軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

鉄人

私の足は短い。

とてとてとて、とほぼ駆けるようにして足を動かしても、宿舎内の廊下を進む隻眼の騎士の歩く速さには敵わない。

彼に置いていかれないように必死だ。

待ってよー!

そんな私の心の叫びが聞こえたわけではないだろうが、前を歩く隻眼の騎士が振り返った。

そうして私が彼よりずっと後ろを必死になって走っているのに気づくと、しばし足を止めて私を待った後、今度はゆっくりと歩を進めた。

ああ、よかった。

それからはちらちらと振り向いて、私を置いてきていないか確認しながら歩いてくれたが、しかしそうやって振り返るのには別の意味もあるようだ。

いつもは厳しい表情をしている隻眼の騎士の口元が、こっちを見るたび緩んでいる。

まぁ、今世の私の姿はとっても愛らしいもんな! とナルシストを発揮してみるが、彼はそれだけじゃなく、自分の後を私が一生懸命追いかけて来るという事に喜んでいるのだと思う。

首輪とリードをつけて引っ張っているわけでもないのに、カルガモの雛みたいに子ギツネがくっついて来るという事実が、基本無表情な隻眼の騎士の口元を緩めているのだ。

そうやって何度も彼に振り返られながら辿り着いたのは、一つの扉。ここに来るまで廊下の壁にいくつも並んでいた扉と全く同じ、飾り気のない、しかし丈夫そうな木の扉だ。

隻眼の騎士がその扉を開けると、どこかで見た事のあるような部屋が広がっていた。あまり広くはなく、必要な家具と照明、そして数冊の本と剣が置かれているだけのシンプルな部屋だ。

しかし隻眼の騎士に続いて中に入ると、その部屋が彼の匂いで満たされている事に気づく。

そうか、ここは隻眼の騎士の部屋だ。いつもは扉とは反対方向にある窓の外側から覗いていたから、視点が違ってすぐには気づかなかった。

「狭い室内での生活は窮屈かもしれないが、今日からはここで眠るんだ。昼間はなるべく外に出してやるようにする。一人で獲物を捕れるように、狩りの練習もしなければいけないしな」

隻眼の騎士は優しく私に話しかけた。

うー、狩りの練習は嫌だな。私ネズミなんて獲れないよ。運動神経の問題より、生理的嫌悪が……。口にくわえるのも嫌だし、ましてや食べるなんて!

私が耳としっぽを垂らしている間に、隻眼の騎士は「少し待っていろ」と言い残して部屋を出ていってしまう。

と、その瞬間、廊下から複数の人の気配を感じた。

ぴんと一瞬で耳を立てると、

「副長、子ギツネどうでした?」

「まだ警戒してる感じですか?」

「てか、副長いつの間に餌付けなんてしてたんすか」

「ずるいっス」

「抜け駆けっス」

ひそひそと小さな声で隻眼の騎士を責める声が聞こえてきた。

そういえばここに来る途中、遠くからずっと人がついてくる気配がしたり、見られているような感じがしたけど、それは気のせいじゃなかったのか。

どうやら私が野犬に襲われたという話は、ここで生活している騎士たちの間にすぐに広まってしまったようだ。それで校舎の中に入り込んできた犬を見に行く小学生男子のごとく、わらわらと集まってきたらしい。

「うるさいぞ、お前ら」

隻眼の騎士が呆れたようにため息をついた。

「さっきも言った通り、子ギツネはまだ人には馴れていない。うちで保護する事になったとはいえ、あまり無遠慮に近づくんじゃないぞ。怯えさせてしまうからな」

その言葉から、隻眼の騎士が私の事をすごく考えてくれているのが分かって嬉しくなった。廊下や談話室に人がいなかったのも——後ろからこっそりついてくる気配はしたけど——隻眼の騎士が人払いをしてくれていたからなのかも。目覚めてから私が会ったのは、優しそうな女性騎士だけだもんな。

部屋の外では若い騎士たちがしばらくだだを捏ねていたが、あるタイミングで一斉に全員が口ごもった。きっと隻眼の騎士があの鋭い目で威圧したんだろう。黙れ、と。

「……お、おっとぉ、もうこんな時間だ! 俺たちそろそろ部屋に戻りまーす」

「そ、そうだな。夜分に失礼しました、副長……!」

しばらくの沈黙の後、ちょっぴり怯えた雰囲気の声で、若い騎士がわざとらしく声を上げると、他の騎士たちも焦ったようにそれに続いた。

廊下にいた複数人の気配が慌ただしく散っていく。片方しかないのに、隻眼の騎士の眼力はすごいんだな。

その後隻眼の騎士はすぐには戻らず、静かな足音と共にどこかへ行ってしまった。

一人になってしまった心細さを紛らわそうと、ベッドの脚をガジガジ噛んでみる。私の小さな牙と弱っちい顎の力では、いくつかの細い傷をつけるだけで精一杯だった。なんとなく悔しい。

と、そんな悪戯をしているうちに隻眼の騎士が戻ってきた。私の大きな耳は事前に彼の足音をキャッチしていたので、怒られないようベッドの脚を噛むのを止め、何食わぬ顔してその場にお座りし、おまけでしっぽも揺らしておく。ちゃんといい子で待ってましたよ〜。

扉を開けた隻眼の騎士は、私の姿を見て穏やかに顔をほころばせた。

わはは、簡単に騙されおって!

隻眼の騎士は手に籠を持っていたのだが、それを自分のベッドの隣に置いて私を手招きする。何だ? と思って寄っていくと、籠の中には毛布が敷かれてあった。

もしかしてこれ、私のベッド?

私はぴょんと床を蹴り、籠の中へと飛び込んだ。きちんと四角に畳まれている毛布が気に入らなかったので、くわえてブンブン振り回してみる。

ほら、こうやってちょっとぐちゃっとしている方が、ふかふかしていい感じ。

隻眼の騎士が苦笑しているのが分かったが、私はとても満足して、乱れた毛布の上に腰を落として丸まった。

籠は自然のもので編まれているらしく植物の匂いがして落ち着くし、サイズもそれほど大きくなく、体にフィットする感じで素晴らしい。このちょっと窮屈な感じが安心する。

「おやすみ」

隻眼の騎士に言われるまま、私はまぶたを閉じた。

てっきり彼もすぐに自分のベッドに行って寝るのだと思ったけど、私の前から動く気配がない。それがちょっと気になりつつも眠気に誘われて夢の中へ落ちかかっていると、遠慮がちに、そっと何かが私の頭を撫でた。

隻眼の騎士の手?

撫でられたのは、初めてかも。

夢うつつにそう思った。主に私が逃げていたからだけど。

私が目を開けて嫌がらなかったからだろうか、二度目はもう少し自信を持った手つきで撫でられる。

その後は毛皮の感触を楽しむように、何度も何度も。

ちょっと……。

寝られないじゃないか。

***

次の日、先に目覚めたのは私の方だった。籠の中でクワッと大きく口を開け、あくびを一つ。

幼児でキツネな私は、寝付きも良ければ寝覚めも良い。すぐに立ち上がって籠から飛び出る。白銀色の毛皮はもうすっかり乾いていて、さらさら感2割、ふわふわ感8割のいつもの感触が戻ってきていた。これでこそ私の毛だ。

ふと隣のベッドに目をやり、そこで隻眼の騎士がまだ眠っている事に気がつく。こちら側を向いて寝ていたので寝顔も見れた。

普通、誰でも寝ている最中は無防備で、寝顔だって可愛かったり間抜けだったりするはずなのだが、隻眼の騎士に限っては違った。

寝顔を見た瞬間、私は軽く毛を逆立たせてしまった。

隻眼の騎士は唇を引き結んだまま眉間に軽くしわを寄せ、厳しい表情で寝ていたのだ。

威圧感がすごいんですけど。

相手は目を閉じているのに、睨まれている気さえする。

私が暗殺者だったなら、彼の寝首をかく気にはなれない。本当に寝ているのか? と不安になるほど隙がない。彼の命を奪おうとナイフを振り下ろした瞬間、相手はやはり起きていて、 殺(や) られていたのはこっちだった、みたいな光景が目に浮かぶ。

床に座り込み——ちょっと腰が抜けた——隻眼の騎士の険しい寝顔から目が離せないでいると、彼は何の予兆もなく、突然覚醒した。

気づいた時には目を開けていて、眉間にしわを寄せたまま、こっちをじっと見ていたのだ。

怖いんですけど!

「ひゃん……」だか「ひん……」だか、完璧な音になっていない情けない声が私の喉から漏れた。

な、何か怒ってらっしゃる? わたくし、何か粗相を致しましたでしょうか?

隻眼の騎士は私から視線を外してゆっくりと上半身を起こし、軽く髪をかき上げた。顔はまだ険しいままだ。目が超鋭い。

そうしてしばらくベッドの上でぼうっとして、次にこっちを振り返った時には、眉間のしわは消えていた。目の鋭さも和らぎ、私を見る目は優しい。

「そうだ、お前を中で保護していたんだったな。おはよう」

私はホッと息を吐いた。隻眼の騎士が目を開けてから、完全に脳が目を覚ますまでの時間は約20秒。

意識がしっかりしていない時は、普段より3割増くらい顔が恐くなるんだなと学習した。明日は腰を抜かさないようにしなければ。

隻眼の騎士はベッドから降り、冷たい床の上を裸足でこちらに近づいてきた。上からそっと手が降りてきて、私の頭を撫でる。

一瞬ぎゅっと目をつぶると、その手はこちらの様子を窺うように少し離れた。

けれど私が逃げたりせず、また目を開けて彼を見上げると、温かな手が再び優しく頭を撫でる。暖炉の炎は嫌いだけど、この手の温もりは嫌いじゃない。

ひとしきり私を撫で終えると、隻眼の騎士は着替えを始めた。私は慌てて籠の中に戻り、夢中になって毛布を噛む振りをする。見てませんよー、見てませんよー。

その後、隻眼の騎士は顔を洗いに行ったのか部屋を出ていったけど、すぐに戻ってきて今度は部屋に置いてあった剣を持った。これからトレーニングに行くらしい。どうりで仕事に行くにしては騎士服を着ていないし、ちょっと軽装だと思ったのだ。訓練でもないのに、自主的に体を鍛えるなんてさすがだなぁ。

「しばらくしたら戻ってくる。そうしたら朝飯だからな」

剣を片手に部屋を出ていく隻眼の騎士。私は大人しく部屋に残る——のは嫌だったので、扉が閉まる直前に体を滑り込ませた。何か物音でもしたのか、隻眼の騎士は扉を閉めながら廊下の向こうへ目をやっていたので気づかない。

背後に回り込んで鍵を閉めるのを待った後、歩き出した彼について冷たい廊下を進んだ。

しばらく順調だったのだが、宿舎を出たところで、ふと隻眼の騎士がこちらを振り返ってしまった。

視線を下に落とし、私の姿を見て軽く目を見開いている。

何故ここに? ってな表情である。

「いつの間に……。一緒に来るのか? 来てもつまらないぞ」

部屋で待っている方がつまらなそうだし、一緒に行きたい。そう思って、一度大きくしっぽを振った。

隻眼の騎士はかすかな笑みを浮かべて私の同行を許してくれた。

朝からよく晴れている。

しかし放射冷却ですこぶる寒い。

いや、私はそんなに寒くないんだけど、人間は辛いはずだ。早朝の澄んだ空気を思い切り吸い込んだら、肺が凍り付いてしまうかも。爽やかな朝なのに深呼吸もできやしない。

訓練場にはまだ多くの雪が積もっていて、昨日の昼間のうちに溶けたものも氷になってガッチガチに固まっている。

しかし何度も言うが、私はそれほど寒くないのだ。毛皮があるし、雪の精霊だから。

だけど何度も言うが、人間は辛いはずなのだ。辛くなければおかしいのに……。

隻眼の騎士はまず軽くストレッチをしてから薄着で運動場を何周も走ったかと思うと、今度は上半身裸になって剣を振り始めたではないか。

走って体が温まったから、なんて……この気温では通用しないよ! すぐに冷えるはずなのに。

……隻眼の騎士って、鉄人なのかもしれない。