蛇口に見立てたかのように、手の先から途切れることなく水が出続ける。
「よしよし、いい感じ」
確かにお湯の調達には失敗したが、初日から持続的に水を出し続けられるのであれば、かなり成功の部類に入るのではないだろうか。
少なくともこれで、飲料水と水風呂は確保できたわけだから。
生活する上で毎日直面する問題のうち、残る大物は……、
「やっぱり、火か……」
そう、料理をするにも暖をとるにも、もしかしたら水風呂からお風呂にランクアップするためにも、『火』をどうにかしないといけない。
火属性魔法が使えればいいのだろうけど……それはこの世界では無いものねだりらしい。
涼は一生、水属性魔法だけでやっていかねばならないのだ。
「火をどうやって手に入れるか……」
人類最初の火は、落雷で燃える木であったとかなかったとか……あるいはプロメテウスが与えてくれたとかくれなかったとか……どちらも現状、望むべくもない。
「火打石があれば、一番楽なんだろうけど」
ざっと見た感じ、この家には火打石は準備されていないようだ。
ナイフの鋼部分と火打石を打ち合わせれば火花は飛ぶはず。
いずれは近くの崖なり川辺なりから探してこようとは思うが……それはある程度生活に慣れてからになるだろう。
家の周り半径百メートル以内には魔物は寄ってこない、ということは、その外には魔物がいるということでもあるのだから。
それなりの準備を整えてから、結界(仮称)の外には出るべきだろう。
水魔法で多少なりとも戦える目処が立たなければ……。
とりあえず、今のところは、別の方法で火を手に入れなければならない。
火打石以外で火を手に入れる方法としては、やはり硬い木と柔らかい木をこすり合わせて摩擦熱から火を起こす方法だろう。
「成功するイメージが全然湧かないんだけど……」
ようやく、浴槽に水を貯め終えて、涼は一旦外に出た。
結界の外に出ないように注意しながら、薪を集める。
一緒に火口となりそうなものも拾っていく。
火口とは、起こした火を最初に着火させる燃えやすい材料のことである。枯れた草などでも、細かく砕けば問題なく使える……多分。
そんな中、シュロの木とは少し違うようだが、ヤシ系統の木があり、そこから黒いシュロ皮に似たものを手に入れることが出来たのはラッキーだったのかもしれない。
「うん、動画で見た記憶があるぞ」
涼のサバイバル知識など、そんなものだ。
ミカエルが準備してくれた家には、かまどがある。
そこで使う分の薪を考えても、それなりの量の薪を手に入れることができた。
摩擦熱を起こす木は、松の様な木の枝と、樫の様な木の枝。
「いざ!」
煙すら出ない。
涼は頑張った。
一時間が過ぎ……二時間が過ぎ……そして諦めた。
「とりあえず、食料の在庫の確認しないとね」
割り切ることが必要な場合もある。
火を熾すことを諦めた涼は、家の外にある貯蔵庫に向かった。
貯蔵庫は見た目、普通の小屋である。
扉を開けると、中はひんやりとしていた。
「これは水属性魔法か。氷で作られた壁? これがいわゆる氷室なのかな」
ミカエルが準備したものなのだろう。将来的には涼もこんな魔法が使える……かもしれない。
『ファイ』に来て二日目、太陽が昇るとともに涼は起きだした。
火を手に入れるアイデアは、既に思い浮かんでいた。
だが、それを実現するためには、水属性魔法をもっと使えるようにならなければならない。
地球と『ファイ』では基本的な物理法則はほぼ同じ、分子組成も同じだとミカエル(仮名)は言っていた。
確かに、『ファイ』には魔法があり、地球には魔法がない。だが、かつては地球にも魔法があったらしいし。
水を構成する分子はH₂Oだ。これはおそらく、『ファイ』においても同じである。
風呂場にある手桶を持ってきた。
「<水道>」
手桶に、深さ十センチほどの水を溜めた。
あとは、この水を固めて氷を作る。
頭の中に描くイメージは水がぎゅーっと縮まっていくイメージ。
「凍れ!」
だが、うまくいかない。
「うーん難しいなあ。でも、氷は作れるようになっておかないと……多分これが武器になる。氷の槍、みたいな魔法、使ってみたいしね」
水を縮めるだけではダメなのかな。同時に熱を奪っていくようなイメージもいるかな。
など、いろいろと試行錯誤を繰り返す。
何度目かの挑戦の末、ようやく水の表面に氷の膜が張り出した。
だが、なかなか固まらない。
今度はもっと細かく、水の中心H₂O分子そのものを頭の中にイメージする。
氷が熱を蓄える仕組みは二つある。
一つは分子振動。
もう一つは、水分子同士の結合の強さを変えることで熱を蓄えている。いわゆる、配置エンタルピーというものだ。
H₂O分子同士を結合させる。
こっちのH₂Oの酸素原子Oと、隣のH₂Oの水素原子Hを結びつける。
水素結合と呼ばれる現象をイメージの中で行っていく。
同時に、分子の振動を停止させる。
そもそも物質の温度とは、その物質を構成する分子の振動の、振幅の大きさに比例する。
というより、『温度』というのが、分子の振動の激しさの度合いを表す指標とさえ言える。
振動が大きければ大きいほど物質の温度は上がっていき、振動が小さくなれば小さくなるほど、物質の温度は下がっていく。
あらゆる原子・分子の振動がほぼゼロになった状態が、いわゆる絶対零度、-273.15度である。
だからこそ、原理上、絶対零度よりも低い温度というものは存在しないのだ。
頭の中のイメージで、H₂Oの振動がゼロになる。
その瞬間、手桶の中の水が、完全に氷となった。
「よし成功! ……成功なんだけど、手桶から氷が取り出せない」
この氷の形を少し変形させないと。
両手を氷にかざしながら、頭の中でイメージする。少しずつ、氷の周りを削る。
そして手桶から取り出し、手に持ってみた。
直径二五センチ、厚さ十センチほどの氷の塊。
それを両手に持って頭の中で変形をイメージして行く。中央部を分厚く、周囲を薄くし、凸レンズを作っていく。
三十分ほどかけてようやく満足いく形になった。
「ふふふ、勝ったな。勝因は、ずばり水素結合です!」
涼はいったい何と戦っていたのか……それは、誰も知らない。
水素結合は、水分子同士の結合であるが、例えばDNAの二重螺旋、これを結び付けているのも水素結合である。
理科の授業で習う、AアデニンとTチミン、GグアニンとCシトシンが水素結合によって結びつき、二本鎖となっているのだ。
水素結合、すごい!
さて、作った氷レンズで太陽の光を集め、黒いシュロ皮を燃やす。
氷を使って火を起こす。なんとも背徳的な感じだ。
氷が溶けないかが心配ではあったが、魔力を注ぎ込み続ければ、溶けないようだ。
その辺りは、自然の氷と魔法によって作られた氷の違いなのかもしれない。
燦々と降り注ぐ太陽の光。かなり大きめの氷レンズ。
これらを使い、二分もせずにシュロ皮に火がついた。
ようやく涼は火の熾し方を手に入れたのだ。
「それにしても、魔法って便利だなぁ」
サバイバルにおける三要素、『火』『水』『食料』、そのうち火と水を魔法で手に入れた。
まあ、火は、魔法を使ったとはいえ、かなり原始的な手法も併用しているが……。
「この水って、どこから来てるんだろう。やっぱり、空気中に含まれている水分から……かなぁ」
ロンドの森は温暖な気候、というより、もしかしたら亜熱帯気候かと思えるほどに気温が高い。そして湿度も高い。
それは当然、空気中に含まれる水分量が多いということでもある。
だからこそ、水属性魔法の初心者である涼でも、いきなり水を出すことが出来たのではないか。
涼はそう思った。
地球では、砂漠においてすら数%の湿度が示される。
つまり、砂漠の乾燥した空気中にすら、水分が含まれているということになる。
それを取り出すことができるのであれば……やはり魔法はかなり便利だと言えるだろう。
しかし……もし、それだけではないのだとしたら?
空気中から水を取り出しているのではなく、無から有を生じさせているのだとしたら?
もちろん、無から有は生じない。
正確には、『無』とは言っても、それは『物質が無い』だけであって、『エネルギーは存在する』状態である。
ミカエル(仮名)は、物理現象は、地球も『ファイ』も基本的にほぼ同じものだと言っていた。
だから、地球で有効だった物理の公式は『ファイ』においても有効なのではないかと涼は思っている。
最近では地球の一般人でも知っている、有名なアインシュタインの公式がある。
E=mc2乗
E:エネルギー m:質量 c:光の速度
「エネルギーは、質量と光速の2乗の積に等しい」
もっと簡単に言うと、物質からエネルギーを発生させることが可能ですよ、ということだ。
その端的な例が、原子力発電であり、原子爆弾。
しかし、ここで注目すべきは、『=』だ。
中学校の数学で習った通り、『=』で結ばれた右と左は等しい。それは等価である。
つまり、物質からエネルギーが取り出せるならば、エネルギーから物質を生成することもできる、ということ。
もちろん、二十一世紀に入った地球においてすら、エネルギーからの物質生成は技術として確立していない。
せいぜい、対生成で電子などを発生させている程度である。
そもそも、たった一グラムの物質からでも膨大なエネルギーが発生するのだ。
ということは、膨大なエネルギーをコントロールできても、ようやく一グラム程度の物質しか生成できない。
どれくらい膨大なのか?
広島に落とされた原子爆弾、実際にエネルギーに転換された質量は0.7グラム程度であったと言われている。
つまり、あれだけのエネルギーを全て質量に転換できたとしても……たった0.7グラムの物質しか生成されない。
とはいえ、この『ファイ』には『魔法』という便利なものがある。
もしかしたら、魔法の深淵にはエネルギーから物質を生成する技術もあったりするのではないだろうか。
それは、言うまでもなく『無から有が生まれた』、エネルギーから物質が生成された宇宙創成の謎にも繋がるものだ。
夢が広がるね!