軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

別命

禎兆元年(1581年) 八月上旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木小夜

「昼間の事、驚いたか?」

「はい、突然の事で驚きました」

夜、臥所の中、御屋形様が私の背を優しく撫でてくる。

「済まぬな。だが考えに考え抜いての事だ。そなたに相談すれば後々苦しむのではないかと思ってな。おれの命としてあの場で伝えた」

「御屋形様……」

気遣ってくれるのは嬉しい。でもその分だけ御屋形様が悩み苦しんでいるのだと思った。

「昔を思い出しました。喰う事を躊躇ってはならぬ、喰う事で生き残れるのだと言われた事を」

御屋形様が微かに笑った。

「そんな事を言ったな」

「弥五郎も当主の座を喰わねばならぬのですね」

今度は声を上げて御笑いになった。

「上手い事を言う。だが確かにそうだな。当主の座を喰う事で弥五郎も生き残れる」

「……あの子を産んだ時はただ嬉しゅうございました。まさかこんな日が来ようとは……。側近達とも離れて……」

御屋形様が大丈夫だという様に私の背をトントンと叩かれた。

「弥五郎は苦しむかもしれぬ、辛い思いもしよう。だがその事が弥五郎を一回りも二回りも大きくする筈だ。そうなる事を信じよう。弥五郎なら必ずそうなると」

「はい」

「京へ行く。太閤殿下と会うつもりだ。その際朝廷から弥五郎に官位を授かるようにと頼んでくる。従四位下大膳大夫、如何だ?」

「まあ」

御屋形様が最初に頂いた官位を弥五郎に。

「朽木家の新当主に相応しい官位であろう」

「はい」

「外に出す以上、それなりの事をしてやらねばな。後は弥五郎次第だ」

御屋形様が太い息を吐かれた。

禎兆元年(1581年) 八月中旬 尾張国春日井郡 清州村 清州城 木下長秀

ドンドンドンドンと勢いの良い足音と共に兄の小柄な姿が見えた。

「兄上、御邪魔しておりますぞ」

「なんじゃ、小一郎、小六、将右衛、皆来とったのか」

兄が笑いながら部屋に入って来た。そして私の肩をポンと叩くとドスンと音を立てて上座に坐った。上機嫌だ。

「近江の御屋形様より我らに文が届いたと聞きましたのでな。何が書かれて有ったのか兄上にお聞きしたいと集まったのです」

私の言葉に小六殿、将右衛門殿が頷いた。

「そうか、そうか。いや、驚くぞ」

兄の言葉に小六殿が“ほう、左様で”と声を出した。そして兄が“信じておらぬな、小六”と言って笑った。

兄が以前の様に陽気に笑う様になった。織田家は滅んだが織田の一族で死んだ者は七兵衛様だけだった。織田一族は追われるでもなく虐げられるでも無く尾張で以前の様に暮らしている。三介様でさえ尾張で何不自由なく暮らしている。不思議な事だ。だがその事は兄だけでなく織田家の家臣だった者達の心を軽くしている。

「御屋形様はの、家督を若殿に譲られるとの事じゃ」

「なんと!」

「真にございまするか?」

「信じられませぬ!」

我等が驚きの声を上げると兄が嬉しそうに笑い声を上げた。

「真じゃ、秋にはその運びとなろう。だがの、御屋形様は若殿に全てを譲られるというわけではないぞ」

兄が我らをぐるりと見回した。

「それはそうでございましょう、今の御屋形様に隠居など簡単に許される事では有りませぬ」

「まあ、そうじゃの。若殿には尾張、三河、遠江、駿河、伊豆の五カ国をお任せになるそうじゃ」

小六殿が“ほう”と声を上げると兄が“小六、まだまだじゃ”と言った。

「驚くなよ、若殿は駿府城に居を移される。それも年内にじゃ。旧織田家の者達は一部を除いて駿府城に出仕する事に成る」

皆が顔を見合わせた。

「では?」

将右衛門殿の身を乗り出して問い掛けると兄が頷いた。

「関東に攻め込めとの仰せよ」

「兄上、いよいよ徳川と戦うのですな?」

「うむ、上杉とは約定が出来ているようだ。甲斐は上杉、相模は朽木。今度こそ小田原城を攻め落とす事になる」

小六殿が、将右衛門殿が二度、三度と頷いた。

「それにしても家督を譲るとは……、御屋形様は未だ三十の半ばにも達しておられますまい」

「若殿も未だ十代の半ばの筈、家督と共に五か国を譲られるとは何とも大胆な……」

「新参の者達を率いて関東に攻め込ませる。小六、将右衛、御屋形様は若殿を鍛えようとしておいでだ」

兄の言葉に皆が頷いた。厳しい、新参の我らを掌握し関東へ攻め込めとは……。御屋形様は東海道の五か国を攻め獲った直後に緩む事無く動いている。或いは三介様の醜態を見て決められたのかもしれぬ。皆口には出さぬが同じ事を思っていよう。

「遅れを取る事は出来ませぬな、兄上」

「左様、若殿を盛り立て御屋形様の期待に応えなければ」

「腕が鳴りまする」

我らが意気込むと兄が首を横に振った。

「いや、小一郎、小六、将右衛。我等は戦には出ぬ」

「は?」

小六殿、将右衛門殿と顔を見合わせた。はて、兄は不満そうな顔をしていない。折角の働きの場を……、如何いう事だ?

「俺と五郎左殿は御屋形様より別命を受けた」

「丹羽様と? 兄上、それは?」

兄がにんまりと笑みを浮かべた。

「尾張に新たな城を築けとの命じゃ。駿府城を越える天下に二つと無い城を築けとな」

「何と……」

思わず声を出すと兄が笑い声を上げた。

「どうじゃ、驚いたか、小一郎、小六、将右衛。銭は幾らでも使え、足りぬ物が有れば何でも言えとの仰せだ」

ごくりと喉を鳴らす音が聞こえた。小六殿か、将右衛門殿か。或いは自分か。兄が我ら三人を見回して“ふふふ”と含み笑いを漏らした。

「分かるだろう? 尾張は東海道の要衝の地、御屋形様は此処をしっかりと押さえたいと御考えなのよ」

自然に頷けた。兄はもう笑っていない。露骨には言わないが尾張には織田家の人間が多い。それを抑えるために朽木家の城を築くのだと兄は言いたいのだろう。そして駿河に居を移す若殿のためでもある。

「それにな、それだけの巨城を築くとなればとんでもない程の銭が尾張に落ちる事になる。そして人も物も動く。尾張は祭りの様に賑やかになるぞ」

「なるほど、百姓、商人、皆がその恩恵を受けましょうな」

私の言葉に兄が頷いた。

「そういう事じゃ、小一郎。朽木領になって豊かになった、御屋形様はそう思わせたいのだと俺は見ている」

シンとした。御屋形様の凄み、強かさを感じた。織田一族を押さえるよりも商人、百姓を押さえようとしている。織田一族の誰かが御屋形様に反旗を翻しても誰も付いていくまい。

「そうそう、忘れておった。林佐渡守殿が評定衆に任じられた。佐渡守殿は以後は近江に詰めるようじゃ」

兄が雰囲気を変えるかのように声を出した。なるほど、佐渡守様は駿府の尾張衆と御屋形様の連絡役になるのであろう。何か困った事が起きた場合、佐渡守様を通して御屋形様にお伝えする……。皆、安心するであろう。

「御屋形様は新参者を差別致しませぬな。仕え甲斐が有りまする」

私の言葉に小六殿、将右衛門殿が顔を綻ばせた。

「そりゃそうじゃ、小一郎。そうでなければ俺や五郎左殿が城造りを任せられる筈は無いわ。天下に二つと無い巨城じゃぞ。それを築くだけの力が有ると認められたのよ」

兄が胸を張った。鼻をうごめかせて得意気な表情だ。可笑しかった。私だけではない、小六殿、将右衛門殿も頬が緩んでいる。

「兜首を一つや二つ獲るよりもずっと面白かろう。一生の思い出になるぞ、小一郎、小六、将右衛。そしてな、城が出来上がった時に頂ける御屋形様のお褒めの言葉が楽しみじゃ。藤吉郎、ようやった、見事じゃ。そう言って下さる筈じゃ」

兄の嬉しそうな声に皆が頷いた。小六殿、将右衛門殿が口々に楽しみだと言った。

「御屋形様からの、場所の選定と簡単な縄張りが出来たら報告に来るようにと言われておる。まあ年内には場所だけでも決めて近江に行かねばなるまい」

「年内でございますか、では急がねば……」

「しかし卒爾な仕事は出来ませぬぞ」

「左様、早速にも丹羽様と御話しせねばなりませぬ」

私、小六殿、将右衛門殿の言葉に兄が“そうじゃのう”と声を上げて頷いた。

兄が活き活きしている。兄は兄を使い満足させてくれる主君を得たのだと思った。

禎兆元年(1581年) 八月中旬 山城国久世郡 槇島村 槇島城 朽木基綱

「東海道攻略、おめでとうございまする。兵庫頭、心より御祝い申し上げまする」

伊勢兵庫頭が深々と頭を下げた。

「うむ、有難う」

「京では御屋形様が瞬時に東海道を制した事に驚きの声が上がっておりまする」

「そうか」

喜んでくれているのかな? それなら良いんだが。

「近日中に太閤殿下に会うつもりだ。先日兵庫頭と話した件、今後の天下の仕置の事だが太閤殿下に話そうと考えている」

「はっ」

「まあ話すと言っても相談に近いだろう。分からぬ事ばかりでな、頭が痛いわ」

兵庫頭が頷いた。

「某、太閤殿下に御屋形様の意の有る所を御伝え致しました」

「それで、殿下は何と?」

「はっ、頻りに頷いておられました。御屋形様が朝廷との関係を維持してゆきたいと考えておられる事をお伝え致しますと大層喜んでおいででした」

簒奪とか考えているんじゃないかと疑っていたのかな? その事を口にすると兵庫頭が首を横に振った。

「そうではございませぬ。ですが公家の方々は如何しても武家には不信感を御持ちでございます。何と言っても武家は力を持っております故」

「そうか」

虐められっ子の心理みたいなものかもしれない。実際に苛められる事は無くても虐められるんじゃないかと怯えを持つ。

「御屋形様の天下の府という考えにも理解を示しておいででした。二度と応仁、文明の大乱を起こしてはならぬと」

「うむ」

「ただ、どのような形になるのか分からぬと困惑もしておいででした」

「そうだな、俺も分からん。……先日、毛利の安国寺恵瓊が近江に来た。まあ来てくれと頼んだのだがその話をしてみた」

兵庫頭が頷いた。

「坊主というのは博識だな。それなりに得る所は有ったが悩みはより一層深まった。恵瓊も頻りに首を傾げていたな」

「左様でございますか」

恵瓊は大分困惑していた。まあいきなり呼び出されて天下を如何治めるかなんて相談されたらそれも当然か。天下の構想について相談を受けたなんてエピソードが歴史に残るんだろう。恵瓊の一生の自慢かもしれない。

「話を変える。聞いているかもしれぬが家督を弥五郎に譲る」

「はっ」

兵庫頭は驚いていない。やはり既に知っていたか。朽木内部の情報も抜かりなく収集しているのだ。流石に幕府内で権力を握り続けてきた一族では有る。

「そこでだ、弥五郎に官位を賜りたい。従四位下大膳大夫だ」

「はっ、必ずや」

兵庫頭が力強く請け負ってくれた。駿河に居を移したとはいえ家督を継ぎ従四位下大膳大夫に任官すれば誰もが弥五郎が俺の後継者だと理解するだろう。間違っても追い出された等とは思わない筈だ。朝廷も此処は恩の売り所と反対はしないだろう。銭も入る。官位なんて形式だがその形式が意味を持つ事も有る。馬鹿には出来ない。

「琉球の使者と会った」

「はっ」

兵庫頭が興味有り気な表情をしている。なるほど、この話は知らなかったらしい。海の外の事だからな、朽木家の内部でも必ずしも関心の持たれている話題じゃない。朽木で今一番のホットニュースは家督問題だ。

「島津を抑えた事に付いて礼を言われた。今後も関係を密にしていきたいとな」

兵庫頭が頷いた。

「日本に入朝し官位を受けるという事に付いては意見が纏まらぬようだ。琉球は明から冊封されている以上日本に入朝は出来ぬという勢力と現実問題として島津を抑えるには日本に入朝し朽木の力を借りるのが最善と考える勢力で二分されているらしい。纏まるには時間がかかろうな」

「なるほど、左様でございますか」

琉球は親日派と親明派で意見が纏まらずにいる。俺が会った使者は親日派、或いは親日派を装った男だった。日本の情勢を良く知っている。かつては足利が日本の統治者であったが長い戦乱の末に没落し今では力を失った事。そして朽木が足利に代わって日本を統一しようとしている事……。

この男が危険視していたのは島津だが足利義昭の存在も重視していた。義昭が日本を支配した足利の当主である事。今では朽木に追われ九州の島津を頼っている事も知っていた。そして義昭が琉球を島津の物だと認めた事を酷く憤慨していた。琉球にとっては島津よりも島津の琉球支配を認めた義昭の方が諸悪の根源に見えるのだろう。

義昭を引き取るのは失敗かな? もう少し島津に置いて琉球へのカードとして利用した方が良かったかもしれん。利用価値はもう無いと思ったが未だ有ったようだ。如何するかな、飛鳥井の伯父が交渉に出向いているが……。目の前の兵庫頭を見た。死んだ伊勢守との約束だからな、この辺で引き取ろう。

琉球とのカードは他にもある。昆布だ。中国では昆布は薬として扱われ高額で取引される。琉球は明との交易の為に昆布が欲しいのだ。そしてその昆布は朽木が押さえている。琉球は俺を怒らせる事は出来ない。安全保障、交易、その両面で怒らせる事は出来ないのだ。

琉球が親日派と親明派で割れているというのもやらせかもしれん。無碍に断れば俺を怒らせる事になると見ている。この場合、だらだらと引き伸ばし今の状況を常態化させようとするだろう。入朝せずに安全保障と交易を朽木に頼る。その場合、如何するかという問題が生じるな。

やはり九州制圧後に兵を出した方が良いのかもしれない。いや、その前に日本の領土を何処までと規定する方が先かな。如何する? 北は北海道から樺太、千島列島までは取りたい。天下を統一したら積極的に入植させるべきだ。南は琉球は必要だな。問題は台湾と澎湖諸島だ。出来れば押さえておきたい。だが台湾と澎湖諸島は大陸に近すぎる。今はどうなっているんだろう。明の一部なのか? 後で確認してみよう。

兵庫頭から嬉しい知らせが有った。兵庫頭の次男、与三郎貞興に子が出来たらしい。与三郎の妻は武田の菊姫だ。来年の春ごろには生まれるだろう。目出度い限りだ。