軽量なろうリーダー

真実の愛を見せてください!

作者: モコナッツ

本文

「セレスティア・レーヴェン。君との婚約を、ここで破棄する」

卒業記念の夜会は、王城の大広間で開かれていた。

楽団の奏でていた優雅な旋律は、王太子レオンハルト殿下の声によって途切れている。招かれた貴族たちは息を潜めるようにこちらを見ていた。

私を呼んだ殿下の隣には一人の令嬢が立っている。

マーガレット・エインズワース伯爵令嬢。

蜂蜜色の髪を揺らし、白い手袋に包まれた指先でドレスの端を掴んでいた。心配そうにこちらを眺めている愛らしい姿は、可憐で純朴なご令嬢そのものだ。

「殿下。理由をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「真実の愛に目覚めたからだ。彼女……マーガレットが、それを教えてくれた」

真実の愛。

その言葉が私の胸を締め付ける。

「申し訳ありません、セレスティア様。ただ……どうしても、自分たちの気持ちに嘘はつけません」

マーガレット嬢が細い声を振り絞ると、また私の心臓の鼓動が早くなった。

「まあまあ、あらあら」

漏れ出る声を抑えきれず、思わず口に手をあてる。

大広間の空気が揺れた。

「真実の愛、ですか」

「そうだ」

殿下は少しだけ得意げに顎を上げた。

「お前にとっては陳腐に聞こえるかもしれない。だが人も国も、愛によって生かされている。愛なき結婚など無意味だ。私は彼女からそれを学んだ」

愛。

その言葉は、あまりにも甘く、あまりにも眩しく、私の胸をときめかせる。

「陳腐だなんてそんな……素晴らしい」

気づいた時にはもう、自然と手を打っていた。

涙も流していたかもしれない。

「仰る通りですわ」

乾いた拍手が響き、大広間が奇妙な空気に包まれる。

「人は愛によって生かされる。殿下の言う通りですわ。心から祝福いたします」

「なっ……怒らないのか? セレス。私は君との婚約を破棄した。普通はもっと泣き叫んだり怒ったりするものだろう」

「何故? 所詮は家柄だけで決めた結婚でしょう。愛の前では無価値と、先ほどご自身で仰ったではありませんか」

「それは、そうだが……」

おかしな方だ。

むしろ喜ぶべきではないのだろうか。

邪魔者が自ら祝福しているのだから、こんなに都合のよいことはない。

「安心なさってください。私は応援いたしますわ」

二人の顔が一瞬だけ綻ぶ。

「……ただ一応、婚約は王侯貴族の契約ですので何かしらの代償は払っていただくことになるかと思いますが」

「代償?」

「はい。少なく見積もって、金貨八万枚くらいでしょうか。個人的には、国宝級の魔道具などもいただけると嬉しいのですが」

あちこちから小さな悲鳴が漏れる。

「あ、私の王妃教育に伴った時間と精神的苦痛に対する慰謝料を入れると、もう少しふっ掛けてもよろしいでしょうか?」

「今、お、応援すると言ったではないか!」

殿下の声が裏返る。

「慰謝料を取るのか!?」

「折角ですので多少は。まあ瑣末な事ですわ。真実の愛の前では金銭など無価値」

「無価値ではない!」

「ご冗談を」

真実の愛の前では、金も家も、名誉も地位も、意味など持たない。

お二人がこの試練をどう乗り越えて、何を掴むのか。私の興味はそこだけだ。

「そうだ! ついでにマーガレット様のお家も訴えましょう」

「え?」

「ご家族はさぞかし大変なことになると思いますが、真実の愛なら関係ありませんよね?」

「セレスティア様、お、おやめください!」

「なぜ? 愛は反対されればされるほど、燃え上がるものでしょう?」

マーガレット様の唇が震える。

心なしかお顔の色が悪い。

何故かしら? 心配だわ。

「家族も、友人も、時には自らの命さえも投げうって添い遂げる。ああ……愛とはなんて美しく、尊いのでしょう!」

「そ、それは極論だ! そんなこと、私は認めない!」

「……………………は?」

その場にいる何人かが息を呑んだ。

「まさかとは思いますが、覚悟もないのに『真実の愛』と口にされたのですか?」

「……セレス?」

「解釈違いも甚だしい」

いけない。

いけない、いけない、いけない、いけない。

これは違う。

私が見たかったものではない。

全身から熱が冷えていく。

……

でも、待って。

落ち着きなさい、私。

殿下は突然のことで驚いているだけなのでは?

大勢の前で現実的な代償を示されたから怯んだだけ。

真実の愛とはきっと、そう簡単に露わになるものではない。

もっと深く。

もっと苦しく。

もっと残酷に。

人の皮をナイフで剥いだところに、剥き出しの愛が隠されているに違いない。

「……大変失礼いたしました、殿下」

危うく勘違いするところだった。

王族ともあろうお方が、そんな軽々と『真実の愛』を口にするはずがない。

「先ほどの浅慮を謝罪いたします。ええ、そうですとも。お二人なら出来るはずです。私は心から応援しておりますわ」

「どこに行く! セレスティア!」

背を向けた瞬間、殿下の声が飛ぶ。

「早速、お二人の処遇についてお父様と相談して参ります! 改めて祝福を申し上げますわ!」

マーガレット様は、今にも倒れそうな顔をしていた。殿下は何かを言おうとして口をパクパクさせている。

まあ、喜びのあまりに言葉も出ませんのね。

私は敬意をもって最大限の礼をする。

「……ふふ、これから楽しみにしていて下さいませ」

婚約破棄の噂は、瞬く間に王都中へ広まった。

王太子レオンハルトが、公爵令嬢セレスティア・レーヴェンとの婚約を一方的に破棄した。理由は、マーガレット・エインズワース伯爵令嬢との真実の愛に目覚めたから。

その話は貴族たちの格好の噂話となった。

ただし、私が望むような甘い恋物語としてではない。

王家とレーヴェン公爵家の婚約は両家の契約であり、政治的な結びつきであり、王族の信頼そのものを担保するものだった。

それを王太子自ら大勢の前で破棄した。

当然、代償は発生する。

公爵家への補償。王太子妃教育に費やした費用と時間に対する慰謝料。失われた信用の回復。さらにはエインズワース伯爵家にも、王太子の婚約者を害した責任を問う声が上がった。

王城の空気は重くなり、レオンハルト殿下は国王陛下より謹慎を命じられた。

ばかばかしい。

愚図どもが。

『真実の愛』の前にそんな理屈は、全て無価値だというのに。

その話を聞いた時、私はレーヴェン公爵邸の私室で紅茶を嗜んでいた。

「その後のお二人はどうされまして?」

執事のオーウェンは眉一つ動かさず、ティーポットを持ったまま完璧な姿勢で答える。

「聞いたところによりますと、レオンハルト殿下は正式な決定が下るまで、国王陛下より謹慎処分を命じられているそうでございます。マーガレット様との今後についても、具体的な話は進んでいないようです」

「それは困りましたわね……。回りくどいことはせず、さっさと二人で駆け落ちでもすればよろしかったのに」

オーウェンが眉を顰める。

「随分と楽しんでおられますね」

「ええ、それはもう……。王族が将来を捨ててまで選択した愛の行く末ですもの。ああ、心が躍ります。なんてロマンチックなのでしょう!」

「お嬢様の享楽主義にも困ったものです」

「ふふ。人聞きの悪い」

この胸の奥にある渇きはそんな言葉で片付けられるものではない。裏切りと政略しかないこの貴族社会で、私が望んでも手に入らない、唯一の至宝。

手のひらの石を指で弄りながら、少しだけ答えを探す。

「……私はただ、見たいだけですよ。未だ見たことのない『真実の愛』というものを」

レオンハルト殿下とマーガレット令嬢は、これが真実の愛だと言った。

ならば、見られるかもしれない。

家を捨て、名を捨て、富を捨て、未来を捨て、それでもなお相手を選ぶ姿を。誰に責められても、どれほど追い詰められても互いの手だけは離さない、その美しい一幕を。

「それには先ずは、謹慎を解いてあげないといけませんわね」

どうか、レオンハルト殿下とマーガレット令嬢に、弁明と選択の機会を与えてほしい。若い二人の過ちを頭ごなしに閉じ込めるのではなく、その真心を確かめる時間を与えてほしい。

数日後、そう記して国王陛下へ出した嘆願書は、公爵令嬢の慈悲として貴族の間で話題となった。

自ら婚約を破棄されたにもかかわらず、相手の幸福を願う令嬢。真に気高く寛大である真の貴族と、王都では私を称える声が増えていった。

実にくだらない。

私はただ、二人が添い遂げる姿を見たいだけだというのに。

しばらくして、王宮の庭園でレオンハルト殿下とマーガレット令嬢は密かに会っていた。

春の名残を含んだ風が、白い薔薇の垣根を揺らしている。人払いの済んだ庭園は互いの心を確かめ合うには絶好の場所だ。

だが、二人の間に甘い空気はなかった。それどころかレオンハルト殿下は酷く憔悴したお顔だった。

「今回は少し長い任務になるだろう。国境沿いの紛争地域だ。情勢も安定していない。マーガレット、だからこそ君にも一緒に来てほしい」

国境沿いの紛争地域。名目上は地方領主としての派遣だが、実質的には王位争いからの脱落を意味する。王太子である彼にとって、それは将来が閉ざされたも同然であろう。

殿下はマーガレット嬢に手を差し出したが、彼女はそれを取らなかった。

「レオン様……ついて行きたいのは私も同じ気持ちです。ただ今回の件で父が大変怒っておりまして、このままいくと勘当だと言われております」

「だからこそだ」

殿下は一歩詰め寄る。

「君は王子である僕が守る。家を捨てて、一緒に来てくれるね?」

マーガレットは目を伏せた。

数瞬の沈黙が落ちる。

思わず息を呑んだ。今、良いところですよ!

「……申し訳ありません。任期を終えてご無事に帰ってこられることを祈っております」

「何故分かってくれない? 君は自分のことしか考えていないのか!」

殿下の手が彼女の腕に食い込む。

全く、ここは是が非でもついて行くべきでしょう!

「おやめください! そもそも、あの場で婚約破棄されたのは殿下ではありませんか!」

「なんだと!」

あぁもう、焦ったいですね!

「はいはい。盛り上がっているところ失礼いたしますわよ」

二人は飛び上がって同時に振り返った。

私は白薔薇の小径から姿を現した。淡い色のドレスを纏って優雅に微笑む。午後のお茶会に招かれた令嬢のように足取りは軽く整えて。

ふふっ、完璧でしょう。

当然ですわ。今の私は愛の伝道師なのですから。

「喧嘩、大いに結構。小さな火種は二人の絆をより強くし、大きく燃やすものです。改めまして殿下、謹慎が解けたようでおめでとうございます」

「セレスティア……」

レオンハルト殿下の顔が、怒りに染まる。

「おや? どうされましたか?」

「よくもやってくれたな。お前のおかげで私の将来は滅茶苦茶だ」

「 私(・) た(・) ち(・) の(・) 、でございますよ殿下。それよりマーガレット嬢、続けてくださいまし! 殿下について行くのか、行かないのか。私はそれを見に来たのですから」

「セレスティア様……」

マーガレット様の瞳に涙が浮かぶ。

悲嘆にくれる姿も、なんと可愛らしい。

「この仕打ちはあんまりです。酷い……」

「おやおや? 泣かないでください」

私は幼子をあやすように首を傾げた。

今の私は愛の導き手だ。

「『真実の愛』は甘く、苦い。だからこそ乗り越えた時はきっと美しい。そうでしょう?」

マーガレット様は答えられない。

殿下もまた、言葉を詰まらせている。

「もういっその事、国を捨ててどこか遠くへ行かれては? お二人の覚悟に免じて、今なら少しだけ路銀も用意いたしますよ?」

「ふざけるな!!!」

レオンハルトが詰め寄る。

「……私はいたって大真面目です殿下。『真実の愛』なのでしょう。二人さえ一緒にいられれば、それだけで十分ではありませんか」

「貴様……!」

殿下は衝動的に手を伸ばし、私の胸元を掴んだ。

周囲に護衛はいない。人払いは二人が密会のために自ら命じたものだった。

庭園の奥に吹く風だけが、乱暴に揺れるドレスの裾を撫でていく。

……ああ、今度こそもしかしたらと思ったのに。

やっと見れると思ったのに。

「はあ……とんだ解釈違いです」

「何をっ……!」

「ですがご安心くださいませ。最後のチャンスを差し上げましょう」

袖の内側から、一つの魔石を取り出す。

紫黒い輝きを宿したそれは普通の魔道具ではない。内側で魔力が脈打ち、こうして押さえつけておかないとすぐに中身が飛び出てしまう。

「困難の中で、お二人の愛を育んでくださいね」

私が指先でそっと魔石を握りつぶすと、乾いた音と共に庭園の空気が歪んだ。

割れた魔石の中から黒い霧が溢れ、中の魔力が三つの影を重ねるようにして形を成す。

獅子の頭。山羊の角。蛇の尾。

魔石から生み出されたキマイラの低い唸り声が、薔薇の垣根を震わせた。

「な、なんだこいつは……? 召喚石か? セレス、貴様、なんということを……!」

彼が私を振り返るが、もうそこにはいない。

私はすでに庭園の屋根に腰掛けて、二人を見下ろしていた。

指を鳴らして遮音と隠蔽の魔法で包む。これで外からみればいつも通りの庭園だろう。

私だけが特等席でその舞台を見届けることができる。

この瞬間はいつも胸がときめく。初恋の乙女、なんて柄ではないのは分かっているが、にやけが止まらない。

「さあ、どうか私に見せてください! 片鱗だけでもいい! 『真実の愛』の、その一幕を!」

キマイラが一歩、二人へ近づいた。

「や、やめて、来ないで! レオンハルト様!」

「うるさい!」

レオンハルトは剣に手をかけたが、その手は震えていた。

「くそっ、誰かいないのか! 魔獣だ! 助けてくれ!」

中庭は魔法で閉ざしてある。当然、外には届かない。

権力も、金銭も、家柄も、今は二人を救わない。

二人を救えるのは、愛だけ。

「お二人なら簡単な事です。庇い合って、抱き合って、お相手の名前を呼んでください」

私の声が庭園には届かないのが残念だ。

それでもうっとりと囁かずにはいられない。

こんなに美しい瞬間に立ち会える私は、最高に幸せ者だ。

「愛していると言ってください。私の渇きを潤してください。じゃないと……死んでしまいますよ」

そうこうしている間にも、キマイラが牙を剥いていた。

「レオンハルト様、たすっ、助け……!」

マーガレットが彼の腕に縋る。

「さあ、今です! 愛を叫んで彼女を守りなさい!」

私は期待に胸を躍らせてその瞬間を待った。

だが。

予想外の事が起こった。

「……………………は?」

レオンハルトが彼女を突き飛ばしたのだ。

「離せっ、無礼者!」

マーガレットの体が石畳に転がる。

「私は王子だぞ! お前が囮になって引きつけろ!」

「レオン様ぁぁ…… あ、あああ……いやぁーっ!」

グチャリ、と音がして悲鳴が止まった。

キマイラの牙の隙間からマーガレットだったものが落ちる。

「くそっ、なぜ誰も来ない!」

それでも尚、 ソ(・) レ(・) は彼女を背にして結界の端に向かって走っている。

「なぜ出られない! そ、そうだ、セレス。セレス!」

ソレは空を見上げ、どこにいるとも分からない私の名を必死に叫ぶ。はぁ。ゴミ虫が。

「セレスティア! 助けてくれーっ!!!」

……

…………

……………………やれやれ。

深い失望が胸の奥に沈んでいく。

熱が静かに冷めていく。

やはり 今(・) 回(・) も(・) 真実の愛ではなかった。

「解釈違いですよ、殿下」

屋根の上から静かに告げたすぐ後に、ゴミ虫の鳴き声と、潰れる音が同時に聞こえた。

「愛とは……難しいものですわね」

小さく出たあくびを扇で隠しながら一人ごちる。白薔薇の香りが夜風に溶けていた。