作品タイトル不明
発見
山水の手によって王都へ連れてこられた謎の盗賊は、一切正体不明のままディスイヤの老体に引き取られた。
ご老体が今にも死にそうな顔でそれをうけとった理由は、誰にも分らないだろう。真実はいつも闇の中である。
「……迷惑をかけたのう」
「何をおっしゃいます、ご老体。私はただ、怪しい人を拘束して王都へ連行しただけです」
現在山水とディスイヤの当主は、バアスだけを伴って小さい部屋で話し込んでいる。
どうやら春も、廟舞も、今日は連れてきていないらしい。
正直自分がどうしてここにいるのかわからないバアスだが、如何にも弱り切った老人を見て概ねを悟っていた。
どうやら目の前にいるご老人は、貴族の偉いヒトらしい。その偉い人の親族が山水の邸に忍び込もうとしていたので、それを捕まえて渡しただけだ。
普通なら弱みとして何か要求するところだと思うが、なんだか複雑な事情があるらしい。
汚い裏取引だと思うところだが、老人の姿を見るにそんな気は失せていた。
目の前で弱り切っている老体をいじめるほど、バアスは陰湿ではない。
(なんで俺まで……それにディスイヤと言えば、悪い噂しか聞かないぞ)
(悪い噂はともかく、現当主様は立派な方ですよ。見聞を広めることで、新しい発見や心のゆとりが生まれると思います)
なんかやたら気に入られているので、会いたくもない老人との話にも立ち会うことになっていた。
「まったく……まじめに仕事をし始めた者も多いのにのう……代官が言うには、全員がすぐに飽きて長続きしないとか」
「話に聞くところでは、ディスイヤの方々は芸術に関しては秀でていらっしゃるとか。私は絵心もないのですが、根気は備わっていると思いますよ」
「好きなことだけをやっているのを、根気があるとは言わん」
まったく、とあきれている。
「……時折、何もかもを投げ出したくもなる」
老人は今にも倒れそうな弱さを晒しながら、己の心情を話し始めた。
それは悪所を束ねる妖怪、という世間のイメージをぬぐうものだった。
「もういっそ、実権を放棄してもいいと思う。ディスイヤの名前だけを残して、形だけの当主として次代を作るのもいいと思う。あるいは婿を取らせて、その婿にすべてを押し付けるのものう」
それは、しっかりとした貴族としての使命感をもつ、一人の偉大な男の姿だった。
「しかし、それはできん。我らディスイヤがそれを良しとしても、他の家から軽くみられる。血と名がそろわなくなれば、どうしても権威を失う。商人あがりのディスイヤならなおのことだ」
保守的な考えが先に立つバトラブだが、それでもソペード同様に武門の名家である。
武人としてこの上ない武勲をあげた祭我が当主になることに、入り婿が当主になることに、もう誰も文句を言うまい。
だが、ディスイヤは違う。
何が違うかと言えば、いったん妥協すると永遠にそれが続く。
ディスイヤの血を継ぐ者たちが、全員婿や嫁に責務を押し付け続けてしまう。
それは、アルカナ王国の政治体制が破綻することを意味していた。
「アルカナ王国は、王家と四大貴族が競争し折り合いをつけてきたからこそ、ここまで長く保ってきたのじゃ……まあ、アルカナ王国が成立する前から生きておるお主に言っても、説得力がないかもしれんがな」
「いえいえ、そんなことは」
「竜との戦争で、ソペードは当主の力が大きく削がれた。おそらく、次の代も同じで今まで程の強気は貫けまい。これからゆっくりと、また力をつけなおす必要があるのう」
ソペードの本家は、ドゥーウェの横行を許していたように、かなり強気で分家を圧していた。
それは山水もよく知るところである。
「バトラブはそうでもない。今回の戦争の責任を、すべて現当主が引き受けておる。よって、次代であるサイガには負担がいかん。とはいえ、当人は大きな顔をするつもりもなさそうじゃがな」
竜との戦争の『一応の発端』は、あくまでもオセオとの軋轢である。
もちろん実際には、旧世界が滅びたので竜たちが攻め込んできたのだが、それでもオセオとの戦争でもあるので発端ではある。
なお、オセオからの密偵は無かったことになっている。
加えて、祭我が実行の手助けをした破壊工作も、周辺諸国の仕業と言うことになった。
なので、祭我には一切責任がないことになっている。実際、祭我は上層部の命令に従っただけなので、一切責任はない。
「カプトはもともと、当主の声が小さい。あれらは侵略者に対しては断固たる態度をとるが、基本的に全員が穏健であり、今回の件で当主を咎めることがない」
ほとんど全員が法術使いであり、治癒の技を持つ者としての誇りを持っている。
よって、基本的には全員が争いごとを嫌っており、だからこそ正蔵のような極端な男も抱え込んでいる。
そういう気風だからこそ、領地が甚大な被害を被っても、当主に非がないと思えばそれまでなのだ。
当主の失点に付け込む、という発想がない。
「そこで、王家じゃ……おそらく概ねが片付けば、今までとまったく異なるやり方をしようとする王に代わるじゃろう。実際には全員同じ事を考えておる」
権力者の中でも長老である男は、今までの王たちのことを思い出す。
具体的には就任当初の、各々の行動を思い出していた。
「アルカナ王国の国王は、皆が中央集権をもくろむ。それを四つの家の当主が集まって止めてきた」
各々が利権を守るため、という意味はある。
だがそれだけではない、きちんとした、合理的な理由があるのだ。
「一国の王に権力が集中し過ぎると、絶対に国家は長続きせん。特にアルカナほどの巨大な国家ともなれば、隣のドミノのように腐敗する」
老人は多くの国を、多くの組織を知っている。
そして、その腐敗を知っている。外憂による滅亡ではなく、内部の腐敗による自滅を怖れている。
「競争主義で国王にも威圧的なソペード、保護主義で多くの古い家を抱えるバトラブ、博愛主義で貧民にも施しを行うカプト、そして拝金主義で利益のことしか言わないディスイヤ。これらに負けまいと踏ん張る王家があるからこそ、アルカナ王国は自浄作用を保って居る」
正直に言えば、バアスにはよくわからない話だった。
政治家の退屈な話、難しいだけで興味を惹かれない話だった。
「上に誰もいない状況で横さえ消えたら、自浄などせん。誰もがなれ合ってしまう……」
ここまでは、ではあるのだが。
「まあ……どうせ老い先短い儂にとっては、他人ごとではあるがのう……」
誰にでもわかることだが、ディスイヤの老体はそう長くない。
おそらく、どれだけ頑張っても十年以内に天寿を全うするだろう。来年の春さえ、迎えられるかもわからない。
それだけの老体であり、老骨だった。
「いくらなんでも、儂の目が黒いうちに腐敗して滅亡と言うことはあるまい。それだけは、まあ流石にない」
そして、今のアルカナは強国であり安定もしている。
ディスイヤ一つが破綻しても、そこまで短期的に滅亡することはないだろう。
であれば、老人が頑張る意味はないのかもしれない。
「投げても、誰も咎めんじゃろう。ずいぶん国家に奉仕してきた……正直疲れておる」
それでも、負けてなるかと言う意気を感じさせていた。
「しかし、誰が許しても儂はやり切る覚悟じゃ」
弱っていても、最後まであがく。
その気概は、バアスにも伝わってきた。
「儂は悪名高きディスイヤの主として、それはもう汚いことをしてきた。儂にあるのは、汚いことをしてため込んだ汚い財産だけじゃ。そういう意味では、他の者のように、素晴らしいものを残せなかったのかもしれんな」
政治的にはともかく、ディスイヤの者たちは千年称えられる芸術を生み出している。
おそらくアルカナが滅びても、ディスイヤの名前は残り続けるだろう。栄光ある、芸術家の一族として。
「……だからこそ、儂はここで折れることができん」
あるいは、芸術史が老人を否定するかもしれない。
だが、それでも老人は負けなかった。
「儂は儂の思うように生きてきた。どんな理由があったとしても、蓄財と為政を行ってきた。汚いことを命じて、己の手ではなく他の者の手を汚してきた」
罪の告白と言うにはあまりにも雄々しく、誇り高かった。
「今更、穏やかな隠居など考えておらん、余生など求めておらん。儂の生涯は、人間の悪そのものでなければならん」
自分の人生に、意地を張れる男だった。
「ここで儂が日和れば、目も当てられん。儂の墓碑には、なんと刻まれると思う? 権力を長年独占し、長年財産を積み上げ、そのためにあらゆる非道悪事を行ってきた男」
ここまでは、それでいいのだろう。
しかし、そこから先は許せない。
「そして、晩年には良心が咎めたのか、権力を婿養子に譲り隠居した、情けない男」
実際には違っても、後世の者はそう判断するだろう。
少なくとも大衆は、そう思うはずだ。
それが、今更老人には受け入れられないことだった。
「晩秋を汚す、というよりは最後の最後で良心を取り戻した男。そうと思われるぐらいなら、みじめったらしく老い衰えても権力にしがみつき続けた男と思われたほうがまだましじゃ」
その言葉には、その信念には、その思想には、バアスも賛同してしまう。
そう、別に夢がかなわなくてもいい。山水に勝てなくてもいいし、志半ばで無念の死を遂げてもいい。
だが、何もかもを諦めて、平凡な人生を歩むことは嫌だった。
男としての人生を歩むことを決めた以上、平凡な幸福は願い下げだった。
それは、許せない弱さだった。
「もう少しだけ、命尽きるまで、己を貫かねばならん。そうでなければ、儂の人生はどうしようもない結になってしまう。儂は、最後の最後まで、醜くなければならんのじゃ」
徹頭徹尾を貫く。
それが綺麗でなかったとしても構わない、最後の最後まで自分のまま生きねばならない。
貴族として、男として、老骨には気骨が、鉄の芯が通っていた。
おもわず、バアスが尊敬するほどに。
「う……」
ディスイヤの当主は、独白に近かった。
その弱った目で、山水のことを見て等いなかった。
ただ弱音と本音を、誰かに聞いてほしかっただけなのだろう。
なので、山水がどんな顔で話を聞いているのか、興味も抱いていなかった。
バアスも老人に集中していて、山水のことを見ていなかった。
「ううううう……」
「サンスイ……殿?」
「うううううううううううううううう」
山水は、静かに滂沱の涙を流していた。
こらえきれない涙を、溢れさせていた。
「あああああああああああああああ」
己の五分の一も生きていない老人が、それでも負けてなるかと生きている姿勢に感銘を受けていた。
自分と比べて、あまりにも立派な姿勢に申し訳なささえ感じていた。
国家への奉仕心と、己の人生への意地。
それらが、とんでもなくまぶしかった。
「ど、どうしたのかのう?!」
「お、俺は……俺は、自分が恥ずかしいです……!」
自覚はあった。
五百年も生きてきて、五百年も修行してきて、野に出てやり遂げたこととは何だろうか。
人を殺して殺して殺してきた。
人の殺し方を教えて、人の殺し方だけを教えて、人の殺し方だけを乞われていた。
積み重ねた修練によって、世界最強の男から仙術と剣術を習得した。
その結果が、その人生の結末が、育てると決めた娘の成人さえ見届けぬままの解脱。
そんな幸福は、自分でなくてもいい。
そんな無責任が、自分の未熟さの表れだった。
最強を証明したがゆえに、最強の剣士と戦って勝ったがゆえに、最強の師匠が生きているがゆえに、どこを目指せばいいのかわからなくってしまった、己の弱さだった。
そんなことにも気づけなかったことが悲しく、それを気付かせてくれた男に感謝しかなかった。
「ご老体……俺は、俺は、あれだけたくさん殺してきたくせに、きれいに死のうとしていました……満ち足りたまま死のうとしていました。晩秋だけは綺麗にしようとしていました……」
仙人としては、解脱こそが正しい終わりである。しかし、剣士としては最低だ。
若い体があり、教えを欲している弟子がおり、挑戦者が己を目指している。
にもかかわらず、手前勝手に納得して死ぬなど、綺麗に自然へ帰るなど、あまりにも自分を見誤っている。
より強い者に斬られるまで、無様に血を流して敗北するまで、強者であり続けなければならない。
そうでなければ、最強として認められたものとして情けない。
「ご老体……!」
「う、うむ」
「俺は、剣士として死ぬと決めました! 何時か斬られて死ぬまで、全力で戦い続けます! その時がどれだけ先でも、絶対に負けません!」
「そ、そうか……」
倫理に反する人殺しとして、不必要に剣を極めた者として、剣聖としての死ではなく最強としての死を選ぶ。
山水は、すっかり生きる気力を取り戻していた。
何時だって熱い男の生きざまは、違う道を歩んでいる同じ男の魂さえも揺さぶるのだ。
「……アンタが新しい発見をするのかよ」
なお、バアスの言葉は誰の耳にも届かなかった。