軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

89 嵐を呼ぶ書状3

アリスティード様がポンポンと優しく背中を叩いてくれて、その規則正しい振動が私の心を落ち着かせた。感傷的になったのは本当に久しぶりで、だんだんと恥ずかしくなってくる。涙が滲んだ目を手で擦り、そろそろ離れようと思ってアリスティード様の胸から顔を上げたところ。

(……あれは?)

目の端に映った何かが気になり、私は壁の方を向いた。見ると、上品なリドリア様式の深い青色の壁紙に、縦に一本、不自然な隙間が空いているような気がする。

(なんでしょう)

壁紙の継ぎ目かと思えたけれど、その隙間が徐々に開いていっているような錯覚を覚えて、私はジッと目を凝らす。

「どうした、メルフィ」

「あの、壁が」

私の様子を訝しんだアリスティード様が、私の視線の先に目を向ける。ただの隙間ではなく、何か見られているような気もしてきた。すると、アリスティード様が盛大な溜め息をつき、壁に向かって低い声を出す。

「ケイオス、そこで何をしている」

(えっ、ケイオスさん?)

私がアリスティード様と壁の隙間を交互に見ると、アリスティード様が私を壁から隠すようにして背中を向けてしまった。

「さっさと入れ」

「いや、まあ……お邪魔になるかと思いまして」

するとここにはいないはずの人の声がして、それは本当にケイオスさんの声であった。それと共に、古代魔法語を用いた独特な魔法陣が壁に浮かび上って淡く光り出す。アリスティード様の身体で全体がよく見えなかったけれど、確かにぽっかりと空間が開いている。どうやら、ミッドレーグの至るところにある魔法の隠し扉の一つのようだ。

「ただいま戻りました」

壁の隠し扉から姿を現したのは、休暇中のケイオスさんであった。帰ってきてそのままここに来たのか、まだ騎乗の際の装備を付けたままだ。

「お、おかえりなさいませ。ケイオスさん」

慌ててアリスティード様の 懐(ふところ) から抜け出した私は、気恥ずかしさもあってアリスティード様から少し離れて立つ。目は赤くなっていないだろうか。ほんのちょっぴり泣いてしまったのがケイオスさんにバレてなければいいのだけれど。

「わがままな閣下のお 守(も) りをありがとうございました、メルフィエラ様。お疲れになられたでしょう」

「いいえ! とてもお利口さん……あっ、えっと」

「お利口さん」

ケイオスさんから「お守り」と言われて、ついマーシャルレイドで異母弟のルイの遊び相手をしていた時のように答えてしまった。ケイオスさんは「お利口さん」と繰り返しながらニヤニヤと笑っているし、アリスティード様の方を見ると憮然とした顔になっている。

「ご、ごめんなさい」

「謝罪なされることなどございません。お利口さんな閣下など、私は幼少の頃以来見たことがありませんので」

実はケイオスさんが休暇に入る前、私は「くれぐれも仕事をさぼらないように見張っていてください」とアリスティード様の見張りをお願いされていた。以前に話していた通り、私は書類仕事もするつもりでいたし、ケイオスさんはそれについては大賛成だったのでちょうど良い機会だったのだ。実際は私が見張らずともアリスティード様はとても熱心に視察に向かわれた(それはついて行った私も見ていたので確かだ)し、書類だって粗方終わってしまっているのだけれど。

「煩いぞ、ケイオス。報告があるならさっさとしろ」

ムスッとした顔になったアリスティード様が、ケイオスさんに向かって手を差し出す。そうだった。ケイオスさんは明後日までお休みと聞いていたのに。

ケイオスさんが私をチラリと見る。話の邪魔になるのではと部屋から退出しようと思った私に、アリスティード様がスッと近寄って手を握ってきた。どうやらここにいろということらしい。

「早くその懐のものを出せ」

「よろしいのですか?」

「いいも悪いもあるか。メルフィエラはいずれ俺の代理となるのだぞ? その手の厄介事にも対処してもらわねばならんだろうが」

「それは重々承知しておりますが……」

アリスティード様に促され、歯切れの悪いケイオスさんが懐から黒地に赤の模様が入った筒を取り出した。それはいわゆる『書状筒』と言われる手紙を入れるもので、公文書などをやり取りするために使われている。筒は中に入っている手紙や書状の内容により、色使いや装飾などで様々な意味を持たせてあるのだ。

(黒に赤……なんだか危険な感じがする)

黒一色は訃報を伝えるものだ。だからあまり黒を使った筒を見ないのだけれど(ちなみにアリスティード様がお父様宛に送ってくださった筒は金色で、それはそれは豪華で慶事用の装飾が施されていた)、赤の模様付きは見たことがない。

アリスティード様は書状筒を受け取ると、魔法で施された封印を破って手紙を取り出した。紙の色は白いけれど、文字が赤く光っているようにも見える。

「陛下直々の緊急討伐要請とは久しぶりだな。獲物は何だ?」

「狂化したラグラドラゴン一頭とその他複数の狂化魔獣です。場所はパライヴァン森林公園。ラグラドラゴンによる人的被害は今のところありませんが、相手は羽がありますからいつ人里に来てもおかしくはないかと」

狂化したラグラドラゴンとは一大事だ。なるほど、王領にあるパライヴァン森林公園は秋の遊宴会の会場でもあるけれど、平時は一般開放もされている人気の場所だ。今は雪が積もり始めた頃だろうから、雪遊びに興じる貴族たちもいるはずである。近くの人里はそうした貴族たちの逗留地にもなっているので、もしラグラドラゴンが人里を目指せば非常に危険だ。しかも他にも狂化した魔物がいるとなると……。

「ほう、ラグラドラゴンか。それは俺が呼ばれても仕方ないな。ケイオス、戻って来て早々悪いが至急編成を組み準備に入れ」

「それは既にミュランに任せております」

「気温はどうだ?」

「既に寒さが増しておりますので、グレッシェルドラゴンは往復だけにすべきかと」

「現地の移動手段は馬になるか。王国騎士の軍馬であればドラゴンにも慣れてはいるだろう」

国王陛下直々の緊急要請というのに、アリスティード様もケイオスさんも慣れた様子でどんどん話を進めていく。私はただ聞いているだけしかできなくて、こんな時にどう動けばいいかわからない。

「早ければ今夜、遅くとも明日朝には出発する」

「わかりました。が、我々はそれでいいとして」

ひと通り打ち合わせを終えた二人だったけれど、ケイオスさんが、先ほどよりもさらに言いにくそうにして私を見てくる。

「大丈夫です! 狂化したラグラドラゴンが食べたいなどと無謀なことは言いませんから!」

狂化していなければあわよくば、とも考えないこともないけれど、今はそんなことを言っている場合ではない。勢いよく告げた私に、ケイオスさんが気まずそうな顔になった。本当に珍しいこともあるものだ。ケイオスさんは打てば響くような敏腕補佐官で、いつも無理難題をテキパキとそつなくこなす騎士なのに。

「いえ、ラグラドラゴンだろうがなんだろうが、仕留めて持ち帰ってくるのは可能なので問題はないのですが」

「そうだぞ、メルフィ。尻尾などどうだ? 魔毒を抜き出す実験にも使えるだろう」

「閣下、尻尾と言わず……ではなくてですね。その、もう一つ、あの……ご報告が」

「なんだケイオス。まだ何かある……いや待て、言うな。わかった、俺は何も聞いていない」

ケイオスさんの様子にアリスティード様は何かピンと来たみたいだ。私には何がなんだかさっぱりわからないけれど、握られたアリスティード様の手から汗が滲んできているので、あまりいい話ではないのかもしれない。

完全にケイオスさんからそっぽを向いてしまったアリスティード様に、ケイオスさんが溜め息をつく。

「はぁ……そもそも閣下があの御方への報告を放棄するからこんなことになるんですよ」

「煩い。嫌な予感しかせん。何も言うな、ケイオス」

「はいはい、言いませんよ。私は、ね」

ケイオスさんはもう一度懐へ手を入れると、今度は可愛らしい薄紅色の翅を持った蝶を取り出した。

「実は討伐要請とはもう一つ、直々の お(・) 手(・) 紙(・) を賜っております。メルフィエラ様に」

「わ、私に?」

その蝶はケイオスさんの手から離れて、キラキラと光の粒を撒き散らしながら私の方へと飛んでくる。魔法の手紙らしいそれは、私の周りをヒラヒラと飛び回った。

「メルフィ! その蝶に触れてはならない、悪い魔法だ」

つい手を伸ばしてしまった私を、アリスティード様が引っ張って蝶から遠ざけようとする。

「ですが、すごく美しい魔法だと……」

「そうやって油断させるのが敵の常套手段だ」

「えっ、て、敵⁉︎」

敵と聞いて慌てて手を引っ込めようとしたけれど、少し遅かった。私の指先にピタッととまった薄紅色の蝶が、ゆっくりと翅を閉じる。そしてその蝶から聴き慣れない声が聞こえてきた。

『やあ、マーシャルレイド伯爵家のメルフィエラちゃん。はじめまして、君の新しいお兄様になるマクシムだよ』

マクシムとはラングディアス王国の当代国王陛下にしてアリスティード様の実のお兄様のお名前だ。私はびっくりして、指先の蝶に注目する。国王陛下のお言葉なんて、社交界デビューを果たしたその日に拝聴したくらいで、ましてやお声なんて覚えてなんかいない。そんな国王陛下のお茶目な明るい声に対し、アリスティード様の喉から唸り声と「この非常識め」という低い声が響いてくる。ということは、このお声は国王陛下のお声で間違いないらしい。

『何の準備もなしに君を連れ去った無作法な弟でごめんね。不自由はしていないかい? お詫びにお兄様が色々と準備をしておいたから、顔見せついでに取りにおいで。アリスティードが森に入っている間、お兄様のところに滞在してくれたら嬉しいな。そうそう、君のお姉様になる人も、可愛い妹に会えるのを楽しみにしているよ』

「このクソッたれが‼︎」

すごく強い言葉を放ったアリスティード様に、私はびっくりして首をすくめる。

「す、すまないメルフィ。お前に言ったのではないのだ。この愚兄があまりにもあほうなことを抜かすのでな」

そう言うと、まだ何かあったはずなのに、アリスティード様が薄紅色の蝶を握りつぶしてしまった。型式張った手紙ではないにせよ(というかかなり私的な話のようないたずらのような)、国王陛下のお言葉だ。

「よろしかったのですか?」

「単なる嫌がらせだ。気にするな、メルフィ」

アリスティード様がそう仰るのであれば、私としては何もない。いつかアリスティード様の お(・) 兄(・) 様(・) に一言もの申したかったけれど、仲が良さそうな雰囲気はわかったのでなんとなく安心する。

「閣下……そうなるだろうと思って一応、手紙も預かってきました。今のところ 命(めい) ではありませんが、断るとメルフィエラ様の召喚も致し方ないとは国王陛下の言です」

疲れたような様子のケイオスさんが、今度は本当の手紙を取り出してくる。白い封筒に、ラングディアス王国の紋章による封印がなされたそれに、アリスティード様の魔眼が炸裂した。