王太子に婚約破棄されたので孤児院を開く〜かわいがっていた第二王子がいつの間にかヤンデレ国王に育っていたみたいです〜
作者: 林檎月
本文
特に不満もなければ、特別幸福でもない。無味無臭の人生。それが、前世での私の人生だった。
だけど、たった一つだけ後悔がある。子供達を、担当した生徒達の成長した姿が見られなかったこと。それだけが、唯一の心残りだ。
♢
月明かりに照らされた会場。
天井にはシャンデリアが吊るされ、会場には可憐なドレスやタキシードを着飾った美男美女達。
付けている装飾からは、彼らが相応の身分であることが分かる。
奏でられる音楽、眩い光、まるで世界の中心かのように踊る人々。
私はそんな光景を、どこか異国の景色でも眺めるような気分で眺めていた。
やっぱり舞踏会は苦手だな。
今世ではそこそこ整った容姿に生まれたけれど、性根は変わらないみたい。どうせなら優雅さとか胆力とか、そういう“貴族らしい何か”まで備わっていてくれれば良かったのに。
私こと早瀬光は27の時に交通事故で亡くなった。前職は小学校教師。そして、この世界に男爵令嬢ミレイヌとして転生したのである。
最初の頃こそ日本との違いに戸惑ったものの、今ではすっかりこちらの方が馴染み深いものとなっていた。
豪奢な装飾。無駄に広い会場。貴族達の身を飾る宝石の数々。
見れば見るほど、「そんな金があるなら国民に還元すればいいのに」と思ってしまう辺りたぶん私は根本的に貴族に向いていない。
ともかく、この中世ヨーロッパのような世界で私は18年間過ごしてきた。そしてこれからも。
これまで王太子殿下リカード・ハルブルクの婚約者として相応しくなれるよう王妃教育というものを受けてきた。
財務を担当できるよう財経を学んだり、周辺諸国の政治や経済、テーブルマナーや社交術までも学んだ。
常時受験勉強のような日々。普通ならとっくに逃げ出していただろう。けれど、前世の私は教員免許を取るため大学時代から朝から晩まで講義漬け。教師になってからも定時後二時間残業が当たり前。休日ですら行事や部活動に潰れていた。
比べて王妃教育には休日出勤も責任も伴わない。お金が貰えないことだけが残念だけど。本当に、切実に!
ともかくそうして過ごしてきた王太子候補としての日々。それもきっと今日で終わる。そんな予感がしてならない。
何故なら、いつも殿下のすぐ後ろにいるはずの私がこうして隅っこで佇み、代わりに見知らぬ女性が彼の傍らにいるのだから。
あれが誰かは分からないけど、別れ話あるいはそれに類する話があるのは確実。
しかしそんな話をするなら個室ですればいいのに。わざわざ大広間でやる辺り、本当に趣味が悪い。
噂をすれば何とやら。王太子殿下は広間の中心で、声を張り上げながら私の声を叫んだ。
「ミレイヌ・リーゼロッテ!」
あー嫌だ。そんなに叫ばなくたって聞こえてるっていうのに。
本当に目立ちたがりで、傲慢ちきで、悪趣味な奴。
私はおずおずと殿下の元へ向かっていき、営業スマイルを携えながら顔を上げる。
「何でしょう、殿下」
「何でしょうか、ではないこの愚か者が。これだから低級貴族は」
何の用か尋ねただけでこれだ。前世の学年主任の方がまだマシだったぞ。
……いや、そんなことないな。
自分の仕事まで振ってくるくせに少しでも遅かったら嫌味を言ってくる。そのくせ校長や教頭にはノルマ以上の仕事をしてますアピールして。
うん。どっちもどっちだな。
「申し訳ありません、殿下。それで、何の御用でしょう?」
リカードはわざとらしく溜め息を吐く。
「言葉にしなくては分からないか。まあいい。俺は隣にいるこのエレナと結婚することに決めた」
隣に立つ女性の肩を抱き寄せながら、彼は続ける。
「お前はもう用済みだ」
ざまあみろを言わんばかりの表情で言ってのける殿下。
まあ、そんなことだろうとは思っていた。
この10年間、顔を合わせれば嫌味ばかり。恋人らしいことはおろか、会話らしい会話もない。そんな相手と上手くいく方がおかしい。
というか、さっさと私の方から別れを切り出せばよかったな。そしたら互いにこんな無意味な時間を過ごさずに済んだのに。
まあ、王太子相手にそんな真似をしたら不敬罪になりそうだけど。
「……気に入らない顔だな」
どうやら、私の表情が殿下と思っていたものとは違うものだったらしい。得意げだったリカードの目が、不機嫌そうに細められる。
「ただの下級貴族に過ぎないお前が、第一王子との縁談を失ったのだぞ。泣きわめきながら許しを乞うなり、必死になって俺の気を引くなりするべきだろう」
「そう言われましても……」
確かに、本当に愛する人ならばそうなったのかもしれないな。しかし、こんなパワハラ婚約者に向かって涙を流せと言われても困る。というか、そういうところが嫌われる原因なんですよ殿下。
周囲から向けられる視線は冷ややかだった。そして、そのほとんどがリカードへ向けられている。
その目線に気付いたのか、王太子殿下はさらに不機嫌な様子で追撃を始める。
「だいたい、お前は昔から生意気なんだ。俺のやることに身分も顧みず文句ばかり垂れてきて」
それはあなたが政務をほっぽり出して、というか私に押し付けて遊び歩いているからでしょう。
しかも偶に仕事をしたかと思えばミスばかり。いや、間違えること自体は別に構わないのだけど。私も前世では割とミスしてたし。
問題なのは殿下の場合改善するどころか自分のミスを認めず、さらに責任を他人に押し付けること。そして、仕事量の何倍もの文句を私に言うこと。お陰で彼と仕事をする際は普段以上の時間を要してしまう。
だから最近では、重要な仕事は極力任せないようにしていた……その結果、暇を持て余した殿下が問題行動を起こすようになったのだけれど。
公費を遊興に使ったり、女性関係でトラブルを起こしたり、その度に私がどれだけ謝って回ったか!
記憶が鮮明に浮かび出し、思わず体が震えだす。
それを自分に怯えていると勘違いしたのか、リカードは鼻高だかに高説を語りだした。
「そもそもお前には何がある。身分も無ければ、気品もない。愛嬌も、優しさも、力さえ!お前に、俺に指図するだけのものが何かあるのか!?」
長々と文句を垂れているが、要するに私が平然としているのが気に入らないのだ。自分が突っぱねたのだから泣いて縋るべきだと、そう思っているのだろう。
なんて自分勝手で俺様気質な人。そのうち手痛いしっぺ返しに遭うに違いない。
私がそうして心の中で独りごちっている間にも、変わらず殿下は文句を垂れている。
仕方ない。本当は嫌だけど、ものすごく嫌だけど!
でもそれが社会なのだ。前世も今世も変わらない。ああ、こんなことなら猫か犬にでも生まれ変わればよかったな!
私はゆっくりと膝を折り、俯く姿勢に移る。
土下座して許しを乞えばさすがの殿下も気が済むだろう。
だけど、この程度で心を折れると思わないでほしい。さすがに土下座まではしなかったけど、「すみません」「ごめんなさい」「申し訳ありません」、そんな言葉山程言ってきた。
もしかしたら挨拶よりも言った回数多いかもしれない。
だから、謝ったところで何も思わないし感じない。せいぜい、虚構の栄華心を満たせばいい!
「もうしわけ……」
言いかけたその瞬間、どさり、と何かがぶつかる音がした。そして目の前でリカードが倒れてしまう。しかも、鼻血まで出して。
何事かと周囲を見回した直後、ごとん、と重い音が響いた。床に落ちていたのは、一冊の本。
……まさか。誰かが、これを投げつけた?
会場は一気に騒然となった。医療班らしき人々が慌てて駆け寄り、倒れたリカードを取り囲む。
額と鼻から血は流れているものの、彼らの会話を聞く限り命に別状はなさそうだ。ほっと胸をなで下ろし、私は辺りを見回す。すると、小さな影が外へと出ていくのが見えた。
「あれって……」
「おい!どこへ行く!」
叫ぶ殿下を他所に、私は外へと走っていった。
さっき見た影はきっと……でも、なんであんなことを。
疑問と不安を抱えたまま、私は城内を駆け回った。しかし自室にも、いつも隠れ家にしている屋根裏部屋にもあの子は見当たらない。
それでも、一時間近く粘ってみるものの手がかりは一切なかった。
ここまで探してもいないなんて、いったいどこにいったの。
私は肩で息をしながら、近くの椅子に腰かける。
キッチン、お風呂場、執務室、隠れられそうなところは全部探した。タンスの中も、ベッドの下も全部。でも、見つからない。
こんな時、探知系のスキルでもあればすぐに見つけられるのに。
あるいは魔法。でも、私にはそんな便利な力はない。あるのは、前世の知識と拭いきれない未練だけ。
なんで転生してまでこんなハードモードなの。さっさとこんなところ出て行って、孤児院でも開こうかな。
そんなことを思いながら窓の外を見ると、件の探し人がちらりと目に映る。
「っ!いたぁ!」
瞬間、私は城外に向かい走りだしていた。廊下を全速力で走り、勢いよく扉を開け外へと飛び出る。
そして城の外堀近くに置かれたベンチに座る少年の元へ辿り着く。
「こんなところで何をやってるの、クロード」
クロード・ハルブルク。
この国の第二王子にして、黒髪黒目の少年。妾の子という出自、不吉を呼ぶとされる黒髪から彼は城内でまるで腫物のように扱われていた。そんな彼を放っておけず、私は何かというと世話を焼いていた。
もしかしたら、前世で担当していた子供達を重ねてしまったのかもしれない。
最初の頃は、話しかけても無視ばかりだった。差し入れた料理にも手をつけてくれない。
それでも諦めずに通い続けた結果、少しずつ言葉を返してくれるようになって。
今では、一緒に眠ることもあるくらいには懐いてくれている。
この城内において、彼の胸中は複雑だろう。使用人達からも疎まれ、父からすら冷たい目を向けられ。しかも兄であるリカードには度重なる嫌がらせまで受けて。
もちろん、見かける度にきちんと咎めていたけど。
クロードがリカードに抱える思いは、きっと簡単には言い表せない。でも、だからといって短絡的な行動に走る子じゃない。好きなもののこととなると少し暴走気味になることはあるけれど、穏やかで優しい良い子だったはずだ。
だから、きっと何か理由があるはず。兄であるリカードを害してしまう程の途轍もない理由が。
「リカード様は軽い怪我してたみたいだけど、大事にはいたってないみたい。でも、なんであんなことしたの?」
私は努めて優しい眼差しを彼に向ける。しかし、彼はだんまりを決め込んだままこちらを見向きもしない。
……まあ、そうだよね。
まだ12歳とはいえ話したくないこともあるだろう。ましてや彼は第二王子なのだ。複雑の思いの1つや2つあってもおかしくない。
こういう時大事なのは、強要しないこと。黙ったままでもいいからちゃんと側にいること。そうすれば、きっと話してくれるはず。
そうして私は彼の隣に腰かけ、一緒に空を眺めた。満天の星空、とまではいかないが少なくとも日本で見ていた空よりずっと鮮やかで、星々は静かな光を夜空に散りばめていた。
……なんだか久しぶりな気がする。こうしてゆっくり空を眺めるなんて。
最後に見たのは……たぶん学生時代だったな。大学での講義終わり、レポートを書ききった後に見た星空が確かこんな景色だった。
大人になってから空なんてじっくり見てなかったけど、やっぱり綺麗だなぁ。
そうしてしばらく空を眺めていると、クロードが気まずそうに口を開いた。
「……怒らないのですか?」
どこか怯えるような声。私は小さく息を吐いてから、ゆっくり答える。
「怒るよ。どんなことがあっても、暴力はしちゃだめ。でも、それは理由を聞いてから」
私はそう言って、クロードの頭にそっと手を乗せる。
「君は何の理由もなく暴力に頼る子じゃないでしょう?」
くしゃくしゃっと髪をかき回し、彼の黒髪が縦横無尽に乱れていく。気持ちよさそうに目を細めながら感じているクロード。
それから何かを言いかけては口を閉ざす。そんなことを何度も繰り返した。言えないわけではないが、口に出すのは憚られる。そんな雰囲気を醸しだしていた。
大丈夫だよ。そんな思いを込めた視線を彼に送る。
昔、今回と同じようにクロードが暴力事件を起こしたことがあった。相手は公爵の1人息子。相手の言い分によると、いきなり殴りかかってきたそう。
もちろん周囲はクロードを責め、誰もが当然のように決めつけた。
しかしそんなことをする子ではないと確信していた私は事情をクロードに尋ねた。その時も、彼はなかなか話そうとしなかった。俯いたまま黙り込み、ただ唇を噛み締めて。
けれど長い沈黙の末、ぽつりと教えてくれたのだ。母を悪く言われたからだと。
この子は誰かのために怒れる子。優しい子。だからきっと、今回も何か事情があるはず。
それからもしばらく、クロードは何も話してはくれなかった。けれど、私も変わらず隣で佇む。
やがて月が頭上まで昇った頃、クロードはおずおずといった様子で口を開いた。
「……悪いことをしたとは、思ってます」
怯えるような表情。私はもう一度そっと彼の頭に手を乗せ、諭すように語りかけた。
「そうだね。どんなことがあろうと、暴力に頼っちゃいけない。でも何かそうしないといけない理由があったんだよね」
こくんと頷くクロード。
「もし嫌じゃなければ、聞かせてほしいな」
それから再び沈黙が落ちる。そして彼は、ぽつりと呟いた。
「……先生がバカにされてたから」
恥ずかしそうに顔を赤らめながら俯くクロード。想像もしていなかった答えに、私は思わず目を瞬かせた。
私?確かに、殿下にバカにされてはいたけど……そんなこと、いつものこと過ぎて考えたこともなかったな。
でも、そっか。自分のためじゃない、私のために怒ってくれたんだ。怒らないといけないのに、ちゃんと指導しないといけないのに、思わず顔がにやけてしまう。
誰かがちゃんと想っていてくれる。それだけのことがこんなに暖かくて、嬉しいことだと久しぶりに思い出した。
……嬉しいな。
でも、だからこそ。大人として。教師として。ちゃんと伝えなきゃいけない。
私は顔を引き締め、少し語気を強めつつしかしどこか諭すように語りかける。
「誰かのために行動できるのは、すごく立派で尊いこと。だから、クロードはとても偉いと思う。でもね、だからといって暴力に頼るのはだめ。たとえ悪いのが向こうだとしても、暴力に頼った瞬間から自分の方が悪くなっちゃうんだから」
たとえどんな事情があったとしても、手を上げた方が悪くなってしまう。それは仕方のないこと。
でも、誰かのために怒れる強さというのは誰でも持てるものじゃない。とても尊いもので、眩いほど価値のあるもの。だから、できればなくさないでほしい。私の勝手な想いではあるけれど。
私は目を細め、もう一度彼の頭を撫でる。
「私を想ってくれたのは、嬉しいけどね」
そう言って微笑みかけると、クロードは少し照れたように顔を背けた。
これで伝わっただろうか?
誰かのために行動したこと自体は悪いことではないと。勇敢で立派な行為なのだと。その強さを肯定してあげられただろうか?
私が悩んでいると、隣でクロードが低い声でぼそぼそと話すのが聞こえてくる。
「……そうだ。暴力はいけない。悪いのはこっちになっちゃう。やるなら、誰にもばれない所で、こっそりとだ。今度は手段を考えないと……」
思わず背筋がぞくりとする。どうやら、私の言いたいことは何一つ伝わらなかったらしい。
「えっと、そういうことじゃなくてね……」
このままじゃ、この子は悪のラスボスの道を辿ってしまう。何とか軌道修正しないと。
そうやって私が何を言うべきか迷っていると、王城の扉が突如開いた。現れたのは、見慣れた人物。
「……殿下」
第一王子リカード・ハルブルクは、私たちを見るなり露骨に眉を顰めた。
「ミレイヌにそこにいるのは愚弟か。こんなところで何をしている」
「え、えーとですね、殿下。少し、お散歩をと思いまして」
咄嗟の言葉にしては、良い言い訳だった。よくやった私。後はなんとなく話を合わせてさっさとお帰り願わないと。
だっていくら第二王子だからといって、王太子に本を投げつけたとばれたらただじゃすまないはずだから。絶対に隠し通さないと!
「そ、そういえば先ほど殿下の隣にいた女性。すごくお綺麗でしたよね!さすが殿下です!どこでお知り合いになられたのですか?」
額に汗を浮かばせながら必死に話題を逸らす。しかし、殿下は一向に口を開かず、何やら思案顔で私とクロードを見比べる。
やばい。やばい。やばい!お願い、ばれないで!
しかしそんな願いも空しく、殿下は何かを察したように眉を上げた後、即座に憤怒に溢れた表情へと変わる。
「……そうか、お前か。俺の貴重な尊顔に傷をつけたのは!」
ずんずんと駆け寄っていき、クロードの髪を思い切り掴む殿下。そしてそのまま思い切り拳を叩き込む。
瞬間、ふっとぶクロード。
「おやめください、殿下!」
私は慌てて止めに入る。しかし殿下はそれを無遠慮に払いのけ、クロードにさらに蹴りを叩きこむ。
「お前のような愚弟が!妾腹の分際で、俺に傷をつけたな!」
「っ……ぁ、ぐ……!」
苦しげな呻き声。それでも殿下は止まらない。鈍い音が何度も響き、ついにクロードが血を吐いた。
「お辞めください殿下!死んでしまいます!!」
「黙れ!」
止めに入る私を殿下は大きく振り払い、思わず尻餅をついてしまう。
どうしよう。このままじゃ、本当にクロードが死んでしまう。どうしよう、どうしよう、どうしよう!何とかしないと!
考えろ!どうやったら、あの子を助けられる?力じゃ叶わない。何か策を、何か……そうだ。
「殿下」
私は務めて冷静に、低い声を意識しながら語り掛ける。その声音に何かを感じたのか、殿下はようやく動きを止めこちらを振り返った。
よし。注意は引けた。あとはクロードの罪を帳消しにできれば。
「実はクロードに投げつけるよう命じたのは、私なのです」
「……何だと」
先ほどまで向けられていた怒気が、こちらへと移る。血走った目、乱れた髪、怒りが目に見えるようだった。
びくっと震えそうになる体を抑え、落ち着いた声で続ける。
「私が、殿下に危害を加えた真犯人なのです」
これで、きっと殿下の意識は私に向いた。後は動機をどうするかだけど、どうしよう。一定の説得力を持ち、なおかつできるなら責めづらいものがいいけど。
前世だとミスした時何て言ってたっけ。主任に向かって言い訳する時は確か……そうだ。相手の自尊心を高めつつ、自分の能力の無さを過剰に表してあとはひたすら謝罪する。
心を無にしながら、ひたすらに。そうしたらさらに激昂されることもなく、引き下がってくれた。今回も同じようにするには……
「申し訳ありません。ですが、本当は殿下に当たる予定ではなかったのです」
思いもよらなかった告白に、殿下は思わず目を見開く。
「日頃から街へと繰り出し、果ては新たな婚約者まで連れてこられ混乱してしまっていたのです。このままでは殿下の隣を、寵愛を失ってしまうのではないかと」
言っていて吐き気がしてくる。こんなパワハラ野郎から愛されたいと言うなんて。
よし!無事この場を乗り切れたら、死ぬほどエールを飲んでやろう。日本では未成年扱いのこの体だけど、知ったことか!明日起きれないほど酔っぱらってやる。
「つまり、俺の婚約者を狙ったと」
「……はい。しかし、殺そうと思ったわけではありません。ただ、少し痛い目に遭えば婚約者の座を降りるかもしれないと思ったのです」
私は深く頭を下げた。
「本当に、申し訳ございません。この度のことは、私の器量の狭さによるものでございます。どうぞ、いかようにも処罰下さいませ」
この手のタイプは社会の評価を何よりも重視する。だから元婚約者相手に、しかも婚約破棄を言い渡したその日に厳罰を強いることなどないだろう。
だってそんなことをしてしまえば、婚約者を変えるために処したと言われかねない。やるとすればせいぜい、王城からの追放とか罰金とかその程度。
そう予測した私の読みは、ばっちり当たることとなる。
「はっ。はははははっははは!そうか、やはりそうか!お前は俺をそこまで想っていたのか!何かと口うるさかったのも、嫉妬ゆえだろう?」
「おっしゃる通りでございます」
あまりのストレスに声が震えそうになるのを何とか堪えながら私は返答する。
「いい、いい!ならば、今回の件は表に出さず裁定も王城からの追放のみとしてやる」
「ありがとうございます!」
「せいぜい己の器量の狭さ、そして俺に選ばれなかった悔恨を一生抱えながら過ごすがいい」
そう言って高笑いしながら去っていく殿下。
みたか。私くらいになると、無心でここまでの言葉を紡ぐことができるのだ。社会人を舐めるな!
そうやって、内心勝利のガッツポーズを掲げながら殿下を見送る。そうして殿下の姿が見えなくなった瞬間、私はその場にへたり込んだ。
終わったぁ。これで晴れて婚約破棄、王城追放になったわけだけど全く問題なし!むしろ嬉しさすら感じる。
山のような書類作業も、あの年中遊び歩いていたアホ殿下の尻ぬぐいももうしなくていいのだから。何をやってもいい。自由だ!
内心晴れやかな私。対照的に内心複雑そうなクロードが、顔を曇らせながら隣へと腰を下ろす。
「……ごめんなさい。僕のせいで先生が」
そっか。私は殿下と縁を切れる良い機会くらいに思ってたけど、この子から見たら自分のせいで私が追い出されたみたいに映っちゃうよね。
だったらちゃんと伝えないと。気に病むようなことじゃないと、私は全然気にしてないと。この子が気負わずに済むように。
「気にすることないよ。今のことがなくても、私はここを追い出されてたんだから。というか、追い出されなくても自分からさよならする予定ではあったしね」
1日中働いた上3徹、中には4徹した日も。加えて楽しい仕事内容というわけでもない。ブラックオブブラック企業。
この世界に車はないから交通事故で死ぬことはないけど、あのままいったら過労死してたに違いない。
子供達のためならそれでも頑張れただろう。でも、ここでの仕事で助かるのは殿下だけ。そんなとこ、出ていくに決まってる。
そうして私は目の前の少年の頭を優しく撫でる。いつもならば気持ちよさそうに目を細めるのに、今は何だか複雑そうな表情をしている。
きっと彼なりに思うことがあるのだろう。この時期の子は多感だ。私に言えない思いの1つや2つあるだろう。
だけど、本当に困った時は迷わず相談してほしいな。血のつながりはないけれど、一度は義弟になったのだ。大切な存在に違いないのだから。
「さて!」
私は勢いよく立ち上がる。
「それじゃ、行こうか!」
驚いた表情で見るクロードに、私は手を伸ばした。
「晴れて婚約破棄になったことだし、私は街で孤児院でも作ることにするよ。それで君はどうする?私と一緒に来る?」
目を瞬かせる少年。何が起きたのか分からないみたいだ。
きっとこのまま王城にいても、碌な目に遭わないだろう。だったら、いっそのこと私と一緒に抜け出した方が彼のためにもなると思ったんだけど……
「ごめんね。さすがに急過ぎたよね。でも、私と一緒に街に出てそして孤児院を手伝ってくれると嬉しいな。1人じゃ正直心細くて」
情けない話だけど、しかし本当なのだからしょうがない。後ろ盾も、立場も、家すらない。そんな状況の中1人きりでいれる程、私のメンタルは強くないのだから。
クロードは突如、涙をぽろぽろと流し始めた。
「っ!ごめんね!君を困らせるつもりはなくて……」
「違います!嬉しいんです!こうして頼ってもらえたことが。今までずっと与えてもらってばかりだったから」
少年は涙を拭き、ミレイヌを真正面から見つめる。その瞳にはもう怯えも恐れもない。あるのは覚悟と決意だけ。
「行きましょう、先生!」
そう言って、クロードは伸ばした手を掴んだ。
「そうだね、行こうか!」
私は微笑みを彼に返しながら、手を引っ張り歩いていく。
これから色んな課題、問題、苦境が訪れるに違いない。でも、それは私の選んだ道の上で起こること。だったら、乗り越えられる。これまで全部乗り越えてきたんだもの。
それに、これからは1人じゃない。クロードが、家族がいてくれる。だからきっと、大丈夫。
「楽しみだね、クロード」
そう言って微笑みかけるミレイヌ。その笑顔に、彼も笑顔で返した。
「そうですね、先生」
♢
月明りに照らされた少女の微笑みを眺めながら、 少年(クロード) は密かに決意する。
この人をもう絶対に傷つけさせない。たとえどんな手段を取ろうとも、誰を殺すことになろうとも、先生の敵は全て排除してみせる。
兄だろうと、父だろうと関係ない。先生を害そうとする者は1人残らず皆殺しだ。
あの怨嗟渦巻く王城で、先生だけは僕を見てくれた。妾の子ではなく、第二王子としてでもない。僕を僕としてみてくれた。言葉を掛けてくれた、物語を聞かせてくれた、料理を作ってくれた、優しくしてくれた。
先生は僕の全てだ。敬愛すべき存在だ、唯一の存在だ。それが侮辱され、糾弾され、居場所すら奪われた。……僕のせいで。
このままじゃ、僕に生きる価値はない。力を蓄えよう。知識を磨こう。手段を講じよう。何年かかるか分からないが、絶対に先生の居場所を取り戻してみせる。そして安らぎの居場所を僕が作るんだ。その為なら悪魔にだって魂を売ってやる。
そうして9年後、彼はこの国の王となった。
♢
私は箒を置き、建物の外装を眺める。教会のような外装に、”ミレイヌ孤児院”という看板。
「10年か。長いなぁ」
婚約破棄の一件の後すぐに使われていなかった教会を購入。クロードと共に内装を整理し、看板を吊るし孤児院を開いたのだった。
色々あったな。
取っ組み合いの喧嘩はしょっちゅうだったし、シチューを鍋ごとひっくり返したり、室内でボールを蹴って窓ガラスを割ったり、部屋で焚き木しようとして全焼しかけたり……
いや、最後のは懐かしいで済ませていいやつじゃないな。幸い死者やけが人こそでなかったものの、王都中の騒ぎになったのだから。監督不行き届きと教会の修繕費として多額の賠償金も負ったし。
でも本当に最悪の事態にならなくてよかった。今でも軽くトラウマだけど。
私は深く息を吸い、乱れた気持ちをゆっくりと落ち着かせる。すると、春風がひゅうと吹き上がった。
きっと日本だったら、ちょうど桜が咲いている頃だろうな。
この孤児院にいた子供達は全部で10人。今ではみんな巣立ち、立派な職に就いている。
前世で果たせなかった夢を、ここでちゃんと叶えられたのだ。
それにしても卒業の日、先生側はどんなことを思ってるんだろうと不思議だったが、生徒と変わらないんだな。
喜びと、切なさと、郷愁と。これまでの日々に思いを馳せ、これから歩むべき道のりへと足を向ける。なんとも不思議な感覚。
……これからのこと、かぁ。
私は深く息を吐く。
この先、どうすればいいのだろう。
つい1年前、前王が急死しクロードは玉座へと着いた。そしてそれまでの貴族重視の施策を一新。王家に権力を集中させ、蔓延る賄賂を不正をことごとく排除していったのだった。
長らく下向き続きだったこの国の景気を一転し、今では稀代の賢王として語られている。
クロードが出ていってしまったのは3年前。やるべきことがあると言い残し、この孤児院を去ってしまった。
当初は出て行ってしまったショックから寝込んでしまったりもしたが、彼の華々しい成果を聞く度に胸が高鳴り鼻の先が伸びたものだ。
教え子の活躍が自分のことのように嬉しい。そんな感覚を教えてくれたクロードは私の誇りだ。
ともかく、クロードによりこの国の財政は健常化された。孤児の数も今はほぼゼロに近い。つまりは孤児院もいらなくなってしまったのだ。
それを残念なんて思わない。孤児がいないにこしたことはないんだから。
でも……はぁ。明日からどうやって生きていこう。
今からどこかに転職できるだろうか。教員は……この世界にはないか。あとは事務系かな。この世界に事務職なんてあるかは知らないけど、書類作業自体はどこもあるはず。
まさか、殿下の仕事の手伝いがここで活きるとは。人生何が役に立つか分からないものだな。だからといって感謝することは絶対にないけど。むしろ慰謝料を貰いたいくらいだ。
そういえば、今殿下はどうしてるんだろう。あんなでも第一王子なのだから、通常王になってるはずなのに。
まああの調子なら周りの大人がクロードを王に推薦したところで驚きはしないし、むしろ当然とすら思うけど。
そんなことを考えながら箒で地面を掃いていると、突如黒髪の青年が話しかけてきた。
「お久しぶりです、先生」
3年前より背はさらに伸び、彫りも深くなっていたが目の前の美青年は紛れもなくクロードその人であった。
「……クロード。大きく、なったね」
3年もあれば、成長するのは当たり前。なのに、自然と涙が浮かんでくる。
ああ、子供が大人になるという感覚はこんな感じなんだな。
即座にクロードはすぐにハンカチを差し出した。
その気遣いの早さにも成長を感じて、また涙が溢れそうになる。どうにか堪えながら、震える声を精一杯抑えて話し始める。
「また会えて嬉しい、クロード」
「僕もです、先生」
そうして笑い合う二人。それから近況報告も兼ねて軽く雑談をした。
「そうだ、先生。お伝えしなければならないことがあるのでした」
柔らかな微笑みを浮かべるクロード。
「やっと準備が整ったんです。先生を王城へお迎えする準備が」
「王城?」
言葉の意味が分からず聞き返してしまった。
王城。だってそこは10年前に追い出された場所のはずだ。それはクロードも十分承知のはず。いったいどういうことだろう?
「10年前、追い出されてしまったと思うけど……」
思わず懸念を口にすると、クロードは首を横に振った。
「問題ありません。僕が王になったその時に、その件は白紙に戻しましたから」
なるほど。さすが王様。庶民1人の罪状などどうにもできてしまうらしい。
……そんな権力を持ってしまって、暴走してしまわないだろうか。昔からあの子は自分が正しいと思った方に突っ走ってしまう傾向があるから、心配だ。
そんな胸中をよそに、クロードは話を続ける。
「先生の罪状は白紙となりました。ですので、王城に迎え入れる問題は何もありません。もちろん、先生の意志次第ではありますが。よろしければ僕の隣で仕事を手伝ってくれないでしょうか?」
「仕事?」
「はい。実は急激に改革を進めたせいか、事務仕事が山のように積み上がってるのです。僕も手伝ってはいるのですが人手がどうしても足りず……お恥ずかしい話ですが、先生の力をお貸し頂けたらと」
確かに、クロードの政策は前王とは正反対のものばかり。その分片付けなければならない書類も多いだろう。
ちょうど無職になったところだし、それに教え子の頼み事なら断るわけにはいかないな。
「私でよければ、手伝わせて」
「ありがとうございます!」
潤んだ瞳で見つめるクロード。本当に嬉しそう。王城での仕事はそんなに切羽詰まってたんだなぁ。
そうして久しぶりに2人で肩を並べて歩き出す。
ついこの前まで、私の半分くらいの背丈だったのに。今では追い越された上、頭1つ分の差がついちゃってる。男の子の成長は早いなぁ。
そういえば、追放の件は解決したとしてもリカードは納得したのだろうか。1度追い出した相手が戻ってくるなど、彼なら絶対に許さなそうだけど。
「クロード」
「はい」
「リカード様はどうしてるの?私が戻ることに反対してない?」
「ああ」
何かを思い出したような表情を浮かべるクロード。そして、穏やかに微笑みながら続けた。
「問題ないですよ。兄上なら、先週お亡くなりになりましたから」
「え」
亡くなった?リカードが?どうして?事故?病気?いったい何が……
混乱する私の顔を、クロードが心配そうに覗き込む。
「大丈夫ですか、先生?」
「え、ええ。突然のことで、困惑してしまって」
そうだ。この世界は、いやこの世界でも人は亡くなる。どんなに嫌な奴でも、もしくは英雄と呼ばれる人だって例外なく死んでしまうんだ。
そのことを、久しぶりに思い出した。
「何と言っていいのか分からないけど、とりあえずお葬式に参加しないとね」
すごく嫌な奴だったけど、それでも婚約者ではあった人だ。お線香くらいあげないと。
「気遣って頂いて申し訳ないのですけど、葬儀はもう内々に済ませてしまったんです。死亡の報が届いた翌日に」
「報?王城で亡くなられたのではないの?」
「はい。どうやら旅先で乗っていた馬車で事故にあったらしく。何でも急停止用のレバーが壊れていたとかで、崖下に落ちてしまったそうです」
「そう……」
可哀想に。運がなかったとしかいいようがない。せめて、黙祷を捧げよう。
そうやって、私は両手を合わせしばらく祈りを捧げた。
「やっぱり優しいですね、先生は」
「そんなことないよ」
そう。私は利己的な人間なのだ。だってこうして教え子に職を斡旋してもらってるのだから。
クロードの目がスッと細くなる。
「……やっぱり僕が守らないと。どんな手段を用いても、敵を排除してみせる。兄上にやったみたいに」
暗闇を帯びた瞳で、なにやらぼそぼそと呟いている。
「どうしたの?」
「いえ、何でもないです」
「そう?じゃあ、行こうか」
「はい!」
嬉しそうに歩き出すクロード。
「先生」
「何?」
「もし困ったことがあれば、僕に言ってください」
「分かった。頼りにしてるね」
にっこりと微笑むクロード。
「はい!先生の困りことは全て、僕が 解決(ころ) してみせますから!」