作品タイトル不明
じっくり楽しませてもらおうか
「で、ニーテはキャロが調べた夜景の綺麗なホテルに連泊することになったのか」
「おう、せっかくのバカンスだからな」
醤油作りの礼金はさほどではないが、麹黴の売値がかなりのものになったらしい。
日本麹黴はそもそもこっちの世界には存在するかどうかもわからない菌だ――高値になるのも致し方ない。
お金を断ろうとしたのだが、逆にお金を受け取ったほうが後腐れがなくなるから貰っておいたほうがいいと鈴木が口添えしてきた。
むしろ無償で済ませたら、今後、この麹黴を増やす仕事をするもやし屋の利益を奪うことになりかねないと。
そのため、ニーテはそのお金を使ってバカンスを楽しむということになった。
ピオニアの許可は貰っている。
「ピオニア姉さんには悪いが、贅沢な場所に泊らせてもらうよ。マスターにも予備の鍵を渡しておこうか? 凄いんだぜ、ワンフロア貸し切りで、ゲストルームまであるんだ」
「いらねぇよ」
わざわざ鍵を取りに行くのも返しに行くのも面倒だ。
そう言ったのに、予め用意していたらしく、「鍵はラナに渡せばいいだろ」と言って俺に鍵を押し付けてきた。
ちらりと見ると、キャロが期待の眼差しで俺を見ている。
なるほど、キャロが促したのか。
「……わかった。まぁ、夜に時間があれば遊びに行くよ。ホテルのルームサービスも気になるしな」
「そういえば、教えたのは醤油だけで、日本酒の造り方は教えなかったんだよな? なんでだ?」
「んー、ちょっと国の制度とか環境とか気になることがあってな。杞憂かもしれないが、胸糞わりぃオチになりかねないからな。あたしなりに調べてから教えることにするよ」
制度と環境?
よくわからないけれど、面倒だとかそういう理由ではなく、ニーテなりに考えているのならいいか。きっと、こっちの世界の米が日本酒造りに適さないとか、そういう理由だろう。
ちなみに、本来醤油作りは半年以上かかるそうなのだが、さすがは異世界。
熟成を促すスキルが存在するらしい。マイワールドのように植物が一瞬で育ったり一瞬で発酵したり――というわけにはいかないが、それでも一週間くらいで醤油ができるらしく、鈴木もいまから楽しみにしているそうだ。
そして、鈴木が醤油を楽しみにしているのと同じように、ハルもまた楽しみにしていた。
ハルが着ている浴衣はまだ尻尾穴が開いていないので、彼女の浴衣の下で大きく尻尾が揺れていた。
「……ハル、楽しみなのはわかるが、尻尾を自制する訓練を忘れるなよ」
「――っ! 申し訳ありません」
ハルはどうやら尻尾が揺れていたことに気付いていなかったらしい。
尻尾にぐぐぐと力が入っているのがわかる。小刻みに震えていた。
尻尾の制御は思っているより大変そうだ。
俺たちはアザワルド街を通り抜け、魔法街に辿り着いた。
魔法街というだけあって、俺の中では魔道具が大量に揃っている謎の都市を予想していたのだが、全然違った。
どちらかといえば、工場街に近い。
円柱の煙突から出る煙を見ているだけで気分が悪くなりそうだ。
「魔法街は、魔道具等を生産している工房が多く立ち並ぶ区画ですね」
キャロが煙突を見上げてそう言った。
そういえば、観光に適した場所は日本人街だけだって言ってたな。
「ここはあまり観光向けではないな」
「観光できるとするなら、展望塔だけですね。あそこにある塔は最上階がレストランになっていて、町を一望できるそうです」
キャロが指さした方向には、普通の電波塔くらいの高さの塔があった。高さ三十メートルくらいだろうか?
「登るのが大変そうだな」
高いところからの景色は綺麗だろうけれど、俺は鷹の目のスキルがあり、三十メートルどころか数百メートル上空から地上を見下ろすことができるので魅力はあまり感じない。
「えれべーたーという乗り物があるから、自動的に昇れるそうです」
「エレベーターがあるのかっ!?」
飛空艇があるから不思議ではないが、しかしそんなものがあるのか?
「はい――水力エレベーターといって、地下水の流れを動力にしているようです。魔法街の施設には、他にも地下水の流れを動力に利用している設備がいろいろとあるそうです」
水力発電のようなものだろうか?
ハルをちらりと見て、
「まぁ、展望塔は逃げはしないし、今日は予定通り迷宮探索にするか」
と彼女との用事を優先させることにした。
ただでさえニーテを待つのに時間がかかっているからな。
「キャロ、迷宮はどこにあるんだ?」
「はい、あの展望塔の地下です」
「……あ、うん。じゃあ、迷宮攻略が終わったら展望塔も見てみるか」
「「はい」」
ハルとキャロはふたりで頷いた。
展望塔には二つの入り口があり、右側の入り口に向かった。
扉の前には見張りらしき男がいたけれど、ハルが冒険者ギルドの登録書を見せると、俺たちはすんなり中に入ることができた。
「もっと審査とか厳しくしなくていいのだろうか?」
俺はそう思って振り返る。入口の扉は既に閉じられているので、男の姿は見ることができないが。
「迷宮に入るための審査なんてどこでもあの程度ですよ。犯罪者が迷宮に入り込まないための見張りのようなものですから」
「フロアランスの迷宮には犯罪者が入り込んでいたけどな」
「小さい町なら、一日中見張りが立っているほうが稀ですからね」
ハルが言った。俺もノルンさんたちの仕事が雑だったとかそういう意図で言ったのではない。
「どちらかといえば、許可なく迷宮の中から魔物を連れ出したりするのを防ぐための見張りですからね」
ハルの言葉を継ぐようにキャロが言った。
あぁ、確かにそれは重要だよな。
後は魔物が溢れ出ないようにとかそういう意味もあるのだろうか?
俺はダキャットでの出来事を思い出して身震いした。
大量に現れた魔物の群れ。
あの時はキャロのスキルのおかげで、むしろボーナスステージだった。レベルが大量に上がった。
だが、もしもキャロがいなかったら、もしも夜ではなかったらと考えると、今考えるだけでも恐ろしい。
俺たちは果たして、フェルイトを守ることができただろうか?
いや、無理だ。
今の俺でも無理だろう。
「でも、これからの俺が無理じゃない理由にはならないか」
「ご主人様?」
俺の独り言に、キャロが僅かに怪訝な表情を浮かべた。
「いや、こっちの話だ」
さて、久しぶりに時間制限のない迷宮探索だ。
じっくり楽しませてもらおうか。