軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

八目

「どうした、もう終わりか?」

スイボクは試合場に陣取って、向かってくる兵士たちを片っ端から切り殺していった。

城の兵士が全員集まり、そのまま殺害されて地面に転がっているようだった。

まさに死体の山が出来上がっている。

「もうお前の命令を聞く輩はいないのか?」

「ぬぬぬぬ!」

観客だった貴族たちは、当然ながらもう逃げ出したかった。

しかし他でもない皇帝が、それを止めていた。

皇帝自身も逃げずに、ある意味での陣頭指揮を執っていたので、公正で公平といえばまあそうかもしれない。

ただその指示が『城の兵士を全員集めて、あの男を殺せ』という無体なものであり、スイボクはスイボクでそこを一歩も動かずに迎撃していたので、本当に哀れな死にざまを兵士たちは晒すことになっていた。

それを見続ける羽目になった貴族たちも不運と言えば不運だが、兵士たちが一番不幸であることは疑いがない。

「おい、まだいるはずだ! なぜこの皇帝の命令に従わない!」

確かに、まだ兵士はいるかもしれない。

しかし命令を伝達する兵士さえもスイボクにけしかけてしまったため、この状況を把握していない者も多いのだろう。

加えて、この状況を把握しているからこそ、一目散に逃げ出しているということもあった。

誰だって、こんな怪物に挑みたくはないものである。

「さあどうした、大帝国の大皇帝! 俺をうんざりさせるほどに、民を喜ばせてみろ!」

スイボクが指摘しているように、皇帝にとって自分の命令に従う者がいない、というのは最大の屈辱である。

誰かが失敗してもそれはそいつが悪いと思うだけだが、命令する相手が残っていないのは自分の敗北だからだ。

彼にとって『偉い』というのは、従えている人間の数に依存している。とても客観的で数値として表せるだけに、彼はどんどん偉くなくなっていった。

それを認められないからこそ、彼はさらなる暴挙に出る。

「貴様の目は節穴か?! 臣民ならば、ここにもいるであろうが!」

ひい、と声にならない悲鳴を貴族たちは上げかけていた。

皇帝の言葉が、自分たちに向くのだと察してしまっていたからだ。

これだけの兵士を相手に大立ち回りをしたスイボクに、男女を問わず貴族をぶつけるつもりだったのである。

特権階級の人間であることを自負している貴族でも、殺し合いという野蛮な枠組みでは下人にも劣るという理解はあった。

スイボクに挑めば死体の山の一部になるしかなく、皇帝の命令に背けば一族郎党皆殺しである。

まさに前門の虎後門の狼。

「ほほう! それはいい! どんどん喜ばせてやれ!」

皇帝も無茶だったが、スイボクも無茶だった。

いっそ皇帝に斬りかかってくれればよかったのだが、なぜかそうしようとしていない。

ある意味では皇帝を図に乗らせており、彼に危機感を抱かせていなかった。

皇帝も最強の剣士も、突き詰めれば意地っ張りの負けず嫌いであった。

もはやこの試合会場は、二人の暴君が如何に無茶であるかを競う試合会場となっている。

巻き込まれた他の面々は、暴君同士の火花を散らすように、はかなく命を散らせてしまっていた。

「……まさか、こんなことになるとは」

一番愕然としていたのは、他でもないサンキャであろう。

この状態を誰よりも把握していただけに、彼は責任感を覚えていた。

命の価値がどうこうではない。仮にも文官の頂点として、国家を運営してきたのだ。

その中枢であるこの城で、大いに混乱が起きれば悲しくもなる。

なぜこうなったのか、何もかも把握していたにも関わらずこうなってしまったのだ。

それで何も感じないようなら、先代皇帝を殺したときに、既に自決しているだろう。

「……仕方がないか」

最善を尽くしたとは思っているが、それでも失われたものが多すぎる。

今にして思えば、もっと他のやり方があったかもしれないが、それは言い訳でしかない。

毒が通じない相手に自分が何かをできるとは思えないが、少なくとも責任者ではある。

最初に死ぬのが正しい責任の取り方とは思えないが、この状況で皇帝が爆発するのなら、それに殉じるのが帝国の臣民としての振る舞いだろう。

サンキャは諦めながら、転がっていた槍を手にする。

多くの死体を踏み越えながら、スイボクの背後に迫っていた。

「おお! サンキャ! 我が忠臣よ!」

その姿を見て、皇帝は大いに喜んでいた。

彼の中では、サンキャこそ最高の殺し屋であり、彼が殺せない相手などいないと思えていた。

なにせ先代皇帝を殺せたのである、目の前の浮浪者ごとき殺せないわけがない。

実際には、既に試みて失敗しているのだが、そんなことは知らされていないので仕方がない。

「とっとと、その愚か者を殺せ! 殺してしまえ! お前の毒なら、苦しめて殺せるはずだ!」

貴族たちは、期待を込めて毒臣を見る。

どうか目の前の怪物を殺し、自分たちを救ってくれと願っていた。

「御意」

短い返答は、彼が忠臣であることを証明していた。

できるかどうかはともかく、命を賭して試みる。

サンキャは生まれて初めて槍を持ち、その手で突き込もうとした。

「ぬ?」

新兵以下の突き込みに対して、スイボクはあっさりと回避していた。

自棄になっているサンキャは何度も突き込もうとするが、スイボクは反撃をしようとしない。

それははたから見れば、サンキャがスイボクを追い込んでいるようだった。

「サンキャ」

「皇帝陛下のご命令だ、お前を殺す」

「そうか、命令か」

暴君だからこそ、口から出た言葉を引っ込めることができない。

スイボクも同様であり、自分がサンキャを殺さないと言った以上は、殺す気はなかった。

というよりも、スイボクはこうなると分かり切っていたので、その上での発言だった。

「お前が己の意思で俺を殺そうとするのなら、殺さない程度に痛めつけるが……命令なら、従わせるのは癪だな」

皇帝の思うとおりにしたくない。

スイボクは悪戯っぽく、というには邪に見える笑みを浮かべた。

「サンキャ」

「なんだ」

「お前の顔を立ててやる」

腹部に、崩拳。

一瞬で呼吸を封じられたサンキャは崩れ落ちるが、その体をスイボクは支えていた。

「皇帝よ、よく覚えておけ」

スイボクは死体の山に埋まっていた火尖鎗と火鼠の衣を回収しつつ、自分を見下ろしている皇帝を挑発する。

「俺はこれからひと月かけて、この国を滅ぼす。お前の治める縄張りを根こそぎにし、臣民を皆殺しにする」

如何に最強の剣士とは言え、絶対に不可能であろうことを、スイボクが戦うところを見ても信じることができない言葉を発していた。

「お前に平伏する者が全員俺の敵だというのなら、お前に平伏するものは一人として生かしておかん。城も街も田畑も山も川も、この国のすべてがお前の物だというのならすべてを壊して見せよう」

国破れて山河在りならぬ、国も山も河も無しである。

肥大した誇大妄想めいた言葉に、誰もが呆れさえしていた。

「俺は最強の剣士だ」

今更のように、この場の誰もが知っていることを、再度口にする。

「最強とはな、殺すと決めた相手を殺し損ねることがないのだ!」

そう言い残すと、サンキャを抱えたままふわりと浮かび上がった。

空を飛べる人間、というのはいないわけではない。しかしまさか、この剣士もそれを備えているとは。

驚愕しつつも、その場の誰もが見送るしかなかった。

「待て、貴様! 逃げるのか!」

「ぬ」

「この私にここまでの恥をかかせておいて、逃げられるとでも思っているのか!」

否、皇帝だけはそれを認めない。

相手が退いてくれたと考えず、逃げたと思っている彼は未だに挑発をする。

スイボクが言ったことが単なる冗談だったとしても、この場にいる人間を殺せるだけの力を持っていることは、一切誇張でもなんでもないのだから。

「ほう?」

スイボクが意味ありげに笑った。

「つまりはアレか、この場の全員をけしかけて、俺を殺させようとするつもりか? なるほど、それは喜ぶだろうな」

「当然だ! 私の配下は、まだまだいる! こんなものではないぞ!」

「そうかそうか……喜ばせてやろうか」

サンキャに関しては自分で殺さないといったのでその限りではないが、他の者に関しては話が違う。

脅されて、命令されて、だから仕方がないという理屈はスイボクに通じない。

向かってくれば、強かろうが弱かろうが皆殺しである。

「しかしだ、俺は俺で術の準備がある。他の者には、別の仕事をしてもらうとしよう」

「皇帝の命令よりも大事な仕事があるものか!」

「お前の命だ」

皇帝は元々観客席の中でも特に高い椅子に座っており、スイボクはたかく浮き上がっていた。

丁度、スイボクと皇帝の視線は同じ高さになっている。つまり、縮地の射程に入っているということだった。

「牽牛」

「え?」

豪華な椅子に座っていたはずの皇帝は、宙に浮かんでいるスイボクの目の前に移動していた。

そして特に魔法に優れているわけでもない皇帝は、重力に逆らえず落下する。

「う、うぐぅあああああ!」

落下。

それは生物にとって、根源的な恐怖である。

よほど軽い小動物ならその限りではないが、人間がある程度の高さから落ちれば死ぬこともある。

「が、ああああ!」

しかし、そこまでの大事には至らなかった。

皇帝が落下した先には、皇帝の命令に忠実だった兵士たちの死体が重なっている。

もちろん鎧などを着ているのである程度は固いのだが、積み重なっている死体が高さを殺していたため地面に直接落ちるよりはましだった。

だがそれは、皇帝にとってはとんでもないことだった。

なにせ凡俗とは懸絶しているはずの己が、こともあろうに苦痛を感じているのだから。

青年男性ならある程度我慢できるはずの苦痛も、彼にとっては許容できない痛みであった。

「ぬ、ぬ、ぬあああああ!」

それだけではない。

彼の着ている服が、彼自身の体が、死体の汚れでまみれている。

死体となっても皇帝を守った兵士たちの『中身』で、彼の体は染まっていたのだ。

狂気に落ちたのではないかと言わんばかりに、偉大なる皇帝は叫びをあげていた。

「どうしたお前たち、偉大なる皇帝が困っているぞ。大喜びで助けるべきではないか?」

しばしの空白を置いて、貴族たちは飛び出していた。

「皇帝陛下、大丈夫ですか?!」

「ああ、なんといたわしい!」

「私めの肩をお貸ししましょう!」

「無作法をお許しあれ!」

「医務室へご案内いたしましょう!」

誰も彼もが、死体で汚れながらも 大喜び(・・・) で皇帝の元へ向かっていく。

スイボクが口にしたように、皇帝の命令に勝るものがあるとすれば、皇帝自身の命に他ならない。

サンキャが前に出たこともあって、皇帝はまだ貴族へ戦うように命令を下していない。

であれば、皇帝を助けるという名目のもとに、スイボクへ立ち向かわずに済むのだ。

まさに大義名分を得た貴族たちは、スイボクへ見当違いな感謝さえしつつ、皇帝を抱えて逃げ出していた。

「さて、これでお前も安心して俺とついてこれるな」

「ぐ……」

スイボクはサンキャに火鼠の衣をかぶせると、窓から城を出て、上空へと飛んでいく。

抱えられているサンキャは、呼吸ができない苦しみから解放されつつも、しかし他人事のような光景に息を呑んでいた。

「お前は……」

「ぬ」

「お前は」

なんとか呼吸を取り戻しつつあるサンキャは、自分の心境を素直に伝えていた。

「お前が、ここまで強いとは思っていなかった」

「ははははは!」

畏怖を込めた、深い後悔の言葉だった。

しかしそれを聞くと、スイボクは大いに喜んで笑っていた。

「そうだろうそうだろう、俺は強い、俺は最強だ!」

スイボクが求めている、最強であることへの畏怖と称賛。

それをサンキャが心の底から口に出したことで、スイボクはこの上なく上機嫌になっていた。

「この俺の神の如き御業、天地を操る仙術の秘奥をとくとみるがいい!」

上機嫌になっても、国は滅ぼす。

上機嫌のままに、国を滅ぼす。

まさに神の如き人間だった。

「集気法! 山彦の術!」

そのスイボクが、エッケザックスを使って術を発動させる。

自らが最強であるということを認められたことによって、エッケザックスの効果は跳ね上がっていた。

眼下に見下ろす広大な帝国の領土に、その隅々にまで己の声を届ける。

「聞くがいい、帝国の臣民よ! 俺はエッケザックスの主にして、天に千年地に千年業を積んだ仙人、スイボクである!」

仙術による広報は、歪みようもなく万民に届いていった。

「この国の皇帝は、この俺を敵とした! この国を統べる皇帝が敵である以上、この国のすべてが俺の敵である!」

皇帝の居城で何があったのかを知る由もない彼らは、唐突に響き渡る何者かの声に混乱していた。

「命が惜しくば、七日の内にこの国を去るがいい! この国が惜しくば、皇帝を討ち城の頂上に掲げよ! さもなくば、皇帝と喜びのままに供をせよ!」

とても単純な理屈として、スイボクは大帝国だろうと集落だろうと、群れとして認識している。

規模が大きかろうが小さかろうが、ただ人間が縄張りの中で暮らしているとしか思っていない。

群れの主が群れ全体の敵味方を決めることを当然だと思っている一方で、群れの主の判断を群れ全体が尊重しているのだと疑わない。

そうでないのなら、群れの主などとっくに殺されているはずだからだ。

スイボクはサンキャが前皇帝を毒殺したことを、一切悪だと思っていなかった。

たとえどんな理由であれ、殺されるほうが悪い、殺されるのだから弱い、不注意だったとしか考えない。

だからこそ同様に、現皇帝が殺されていないことを、この国の総意だと思っている。

呪術によって制約を施されているわけでもないのに、問題のある男を主にし続けている。

それは消極的な賛成であり、委任に他ならない。

皇帝が勝手なことを言ったけれども、自分たちはそんなことを考えてなどいない、という理屈は通じないのである。

だが一応は、警告をする。それを国民がどう思うのかはわからないが、逃げるか殺すか殉じるか選べと言ったのだ。

「さて」

言うだけ言ったスイボクは、火鼠の衣をかぶせているサンキャを宙に放り出した。

外功法、投山。重力から解き放たれているサンキャは、戸惑いながらも体勢を整えようとする。

「ぬぬぬ」

火尖鎗とエッケザックスを手にしたスイボクは、それを手にすると異教の神のような姿勢で集中を始めた。

さあ何が起きるのかと身構えていたサンキャだが、実際にはなにも起こらなかった。

「人質、ではないのだろうが……」

浮かされているサンキャは、いきなり何もできない状況にされていた。

殺さないでやる、という言葉を実践しているであろうスイボクは姿勢を止めているし、己は文字通り地に足がつかない状態になっている。

一応いくつかの毒薬は持っているが、当たってもなんの効果もないと察しはつく。

彼にできることと言えば、眼下に広がる広大な帝国の領土を見ることだけだった。

当然ながら、彼がよく知る帝国の地図とよく似ている。

下界を高所から見下ろし、己の視界にすべて収めていると、ほんの少しだが自分が偉大になったのだと勘違いをしそうになる。

実際には、身動きさえできていないのだが。

「これを、人間がどうにかできるのか?」

歴代の皇帝が広げ、治めてきた広大にして強大なる帝国。

それを最強の剣を持っているだけの、最強の剣士がどうにかできるのだろうか。

「できるのならば、それは……確かに神だが……」

サンキャにはわからない。

仮にスイボクにそんなことができるのであれば、なぜわざわざ剣士などやっているのだろうか。

国家をどうにかできる術を持つのなら、最初からそうすればいいだけの話ではないだろうか。

「神が、なぜ剣など手に取っている?」

彼が思い出すのは、先代の皇帝である。

皇帝であるにもかかわらず剣を手にしていたが、それはそれで意味があった。

皇帝という立場でありながら、前線で剣を振るう。

それは兵士たちからの信頼を集め、その家族から信頼を集め、結果として民衆から広く支持されていた。

つまりは人気取りのため、帝国をよりよく治めるために剣士として鍛えていたのである。

だが単独で国家を脅かせる神が、なぜ剣を手にしているのか。

それはさっぱりわからないことであり、説明ができないことだった。

帝国全体に山彦の術が伝播してから、七日が経過していた。

その間スイボクは不遜にも城の上空で浮遊し、瞑想のような状態を保っていた。

死んでいるのかと疑うほどに静かで、眠っているように呼吸は穏やかで、目を閉じたままひたすら集中を維持している。

空腹感こそあるものの飢餓感には至らないサンキャは、当初声をかけても反応しないスイボクを見ることなく、半端になっていた仕事のことを思い出していた。

下界を見下ろせば己が管理している人の土地が見え、どの場所でどのような問題を抱えていたのかが頭をよぎるのだ。

自分は死ぬのだろうが、仕事は残る。だとすればせめて、効率よく仕事をしてほしい。

そんなことを考えていたのだが、暗雲が漂い始めていた。

「馬鹿な……天候を操る力はエッケザックスにはない、それはヴァジュラのはずだ」

エッケザックスで仙術を増幅させていたスイボクは、ようやく周囲を支配下に置いていた。

重力操作の延長で気圧を操り、大気中の水分の密度さえも調整して、雨雲を構築し維持する。

それは広範囲を感知し掌握できる仙人の御業であり、本来なら数百年修行した上で準備に数か月を要する。

七日で準備を終えてしまえるのは、他でもないスイボクとエッケザックスのなせる業であろう。

「まずい……!」

空に浮かんでいるサンキャだが、既に視界は雲海によって閉ざされていた。

上空から見下ろしているだけに、先日まで視界で帝国を見ていただけに、地平線と水平線の彼方まで覆いかぶさっている『雲平線』には恐怖しか感じられない。

内政官の頂点に立つ彼は、天候の災害が地形に対してどれだけの変化を与えるのか、資料などでよく知っている。

「まずい、まずい!」

もしも天候を意のままに操ることができ、加えて国土の簒奪ではなく国家の滅亡を目標に掲げているのなら、それは本人が最強の剣士であることと何の関係性もなく脅威である。

強敵だとか大敵だとか、何が何でも倒さねばならぬ不俱戴天の仇どころの騒ぎではない。文字通りの脅威であり、抵抗や対策の余地を一切残さないものだ。

今も宙に浮かび奇怪な姿勢のまま浮いているスイボクから、人間の感じられぬわけのわからぬ力が発され、それによって天候そのものが明確な兵器として運用されているのだと察するほかない。

「ふぅ」

太陽の光を反射している雲は、上空から見ればただ白いだけだ。

しかし地表への光を一切遮っているのであれば、地上からはただの暗雲としか認識できまい。

突如として国家を覆いつくしたその雲も、予め天気を知る術を持たず、各地と情報を共有する術もないこの帝国では普通の天気としか思われない。

仮に警戒されるとしても、それは普通の嵐としてである。いや、警戒したところでどうにかなる領域ではない。

「天動法、昼消天蓋。これにて大嵐の準備はできたな」

「スイボクよ、これは……これはお前の術なのか?!」

「そうだ。一週間かかったが……これでようやくこの国を滅ぼせる」

サンキャは背筋が凍った。

上空にあっても、火鼠の衣によって不快感は一切なかった。

生への執着が薄かったがゆえに、何もできぬまま七日も浮き続けて発狂することもなかった。

だがしかし、スイボクがこれからやろうとしていることには恐怖を感じる。

「お前は、本気で陛下の臣民を、帝国の領地を滅ぼすのか?!」

「当たり前だ」

「陛下の臣民というだけで、陛下の治める土地というだけで?!」

「どうだ凄いだろう」

絶句だった。

領地が欲しいからではなく、名声が欲しいからでもなく、ただ敵を殺すためだけにこの規模の術を発揮する。

しかも、なんの躊躇や罪悪感もなく。

サンキャは自分が毒臣と呼ばれていることや、周囲から人間離れした冷血非道の男とさげすまれていることを知っている。

しかしそのサンキャをして、スイボクの暴挙暴走爆発は理解の他だった。

『これが我が主! 世界最強の剣士であるスイボクの力だ! 怖れ慄くがいい!』

誇らしげなエッケザックスだが、その思考回路にもついていけない。

こんな術が使えるのであれば、神の剣さえもまったく不必要ではないか。

必要とされていない剣士に持たれていることを、この剣は疑問にも感じないのだろうか。

「とはいえだ、天動法だけで全員殺すのはいささか難しい。他の生き物なら一月も嵐を続ければ絶やせるが、人間の場合はいくつか漏らしが起こりうる」

うむむ、とスイボクは感心したように頷いている。

「人間は強いからな」

『うむ、人間は強いぞ! 旧世界でも人間は覇権を握っていたらしいからな!』

まったくもって、安心できない人間への評価だった。

スイボクが言っているのは『大嵐だけではなく他の手段も使う』ということなのだから。

「とはいえ、地動法はこのままでは使えん。流石にアレは、もっと時間をかけねば使用できんからな」

極めて関係のない話だが、これから二千年ほど後にアルカナへ訪れた邪仙フウケイは、この時代のスイボクよりも数段上の実力者だった。

天地を自在に操る術に関しては、不惑に至ったスイボクさえ超えている面もあったほどである。

それを察したときのエッケザックスが、どんな気分だったのかは語るまでもない。

「今回はこの小道具を使うとしよう」

『火尖鎗か?』

「そうだ。これは元々火山の噴火を抑えるために生み出されたと聞いている。逆に言えば、火山を爆発させることも可能なのだ」

『ほう、休火山を活性化させるのか?』

「そうとも、久しぶりに派手な地動法を見せてやる」

何を言っているのか、サンキャは理解できてしまう。

理解できたからこそ、絶望する以外になにもできなかった。

神というものは、究極的には諦めである。

どこかの誰かが雨を降らせているとか、どこかの誰かが日照りにしているとか、冬を寒くしていたり夏を暑くしていたりする誰かがいるというものだ。

だがもしも、大空も大地も自在に操れる人間がいるのであれば、それは人間が冗談半分で語っている神そのものだった。

「スイボク……お前は、神なのか?」

「そう呼ばれることもあるが、人間だ」

スイボクは不敵に笑う。

たかが人間ぐらいしか動かせない皇帝に対して怒っている、大地と大空を好きに動かせる神は笑っている。

「俺は、最強の人間だ」

違う、それは人間ではない。

最強という言葉さえ、あまりにも不適当だ。

一人で天地を自在に操れるものは少ないが、数人いればスイボクと同じことができる仙人は少なくない。

その事実を知らぬサンキャは、スイボクを唯一絶対の存在なのだと思い込み……。

祈った。

「どうか、どうか……怒りをお静めください!」

神聖視されていた皇帝に、下民がひざまずくことがある。

それと同様に、文官の頂点は大空で許しを請うた。

そして暴君と神は、同じ言葉を返す。

「俺に、諦めろと?」

笑ったまま怒っているスイボクは、煮えたぎっている火尖鎗を構えた。

投擲、投げ放つつもりである。

「許さん」

地動法、覚火山。

スイボクが仙術を込めてはなった火尖鎗は、流星のように燃え滾りながら、空を突き破って雲の中に消えていった。

その軌跡、軌道をサンキャが見れたわけがない。しかしスイボクは把握している、自分が槍を投げた先に大海原があり、その海底に眠っている火山があると。

「絶対に、許さん」

仙術を込めて放たれた火尖鎗は、海中にあっても鎮火することはない。

むしろ圧力を受けて高熱になりながら、冷えて固まっている火口に突き刺さり、沈んでいく。

「最強の名にかけて、俺を怒らせたらどうなるのか教え込んでやる」

雲を突き破って、『水』が吹き上がってきた。

普通なら雨と思うだろうが、雲の上へ向かう雨などあるわけがない。

まして、口に入ると感じるこの塩加減や、それに続く形で雲を抜けてくる膨大な黒煙。

火尖鎗さえ呼び水に過ぎない大災害、火山の爆発が起こったのだと分かってしまっていた。

「俺が、最強だ」