作品タイトル不明
118:元日の朝
「あけましておめでとーございます!」
元日の朝。
起きて顔を洗い、着替えてきた空が元気に挨拶をすると、幸生と雪乃も嬉しそうにおめでとうと返してくれた。
幸生はどことなく引きつったような顔をしているが、これでも多分笑っているつもりなのだ。それを知っている空が笑顔を返すと、幸生はおもむろに天を仰いだ。
「久しぶりに私達だけじゃないお正月で、嬉しいわねぇ」
「ああ……」
「つぎは、ままたちもいるといいね!」
空の言葉に雪乃はにこにこと頷いた。村の二級指定は色々あって少しずれ込んでいるが、春までには何とかなる予定だ。
隆之の実家との兼ね合いもあるだろうが、一級から二級になったら紗雪一家を一度くらいは年越しに誘おうと雪乃も考えている。
だがまだ先の話だ、と雪乃は気持ちを切り替えて空を手招きし、手にしたコートを着せかけた。
「さ、まずお庭に行って、ヤナに挨拶しましょうね」
「ヤナちゃんに?」
「ええ。元旦にはまず、お家にいる守り神に挨拶するのが慣わしなのよ。ヤナも待ってるわ」
そういえば今朝はまだヤナの姿を見ていない、と空は気がついた。しかし昨日は夕飯の時に台所で挨拶だったのに、と不思議に思う。
「きょうはおにわなの?」
「ええ、昨日は台所だったけど、さすがに元旦くらいはちゃんと形式を守ってるのよ」
空はなるほど、と納得し、上着のフードにフクちゃんを入れ、紋付き袴を着た幸生といつもより華やかな着物を着た雪乃と共に庭に出る。
ヤナの本来の住居である小さな祠は、米田家の裏庭の片隅にある。
庭への通路には雪が少し積もっていたのだが、朝のうちに幸生たちが除雪してくれたらしい。出来たばかりの道をトコトコと歩き、空たちは祠の前に辿り着いた。
祠は正月前に綺麗に手入れをされ、赤い屋根からは雪も丁寧に払われている。正面に掛けられた注連縄も新しい。
高さを合わせて祠の前に設置された白木の台には、山海の幸やお酒、餅などがお供えされていた。
空が見上げる前で、幸生がまず正面に立って一歩近づき、丁寧に頭を下げる。
雪乃と空は少し後ろに並び、空も幸生を真似しながら頭を下げ、柏手を二回打った。
「米田ノ家守ノカミ、ヤナリヒメ様。新しき年の始まりに、米田家当主、米田幸生よりご挨拶を申し上げる。御身のご加護によって、家族一同無事にこの良き日を迎えられましたことに感謝を。また一年、どうぞ米田家にご加護をくださいますよう、伏してお願い申し上げる」
幸生はそう言ってまた深く頭を下げた。
珍しく幸生が沢山喋ったことに驚いていた空は、慌てて真似をして頭を下げる。
しばらく下げてからまた頭を上げると、小さな祠はピカピカと景気よく光を発していた。
『うむ。苦しゅうない! 米田の家は万事任せるが良い! 今年もヤナがきちんと守ってやろうぞ!』
祠から声が響き、光がすぅっと消えて行く。
(わぁ……なんか神様っぽかった!)
などと空が思いながら見ていると、小さな祠の小さな扉が内側からバンと勢い良く開いた。
そしてそこから小さなヤモリがぴょんと飛び出て、目の前に立つ幸生の顔にビタンと張り付いた。
「さっむい! 寒いのだぞ! 毎年毎年、挨拶は家で良いと言っておるのに!」
「……そういうわけにはいかん」
顔に張り付いたヤモリがブルブル震えながら首元にするりと下り、着物の襟元に潜り込もうとするのを幸生はひょいと掴まえた。
「幸生、寒い!」
「ちょっと待て。空」
「へ?」
ヤモリを片手で持った幸生に呼ばれ、ビックリしていた空が首を傾げる。
幸生は身をかがめると、手にしたヤナを空の上着のフードにぽいと落とした。
「ホピッ!? ホピピピッ!!」
「おお、フクがおったか! フク、もうちょい大きくなれ!」
ヤナはさっそくヤモリの姿のままフクちゃんの羽毛に潜り込み、温かなその体にがっしりとしがみ付く。
突然降ってきた冷たさにビックリしたフクちゃんはフードの中で跳び上がって悲鳴を上げたが、そこでは大きく動けず、ヤナを振り払えない。
仕方なくフクちゃんがもそりと鳩くらいの大きさになると、ヤナはその温かな翼の下にこれ幸いと潜り込んだ。
「わっ、フクちゃんっ」
「あらあら、危ないわ。はい、空」
急に大きくなったフクちゃんにフードを引っ張られて空が慌てると、雪乃が手を伸ばしてフクちゃんをそっと取り出して渡してくれた。空はフクちゃんを受け取って両手に抱いたが、どこに隠れているのかヤナの姿は見えない。
「お、空、明けましておめでとう! 今年もヤナがよう守ってやるのだぞ!」
フクちゃんの羽毛の下から、姿は見えないが声がする。
「あけましておめでとう……ヤナちゃん、ことしもよろしくね!」
空は心を込めて、ヤナに笑顔で挨拶をした。
神様へのご挨拶から始まる、村で過ごす初めてのお正月。
何だか良い事がありそう、と思いながら空はフクちゃんを抱きしめる。
「ホピ……」
そのフクちゃんは、体温を奪われてかなり不服そうな顔をしていたのだが。
家に戻った後は、神棚にもお参りだ。
新しい料理や酒をお供えし、皆で神様に新年のご挨拶をする。祀ってあるのはアオギリ様のお札だが、本人が寝ていようが挨拶するのがしきたりらしい。
空はその神棚に乗せてある金色の鏡餅を見て、やはり夕べの事は夢じゃなかったのか……と遠い目をした。
一段だけになった金色の鏡餅はまた三方に戻され、正月が明けてから食べることになっているらしい。
食べる時が楽しみなような怖いような、そんな複雑な気分を抱えて空はお参りを済ませ、朝食の席についた。
「ほわああぁ! ごちそうが、もっといっぱい!」
昨日の夜もご馳走だったのに、今朝はもっとご馳走になっている。
テーブルの真ん中には美しい花模様が描かれた朱塗りの重箱が置かれ、その中には煌びやかなお節料理が綺麗に詰められていた。
「最近はこんなにちゃんとお正月料理をしてなかったんだけど、空はこういうのが好きそうだから……」
張り切っちゃった、と雪乃がちょっと照れたように笑う。
空はその笑顔を見て一瞬目を見開いた。若返った雪乃のその笑い方が、紗雪が照れ笑いをするときとそっくりだったからだ。
何だか嬉しくなって、空は両手の拳をぎゅっと握って笑顔を浮かべ、大きな声を上げて頷いた。
「すごくきれい! だいすき!!」
こんな豪華な料理じゃなくてもいつも大好きだが、そこはそれだ。こんなに綺麗に盛り付けられたお節料理は前世でも食べた記憶が無い。
東京の家でもお正月は特別なご馳走を並べていた気がするが、お節料理は小さな子供の好みではない料理が多いせいか用意されなかった。用意されていても、多分二、三歳では食べなかったと思う。
だが今の空は体も健康で、よほど苦いとか辛いとかでない限り何でも美味しく食べられる。
「空の好きそうな料理も増やしたから、沢山食べてね」
「うん!」
黒豆や数の子、田作りやなますなど伝統的な料理とは別の段に、栗きんとんやだし巻き卵、唐揚げやポテトサラダなど空の好きそうなおかずだけが沢山入れられている。
空の事をきちんと考えた特製のお節料理。そこにも雪乃の愛情が沢山入っているのが見ただけでわかった。
早くいただきますをしたいと空がわくわくしていると、雪乃がちょっと待ってねと言って席を外した。
そして大きな皿を持って戻ってくる。その皿には白い布が掛けてあった。
「これは、私達から空に、お年玉よ」
「おとしだま!」
「……開けてみろ」
どんと空の前にお皿が置かれ、布を取ってみろと勧められる。空はわくわくしながらその布に手を掛けた。
「あっ! これ……ろーすとびーふ!」
パッと取った布の下から現れたのは、雪乃特製、黒毛魔牛のローストビーフだった。空の大好きな肉、それも大きな塊だ。
村では子供にお金を渡してもあまり使い道がないためお年玉はお下がりの鏡餅か、子供の好物の食べ物、あるいは欲しがっていた道具などということになるらしい。
「少し前にじぃじと一緒に山で狩ってきたのよ!」
幸生たちはこの為にわざわざ二人で山奥まで黒毛魔牛を狩りに行き、肉を熟成させて保存しておいたのだ。ローストビーフはその一番良い部分で作られている。
「すごいおとしだま……じぃじ、ばぁばありがとう!」
空は涎が零れそうな顔をしながら、二人にお礼を言った。しかしその目は肉に釘付けだ。
「切ってあげるわね。今日はお餅だから、肉巻きおにぎりは用意してないんだけど」
おにぎりは好きだが、分厚いローストビーフをそのまま食べるのももちろん大歓迎だ。
雪乃は大きな肉の塊に包丁を入れて食べやすい薄さに何枚も切り取り、空の皿に乗せてソースをたっぷり掛けてくれた。
「お雑煮も沢山作ってあるし、好きな物を食べてね」
「うん! いただきます!」
空は満面の笑みを浮かべながら手を合わせ、さっそくまず肉に齧りついた。
「正月から四つ足か……良いのかの?」
「年神様がハムを食べてるんだから、別に良いと思うのよ」
「うむ。どうせ正月前に狩ったやつだから問題ない」
肉を口いっぱいに頬張る空には、大人たちのそんな会話はもう聞こえていなかった。