作品タイトル不明
航海の夜
ダブルベッドどころか、キングサイズのベッドが部屋にドンっと置いてある。
というより、部屋の八割がベッドとか、構造的欠陥を指摘せざるをえない。
それでも、素材はいいものを使っているようで、布団は軽く、それでいて暖かい。
「これは気持ちいいな。なんの毛皮だ?」
この手触り、つい最近感じたような気がするが、いったいどこだったっけ?
そう考え、俺が答えにたどり着くとほぼ同時に、キャロが答えを教えてくれた。
「フェンリルの毛皮だそうです。昨夜、シーナ三号さんがイチノ様の使うベッドの素材を探していたら、ミリ様が用意してくださりました」
「……フェンリルが悲しそうに遠吠えを上げていたのを、遠くから拝見いたしました」
そういえば、昨日の夜中に犬の遠吠えらしき音が聞こえた気がする。
いろいろと考えすぎて眠れなかった。
なに、その悲しい話。
フェンリルの巨体からしたらこのくらいの大きさの毛皮は、人間にとって十円ハゲ程度かもしれないが、しかし布団のために刈られるというのは哀れだ。
しかし、本当にいい手触りだ。
「ご主人様、フェンリルの毛皮を撫でるのなら、私の尻尾も撫でてください」
ハルがいつも通り無表情に言ったが、その無表情の向こう側に少し恥ずかしそうにしている感情と、少し嫉妬を含んでいる感情が見て取れた。
ハルの感情読み取り検定があれば一級を取れるくらい、彼女の考えていることが尻尾を見なくてもわかるようになってきた。検定料を払うから取得できないだろうか?
そんなバカなことを思いながら、ハルの尻尾を最初、少しだけきつく握った。
「うみゃ」
突然握られたことで、ハルはいままでに上げたことのない声をあげた。
まるで猫みたいだ。
そして、俺はその手を少しだけ緩め、マッサージをするように揉んでいく。
最初の強い刺激で敏感になってしまったらしい彼女の神経は、いつも以上にハルに表情の変化をもたらした。
こっそりニーテが教えてくれたテクだったが、効果は抜群のようだ。
「ご主人様……少し……いつもより……」
「止めようか?」
「ご主人様が望まれるのなら」
こういうときは、「止めないでください」と言ってほしいが、彼女はあくまでも俺を立てるようだ。
駆け引き上手の男だったら、ここで手を緩めて、彼女が名残惜しそうにする表情を心のフィルムに刻み込むのだろうが、残念ながら俺は駆け引き上手でもなければ、彼女の尻尾の感触から一瞬でも離れたくなかった。
とその時だ。
「イチノ様、ハルさんだけでなくキャロの尻尾も撫でてください」
「なに言ってるんだ、キャロの尻尾なんて――」
あるはずがない――そういえなかった。
なぜなら、俺の横にいたキャロの耳にはダックスフントみたいな垂れた犬耳が、そしてやはりふわふわの尻尾が生えていたのだから。
これはいったい――
「魅了変化かっ⁉」
「はい」
いつもは大人の姿に変化していたが、こんな使い方もあったのか。
俺は左手でハルの尻尾を撫でたまま、右手ではキャロの尻尾を撫でた。
やわらかい……なんだ、これ?
感触は犬の尻尾というよりかは、ふわふわの羊の毛に近い。
やばい、いくらでも手が尻尾に吸い付いていく。見た目の感触とも大きく異なる。いったいこれはなんなんだ? そうか、これはあくまでも幻影だから、実際の感触とは違う。逆に言えば、どんな感触でも表現できるのか。
「イ、イチノ様、そんなに揉まれたら……キャロはおかしくなりそうです」
さて、俺はいったい、本当はどこを揉んでいるのだろうか?
少し不安になりながらも、俺の両手の指は止まらない。
尻尾だけでなく、ふたりの獣耳もそれぞれ堪能させてもらった。
とはいえ、永遠という時間は存在しないらしく、
「それでは、次は私たちが――」
「キャロたちがイチノ様のマッサージを担当します」
攻守交替となった。
俺には当然尻尾はないので――
「なにこれ、新しい性癖に目覚めそう」
ふたりの美少女にそれぞれ両耳を揉まれるという新しい体験。
耳掃除はしてもらったことはあるが、耳のマッサージは初めてだ。
というか、日本人で初めて耳のマッサージを受けているといっても過言ではないのではなかろうか?
「ミリさんから伺いました。耳のマッサージは自律神経を整え、不調や倦怠感に効果があるそうで、リラックス効果もとても高い。イチノ様の生まれた世界でも比較的よく行われるマッサージだそうですね」
キャロがミリからの受け売りを俺に語って聞かせてくれた。
日本人初は過言だった。過ぎた言葉で、恥ずかしくなる。
「なるほど、ご主人様が先ほど私たちの耳を重点的にマッサージしてくださったのは、私たちをリラックスさせてくださるためだったのですね」
ハルが納得したが、全然違う。
そんな効果、初めて聞いた。
しかし、確かに耳をマッサージされるというのは気持ちいいものだ。
このままゆっくり眠ってしまいたくなる。
そう思ったとき――
「はうっ」
俺は思わず声を上げた。
キャロが右耳を甘噛みしてきた。
「ほあ、はうはーほ」
ほら、ハルさんもと言ったのだろう、
「失礼します、ご主人様」
ハルが俺の耳を軽く噛んだ。
キャロのやつ、俺が寝そうになったのを見計らってこんなこと。
あぁ、そういうことか。
「 沈黙の部屋(サイレントルーム) 」
俺は防音の魔法を唱えた。
さて、本番はこれからだ。
※※※
スタミナヒールですっかり元気な状態になった俺は、甲板に出た。
外はすっかり夜になっていて、暗視スキルがなかったら怖くて歩けない。
「ゆうべはおたのしみのようで」
ミリがそう言って声をかけてきた。夜はまだ明けていないので、 昨夜(ゆうべ) という表現はおかしい気がするが、しかしそんなことを言える雰囲気ではなかった。
どこか感情を押し殺した声で、少し怖い。
「なにをいっているんだただきゅうけいしていただけだぞ?」
動揺が隠し切れず、かなり棒読みになってしまった
落ち着け俺。
証拠はなにも残っていない。
浄化(クリーン) の魔法は完璧だ。使いすぎていまでは、一回の魔法で部屋全体を証拠隠滅――もとい綺麗にすることができる。
いくらニーテとミリに誘導されたからと言って、こんな状態でなにしてるんだ? って言われたくないからな
「晩御飯の準備ができたからニーテが呼びにいったのに、誰ひとり反応しなかったって聞いたけど? まるで完全防音の部屋にいたみたいに」
「……あぁ、すっかり寝入ってしまっていて気付かなかったようだ」
部屋にカギをかけておいて本当によかった。
「まぁ、疲れは取れたみたいね――って、おにい、なにしてるのよっ!」
「なにって、耳のマッサージ。お前がキャロに教えてあげたんだろ?」
俺はミリの後ろに回り、両耳をマッサージすることにした。
「ちょっと……さすがに兄妹は……ダメなんだよ?」
なにを言ってるんだ? こいつは?
昔は耳掃除だってしてあげたことがあったのに、耳のマッサージがダメとか意味がわからない。
「ほら、リラックスしろ。お前だって疲れてるんだろ? スタミナヒールっと」
体力を回復させる魔法をかけつつ、ミリの耳のマッサージは続けることにした。
小さい耳だが、しかし子供だった頃に比べたら少しは大きくなっている気がする。
そういえば、ミリの耳掃除なんて、もう長いことしていないな。
「耳掃除、長いことしてもらってないね」
「さすがに揺れる船の上でできないぞ」
「わかってるよ。してもらいたいって言ってないし」
ミリはそう言うと、
「おにい、そこに正座っ!」
「はいっ!」
急に大声で言われ、俺は条件反射のように正座をしてしまった。
すると、ミリはその俺の膝を枕に横になった。
「耳掃除はしなくてもいいけど、膝枕なら別にいいでしょ」
「……でも、なんで?」
「これが兄妹の限界よ。おにい、私の前世の日本でのこと、話したっけ?」
「ええと、お前がかぐや姫の元になったって話か?」
「うん、竹取物語はあくまで私だったかぐやの話を元にした創作で、そもそもかぐやに関する正しい記憶はかぐやがアザワルドに転移した時点で消失してるんだけどね」
それでもわずかに残っていた記憶や記録から創作されたのが竹取物語だとミリは語った。
「それでも、いくつか真実があったの」
「まぁ、かぐやって名前も残ってるくらいだしな」
「そう。ひとつは私が絶世の美女で人々から愛されていたってところ」
それはボケなのだろうか? それとも本気なのだろうか?
触らぬ神に祟りなし、触れないでおこう。
「ひとつは、カグヤが帝と共になったというところ」
そう言えば、前世のファミリス・ラリテイは生娘じゃなかったって聞いたことがあるな。妹が兄より千年以上も前に大人の階段を上っていたというのは少しショックだ。
「あ、勘違いしないでよ。カグヤと帝はプラトニックな関係だったんだから。まだキスさえしてなかったのよ?」
「え? そうなのか?」
「うん。私って巫女としての力が強かったでしょ? でも、巫女って処女じゃないと力が出ないの。だから、私が巫女でいる間はそういうことはなにも、ていうかキスもしてないし。こっちの世界に来てからも千年以上そういう相手は現れなかったわ」
「……じゃあ生娘じゃないってのは?」
「私がそう女神に言ったの。自分の心さえも偽って。一種のプライドね」
男が「童貞じゃないやい」って言うようなものか。
ミリにもそんな時代があったのか。
「でも、なんでそんな話をいまするんだ?」
「カグヤはアザワルドに飛んでもずっと、帝を思い続けていたの。そのために地球に戻る研究を進め、魔神に関する手がかりを見つけ、そして……勇者たちと取引をした」
魔神の力を使って、記憶を残したまま帝の側に転生したいって。
「恋心は二年でなくなるなんて嘘ね。千年以上経っても私は帝のことが好きだった。私を簡単にあきらめて陰陽師に差し出すような帝なのにね。その時から、勇者とメティアスは手を組んでいたの。もっとも、その力は封印されていたようで、姿は見せなかったけど。で、ダイジロウは知っていた。記憶を保持したまま日本に転生する方法を。袖触れ合うも他生の縁――前世で結婚の契りを結んでいた私なら、確実に帝の側に転生はできるだろうと。ただ、どのような形で出会えるかはわからない。もしかしたら帝は女性に生まれ変わっているかもしれないし、老い先短いお爺さんかもしれない。そもそも、帝は綺麗に私のことを忘れているのは確実。それでも、私は帝の側に行きたかった。だから、勇者に教えたの……女神像から魔物を生み出す方法を」
「――っ⁉」
ファミリス・ラリテイは、瘴気が女神像を通って地脈に流れ、浄化された力が地球に戻るという一連のエネルギーの流れについて研究をしていたらしい。
その研究の一部が、シーナ三号が管理していた人工迷宮なのだと語った。
あの場所は無人島にしては瘴気が多く、だれにも迷惑をかけずに研究をするには最適だったそうだ。
「あそこでは結構ひどい実験もしてたのよ。例えば、人工迷宮に集めた瘴気を凝縮してから浄化したら、エネルギー爆発が起こって地球に戻ることができるんじゃないかってね。その実験は見事に失敗し、近くにいた海竜に瘴気が憑依しちゃって、レヴィアタンという化け物に作り替えちゃったこともあったの」
レヴィアタンが、ミリの――いや、ファミリスの実験の失敗作だったのか。
瘴気に浸食されたテト様を見て、ミリが「ひどいことになってるわね」と言ったとき、ライブラ様が「あなた、かつて自分がしたことを忘れたの?」とひどい口調で窘めたことがあった。
それはつまり、テト様のように海竜を化け物に作り替えてしまったことを言っていたのか。
「話が逸れたね。元に戻すけど、勇者は言っていた。平和になった世界で、復興のために、魔石の力が必要だと。女神像から魔物を生み出し、それを退治することで魔石を生み出し、それをエネルギーにしたいと。だから私は教えた」
そして、ファミリス・ラリテイは殺され、楠ミリとして新たな生を受けることになった。前世の記憶を残したまま。
それが、魔神となったメティアスの力によるものだと知らずに。
「ダキャットで魔物が大量発生したと聞いたとき、私はてっきり魔王城に隠した研究の資料を発見した誰かが悪用しているのだと思った。処分するように命じたはずだけど、もしかしたらその部下が持ち出したのかもしれないと。でも、違った。ダイジロウが教えてくれたの」
「ダイジロウさんは全部知っていたのか?」
「まぁ、そうでしょうね。あいつも私と同じで日本に戻ることが目的だったから。ただ、決定的に違うのは、ダイジロウはこの世界を滅ぼすまではしたくないの。そのせいで、勇者とは決別したみたい。といっても、勇者を止めるつもりなんて全然なくて、勇者の力によって魔神が復活し、活動を始めたどさくさに紛れて日本に転移するつもりみたい。そのために、あいつもいろいろと裏で動いていたそうよ」
「そのダイジロウさんは東大陸に向かってなにをしてるんだ?」
「おにぃは、サラマンダーを復活させて、それをセトランスに捧げたでしょ? それと同じように、東大陸に封印されているウィンディーネを復活させて、ライブラの力にするみたい。このまま女神が押され続けたらさすがにヤバイことに気付いているから」
同じく、西大陸に封印されているノームの力をコショマーレ様が、北大陸に封印されているシルフの力をトレールール様が、それぞれ自分のものにしようと動いている。
メティアスたちが残り三柱の魔神をそろえるまでが勝負なのだそうだ。
「話は逸れたけど、そういうことなの。私には今回の事件を止める責任がある。私がこっちの世界に来たのも、おにいのためというより、自分の責任を果たすためなんだから」
それは嘘だと思った。
ミリは、こっちの世界に来るまで自分が勇者に渡した情報がどう使われているかなんて知るはずもなかった。
俺のためにこっちの世界に来たのは明白なのに、優しい嘘を吐く妹だ。
「だから、もしも失敗して私が女神になったとしてもおにいは責任を感じることはないって言いたかったの。というより、たぶん私は女神になると思うから、先に言っておこうかなって思って」
「多分女神になるって、そんなこと言うなよ」
俺が失敗する可能性が高いみたいじゃないか。
しかし、これもミリなりの心遣いなのだろう。
そういえば、肝心の話を聞くことができなかった。
「ミリ、お前は帝の生まれ変わりに会うことができたのか?」
「そんなのわかるわけないよ。人間の前世なんて簡単に調べられるはずがないし、そもそも生まれ変わっちゃったらなんかどうでもよくなったし」
「そういうものなのか?」
「そういうこと――本当になんのために生まれ変わったのかって感じよね」
ミリはそう言って、俺の膝の皿の部分をぐりぐりと押した。
地味に痛い。
「全部終わったら、耳掃除をしてよね」
「耳掃除だったら、陸地に上がってからでも――」
「バカにい。そういう楽しみがあったら女の子は頑張れるって言ってるのがわかんない?」
ミリは反動をつけて起き上がりながらそう言った。
俺の耳掃除をそんなに楽しみにしている理由はわからないが、言っていることはわかる。
「そうだな。全部終わったらみんなでウナギを食べたりバーベキューをしような」
「……うん」
ミリはそう言って空を見上げた。
俺も釣られてみると、文字通り月並みな表現ではあるが、大きく欠けた月が笑っているように見えたのだった。