軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

幕間2 カーディフ伯爵家の召喚術士

「ああ! 糞ッ!」

モーリスは突然癇癪を起こして手にしたグラスを壁に投げつけた。

いくら酒を飲んでも酔えない。酔えないが何もかも手詰まりで素面でいても気が滅入ってくるだけだ。後は色事に耽るぐらいしかする事がない。

だから酒と女。モーリスはここのところ、昼夜問わずにそればかりだ。それでもふとした時に不愉快な事を思い出す。

新しい 商売(・・) が軌道に乗っていたというのに、突然だ。突然、何もかもが上手くいかなくなった。

何とかとかいう冒険者達が捕まってからだ。泡を食って港湾の拠点を引き払わされる羽目になった。身動きが取れないから迷宮から捕まえてきた冒険者や女型の魔物を、処分する事も売り捌く事も出来ていない。

そればかりではない。ほとぼりが冷めた頃合いだろうと家で謹慎させていた次男を学舎にやったが、その日に問題を起こした。

その相手はガートナー伯爵家の庶子。そこに割って入ったシルン男爵家の当主も敵に回ったと見るべきだ。或いは最初から敵であったかも知れないが。

ガートナー伯爵領にシルン男爵領。あの辺りは大きな穀倉地帯だ。農法でしくじった自分がシルン男爵家の当主を侮辱したというのは多少は拙かろう。意趣返しはいずれするつもりだが、引き下がらざるを得なかった。

そんな事もあって、モーリスの機嫌は最悪に近いものであった。

そんなモーリスを、冷ややかな目で見つめて嗤う者がいる。

「落ち着いてくださいませ、閣下」

鈴の鳴るような声がモーリスの寝台から聞こえた。赤い瞳の美女だ。

リネット=ケアード。3年ほど前にカーディフ伯爵家にふらりとやってきた女魔術師である。リネットはパトロンを求めており、モーリスはそれに応えた。

「これが落ち着いていられるか! 南区に抱えた在庫は宙に浮いたままで動かせん! そもそもあれはお前の発案であっただろうが!」

「あら。私のお話に乗ったのは閣下ですよ? 閣下は少々の投資とリスクで大金を得て、私は実地試験ができるので研究が捗る。実際、始めてみればその通りで、良い事尽くめだったではありませんか」

「こんな状況にならなければな!」

モーリスは怒鳴ると肩に手を回すリネットを鬱陶しそうに振り払い、寝室を出ていった。

どすどすという足音が廊下の奥へと消えていく。

「……ふ。今更」

部屋に1人――残されたリネットの口元に笑みが浮かぶ。

耳まで裂けるような細い月のような笑みだった。

「豚が怖気付きおって」

確かにモーリスの思考形態は単細胞かつ力の論理で動きがちな所はあるが――力の論理というのなら、リネットの仲間達だって似たようなものだ。モーリスの行動を操る事そのものはやりやすかったぐらいだ。

実際カーディフ伯爵家は境界都市での身の置き場として、非常に重宝はした。

研究設備、資材の調達であるとか、何を研究していようが将来金になるなら知った事ではないというパトロンの倫理観や思考の欠如であるとか。

夜が幾分かしつこいのには少々辟易したが、理想的な共生関係だったと思う。

だがまずモーリスが領地の経営に失敗した事がケチの付き初めだ。入り込んだカーディフ伯爵家の資金繰りが行き詰まるという事は、自分の研究も滞るという事である。その解決策として迷宮から冒険者や女型の魔物を調達して売り捌けば奴隷商並の儲けを出せる、とは告げたが。

自分の作った黒転界石があれば慎重に立ち回れば発覚する可能性は低いとも言った。説得のための言葉ではあるが、そもそもリスクがあるとは説明しているのだし、その見解に嘘は混ぜてはいない。

それにモーリスは飛びつき、伯爵には指揮は執れないだろうと、自分が計画から施設まで全て取り揃えてやった。

本当ならとっくに借金を返せずに、この屋敷だって引き払っているだろうし、スネークバイト捕縛の後、港湾の所でカーディフ伯爵家の使用人が捕まった時点で、芋蔓式にモーリスも捕まっていたはずだ。それを回避したのは自分の手柄ではあるだろう。

だがまあ。それもこれも境界迷宮の下層――月光神殿の封印に辿り着くためであって、決して人間達のためでも伯爵家のためでもないのだし。

カーディフ伯爵家で出世して豪奢な生活を送るのはリネットの目的ではないのだから誇るような筋合いでもない。自分がモーリスに取り入り研究をしていた事を知っている者もいるから、あの豚とは既に一蓮托生でもあるのだろうし。

しかし、とリネットは思案する。

実際、どうなのだろうか。王家側や冒険者ギルドはどこまで伯爵家の事を疑っているのか。それ如何ではこんな所でまごついている余裕などないのだろうが、リネットとて今までの研究成果や、実験途中の転界石などを放っていくのは惜しい。

今までの成果は逐一仲間達へ送り、報告はしている。無駄にはならないが惜しいものは惜しいのだ。

転界石の研究は、タームウィルズでなければできないのだが、カーディフ伯爵家がこうなってしまっては。

「潮時、かも知れんな」

せめてあと少し。次の実験結果が出るまでは。

だが脱出をするならするで早くしなければいけないだろうが……逃げるにしても少々難しいものがある。転界石を利用した転送、転移法の研究は、未だ不完全なものだからだ。

この都市は迷宮にしろ外縁部にしろ、何層かに分かれた結界があるため、転移や召喚魔法に制限がある。

研究の成果により、結界の内部でなら転移や召喚は可能とはなったが……外へ逃げるためには歩いて正門を通らなければならない。泳がせてこちらが動くのを待っているなどという状態であったなら、脱出しようとしたところで捕縛される事になるだろうし。

或いは――月神殿の神官や巫女を殺す事で外側の結界を破壊すれば、転移で逃げる事ができるだろうか? こちらの切り札はまだこの屋敷の地下にあるのだし、騒ぎになる可能性があるのなら、それも視野に入れるべきだ。

リスクは高いが、結界の破壊に成功すれば「逃げ帰った」ではなく、「凱旋」になる。ヴァルロス辺りにでかい顔をされることも無いに違いない。

進むか退くか。考えなくてはならない。

そんな事を考えていると、階下で人の言い争うような怒鳴り声が聞こえてきた。

何事かとリネットが部屋を出て2階廊下から玄関ホールを覗き込むと、戸口の所でモーリスが武装した兵士と押し問答をしているところだった。

「貴様ら! 私が誰か解っているのか!?」

「ですからモーリス伯爵。あなたに誘拐や殺人の嫌疑がかかっているのです。大人しく我々とご同道願います」

「そんな事、私が知るものか!」

「嫌疑を晴らすためと思っていただければ――」

「黙れ! 我がカーディフ家は名門だぞ!」

と言ったようなやり取りだった。

終わったな、とリネットは思う。

どうやって事態が発覚したのか。それは今更どうでも良い事だが、別に泳がせているわけでなかったのなら大きな騒ぎとなる前にさっさと伯爵邸を離れ、街から脱出するべきだろう。この際、研究途中のあれこれは諦めるしかない。

リネットはそんな皮算用をしていたが、それもこれも――全てモーリスがぶち壊した。

「無礼者が! 黙れと言っている!」

激昂したモーリスが放ったのは水魔法アイシクルランスだ。兵士は肩を氷の槍で貫かれ、絶叫を上げ、血を撒き散らしながら床を転げ回った。

モーリスの所業に、リネットは思わず身を乗り出す。モーリスが抵抗したところで何も事態は好転しない。対応としては悪手も悪手だ。最悪と言ってもいい。

――この日。カーディフ伯爵の屋敷にやってきた兵士達にとって何が不幸だったかと言えば――モーリスが暴走した事と、上司が功を焦った事だろう。

冒険者ギルドとの連携で事に当たる手筈になっていたところを、人質救出の手柄を持っていかれた事や、今までカーディフ伯爵家の犯罪を見過ごしていた事で焦りを覚えて、官憲側のみで抜け駆けしたのだ。

相手は武闘派として知られるとは言え、屋敷に常に私兵を詰めさせているわけではないのだからという。そんな油断もあった。

「ま、魔法を使うとは! 応援だ! 応援を呼んでこい!」

「多勢に無勢、抵抗は無駄ですぞモーリス伯爵! 潔く嫌疑を認めたらいかがですか!?」

兵士達はまだそんな事を言っている。相手が貴族家の当主だからという遠慮があるのだろう。

リネットとしても目を覆いたくなるような惨状であった。

口々に騒ぎ立てて槍を構える兵士達に、モーリスは忌々しそうにかぶりを振って怒鳴る。

「うるさい! そんな事俺が知るものか! 全部あいつだ! あの女だ! リネットが全部やったに決まっている!」

――あの豚ァッ! 私を売りやがったな!?

共犯者が、何を言うのか。

リネットは廊下の手摺を握りしめながら激昂した。

決定的だ。パトロンになって囲っておいて、そんな言い訳が通るはずもない。モーリスは破滅するが、自分も最重要人物としてお尋ね者が確定した。そんな瞬間であった。

これは如何にも拙いだろう。逃亡者が出るのを防ぐため、正門の出入りが閉ざされてしまうのは目に見えている。

だが。

「――くっ、ふ、ふふ」

一瞬の激情が彼女の身体を過ぎ去った後で、その口元から笑い声が漏れる。

酷く、馬鹿馬鹿しい。

お尋ね者? 自分を売った?

そもそも自分達魔人と人間共は相容れないのだし。

こうなった以上は、非力な人間の振りをして、小賢しく立ち回る必要もない。

リネットの身体から瘴気が立ち昇る。地下の アレ(・・) を使う時が来たという、それだけの話だ。

彼女の足元に魔法陣が展開する。

「起きろ」

「な、何だ!?」

モーリスの屋敷を、大きな震動が揺らした。

玄関ホールの床を突き破って、細長い何かが飛び出してくる。それは1つや2つではなく。

「ヒュ、ヒュドラ……!? だがこれは……!?」

或る兵士は、それを知っていた。

不細工な竜もどき。異常な再生能力を誇る多頭の竜。

しかし。

肉のあちこちがこそげ落ち、その下から筋肉や白い骨が覗いている。

――アンデッド。ヒュドラのアンデッドだ。

「ひっ!」

それは手近にいた兵士に食らいついた。食らいついて振り回し、床に打ち付けてから咀嚼する。

同時に、ヒュドラの崩れ落ちた組織が再生していく。その哀れな兵士の血肉が。不死ヒュドラに同化されて取り込まれていくのだ。

あまりにもおぞましい光景に、兵士達の間に戦慄が走った。

アンデッドと化して本来の再生能力を失った代わりに、獲物を食らう事で無限に再生し続ける。そんな能力を得た怪物であった。痛覚も恐れも無いという意味では、本来のヒュドラより危険な代物かも知れない。

だが自然物では有り得ない。アンデッドではあっても使役される事でのみ存在する代物である。だとするなら。その主は、どこかにいるはずなのだ。

「リネット! お前か!?」

モーリスが女の姿を探して叫ぶ。そして、見た。

リネットの姿は玄関ホールの中ほどに浮かんでいた。

自分が先刻何を口走ったかも忘れ、モーリスはこの期に及んで期待していたのだ。この不死ヒュドラの存在を知っていたから。

これを使って街から逃げる。リネットはそう考えているのだと思った。だから彼女は自分を助けてくれるものだと。そう思っていた。その姿を見るまでは。

そこにいたのは、モーリスの知る美女の姿ではなかった。リネットの面影を残してはいる。だが爛々と赤く光る瞳と、紫色の肌――黒い靄のようなものを全身から立ち上らせたその姿は――。

「ま、魔人……魔人だと?」

人の負の感情を食らって自らの力とする、恐るべき闇の住人だ。

「お暇を頂きに来ました」

そんな異形から、モーリスのよく知る涼やかな女の声が聞こえた。

「あなたの醜悪な感情はなかなか美味でしたよ。ここに身を置いていた間、それなりに楽しませていただきましたが。それもこれもお終いです」

リネットは言葉を一旦切り、大きく息を吸う。口が耳まで裂け、蛇のような舌が口元から覗いた。

「ごばっ!」

次の瞬間、リネットの口から高密度に圧縮された瘴気の弾丸が放たれ、モーリスの腹を貫いていった。

「おっ、ご、あ……?」

「死ねよクズがァッ! 人間の分際であたしを裏切ってんじゃねえぞ! ギャアははアはっハァッ!」

リネットの哄笑を聞きながら、モーリスは腹のトンネルを抱えて膝から崩れ落ちる。

リネットは敢えて止めを刺さない。瀕死になったモーリスの苦悶や絶望が、堪らなく美味だったからだ。

「化物がっ!」

リネットに火球が飛来する。

が、瘴気弾でそれを撃ち落とすと、魔法を使える兵士にリネットは肉薄した。爪が鋭く伸びて兵士の手足を切り刻む。

「ぐおっ!?」

地面に転がった兵士の髪を掴むと、人形でも放り出すようにヒュドラの方に向かって放り投げる。空中で、手を、足を咬まれ、兵士は悶絶した。

「ぐああああっ!」

「いやいや、待て待て。まだだ。まだ――おあずけだぞ?」

リネットは楽しそうに、複数の頭部に手足を噛まれた兵士に向かって笑みを向ける。

「や、やめ――」

「食って良し」

「ぎっ――!?」

兵士の絶叫をバックコーラスに、リネットは残りの兵士達に向かって両手を広げる。

「さあて――」

べろりと舌なめずりをすると、すっかり腰が引けている兵士達を睥睨した。

「ああ――なんて美味しいのかしら。神殿の坊主どもはどんな味なのかしらねええええ」

不死ヒュドラの背に乗って、リネットはその本性を隠そうともせずに進軍する。久しぶりに味わう本性の解放と絶望の味。堪らなく美味だ。

これに比べれば迷宮から捕獲した連中から、牢屋ごしに味わっていた不安や恐怖などは薄味も良いところだろう。

目指すは迷宮入口、月神殿。神官や巫女達の絶望と苦痛はさぞかし美味かろう。

「ひっ! ひいいっ!」

「助けてくれ! 助けてくれ!」

抵抗する兵士も逃げ惑う兵士も。目につく者を片っ端からヒュドラの供物とし、その恐怖を食らい、悲鳴を聞きながらリネットは進む。

散発的な反攻はあるが大した事は無い。人間は全て不死ヒュドラの回復薬のようなものだ。

行ける。なんてことはない。

境界都市などと嘯いたところで、内部からの突然の襲撃で、準備を整えられなければこんなものだ。

ヒュドラの巨体で蹂躙しながら神殿近くの広場まで来た所で。

それ(・・) は来た。

「な、んだ?」

ぞくり、と肌が粟立つ。本能に従って不死ヒュドラの背から飛び退いた。

刹那の一瞬。遅れて、世界を白く染めるほどの雷撃が不死ヒュドラの背を貫いた。

「お、おおおおおおお!?」

しかし、その凄まじい雷撃さえも小手調べと言わんばかりに、広場に巨大なマジックサークルが展開される。

その中心に、人間の少年がいるのをリネットは見た。暗い金茶色の髪と瞳を持つ――貴族らしい身なりの少年だ。

少年が自分を見て――つまらないものを見るように目を細めた。

直感的に。先程の雷撃が少年の仕業だと理解する。

「あいつを――!」

雷撃で体に穴を開けられて、白煙を上げながらも。不死ヒュドラはまだ動く。少年の表情とその心の内に悪寒を感じたリネットはヒュドラをけしかけようとした。だが。

「お前は邪魔だ」

少年は爆発するような速度で、踏み込んできた。

「喰らい尽くせ」

ヒュドラに触れるほどの距離まで近付き、手を翳す。少年の言葉と共に、不死ヒュドラの足元に封陣が展開された。

完全に身体の動きを固定されると同時に、封陣内部に恐るべき暴虐が起こった。

がりごりがりごりと。

咀嚼する音がする。

ヒュドラの足元には、蟠る闇が広がる。その中には無数の――目と口が。闇は触腕を伸ばし、不死ヒュドラの身体を幾重にも縛り、抱え込んでいく。

その巨体が、闇に食まれ蝕まれていく。

道中の犠牲者となった血肉で、ヒュドラも再生しているのだ。闇を食らい返そうと抵抗は、している。

だが意味が無い。地の底に沈むように。手も無く。ヒュドラはただひたすらに貪り食われていく。

第8階級闇魔法デモンズイーター。上級魔法だ。

だがそんな光景をリネットは見ている事ができなかった。自分に凄まじい憎悪を向けてくる人間の少年から、一時とも視線を外す事ができない。

そういった負の感情は本来、魔人の好みの感情であるはずなのだが――。

憎悪。それだけなら解る。向けられ慣れている。

だが、歓喜というのはどういうわけか? 探していた獲物を見つけた。肉食獣が草食動物に向けるような。そんな感情。

「魔人――か」

真っ直ぐにリネットを見据える少年の、静かな声が聞こえた。