作品タイトル不明
第104話「隣領からの招待状」
めっきり寒くなってきた、ある日の昼下がり。
フェリスウェル邸の談話室は、外の冷たい空気とは裏腹に、まるで春のようなぬくぬくに包まれ、その中央には大きなコタツが鎮座していた。
(ああ……もうダメだ……。ここから一歩も動きたくない……)
僕はコタツから上半身だけを出し、床に寝転がって本を読んでいた。
イリ姉はイリ姉で、コタツに潜り込んでソリティアに夢中になっている。
父様も母様も、コタツに入ったまま優雅にお茶を飲んでいた。
ドアの向こうはきっとひんやりしているのに、この部屋だけ別世界みたいだ。
『ナビ、このまま冬眠って、可能かな?』
《体温低下及び栄養失調のリスクがあります。推奨しません》
(……ナビ、今そういう正論は求めてないよ)
僕はコタツの中でごろんと寝返りを打った。
そのとき、コンコン、と控えめなノックがして、談話室のドアが静かに開いた。
メイド長のカトリーナが、一通の立派な封書を両手に抱えて入ってくる。
(うわ……あれ絶対、面倒なやつだ)
「旦那様。バルカス家より、フェリスウェル家ご一同様宛の書状が届いております。形式からいたしますと、どうやらご招待状のようです」
「ほう、バルカス卿からか」
父様はコタツから手を出すと、封書を受け取り、 封蝋(ふうろう) をぱきりと割った。
しばらく黙って目を走らせてから、小さくうなずく。
「……ふむ。先日の収穫祭と温泉へのお招き、誠に感謝する。素晴らしい体験だったと」
「ねえ父様、結局なんて書いてあったの?」
イリ姉がトランプの手を止めて、身を乗り出す。
「つきましては、寒さが厳しくなる前に、今度はぜひ我が家へお越しいただきたい、だそうだ」
「まあ、ご丁寧に」
母様が嬉しそうに微笑んだ。
「あ、父様!それだけじゃないわ!中に、もう一枚入ってる!」
イリ姉が、招待状に挟まっていた小さな別の 便箋(びんせん) を見つけて指差した。
父様は小さな便箋に目を通し、ふっと笑った。
「クラリス嬢からもだな。メルとイリスに、あの不思議なお菓子や遊びがとても楽しかったと。それで『今度はぜひこちらへ遊びにいらしてくださいませ』と書いてある」
(よそのお屋敷かあ……きちんと挨拶して、知らない部屋で寝て……絶対めんどくさい……)
僕は、げんなりしながら布団を頭まで引き上げた。
しばし沈黙が流れたあと、父様は招待状をテーブルに置いて、少し考えるように目を閉じてから、静かに口を開いた。
「隣領とはいえ、これだけ丁寧な招待を頂いたのだ。こちらからも伺うのが礼儀だろう」
「クラリス嬢も、メルたちとまたご一緒したいようですしね。ねえ、イリス?」
母様がイリ姉に優しく笑いかける。
「い、行くに決まってるじゃない!前に約束したもの、ちゃんと守らないと失礼よ!」
イリ姉が僕の方を見ながら力説している。
「メルも行くわよね?」
「僕は、いいや。寒いし、コタツから出たくないし……」
僕がコタツの布団をあごまで引き上げてそう言うと、母様は困ったように微笑んだ。
「あらあら。でも、さっきの追伸、聞いたでしょう?『メルヴィン様、イリス様へ』って、ちゃんとあなたの名前も書いてあったわよ。メルが行かないと、クラリス嬢、きっとがっかりなさるわ」
「えーーー!」
僕がどうしようかと葛藤していると、ナビが脳内に声を響かせた。
《バルカス領の詳細な生活環境データは、現時点では不足しています。現地での観測により、今後の快適性向上プランの精度を高められるでしょう》
(データ観測ね……)
『ちなみに、今ある情報だと、バルカス領ってどんなところなの?』
《はい。既存のデータベースによれば、バルカス領は湖と河川が豊富で、水産業が主要産業です。特産品として、魚の燻製、干物、魚醤が記録されています》
(魚の燻製か……)
僕の脳裏に、前世の記憶が蘇る。
脂の乗ったサーモン、香ばしいベーコン、濃厚な燻製チーズ……。
(……いや、待てよ)
この世界の燻製が、前世と同じ美食だという保証はどこにもない。
ただ塩辛くて、カチカチに乾燥させただけの保存食である可能性も十分にある。
『ナビ。そのバルカス領の燻製が、僕の期待している美味しい燻製かどうか分かる?』
《情報不足により、現時点での品質予測は不可能です。現地での実地調査によるサンプルデータの取得が、唯一の解決策となります》
『……つまり、行ってみないと分からないってことか』
《はい。未知の食品サンプルの分析は、今後のメルの食生活、 QOL(クオリティ・オブ・ライフ) を大幅に向上させる重要な要素です。現地データの取得を強く推奨します》
(ナビがそこまで言うなら……)
僕は、行きたくない気持ちをぐっと飲み込んで、小さくため息をついた。
「……わかったよ。僕も行くよ」
「メルも行く気になったのね。よかったわ」
母様が微笑んだのを見て、父様がコタツからゆっくりと立ち上がった。
「よし、決まりだな。では、正式な返書を準備しよう。カトリーナ、書斎に来てくれ」
「かしこまりました」
父様とカトリーナが談話室を出ていった。
開いたドアから、廊下の冷たい空気が流れ込んできた。
「さむ……」
僕は思わず肩をすくめて、コタツ布団をぐいっと自分のほうへ引き寄せた。
「さて、と。父様が行く準備をしている間に、わたくしたちはお土産を決めないといけませんわね!」
母様が仕切り直しとばかりに、明るい声を出す。
「やっぱり、ヒューゴ特製の焼き菓子詰め合わせは必須ですわね」
「ポプリはどう?わたくし達の領地の香り、って感じで素敵じゃない?」
イリ姉が、前にクラリス嬢へ贈ったポプリを得意げに提案した。
「食べ物はその場で楽しめますし、そうですわ、紙の絵本もいかがかしら。クラリス嬢の宝物になりそうですわね」
母様が、僕が作った絵本を思い出したように、さりげなく候補に混ぜてくる。
(壊れにくくて、重くなくて、日持ちして……って考えると、やっぱりポプリ+絵本かな。焼き菓子もいいけど)
『ナビ、食べ物系のお土産って、どこまでいけると思う?プリンとかマヨネーズとかは、さすがにナシだよね?』
《移動距離と馬車の揺れを考えると、プリンやマヨネーズといった半固形物は避けたほうが良いでしょう》
僕はコタツの中で小さく頷き、母様とイリ姉の提案に口を挟んだ。
「うん、それがいいと思う。ヒューゴのお菓子にポプリと絵本。それなら馬車で運んでも大丈夫そうだし」
「メルもそう思うのね。じゃあ、その線で準備しましょうか」
「しょうがないわね、あんたがそう言うなら、それでいいんじゃない?」
母様は嬉しそうに微笑み、イリ姉も満足げに頷いた。
ちょうどお土産の候補が固まったタイミングで、父様が談話室に戻ってきた。
返事を書き終えてスッキリしたのか、その表情は穏やかだ。
「やれやれ。これで返書の手配は済んだ」
父様はそう言って、再びコタツへと戻ってきた。
「それで、日程だが……招待状にもあった通り、寒さがこれ以上厳しくなる前が良いだろう。返書には、5日後に出発する形で、二泊三日で伺う、と書いておいた。片道一日はかかるからな」
(5日後か。……まあ、決まったものは仕方ないか)
「はい、あなた」
「やったー!」
母様とイリ姉が喜んでいると、談話室の扉がコンコンとノックされた。
「はい」
母様が応えると、扉が開きレオ兄が顔を覗かせた。
「父上、失礼します。今よろしいですか?」
「おお、レオか。ちょうどよかった」
父様がレオ兄を手招きする。
「今、バルカス領への訪問日程を決めたところだ。レオ、お前にはその間、屋敷と領地の留守を頼みたい」
「はい、承知しました。屋敷を空にしすぎるのも良くないですからね」
レオ兄が、頼もしく頷いた。
(二泊三日。移動に往復二日で、滞在は実質一日か……)
僕は、その一日だけの社交のために、わざわざ出かけていかなければならないという事実に、ため息が出そうになった。
けれど同時に、脳裏にはナビが言っていた燻製という言葉がふと浮かんだ。
(まあ、どうせ行くなら、せめて食べ物くらいは美味しいといいなあ……)