作品タイトル不明
122:犬ぞり体験
お正月も明けて、いつも通りの毎日が戻ってきた。
雪がある間は幸生の仕事は少ないらしく、村のお正月の支度が終わってからはのんびりと家にいる事が増えた。
空はこれ幸いと幸生と一緒に近所を散歩したり、雪が降った日には巨大な雪だるまを作ってもらったりと、色々遊んでもらっている。
たまに積み木などにも誘うのだが、大きな手で小さな積み木をそっと摘まんでプルプルしているのが面白かった。
さて、今日は何をしようかと朝食後に空が考えていると玄関がカラカラと開く音がした。
「こんにちはー! そらいますかー?」
その声を聞いて空の目がパッと開く。
「アキちゃん? いるよー!」
空は急いで立ち上がると、パタパタと玄関に向かって走った。玄関では明良が手を振っていて、その後ろに美枝も来ていた。
「アキちゃん、いらっしゃい!」
「そら! あんね、いぬぞりにのれるんだって! いっしょにいこう!」
「いぬぞり!?」
明良の誘いに空は驚き、慌てて後ろを振り向いた。空の後を追って玄関に来た雪乃がその期待に満ちた視線を受けて微笑む。
「美枝ちゃん、田亀さんとこに行くの?」
「ううん、昨日田亀さんに会ったんだけどね。犬の運動不足解消に、定期的に犬ぞりを走らせてるって聞いたの。それで、空くんまだ乗った事ないでしょ? この辺にも来てもらえないかって頼んでみたの」
「もうすぐくるんだって!」
その言葉を聞いて空は雪乃を見上げてその着物の袖を引っ張った。
「ばぁば、いきたい! のってみたい!」
「わかったわ、じゃあすぐ準備しなくちゃね」
「急にごめんね。さっき急に田亀さんから、時間が空いたからこれから運動しに行くって連絡が来たものだから」
「大丈夫よ、すぐ支度するわね」
空は急いで愛用のマフラーを取りに走った。
雪乃が靴下を持ってきてくれたのでそれも履く。靴下の上からいつもの草鞋を履くという格好になるのだが、これが一番暖かい。
コートを着て、その上からマフラーを巻いて、コートのフードにフクちゃんを入れれば準備は万端だ。
「じゅんびできた!」
「よし、じゃあいこ!」
雪乃も付いてきてくれるようで、空と明良、雪乃と美枝は連れだって外に出た。幸生は重すぎて犬ぞりは向いていないので囲炉裏から離れないヤナと共に留守番だ。
外に出ると、今日は確かに良い天気だった。空気は冷たいが空は晴れている。
空は明良と手を繋ぎ、急いで門の傍まで行く。門から勝手に出ない約束をしているので、その手前で止まって雪乃たちを待った。
雪乃も美枝も良い子で待っている空と明良に微笑み、それぞれ自分の孫と手を繋いだ。
「すぐに来るから、ここで待っててね」
「楽しみね、空」
「うん!」
空は頷いて、明良の方を見る。
「アキちゃん、いぬぞりのったことある?」
「うん、きょねんいっかいだけ! いぬ、げんきではやいんだ!」
「へ~! たのしみ!」
空がわくわくしていると、遠くから微かに犬の吠える声が聞こえてきた。
「あ、きた!」
「どこどこ?」
門から半身を乗り出すように二人が道に顔を出すと、山とは反対側の方から近づいてくるものが見えた。
現れたのは、二列に並んで懸命に走る犬たちだった。子供たちの姿が向こうからも見えたのか、ワンワンキャンキャンと賑やかな声が増える。
「よーし、止まれ、止まれ!」
犬が引いていたソリに乗っていたのは村の魔獣使いの田亀だ。
彼が号令をかけると犬たちは走りを止め、皆揃って空たちの方を見た。
「わぁ……いぬ、いっぱい!」
「かっこいいな!」
犬たちは全部で十四頭いて、どれも柴犬やそれに近いような毛足の短い日本犬だ。大きさは色々だが、ソリを引く犬として有名な犬種のような大きな洋犬は一頭もいなかった。
「あ、空だ、久しぶりー!」
空たちがいぬを見ていると、その中から明るい声がかかる。
そちらを見ると丸まった尻尾をピコピコと動かしている柴犬がいた。
「あ、えっとたしか、ゴロ?」
「当たり! 今日は遊びに来たぞ!」
声をかけてきたのは秋に空と出会った柴犬のゴロだった。犬居村について教えてくれた相手だ。
空が駆け寄るとゴロがフンフンと空の匂いを嗅ぐ。
「そら、しってるいぬ?」
「うん! ゴロっていうなまえなんだって。アキちゃんちのまえであったことあるよ!」
「パトロールしてたんだぜ!」
「ホピ……」
空が明良にゴロを紹介すると、フードからにゅっと出てきたフクちゃんが耳元で不満そうに囀る。
それを片手で撫でて宥めつつ、空はそっと視線を逸らして田亀を見た。
「たがめさん、こんにちは!」
「おう、こんにちは空くん。今日は犬ぞりだぞ」
「キヨちゃんおやすみ?」
「ああ。キヨは冬は小屋の中で冬眠してるんだ。完全に寝てる訳じゃないんだけど、ほとんど動かないよ」
「そっか……キヨちゃんは、たがめさんとけーやくしても、ねむっちゃうんだ?」
空がそう聞くと田亀は面白そうな表情で頷いた。
「空くんは難しい言葉を知ってるなぁ。魔獣は契約してもあんまり性質や習性は変わらない事が多いな。カメはカメ、犬は犬だよ」
なるほど、と納得した空の隣で、明良がその言葉に顔を向けた。
「いぬって、けーやくできるの?」
「出来るよ。この村にも何人か、犬と暮らしてる人はいるな」
けれど明良は見た事がないと首を横に振った。
「明良、犬と暮らしてる人は狩りを専門の仕事にしてたり、山守との仲立ちの仕事をしている人が多いのよ。だから普段は山小屋で寝泊まりしたり、それに近い場所に住んでて、あんまり見かけないわねぇ」
さらに美枝が言うには、この近所には今そう言う仕事の人はいないから尚更会う事がないらしい。
東地区で一番山に近い場所に住んでいるのは米田家で、その向こうにある山は比較的低くなだらかに奥に続いている。山守がいるような場所ではないので、その一帯の管理は幸生がしているのだ。
「じゃあ、おれも、いぬとけーやくできる?」
明良が聞くと田亀は美枝と顔を合わせ、困ったように首を捻った。
「出来るか出来ないかで言えば……まぁ、縁があれば出来るよ。ただなぁ、こればっかりは向こうが選ぶもんだからなぁ」
「そうなの? おれが……こいぬとか、なかよくしたいっておもってもだめなの?」
「ああ。契約はその犬の一生に関わる事だからな。犬たちは自分の村を持っていて自由に暮らしてるだろ? この辺りに住む犬たちはその方が好きなんだよ。冬に俺のとこに来るのだって、獣舎があって都合が良いから居候しにくるだけで、俺と契約してるわけじゃないしな。村の手伝いと引き換えの、持ちつ持たれつってやつだな」
田亀の言葉に明良は残念そうに肩を落とした。
空もそれはちょっと残念に思う。犬を飼ったりしたことのない身としては、ちょっと憧れるからだ。
しかしそんな気持ちを察したのかフクちゃんがぐいぐいと頬に体を押しつけてきたので、空はその憧れを口にすることはなかった。
「犬も猫も賢いからな。自分が気に入った相手を、向こうが選ぶのさ。だからまずは仲良くなることだな!」
「そうだぞー! だからまずは俺らと一緒に走ろうぜ!」
「行こう行こう!」
「オレは風になるぜ!」
「振り落とされんなよチビ!」
「しっかりつかまってろよ!」
「メシ食ったか?」
犬たちは口々に言いつのり、その合間からまだ言葉が上手く喋れない若い犬が、キャンキャンワンワンと吠え立てる。
「おっと、そろそろ行くか。よし、じゃあ方向変えるから、そしたらソリの後ろに乗ってくれ」
犬たちの後ろに繋がれたソリは、なかなか大きく立派なものだった。
一番前に田亀が座る場所があり、その後ろに板を渡した座席が間隔を開けて四列ある。板は小さな子供なら三人くらい座れそうだ。
田亀は犬たちを先導して向きを変えさせ、それから大きなソリをひょいと持ち上げて向きを変えた。
(さすが村の男……魔獣使いって、自分で戦わなそうなイメージあるけど、やっぱり力はあるんだな)
空が感心していると、雪乃に手を引かれた。
「行きましょう、空」
「ほら、明良も」
「うん……」
明良は未練がましく犬たちを眺めていたが、美枝に促されてソリの方へと向かった。
明良と空は田亀のすぐ後ろの席に並んで座った。後ろの席には雪乃と美枝がそれぞれの孫の後ろにつく。
「じゃあ行くぞー。野沢さんちにも行くからな」
「わーい!」
「やった!」
結衣や武志も連れに行くと言う言葉に子供たちが喜ぶ。
田亀がほーいと声をかけると、犬たちは賑やかに走り出した。
「わわっ!」
犬たちの勢いにソリがぐんっと大きく動き、空の体がふらりと後ろに傾く。しかし後ろにいた雪乃がその背をさっと支えてくれた。
ソリは勢い良く進み、矢田家の前をあっという間に通り過ぎ、その先の野沢家の前で手を振る武志たちを見つけてまた止まる。
「こんにちはー! あ、空と明良もいる!」
「こんにちは! わたしものっていい?」
「お待たせ、どうぞ!」
美枝と雪乃は二人に席を譲って、一つ後ろに下がった。雪乃は武志に空の背を支えてやってくれとそっと頼む。
「よし、じゃあちょっと神社の辺りまで行って、一回りしてきたら町内の他の子と交代な」
「はーい!」
子供たちの良い返事を聞き、ソリはまた走り出す。
「うっひゃー、行け行けー!」
「あははは、すっげーはやい!」
「やだー、かおがさむーい!」
「あはは、すごーい!」
犬ぞりはいつもの亀バスや幸生の背から見るよりも景色がずっと低く、風を切って走る分速度が出ているように空は感じた。
時々雪の塊や地面の起伏に沿って軽く跳ねるのだが、それもちょっとしたスリルがあって面白い。その度に歓声が上がり、子供たちは大喜びだ。空も皆と一緒に大きな声で驚き、沢山笑った。
やがてソリは大きな道をくるりと回り、また東地区へと戻ってきた。多分二十分ほどしか乗っていないだろう。
けれど大きな声を出してはしゃいだ子供たちはすっかり満足して、大人しくソリから降りて田亀と犬たちにお礼を言った。
「いぬさんたち、どうもありがとう!」
「へっへー、オレたち速かっただろ!」
「すっげー速かった! また乗せて!」
「またなまたな!」
「たのしかったー!」
「俺たちも楽しかったぞー!」
犬たちも嬉しそうに尻尾を振り、子供たちに頭や背中を撫でさせてくれた。空はゴロやその隣にいた犬を撫で、ペロリとほっぺたを舐められて笑い声を上げる。
その肩ではフクちゃんが一生懸命羽根を膨らませ、犬を牽制しつつ自己主張していた。
明良も傍にいた犬に手を伸ばし、その背を撫でさせてもらった。どの犬も皆、子供たちに優しく親愛を示してくれる。しかし明良は途中でふとその手を止めて、小さな声で問いかけた。
「ね……やっぱり、おれのことえらんでくれたりとか、むりなのかな」
明良の密やかだが真剣な声に犬は少し考え、けれど首を横に振った。
「うーん、わかんない。なんか人と契約するやつって色々だから。会った瞬間に匂いで決めるやつもいれば、一緒に何度も遊んだりして過ごしてから、こいつにしよ! って思うのもいるって」
「……そっか」
「あとねー、小さい子はダメだって言われてるよ? もっと大きくなってからな!」
「わかった……ありがと」
明良は残念そうに頷くと、手を振って武志たちのいる方に駆けだした。
その背を犬が少しだけ心配そうに見送る。
そして明良の傍にいた空もまた、その背を心配そうに見ていたのだった。