軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

19.清涼な星

竜王執務室。

ノックの音と共に、文官が入室してくる。その両手に積み上げられた書類の山に、リベルトは内心で溜息をついた。その書類を黒檀の執務机に置いた文官は、処理の済んだ書類を持って部屋を後にしようとする。文官の顔にも疲労が色濃く表れているのをリベルトは見逃せなかった。

「おい」

「はっ、何かありましたでしょうか」

「疲れた顔してんぞ。人が足りないか」

「お気遣いありがとうございます。いまこの時期だけでしょうし、大丈夫です」

ディーターがいないだけでこの有り様だ。砦が襲撃を受けた為に、そちらにもいつも以上に手を掛けなければならない。砦の切り盛りはディーターがやっているだろうが、騎士の補充や補給やら何やらで皆忙しくなっている。

「休みはしっかり取るようにな」

「はい。ですがリベルト様もお疲れの様子ですね。私達はまだ大丈夫ですから、遠慮無くこちらにも回して下さい」

「ああ、ありがとな」

疲れた顔をしながらも、労いの言葉を受けた文官は明るい表情で部屋を後にする。

それを見送ったリベルトは執務椅子に深く背を預けて、大きく伸びをした。

体が凝り固まっている。竜化して、思いきり羽を伸ばして飛びたいところだが、いまの状況では中々それも難しい。落ち着いたらオリヴィアを背に乗せて――想像したところで、リベルトは我に返った。

浮かんだ映像を掻き消すように黒髪を乱した。それでもオリヴィアの笑顔が脳裏に張り付いて消えてはくれない。声が無くても彼女と話すのは楽しい。繊細そうに見えて実は芯が強いところも伝わっている。

彼女はどんな声で、自分の名前を呼ぶのだろうか。その声が――あの歌声と同じだったら。

「……くそっ」

自分の考えに悪態が出る。

席を立って壁側に設えられたミニテーブルに向かった。黒いポットを持つとまだ温かく、用意してくれた侍女長の気遣いに目を細めた。カップに珈琲を注ぐと、立ち上る香ばしさに深呼吸を繰り返す。

その場でカップに口をつけたところで、部屋にノックの音が響いた。

「リベルト様、ご機嫌はいかがですかな」

入ってきたのはルーゲだった。後ろに撫で付けられた白髪も、纏う衣服にも綻びなどなく、いつもと同じきっちりとした姿。リベルトが幼い頃からこの教育係はそうだった。

「この爺に何のご用でしょう」

そうだ、呼んでいたんだった。

書類仕事に追われて、それさえ忘れてしまっていたリベルトは、内心の気まずさを珈琲を飲む事でごまかした。

「ルーゲ、オリヴィアを嫁がせる話が侍女に伝わってんのは、どういう事だ?」

「侍女にも準備が必要ですからな、伝えないわけにはいかないでしょう」

「あの二人は仕事が終わったら家に帰す。そう言ったはずだが?」

「そういうわけには参りません。ロザリア様をお妃に、妹君には他国に嫁いで架け橋となって頂きます」

「そこに俺の意思も、あの二人の意思も無いのにか」

「リベルト様、爺は以前も申し上げましたぞ。国を繁栄させるのもあなたのお仕事なのですから。鬼蛇族の脅威に晒されているこの状況では、魔女を国に取り入れるのが最善ではないですか」

「何度言わせる、ルーゲ」

怒りを孕んだ声だった。ルーゲが思わず一歩後ずさるほどに、リベルトの声は固く殺気さえ帯びている。

「魔女の力なんざ無くても、国は繁栄させる。侍女らにも言っておけよ。あの二人は俺にも、どこにも嫁がないとな」

「……リベルト様」

「話は終わりだ」

何かを言いかけるルーゲの声を遮ったリベルトは、カップを手にしたままで執務机に戻る。椅子に腰掛けた時、ノックが聞こえた。

「リベルト様、オリヴィア様よりお届け物がございます」

侍女長のカミラが、大事そうに籠を抱えて入室する。カミラの両手に収まる程の小さな籠。執務机に置かれたその中には、手の平で包み込めそうなくらいに小さな瓶が二つ。それと陶器で出来た立体的な星。

それを取り出したリベルトは、二つに折り畳んだ紙があるのに気付いた。広げると流れるような美しい字が並んでいた。

【緑の瓶にはペパーミント、紫の瓶にはラベンダーの精油が入っています。お仕事の時にはペパーミントが集中出来ていいと思う。眠る時にはラベンダーを使ってみて。お役に立ちますように】

短い文章からでも、気遣う心が伝わるようにリベルトは頬を緩めた。その表情の穏やかさに思わずルーゲやカミラが息を飲むも、文字を指でなぞるリベルトは気付かない。

「これは……どう使うんだ? オリヴィアは何か言っていたか?」

「はい、使い方を聞いておりますよ。この陶器の星に、精油を数滴垂らすそうです。香りが広がるそうですよ」

早速リベルトは緑の瓶の口を開けた。深みのある爽快な香りがふわりと広がって、リベルトは驚きに目を瞬いた。言われた通りに陶器製の星に何滴か垂らすと、その香りに包まれるようだった。

「いいな、何だかすっきりする」

昨晩、バルコニーで『疲れた目元に効く薬』をくれると言っていたのを思い出す。律儀な性格を思って、リベルトの笑みが深まった。

「あとで礼をするか。そうだカミラ、補佐官の奴らに何か差し入れしてやってくれ。飲み物でも軽食でも」

「かしこまりました」

頷いたカミラは腹部で手を揃え、綺麗な角度で一礼をしてから部屋を後にする。残されたのはリベルトとルーゲだけ。

「ふむ……リベルト様は妹君の方がお好みでしたか。しかし助けて下さったのはロザリア様でしょう?」

「別に好みとかそんなんじゃねぇし、ロザリアだって俺を助けてねぇって言ってる。その事についてはもういいんだ」

「リベルト様の恋を成就するお手伝いをしたいのですが……妹君はなりませんなぁ」

顎を指でなぞりながら、ルーゲがわざとらしく溜息をつく。カップを口元に寄せたリベルトは眉を寄せながら、ルーゲを見遣った。

「妹君では魔女の力が弱すぎます故。娶るのはやはりロザリア様――」

「いい加減にしろ!」

尚も嫁取りの話を持ち出すルーゲに、リベルトは声を荒げた。金瞳の瞳孔が怒りで縦に割れている。凄まじい威圧感に、ルーゲの顔色は悪くなるばかりだ。呼吸さえ許されない程に空気が張り詰めていく。

「……あの二人を利用するのは許さねぇ。分かったな?」

声も出せず、ルーゲは小さく頷くと足早に部屋から出ていった。

気配が遠ざかっていくのを感じ、リベルトは深く息を吐く。体の中で渦巻いている苛立ちが抑えられない。気分まで悪くなりそうだ。本当に少し飛んできた方がいいだろうか。

リベルトがそんな事を考えて、窓に目を向けた時だった。引き留めるように鼻を擽ったのは清涼な香り。目線を机上の星に向けると、困ったように笑うオリヴィアの姿が思い浮かんで、苛立ちが収まっていくのを自覚した。

心を黒く染める感覚が落ち着いていく。清々しい香りで部屋が満ちていく。

落ち着きを取り戻したリベルトは、すっかり冷めてしまった珈琲を一気に呷るとペンを手にして書類に向かった。

その日の仕事が思った以上に捗ったリベルトが、オリヴィアに頼んで文官たちにも精油を配ったのはまた後日の話である。