作品タイトル不明
嘔吐
ディスイヤに属する百戦錬磨の代官たちは、この異常事態に混乱していた。
あまりにも懸絶している、彼女の在り方。
ためらわず親戚を切り捨て、そのうえで合議制の一席に自分を落とす。
この場の全員と対等な存在に成り下がって尚、彼女はまるで揺るがない。
対等になったぐらいで、凡俗に後れを取ることはないということだろうか。それとも、ディスイヤ領地全体に興味がないのか。
それとも、もっと恐ろしい何かがあるのか。
「わからん……」
「お嬢様の駆け引きは、我らの想像を超えている……」
「有利だとか不利だとか、貸し借りだとか強み弱みだとか……」
「置いて行かれている……お嬢様にとって、身内の整理など通過点でしかないということか」
「我らでも気持ちが沈んでいたというのに……」
ディスイヤの権化は、まさに怪物だった。
人間の形をした何かに思えてくる。
「我らはついていけるのか?」
彼女が発するものが、単純な威圧感ならいい。
それならむしろ、政治としては単純だ。彼女が恐怖で政治を支配するのなら、むしろどこでも起こっていることだった。
もちろん、彼女へ恐怖を感じているのは本当だ。だがそれは『強大』への恐怖ではない、『未知』への恐怖だ。
殺されるかもしれないとか殴られるかもしれないとか、右京のような威圧感ではない。
何をされるのかわからない、何かをされているのかもしれない、不確定な存在から感じてしまう威圧感だった。
おそらく、間違いなく、彼女は代官たちを威圧するつもりはない。
結果的に威圧していると察しているのかもしれないが、それは狙いではない。
彼女は素で、普通で、ありのままなのだ。
正しいと思ったことをして、素晴らしいと思ったことに感動して、それをこちらへ伝えているだけだ。
仮にこちらへ言っていないことがあったとしても、それはただ伝える順番を考えているだけなのだろう。
「こうなると、我らは無力だ。どうしていいのかわからない」
「先代……いやさ、現当主様はよかった……」
「あの方が軸になっていたおかげで、何もかもがうまく回っていた」
「ウキヨ・シュンという怪物も、あの方になついているところを見るだけで安心できた」
「我らを評価してくださる、良い当主だった」
老体を春は慕っていた。
ただそれだけは誰もが知っていることであり、だからこそ誰もが春を忠実な兵士と思えていた。
だが今はどうだろうか。先ほどもそうだったが、彼はもはや制御できないのではないだろうか。
彼自身でさえ、自らの命を絶つ衝動を抑えられるのだろうか。
「ビョウブ」
「うむ、彼女次第だろう。彼女だけは強いだけの凡人だからな……」
「本当に、それでいいのか?」
誰かが、そういった。
「若いお嬢様を我らが補佐し、ご老体が倒れて傷心の二人にも我らが心を砕くべきだったのではないか」
誰もが、黙ってしまう。
「今までは、ご老体が大権を担っておられた。お嬢様にそれは務まるまいと思っている我らが、他人まかせでいいのか?」
才能があるかもしれないだけの小娘に、ディスイヤの未来を託していいのか。
はっきり言って、誰もが感情的には認めていない。だからこそ、合議制に賛成したのだ。
にもかかわらず、その小娘を怖れるあまりに、他の小娘へ依存する。
それが、合議制の一席を担う『大人』たちのすることなのか。
「もはや我らは代官ではない、領主なのだ。その責任をもって、今後は臨まねばならないのではないか」
三人が抜けた大部屋で、一同は頷きあう。
そう、老体が倒れた今、誰よりも奮い立たねばならないのは、他でもない彼の臣下である自分たちではないのか。
ディスイヤのために、アルカナのために、何時か目を覚ます老体のために。
何ができるのか、全力で考えなければならなかった。
※
三人は屋形船の一室に入っていた。
そこには白紙のキャンバスがあり、限りなく裸に近いアクリルが絵を描いていた。
「で、結局絵を描くのか?」
「カッケー、仕事が終わった後なら絵を描いてもいいでしょ」
「それはそうだが……」
「ディスイヤの人間にとって、貴族にとって絵はそうであるべきなんだよ」
会話をしながらも、彼女の眼は真剣なものだった。
普段の男色画を描く時とは違う、明らかな集中が見て取れる。
「アイツらは、それがわかっていなかった」
怒りはないが、蔑みがある。
無理解な輩への呆れがあり、それを眼に焼き付けていた。
それを、筆で紙に描く。
半裸の彼女に、色気はない。ただ神がかっている。
迷いなく筆は動く癖に、他はまるで動いていない。
からくり人形や機械人形どころではない、まるで印刷機械のようだった。
「アイツら……あのゴミのことか」
「そうだよ、シュン君」
絵心のない二人には、印象派などはわからない。
ただ、今彼女が描いているのは、写実的だった。
だからこそ、その内容がわかる。
「アイツらはね、ディスイヤの寄生虫だったんだ」
彼女は、自分の行状を描いていた。
自分の視点ではなく第三者目線で、まるで演劇の一部を切り抜いたようだった。
「ディスイヤ家は、元々ただの商人だった。でもあらゆる手段で軍資金をかき集めて、アルカナ王国の建国に貢献した。その成果と手腕を買われて、建国王様から四大貴族の地位と領地をもらったんだよ」
悲しみ、嘆き、許しを請う貴族たち。
その彼らを虫のように観察する、アクリル・ディスイヤの後ろ姿。
「ディスイヤの家紋は、 貨幣(ディスク) と 宝石(ダイヤ) 。金でなんでも用意する、血まみれの商人だよ」
彼女は自分の悪事を、後世に伝えようとしているのか。
あるいは、ただの日記なのか。
「それは今でも続いている。何をしてでも、金をかき集めている強欲な家だよ。そのディスイヤを嫌って、離れていく人たちはたくさんいたんだ」
光景を焼き付けるだけの写真ではない、一枚の絵画。
それには罪深き老人たちと、その息子や娘である中年、そして孫やひ孫たち。
今まさに、地獄へ残された彼らが刻まれていく。
「ディスイヤの生業を嫌って、自分の好きな芸術一本で生きていこうとした人たち。大抵若くて技も未熟で、騙されたり嫌がらせをされたり、アルカナから追い出されたり。苦労して苦労して、惨めで這いつくばっている人たち」
先ほどの『宣告』が、描かれて形になっていく。
「本物の、芸術家たち」
今にも泣き声を上げそうな人々の表情が、乾いていない絵の具によって表現されていく。
「自分の芸術と殉じる覚悟を持った、自分の芸術の為なら何でもする、何でもできる本物の芸術家」
教科書に載せられそうな、歴史の転換点を描いた一枚。
「あのゴミはそれを馬鹿にしていた。未熟なままで、世界に出るからだと。簡単に騙される、どうしようもない愚か者だと。自分はあんなにバカじゃないと」
わずかな濃淡の色使いで陰影が、奥行きが生まれていく。
黴を描かずに黴の香りが、その絵から漂ってくる。湿り気、温度さえ表現されていく。
なぜそれが伝わってくるのか、無学な二人にはわからない。
「ディスイヤの名前を名乗って、ディスイヤの領地で暮らして、ディスイヤの資産でディスイヤの特区の一等地に建物を構えて、ディスイヤの看板を飾る寄生虫」
だがわかる。少なくとも、彼女の絵は『真』に迫っていた。
あるいは、それを超えていた。
「例えば絵画、例えば彫刻、例えば演劇、例えば料理。そう、料理。料理ならわかりやすいかな?」
この絵を見ただけで、悲劇が起きたのだと分かるだろう。
どんな素人でも、ありえない悪逆が行われたのだと悟るだろう。
「料理をしている人がいたよ。親戚に稽古をつけてもらって、親戚に農家や漁師を紹介してもらって、給仕やら職人さんやらを紹介してもらって、それで借金もなく経営している人たち。もちろん美味しいらしいよ、食べたいと思わないけどね」
言葉の意味は重く、熱い。
しかし声色は全くの平坦、筆さばきにも沈痛さだけがある。
「それで自分の実力だって言われてもさ、困るじゃん。っていうか、恥ずかしいんだよね。それが当たり前だって思ってるのが。あんなのが親戚なのが、恥ずかしくて恥ずかしくて」
かちゃかちゃと、筆を水で洗う。
絵の具を片付け始める、広げていた道具を回収していく。
畳が汚れないように広げていた布を、折りたたんでいく。
「すっきりしたよ」
終わっていた。
後は絵の具が乾くのを待つだけだろう。
普通の絵師がどれだけ時間をかけて絵を描くのか知らないが、これとは確実に違うと言い切れる。
こんなあっさり描いていい絵ではない、政治の話をしながら描いていい絵ではない。
心底から軽蔑している輩を、侮辱しながら描いていい絵ではない。
「ディスイヤが嫌いなのに、ディスイヤのお金で商売しているんだもん。それで黒字が自慢、評判が自慢って、意味が分かんない。自慢するならさ、借金をしてでも自分の力で営業していくことを自慢してほしいよね」
アクリルは柔軟を始めた。
指だけではなく、全身の骨格や筋肉をやわらかくしていく。
「汚いカネを、綺麗にしているつもりらしいよ。お祖父ちゃんや代官さんたちもそう思っていた節があって、後ろめたく感じていたけど気にすることないよね。芸術をなんだとおもっているんだか、無くても死ぬわけじゃないのに、なくなったら死ぬ人がたくさんいる仕事の人を遠慮させるなんてねえ」
丁寧に丁寧に、ほぐしてほぐして、次に備えていく。
「仮にも四大貴族を名乗るならさ、大原則ぐらい考えて行動してほしいよね。あいつら、他の家の利益はもちろん、ディスイヤの利益も国家の利益さえも考えてない。自分が好き勝手することしか考えてない」
神が、そこにいた。
「これで、ディスイヤの特区も新しくなるよ。今まで一等地を占拠していたゴミが消えて、新しい人が国の外や中から入ってくる。楽しみだねえ、三人で見て回るのが」
あられもない姿で、美の女神が二人に微笑んでいた。
「シュン君、カッケー。お祖父ちゃんが守った領地を、私たちも守っていきたいね」
その彼女へ、春がため息と共に頷いていた。
「ああ、そうだな」
目を閉じる。
決して表現できないし、形にすることなど不可能だけれども。
それでも、春も廟舞もよく覚えている。
ディスイヤがどれだけ汚く邪悪であったとしても、自分たち二人を温かく迎え入れてくれたことを。
ディスイヤを名乗れるのは彼女だけだとしても、ディスイヤを背負っているのは二人も同じだということを。
「嫌ではあったが、俺もずいぶん世話になった。賭場で大負けしようとしたら大勝ちさせられたり、通り魔に会うことを期待して道端で酔いつぶれていたら宿屋へ案内してもらったり、船着き場でげろを吐いていたら漁師さんが心配して白湯をくれたり……」
「お前迷惑かけすぎだぞ……」
「ああ、全くだ。俺は恩を返さないとな」
死ぬほど嫌であっても。
目の前の彼女と結婚して子を成すことが、恩返しになるのなら。
「どうせ、童貞はパンドラに食われているんだし……俺もディスイヤの切り札として、仕事をしないとな」
「シュン君……?」
こみあげてくる。
「お嬢様」
「うん!」
吐き気。
「やっぱ無理ぃいいいいいい~~~~!」
「春! 船酔いしたなら先に言え! バケツ、バケツ! 畳に吐くな! っていうか、船の外に行け! はやく!」
「シュン君、もうちょっと頑張ろう!」
「頑張れない~~!」
「お嬢様も頑張るな! 船酔いした男に求婚されても嬉しくないだろう?!」
「嬉しい! げろまみれとか斬新で、忘れられない一生の思い出だよね!」
空に浮かんだ船でも吐くときは吐く。
ディスイヤの記録が、新しく刻まれていた。