軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第64話 おじさん、説明する

俺の家のリビング。

視界の中央には、我が物顔で茶を啜る猪狩先輩が鎮座していた。

地球に帰還し、愛する家族と再会したはずの男が、なぜまた 異世界(こっち) にいるのか。

ただ、その表情からは以前のような悲壮感は消え失せ、憑き物が落ちたような晴れやかさが漂っていた。

「その様子だと、沙織さんと翔太君には無事に会えたんですよね?」

「あぁ、そっちは安心してくれ。マンションの前で丁度買い物帰りの二人に会えたんだ。いやぁ、二人とも泣いて泣いて大変だったぜ」

先輩は嬉しそうに目尻を下げる。

付き合いの長い俺には分かる。「二人とも泣いて」と言っているが、一番号泣したのは間違いなくこの人だろう。

「久しぶりに食う沙織の飯がうめぇのなんのって……。お前に出した『 恒星竜(ステラ・ドラゴン) 』の胸肉よりも美味かったな。いやぁ、愛情ってのは本当に調味料になるもんだな。そんでな──」

『完全に興奮していますね。この調子だと日が暮れますよ』

脳内に響くナビ子の呆れた声音に、苦笑が漏れる。

「先輩、話が長くなりそうな予感がするんで、本題に入ってもらっていいですか? そろそろ日が暮れちゃいますよ」

「すまんすまん。実はな──」

俺は椅子に座り直すと、先輩の土産話に耳を傾けた。

マンションのオートロック前で沙織と翔太と再会し、そのまま自宅へとなだれ込んだ。

妻の沙織は、出前でも取ってゆっくり話を聞きたい雰囲気を醸し出していたが、息子の翔太が「今日はママのハンバーグだよ!」とあまりにも嬉しそうに叫ぶものだから、言い出せなかったらしい。

沙織がキッチンに立った隙に、リビングには翔太と二人きりの時間が訪れた。

ソファに腰を下ろすと、翔太が膝の上によじ登ってくる。

小さな体温。

それに続いて、ずしりとした重みが太ももにのしかかった。

あぁ、重い。

記憶にある重さよりも、ずっと確かな質量がそこにあった。

甘いシャンプーの香り。遊び回ってかいたであろう、健康的な汗の臭い。指に触れる柔らかい髪の感触。

五感を刺激するそのすべてが、こここそが求めていた「帰る場所」なのだと訴えかけてくる。

「翔太、おっきくなったなぁ」

「そりゃそうだよ! だって三年だよ? でも、パパはちょっと痩せたね」

「あぁ、格好良くなっただろ?」

「どうかなぁ?」

翔太はそう言うと、少しだけからかうような表情で斜め上を見る。

懐かしい仕草にまた涙腺が緩みそうになっていると、翔太は、何か言いたげに唇を噛みしめ、ちらりと俺の顔を見上げた。

その瞳の奥で、迷いやためらい、そして覚悟がせめぎ合っているのが伝わってくる。幼いなりに葛藤している様子が、手に取るように分かった。やがて決心したように、小さく息を吸い込むと、そっと口を開いた。

「……あのね、前に友達と喧嘩したときにね、パパが居ないくせにって言われたの」

その言葉に、みぞおちの辺りがきゅっと冷たくなる。どれだけの不安と寂しさを強いていたのか、痛いほどに突き刺さった。

「……ごめんなぁ」

「……でも、言い返してやったんだ。パパはお仕事してるだけだって。誰も行けないようなすごい所にいるから、なかなか帰ってこれないだけだって……っ」

翔太の声が震え始める。

小さな胸に溜め込んでいた不安が、限界を超えて溢れ出そうとしていた。

「ほんとはね、ちょっと怖かったの。もう会えないのかなって……。でも、信じてたもん。パパは強いから、絶対帰ってくるって。みんなに嘘つきって言われても、負けるもんかって……っ! いっぱい泣いたけど……でも……信じてたんだよぉ……!」

翔太はそう言って、俺の胸に顔を埋めた。

直に伝わってくるその小刻みな震え。

強がっていたのだ。父親がいない不安を、小さな身体で必死に受け止め、信じ続けてくれていたのだ。

「ありがとうな、翔太。信じてくれて。待っててくれて。偉かったな」

喉の奥が熱くなり、言葉がつかえる。俺は愛おしい我が子を力一杯抱きしめた。

魔物の断末魔でも、鋼が砕ける音でもない。

トクトクと脈打つ小さな心音が、荒んだ 精神(こころ) に染み渡り、強張りを溶かしていく。

やがて、キッチンから香ばしい匂いが漂ってきた。

ジュウジュウと肉が焼ける音。包丁がまな板を叩くリズミカルな音も、少し鼻をすする気配のあとに再び響き始めた。

何年もの間、夢にまで見た日常の風景がそこにある。

「さぁ、食べるわよ。良かったわ、ちょっと多めに材料を買っておいて」

食卓に並んだ、不格好で大きなハンバーグ。

湯気を立てるそれを一口、口に運ぶ。

肉汁と共に、懐かしいソースの味が舌の上に広がった。

高級な食材なんて使っていない。どこにでもある家庭の味だ。

だが、どんな高級料理よりも、異世界で食ったどんな魔物の肉よりも――

「……っ」

美味かった。

視界が不意に歪む。

涙腺のダムが決壊し、ボロボロと溢れた雫がハンバーグの上に落ちた。

「パパ? どうしたの? こんなに美味しいのに」

「……いや、美味すぎてな。ママの料理は、世界一だ」

「あ! ママ! ビール忘れてるよ!」

翔太が冷蔵庫へと走っていく。

あの頃は届かなかった取っ手に手が届き、重たい扉を自分の力で開けている。

だが、ビールが置いてある棚にはまだ手が届かないらしい。

背伸びをして、一生懸命手を伸ばしているその背中。

「ママー! ビールとってー!」

「はいはい、今行くわね」

沙織が手渡したビールを、翔太が大事そうに抱えて持ってくる。

冷えた缶の感触さえも愛おしい——が、翔太がビールを渡しながら、ふと照れくさそうに笑った。

「パパ、ビールがなくても泣かなくていいんだよ」

「そうだな、もう、いつでも飲めるもんな」

思わず吹き出してしまった。しかし、真っ直ぐに向けられる真剣な眼差しに、また目の奥が熱くなる。

これ以上、泣いて心配をかけるわけにはいかない。散々迷惑をかけてきたんだ。

俺はプシュッ、と小気味良い音を立てて缶ビールのプルタブを開け、勢いよく喉に流し込んだ。

炭酸の刺激で、込み上げてくるものを無理やり胃の腑へと押し流す。

「ありがとうな……」

言いながら、ジョリジョリとした髭面を翔太の頬に擦り付ける。「アハハー痛いよー」と無邪気な笑い声が上がった。

その光景に、沙織もまた、エプロンで目元を拭っている。

失われた時間が、埋まっていく感覚。

俺は生きて帰ってきたんだ。この幸せを守るために、必死で生き足掻いてきたのだと実感する。

結局、その夜は翔太が学校であったことや、できるようになったことをずっと話していたため、詳しい事情を話せたのは子供が寝静まった後だった。

異世界に飛ばされたこと。

何年かかっても必ず帰ろうと、ダンジョンに潜り続けていたこと。

そして最近、同じく飛ばされてきた湊が持っていたアイテムを使って帰還できたこと。

「湊さんは生きてたのね! よかった……。それで、もう家に戻ってるの?」

「いや、アイツはアイツで用事があるみたいでな、もうしばらく向こうにいるって言ってた。……どうした?」

その言葉に、沙織は深刻な顔つきになった。

「実は、湊さんのことを心配していたのは私だけじゃないの」

「……で、その『心配している人』っていうのが」

「あぁ。受付をやってた、舟木葵ちゃんらしい」

先輩の言葉に、喉がひくりと鳴る。

舟木葵。ダンジョン協会の受付嬢であり、俺がこの世界に来る直前まで共闘していた相手だ。

「沙織の話だと、葵ちゃん……自分を責めてるらしい。『私が足を引っ張ったせいで、湊さんが死んだ』って」

「……そんな」

「お前が行方不明になってから、彼女は受付嬢を辞めて探索者に戻ったみたいだ。そんで無茶な探索を続けてるようでな。沙織も心配して、定期的に連絡を取ったり、家で飯を食わせたりしてるみたいなんだが……会うたびに傷が増えていくのを見て、辛いって言ってんだ」

先輩の声のトーンが落ちる。

「湊。お前も知ってる通り、ダンジョンでの焦りや自責は命取りだ。今の彼女は、死に場所を探しているようにすら見えるらしい」

「…………」

「沙織は一刻も早くお前が生きていることを伝えたいんだと」

「だから、俺に戻ってこいと?」

「あぁ。お前が生きてるって分かれば、彼女も止まるはずだ。……すまん、お前の都合もあるとは思うが、こればかりは放っておけなくてな」

先輩は申し訳なさそうに頭を下げた。

俺は肺の中の空気をすべて吐き出し、首を横に振る。

「謝らないでください。……教えてくれて、ありがとうございます」

舟木葵さん。

普段は窓口でドロップ品の買取をしてくれるだけの、顔馴染みの受付嬢。

だが、あの日――俺たちがこの世界に飛ばされる直前、原種のクイーンアントやクソ虫を相手に、背中を預けて共闘してくれた戦友でもある。

彼女が俺のせいで傷ついているなら、それは俺が責任を持って止めなければならない。

「丁度いい機会です。村の交易も、防衛も大分安定して、そろそろ帰ろうかと思ってたんですよ」

バルガス男爵との交渉も上手くいった。

村人たちも、もう自分たちで生きていける強さを手に入れた。

これ以上、俺がここに留まる理由はない。

「分かりました。帰りましょう、地球へ」

「! すまん、恩に着る!」

方針は決まった。

立ち上がり、ナビ子に指示を飛ばす。

(ナビ子、帰還の準備だ。……その前に、エレオノーラに連絡を頼む)

『了解しました。複製体を通じてメッセージを送りますか?』

(あぁ。『しばらく村を留守にするが、後は頼んだ』と伝えてくれ)

彼女には村の用心棒を任せている。

一言もなく消えるのは筋が通らないだろう。

『送信完了――おや』

不意にナビ子が言葉を切り、虚空を見上げた。

つられて俺も視線を上げる。

次の瞬間、何もない空間がぐにゃりと歪んだ。

「このデタラメな魔力、まさか……」

先輩が弾かれたように立ち上がる。

その視線の先で光が収束し、一人の女性の輪郭を形作った。

「――帰るって、どういうこと?」

現れたのは、ドレス姿のエレオノーラだった。

転移魔法。

メッセージを受け取った瞬間に飛んできたらしい。

彼女は俺に問いかけながら、チラリと先輩に視線を走らせる。

「あら、ヴィクター、居たのね」

「なんでエレンがここにくるんだよ」

先輩が引きつった顔で後ずさるのを横目に、俺は息を吐く。

エレンとの関係を説明しようかと思ったが、これはこれで長くなりそうだ。

そもそも、俺自身、どんな関係なのかよくわかってないのもある。

今は帰還の方を優先したいし、向こうに戻ってから、時間がある時にでもゆっくり話することにしよう。

「猪狩先輩がもともと別の世界から来てるって聞いてただろ?俺も出身はそっちなんだよ。だから帰る。それだけさ」

「……私も行く」

「は?」

彼女は当然のように言い放った。

「ミナトが帰るなら、私もついていく。当たり前でしょう?」

「いや、当り前じゃないが?」

俺は即座に却下し、諭すように言葉を続けた。

「俺たちの世界には『戸籍』という、人間を管理するための識別番号みたいなものがあるんだが、それがないと色々問題がおきるんだよ」

「ミナトの力でなんとかならないの?」

エレオノーラは「何とかできるんでしょう?」とでも言いたげな顔で、じっとこちらを見つめてきた。

「できねぇよ。それに」

俺は彼女の顔を指差した。

「その容姿だ。白銀の髪に、鮮血のような赤い瞳。そして、誰もが振り返る美貌。こんな人間が街中を歩けば、確実に目立つどころの騒ぎじゃない」

「あら、嬉しいこと言ってくれるのね。でも……」

彼女は艶然と微笑むと、白魚のような指先を俺の胸へと這わせた。

「認識阻害の魔法くらい使えるわよ? それに、戸籍がないなら作らせればいい。……ねじ伏せる力があれば、道理なんてどうとでもなるでしょう?」

「……お前なぁ」

エレオノーラが、不安げに眉を寄せる。

その瞳が、僅かに潤んだ。

「私が……アナタの物を奪ったような、悪い人間だから?」

「っ……」

言葉に詰まる俺へ、脳内でナビ子が助け舟を出した。

『マスター。言うことを聞くという条件なら、同行を許可しても良いかと』

(おい、正気か? こいつ連れて行って問題ないのか?)

『あの様子だと、断っても魔力の痕跡を辿ってついてきますよ? 絶対に。マスターとはアドオンを介してパスが繋がっていますから』

(……マジかよ)

『知らない間に向こうに来て暴走されるよりは、監視下に置いて制御した方が安全です。それに、彼女の戦力は向こうでも有用かと』

ナビ子の冷静な分析に、頭痛を覚える。

なんでそんなについて来たがるんだよ……。経験値が必要なんだから探索しとけよ。

「……はぁ。分かったよ」

俺は観念して頷いた。

「ついてきてもいい。ただし、向こうでは俺の指示に絶対従うこと。勝手な行動は許さない。いいな?」

「えぇ! もちろんよ!」

エレオノーラの表情が、一気に輝きを取り戻す。

先輩が「え? どういう関係? 昨日の今日だよな?」と混乱しているが、今は放っておこう。

その後、先輩たちを家に残し、俺は広場に村人たちを集めた。

トトやリリ、村長のユルダをはじめ、皆が心配そうな顔で見つめてくる。

「急に集めてすまない。前から伝えていたように少し、遠くへ出かけることになった」

ざわ、と動揺が広がる。その空気を打ち消すように、俺は腹から声を出した。

「もちろん、ずっといなくなるわけじゃない」

「少しの間、留守にするだけだ。ここにはナビ子の複製体も残していくし、何かあればすぐに連絡がつく。それに──」

村人たちの顔を一人一人見ていく。この村に来た頃には考えられないくらい精悍な顔つきだ。

それに、銀二に蘭丸。ベルクの開発力もある。

「お前たちは強くなった。俺がいなくても、もう自分たちで村を守れるはずだ。……俺がいない間、現状に甘んじず、さらに成長していてくれ。戻ってくる時を楽しみにしている」

俺の言葉に、村人たちは顔を見合わせ、やがて力強く頷いた。

「はい……! 湊様のお言葉、肝に銘じます!」

「留守の間、この村は私たちが死守してみせます!」

おっと、忘れるところだった。

「それから、もう一つ朗報だ。バルガス男爵と交渉して、この村との交易が復活することになった。これからは必要な物資も手に入るし、ドロップ品を買い取ってもらうこともできる。生活はもっと楽になるはずだ」

おおぉぉ! と歓声が上がる。

ふと見ると、村長のユルダが感極まった様子で天を仰いでいた。

「……神は、我々に土地を与え、戦う力を授け、最後に豊かな実りをもたらす 路(みち) まで示された……。『旅立ち』の福音を更新せねば」

知らん。聞こえない。

「よし。それじゃあ、行ってくる」