軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

産業スパイ

禎兆九年(1589年) 五月中旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木基綱

「大殿」

壺を磨いていると呼ばれた。声の方を見ると殖産奉行の宮川又兵衛だった。こちらを窺うように見ている。主のお楽しみの時間を邪魔するとはとんでもない奴だ。

「よろしゅうございますか?」

壺を横に置いた。俺は心が広い、俺は心が広い……。こういう時は自分は心が広いのだと暗示をかけることにしている。

「ああ、構わぬぞ」

ほらな、優しい声が出た。声をかけると白塗りの木箱を持った又兵衛がのそのそとやってきた。太っているからな、ちょっとユーモラスだ。

「如何した。その箱の中には何が入っている?」

問い掛けると又兵衛が嬉しそうに顔を綻ばせた。

「先ずはこれを」

又兵衛が取り出したのは糸と布だった。糸は木片に巻き付けてある。布は五十センチ四方ぐらいはある。艶があるな。

「絹か?」

受け取りながら問い掛けると又兵衛が頷いた。

「日本の蚕と明の蚕を掛け合わせました。その蚕から取った糸、それを元に作った布にございます」

「なるほど」

「明から買う糸、布に比べても全く遜色はありませぬぞ」

又兵衛が得意げに鼻をひくつかせた。面白い奴だと思うが俺には良く分からん。

「そうなのか?」

「はい。糸の長さ、混じり物の少なさ、いずれも明の物に劣りませぬ。それに布を見れば分かりますが糸の太さが均一ですし毛羽も少ない。これまで国内で作られていたものとは明らかに違いまする」

「そうか」

糸の太さが均一というのは分かるような気がする。確かに見た目が綺麗だ。しかし毛羽って何だ?

「引っ張った時の強度や伸びも良いのです」

強度? 伸び? 俺には分からんが又兵衛は信じられる。この男がここまで言うのだ。品質に問題は無い!

「良くやったな! 又兵衛。見事だ!」

大声で褒めると又兵衛が顔をクシャクシャに綻ばせた。

「苦労しただろう?」

「はっ、国内の蚕ではどうにもならず……」

「そうだな、口惜しい思いをしたな」

「はっ」

又兵衛が畏まった。

品質改良と言っても簡単じゃ無い。国内の蚕ではどうにもならなくて蚕そのものを明から導入しようと考えた。そこまで又兵衛は追い詰められたんだと思うと無理をさせたと思う。八門もよくやってくれたよ。明から蚕を手に入れてくれた。これって立派な産業スパイだよな。この時代にこんな活動をしている組織って有るのかな? 政治や軍事で活動する組織は有ると思うが……。

「又兵衛、これで品質の問題は解決したとみて良いのか?」

問い掛けると又兵衛が首を横に振った。

「未だ未だにございます。もっと数を増やさなければなりませぬ。それに他の蚕とも掛け合わせてみたいと考えております」

「他の蚕?」

他って何処だ?

「はい、琉球の蚕です。琉球は明との関係が深いですから蚕も明の蚕と同じ、或いは明と琉球の蚕を掛け合わせたものかもしれませぬ。その辺りを調べ出来るものなら掛け合わせてみたいと思います。それに琉球ではどのように蚕を育てているのか、それも調べなければ……。既に平四郎には調べて欲しいと頼んでおりますが某自ら琉球に足を運ぼうと考えております」

「そうか、苦労をかけるな」

「苦労など……」

又兵衛が顔を綻ばせた。多分美味いものを喰い歩くのだろう。又兵衛の現地調査は趣味と実益を兼ねているのだ。止めても無駄だ。

「行くのは良いが琉球が落ち着いてからにしろよ。まあ、平四郎が行ってから半年は待つのだな」

「はい」

「あとどれくらいで国の外に売り出せる?」

「十年後には明の絹に負けぬ物を国の外に売り出せると思いまする」

又兵衛がきっぱりと答えた。そうだな、先ずは国内で養蚕を広め国内の需要を満たす。国の外に売り出すのはその後だ。十年はかかるだろう。いや、十年でも早いかもしれない。

「分かった。不満は無い。思うようにやってくれ。問題が生じれば報せよ」

「はっ」

又兵衛が畏まった。下がるのかなと思ったが又兵衛は下がらない。糸と布を箱にしまうと今度は皿を出した。直径二十センチくらいの綺麗な丸皿だが……。陶磁器だよな。

「明から買ったのか?」

俺が問うと又兵衛がにんまりと笑った。

「いえ、日本で作りました」

「はあ?」

思わず声が出た。嘘だろ。如何見ても万暦赤絵にしか見えないんだが……。

「明から日本に逃げてきた陶工が作った物にございます」

「なるほど」

それなら分かる。日本産だが作り手は明人か。

「逃げてきたと言うが罪を犯したのか?」

「いえ、借金にございます。妻の薬代が払えなくなったと」

「ふむ」

「税が重くなりなかなか物が売れぬようで……」

「そうか」

明は銀不足と重税でデフレだ。物も売れなくなっている。借金を返せなくなって夜逃げか。犯罪者じゃないのなら問題ない。

「八門が連れて来ました」

「ははははは」

やっぱり八門は産業スパイだ。米の売買をさせたからな。妙にそっちに明るくなってしまった。まあそれも悪くない。そういう組織も必要だよ。安全保障は軍事、政治だけじゃ無い。経済も無視は出来ない。

「弟子は付けているのか?」

「はい」

これまで陶工として働いてきた者も改めて学んでいると又兵衛が答えた。良いね。日本産の陶磁器は安いが品質は明の物に比べると相当に落ちるという評判だ。これを機に品質がアップすれば日本産も高級品として認められるだろう。明が不安定な今、絹と陶磁器の品質アップは最重要課題だ。どちらも良い方向に進んでいる。

「琉球に行った時は陶磁器も調べてみようと思っております」

「そうだな、それが良いだろう。琉球は明だけじゃない。南方の国々とも繋がりが有る。陶磁器も影響を受けているかもしれぬ」

又兵衛が”はい”と頷いた。琉球の陶磁器か、考えた事も無かったな。案外、面白い発見が有るのかもしれない。

「大殿、間に合いましょうか?」

又兵衛がジッと俺を見ている。間に合うか……、明との戦の事だよな。

「分からぬ」

「……」

「絹は十年で何とかなるだろう。陶磁器は十年後なら何とか目途が付く。そんなところだろうな。日本の陶磁器が異国に高級品として認められるのは二十年から三十年くらいかかるかもしれぬ」

又兵衛が口惜しそうな表情で頷いた。

こういう技術の進歩っていうのは急激に進む時が有るのは確かだ。だがそれが何故そうなるのかは起きてみないと分からない。予測が付かないんだ。俺が二十年から三十年というのも根拠なんて無い。強いて言えば二十年っていうのは大体一世代だ。一世代から一世代半で作り手の技術も相当に進化、深化するんじゃないかと思うんだが……。

「明は銀不足が酷いようだ。朝鮮に銀を差し出せと使者を出した。いずれは日本にも来るかもしれぬ。十年、かかるまいな」

又兵衛が頷いた。

「ではその前に呂宋を?」

「そう考えている。来年以降だ」

呂宋を攻め取ればイスパニアの銀が明に入らなくなる。デフレはより進むな。そして十年後なら日本が絹を輸出出来る。イスパニアに日本と交易しないかと持ち掛けても良いのだ。この十年を如何凌ぐかだな。

禎兆九年(一五八九年) 五月下旬 武蔵国荏原郡桜田郷 江戸城 木下長秀

「うーん」

兄が大殿の文を読みながら唸っている。一つ息を吐いた。

「なるほどのう、放置は出来ぬか」

「何をで?」

兄が私を見た。

「奥州の連中よ」

「奥州の?」

兄が”うむ”と頷いた。

「正確には奥州から関東に移る連中じゃ。分かるじゃろう?」

兄が意味有りげにこちらを見ている。

「まあ、大分愚図っているとは聞いておりますが」

「大殿は許せぬとお考えじゃ」

「お気持ちは分かります。往生際が悪いとお考えなのでしょう。しかし一万石にまで領地を減らされるのです。多少愚図るのは已むを得ますまい。それに六月までには関東に移る事になりました」

兄が首を横に振った。

「違うぞ、小一郎。大殿が許せぬのはな、その連中が朽木の権威を軽んじ足利の権威を重んじているという事よ」

「……」

「大崎の事、そなたも知っておろう」

「それは」

大崎左衛門佐は御屋形様に大崎家は清和源氏の流れを引き奥州探題にも任じられた家だと言って格別な配慮を望んだ。だが御屋形様はそれを拒絶、上総で一万石だと言い渡した。左衛門佐は不承不承受け入れた。

「権威というのは厄介なんじゃ。織田の故殿も随分と苦労された。美濃の一色、今川、武田……。織田家が戦ったのは足利の世で名門と呼ばれた家ばかりじゃ。故殿は成り上がりと連中から蔑まれたわ。故殿が一色、今川、武田に厳しく当たったのも蔑まれた事への怒りが有ったのだとは思わぬか?」

「かもしれませぬな」

「大殿も同じじゃ。いや、大殿が戦ったのは足利よ。大殿への蔑みはもっと強かったのかもしれぬ」

大殿も織田の故殿も足利の権威と戦い続けたのかもしれない。兄が視線を伏せている。兄も織田家中で蔑まれた。情けない思いをしただろう。それだけに故殿、大殿の気持ちが分かるのだろう。

「大殿はお怒りなのですな?」

「そうじゃ。朽木家は天下を獲った。大殿は天下人じゃ。そしてあの連中は負けて降伏した。にも関わらず古い権威を持ち出しそれを認めろというのじゃ。朽木を蔑んだ足利の権威をじゃぞ。残りの連中も同じよ。許せると思うか?」

兄が私を睨んだ。首を横に振ると兄が頷いた。

「大殿は決してお仕えし辛いお方では無い。朽木家も大らかな家風じゃ。朽木のために働けば必ず報いてくださる。俺は外様だが関東総奉行じゃ。織田の旧臣達も徳川の旧臣達も差別はされておらぬ。皆朽木の家臣として扱われている。禄を削られても取り戻す事は難しくは無い。毛利を見れば分かる。懸命に働いたから豊前一国を恩賞として頂いた。あの者達は何故それを考えぬのか。……足利の時代は終わったのじゃ。足利の権威を捨てこれからは朽木の時代だと認めれば良いだけなんじゃ」

兄がやるせなさそうな表情をしている。現実を受け入れられぬ彼らにもどかしさを感じているのだと思った。

「朽木家が天下を治めるという事は朽木の権威が天下を覆うという事じゃ。それを受け入れられぬ者は滅ぼすしか無い。たとえそれが一万石の小領主であろうとな。そんな者は認めてはならぬのじゃ。大殿は間違ってはおられぬ」

「大殿からあの者達を滅ぼせと?」

兄が首を横に振った。

「いや、大殿はあの者達の一人を口実を設けて潰す事を考えておられる」

「見せしめですな」

兄が”うむ”と頷いた。織田の故殿なら大殿のやり方を手緩いとみるかもしれない。根刮ぎ潰した方が自分を軽んずる者は居なくなると考えただろう。

「沙汰を下すのは大殿だがそれを伝え始末を見届けるのは関東総奉行の俺だ」

「それは……、簡単には納得しますまい」

兄が頷いた。

「そうだな、納得はせんだろう。口実など些細な事であろうしな。まして百姓上がりと蔑んでいる俺に命じられては反発するだけだ。だがな、それで良いのよ」

兄が暗い笑みを浮かべている。なるほど……。

「それが大殿の狙いなのですな」

「そうだ。反発して従わぬのなら兵を用いて潰す。同調する者が現れるかもしれぬ。それも潰す。或いは仲裁しようとする者が現れるかもしれぬ。それも潰す。大殿の命に従わぬ者は全部潰す」

兄がニヤリと笑った。

「たとえ百姓上がりでも俺は朽木家の関東総奉行じゃ。それを理解できた者だけが生き残るじゃろう」

「……そうですな」

「あの連中の何人が滅び何人が生き残るかは分からぬ。だが二度と大殿の命を、朽木の権威を軽んずるような事は無くなる」

そうだな、そうなるだろう。大殿が何処まで考えて兄を奥州総奉行にしたのかは分からない。だが結果としてもっとも効果的な人材を奥州総奉行に任じた事になるだろう。

「大事なお役目ですな」

兄が頷いた。

「ああ、朽木の天下を守る為じゃ。手は抜かぬ」

「分かりました。小六殿、将右衛門殿には某から話しておきます。兵の調練に力を入れて貰いましょう。もたつくようでは甘く見られます」

兄が”頼むぞ”と満足そうに言った。久し振りの戦だ。それに関東総奉行の権威を高める戦にもなる。小六殿、将右衛門殿も気合いが入るだろう。