軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

最強

『なに、お前やお前の師匠の弟子に? 別に構わん、お前やお前の師匠に任せる』

『我らもそれなりに心得ている。お前に無理強いなどするつもりはない。無欲なお前を御するのは信頼だけだからな。お前の希望に沿わぬことは極力頼むつもりはない』

『お前は当家の剣だ。そうある限り、我らはお前を守るだけだ』

『『トオンはドゥーウェの屋敷で暮し、最終的には結婚したい? 戦争じゃあああああ!』』

こうして、トオンの弟子入りそのものに関しては許可が下りていた。

ということで、ソペードとバトラブの一行は俺の師匠の住む森へ向かっていた。

「この辺りは特に利用価値がないということで、原生林が広がっているのよ」

「国内には結構あるらしいけど、まさかこんなところに貴方の師匠みたいなのが住んでいるのねえ」

ハピネもお嬢様も、馬車の中でそんな会話をしていた。

ことことと揺れる馬車は、あの騒ぎの翌日の朝から出て、夕方ごろには森の付近についていた。

森そのものはとても広大なのだが、森と学園の距離はさほど遠くもない。

当たり前だ。そんなに移動したら、俺はともかくレインが持たない。

「ねえパパ。私って、この辺りでパパに会ったの?」

「ああ、そうだよ」

近々戦争になるとは思えないほど、のどかな道を進んでいく。

その一方で、エッケザックスは当然のように殺気立っていた。

「エッケザックス……」

「……気にするな、我の主はお前だ。鞍替えなどあり得ん……剣が主を鞍替えというのもおかしな話だがな」

俺にとっては尊敬する師匠ではあっても、彼女にとっては自分を捨てた男だ。思うところはあるだろう。

というか改めて考えると酷い話だ。彼女は師匠にとって捨てた強さそのもので、俺はその後に培われた強さの後継者だ。そりゃあ話なんて合うわけがない。

というか師匠ももうちょっと気を使うべきだったような。お互い悠久の時を生きるんだし、配慮が必要だったのではないだろうか。

「我を捨てた末の強さも、この眼で見た。勝てぬ相手に挑めと懇願するほど厚顔無恥でもない。弟子でこれだ、スイボクがどれほどの高みにいるかなど想像もできん……」

そりゃそうだ、木刀どころか素手で自慢の剣士を倒されたもんな。本当に可哀想な話である。

「本当に、奴は強くなったのだなあ……」

「うむ、神剣さえ手放すほどの技量を得るに至った剣士……楽しみだ」

トオンはとても楽しみにしている。確かに技量という意味では俺の先にいらっしゃるお方だ。会えばその力に驚くだろう。

その一方で、まるで結婚相手の父親に会いに行くかのように、とてもそわそわしている人がいた。つまり、ブロワである。

「その……男の格好をしている女は、お前の師匠に嫌われるだろうか」

「大丈夫、興味ないから」

「そうだったな……では、臭い女はどうだろうか……今一応香水はしているのだが、少し汗くさいと思うんだが」

「大丈夫、森暮らしだから」

「何か土産物でも持ってくるべきだっただろうか」

「大丈夫、食欲も物欲もないから」

色々気にしているが、大丈夫。そこらの農夫よりも動物や植物に囲まれてるから、その辺りきにしなくていいから。

むしろ、何か渡される方が困る人だから。断捨離ってレベルじゃないしな。

「昔の俺、最初に会った時を覚えているか? あんな感じの人だからさ」

「そうか……そうなると、逆に難しいな……」

「まあそう構えなくていいぞ。俺の師匠は俺なんかよりもさらに俗世とは遠いお方だ。俺と結婚したいって言えば、普通に喜ぶと思うし」

「そ、そういうことを皆の前で言うな!」

実際、トオンが現れてくれたおかげで、お嬢様が俺と結婚する可能性は大幅に下がっていた。

というか、トオンを逃した場合いよいよ詰むだろう。妥協できない人だし、ハードルが上がりすぎたしな。

「森の中は師匠の索敵範囲内だ。そこに足を踏み入れれば、師匠の方から来てくれるだろう」

「分かったわ……怖いもの見たさってことでしょうね」

森に近い野道で、馬車は止まる。

そこで皆が降りて、俺と御者の人が見送っていく。

誰もが不安と期待が入り混じったままで、深い森に入っていく。

「よろしいのですか、お師匠様にお会いせず」

「いいんです。俺の師匠は、俺に会っても喜びませんよ」

まだレインを一人前に育てていない。俺はまだまだ半人前だ。

「お師匠様は、果たして弟子入りを許してくださいますかな?」

「わかりません。ですが……きっと、悪いようにはしませんよ」

「そうですか……」

深い森だった。人が管理しているどころか、道さえ存在しない原生林だった。

ある種の冒険心をくすぐられる一方で、その森に入った女性陣は森の歓迎を受けていた。

「臭い……なんか、凄く緑の臭いがして、臭い……」

「……虫が……虫が……」

「靴がもう既に泥だらけ」

「情けない奴らだ、この程度の森で音を上げるとは。こんな軟弱者が、強い子を産み、育てられるとは思えん。そうであろう?」

森の濃厚な緑の臭い、草木のとげ、或いは地面のぬかるみ。

実際に足を踏み入れるからこそ分かる、森という『異界』。

どうして王家直轄領であるここに、人の手が入らないのかわかった。

手間の割に、うまみがなさすぎるのだ。

「初めて会ったとき、どうしてあいつがあんなに汚かったのか、ようやく理解したわ……」

「むしろ綺麗な方だったんですね……」

「くちゃい……」

ソペード一行を含めて、多くの面々が森に入るための長袖の服や動きやすい靴を履いていたが、それがどんどん汚れていく。

着替えは馬車の中なので、戻れば問題なく着替えられるのだが、それでも今汚れていることに変わりはない。

「ねえドゥーウェ、サンスイの師匠がいなかったらその時はどうするのよ。もう五年も帰ってないんでしょう? このままだと道に迷うんじゃ……」

「その時は大声であいつ呼ぶわよ。サンスイは遠くで私が困ってたらすぐ来るし」

仙人にとっては名前さえ付けていないほど当然な力、気配を感じる能力。

視覚ではなくレーダーの様に周囲の情報を読み取る力。

それは護衛対象であるドゥーウェが遠くに離れていても、その状態を監視できることを意味している。

「……ねえ、サイガ。貴方も仙術習ったら?」

「ハピネ、それは流石に……」

習得に五百年かかる技術である。仮に初歩的な物だけ習ったとしても、五十年とか百年とかかかりそうである。

そんなものに手を伸ばすほど、祭我は気が長くなかった。それに、愛する女性が沢山いる状況で、永遠に近い命を手に入れる度胸もなかった。

「あの、お嬢様」

「なによ、ブロワ」

「今気づいたのですが、サンスイの師匠は我々の接近を悟って、向こうから近づいてくるのですよね」

「そうね」

「それなら、私達はある程度森に入ったらそのまま待っていればよかったのでは?」

森の奥へ奥へと進んでいた一行は、その言葉を聞いて足を止めていた。

そう、戻ることも考えると億劫になってしまう距離を既に歩いている面々は、ようやく足を止めていたのだ。

「……そうね」

「そうねじゃないわよ!」

わめき散らすハピネ。

そう、よく考えたらそんなに山水の師匠に会いたいわけでもなかった彼女は、今更のように怒鳴っていた。

エッケザックスが昔の所有者に会うなら、祭我が同行しないわけにはいかない。祭我が同行するなら、私も、という程度の認識だった彼女は大騒ぎをしていた。

「落ち着けよハピネ。何だったら先に戻っても……」

「戻らないけど、それはそれとして怒るわよ!」

お嬢様育ちで汚れに対して慣れていないハピネは憤慨しているが、そんな彼女を見てスナエは呆れつつ軽蔑していた。

「やれやれ、癇癪持ちがやかましいわ」

「スナエ、あまり軽々しく侮辱の言葉を言うものじゃないぞ。仮にも世話になっている相手だろう」

「あ、兄上……」

「ここでは我らは王族ではなく異邦人だ。その辺りをわきまえねば、浅ましい乞食同然だぞ」

一行は、とりあえず一旦足を止めていた。

適当な朽ち木に腰かける者もいるし、立ったまま仙人を待つ者もいた。

そして、当然の様にそわそわしているのは、少女の姿をしたエッケザックスだった。

「ところで、神剣よ。お伺いしたいのだが」

「なんだ、影使い」

「スイボク殿とは、どのような方なのだ。貴女と袂を分かつ前であっても、最強の剣士と聞いているのだが」

この場で唯一面識があるエッケザックスに、トオンは訊ねていた。

弟子である山水が地味なので、師匠も地味と察しはつくのだが、それでも聞きたいのが人情だろう。

「……昔は無邪気な男だった。それは別れる前でも変わらなかったのかもしれん」

人は変わるものだ。十年二十年という時間は、余りにも人の心も体も変えてしまう。

それが千年以上の断絶なら、彼女はスイボクを知らないと言っていいのかもしれない。

彼女が語れるのは、容姿以外には彼女が知っている遥か過去のスイボクだ。

「強くなりたいと、最強になりたいと、そう言っていた。私はそんなあいつが好きだった。だが……あいつは変わった。いいや、変わったというか、たどり着いてしまった」

「何に?」

「最強にだ。奴は我と別れる前の時点で、世に敵なし、という境地にたどり着いた。最強という目標に至り、それ以上を想像できなくなってしまった」

その言葉を聞いて、祭我とトオンは共感してしまっていた。

最強になりたくて一生懸命な、不老長寿な剣士。

果たして彼は、最強になった後どうすればよかったのだろうか。

「苦悩した奴は、空虚さを振り払うように修行に没頭していた。そうしているうちに気付いたのであろうさ、我がいる、我に頼っている己にな」

考える時間は無限にあった。

その時間を費やして、彼女は認めたくない真実に到達していた。

そして、それは目の前に現れたのだ。

「最強の剣を持ち最強の技量を持つ剣士こそ最強。それになってしまった奴は、最強の剣を手放したのだ。真の最強とは、道具を選ばないもの。例え無手であっても、その術理をもってすれば神剣の所有者さえ倒せる。奴は、それを目指したのだろうさ……」

「そう買い被ってくれるな、エッケザックス。儂は結局、どうしようもないほど愚かだったということだ」

とても静かに、そこに生えている木の様に、ずっとそこにいたかのように男の子が立っていた。

粗末な着流しを着ている少年は、しかし超然とした雰囲気をもって彼らの前に姿を見せていた。

不老長寿の仙人、スイボク。腰に木刀を下げている剣士は、弟子と同じような姿をさらしていた。

「スイボク……」

「久しぶりだな、エッケザックス。新しい主を見つけられたようで何よりだ」

山水によく似た雰囲気の少年だった。外見の年齢とは余りにも噛み合わない、千五百年以上生きている剣士が、静かに語りだしていた。

「……すまなかった」

意外にも、謝っていたのはエッケザックスだった。捨てられた、といっていたエッケザックスだった。

そして、彼女は涙を流しながら少年に謝罪していた。

「我は……自らの機能を発揮できぬ空虚に倦怠を感じながら、しかし目指す目標を失ったお前の空虚と虚無を想像せず、ただお前を否定していた……」

「それは違う、エッケザックス。儂はお前に意地を張り、お前と分かりあおうとは思わなかった。最強の剣士と認めてくれていたお前に、弱さを見せたくなかったのだ……儂の未熟ということだ」

静かに歩み寄った少年は、泣いて謝る少女と同じ目線で、同じように謝っていた。

「今更ではあるが、済まなかったな」

「……」

「さて、改めてではあるが……この森のすぐ前に、我が弟子サンスイがいるな。アレの案内で来たということは、どうやら我が弟子がたいそう世話になっているらしい。白湯も出せぬ身ではあるが、まずは礼を言う。特に、エッケザックスの新しい主には、重ねてな」

少年らしからぬ、とても穏やかな語り方に全員が毒気や興奮を抜かれていた。

なるほど、祭我やトオンが想像するような、仙人らしい仙人だった。

「私はサンスイの雇用主のドゥーウェ・ソペード。サンスイを私の護衛として雇っているわ。とても強い剣士で、役に立っているの」

「ほほう」

「わ、私は! 結婚を前提にお付き合いをさせていただいている! ブロワと申します!」

「ほう、アレが結婚……そうか、それはよろしく頼む」

少し意外そうに微笑んで、緊張気味のブロワに応じていた。

もちろん、ブロワがやや誇張した発言をしたことにも、やや察しはついているのだが。

「あの……」

「ほう、あの時の赤ん坊か。大きくなったな」

「私の事、しってるんですか?」

「ああ、育てるように言ったのは儂だからな。お前を連れていた女を弔ったのも儂だ」

「本当の、お母さん……」

「乳母かもしれんがな。狼に食われながらも、お前を守ろうとした強い女だった。感謝することだな」

レインにも微笑み、その上で改めて一番自分に注目している男に話しかけていた。

「……剣士かな?」

「如何にも、影気を身に宿し、影降ろしを扱う剣士。マジャン=トオンと申します」

「そうか……剣士か」

千五百年間素振りをしていた剣士は、自分が俗世と縁を切って以降に生まれた剣士に嬉しそうにしていた。

「そうかそうか……アレから千五百年も経つのに、まだ剣士がいるのか」

「それは……どういう意味でしょうか」

「いや、なに。人の世は移り変わり、既に剣士など目指すものはいなくなり、もはや自分の様な者など過去の遺物かもしれないと思っていたが……そうか、まだ剣を愛する者がいるのかと思うと、嬉しくてなあ……」

何分、千五百年である。余りにも多くの国が興り、そして消えていった。

その間に人の在りようが大きく変わっても全く不思議ではない。

剣など捨てて、まったく新しい武器を使っていることはある意味自然だ。

だが、まだ残っている。自分と同様に剣を使っている誰かがいる。それが嬉しいのだ。

「もしや、サンスイと戦って痛い目でも見たか?」

「はい……私も故郷では敵なしと、そう言われていましたが、歯が立ちませんでした」

「そうかそうか……儂の弟子は強かったか」

「こうして修行の妨げになると知ってお伺いさせていただいたのは、貴方にご指導願いたかったからなのです」

片膝をつき、礼をとる。

自分の剣のはるか先にいる仙人に、剣士は敬意をこめて礼をとっていた。

「理由を聞きたい。なぜ故郷に帰り、再び師から薫陶を得ようと思わない?」

「それは……」

おそらく、本質的には山水と同じようなことを訊ねているスイボク。

それに対して、トオンは迷いながらも、それを振り切るように答えていた。

「私は……逃げてきたのです」

その言葉に、他ならぬスナエが一番衝撃を受けていた。

いいや、涼し気で爽やかな剣士であるトオンを知る誰もが、その告白に驚いていた。

「私は剣をとっては故郷で敵なしと称賛されていました。多くの者から、偽りない賞賛を受けていました。ですが……私自身抑えがたい感情が確かにあったのです」

先日の公開授業で、この国でも屈指の魔法使いであろう学園長に、王気を宿す妹が敗北した。その学園長に花を持たせてもらった。その時、自分の心中に暗いものがなかったと言い切れるだろうか。

「我が影降ろしでは、王位継承権云々を抜きにしても、神降ろしに及ばない。所詮私の剣術など、王家の守護獣と一体になる神降ろしに歯が立たない。それは私自身が知っていることでした」

単純に、攻撃力が足りない。

手にした宝剣の切れ味がどれだけだったとしても、生物としての規格を大幅に上げる神降ろしには勝てない。

自分を慕う妹や弟たちの多くに、自分は勝てない。

「私は奥義を習得しましたが、それが限界でした。確かに剣士としては一角の者になれたとは思います。ですが、我が国を離れたのは剣士としての己を試したい以上に……すぐそばにいる『最強』である、神降ろしから逃げたかったのかもしれません」

素直な、心中の吐露。

恥ずるべき、表に出すべきではない感情。

己の未熟さを、彼は先人や妹、異国の友たちに語っていた。

「貴方の弟子に完敗し、まだ強くなれると思ったことと同時に、これならば或いは神降ろしに勝てるのではないか、と思わなかった訳ではありません。私は……別に父や妹を殺したいわけではないのですが、それでも一人の男子として、この世に勝てぬ相手がいると諦めたくないのです」

「ふむ……そうか」

山水という剣士に対して、この場の面々は一目置くどころではない、絶対的な信頼がある。

その彼が、到底及ばないと言った剣士が、その言葉を嬉しそうに聞いていた。

「最強か……そうか、そうか。サンスイを見て、その剣を学びたいと思ったか」

「はい……」

「では、『最強』とは何だと思う?」

とても、とても根源的なことを聞いてきた。

「エッケザックスの主となった……」

「祭我です」

「ああ、サイガ。君はどう思う。君が扱う剣は、確かに最強の剣だ。君の中に宿る多くのエネルギーを全て向上させることができるだろう。それを持っている君は、十分最強だ」

自分がかつて捨てた『最強』を、スイボクは今でも最強と呼ぶ。

「そうだと思っていました……でも、貴方の弟子には勝てませんでしたよ……」

「そうか、だが十分最強と呼ぶに値すると思うがな」

バトラブの面々には、その言葉も今は白々しい。

目の前の男は、その最強の遥か上にいるのだから。

「そもそも、最強とはどう定義する? 一つの国で並ぶ者がないと呼ばれることか? それとも最強の奥義を極めることか?」

それ自体が、とても困難であることは知っている。才能がある者が、己を鍛えてようやく至れるのだと知っている。

その上で、それになったトオンを見ると、違うように思える。

「最強と呼ばれる神剣を得て、数多の術理の全てを修める者か?」

「それは……」

「どれも間違いではない。例えば何かの大会で優勝することが最強であるならそれでよいし、如何なる相手にも百戦百勝することが最強ならそれでも良い」

本人も長年振っていた剣を手放すほどに、悩みぬいた末に得た答えなのだろう。

多くの男が求める最強を、一番強いという言葉を、しかし沢山あっていいという。

「皆は儂を最強と思っているかもしれぬ。この場の面々は儂の弟子の強さを知り、その弟子が持ち上げている儂の強さを確かめる気も失せている。しかし……千五百年深い森にこもった儂の前に、二千年だの一万年だの修行した者が現れればどうだ?」

と、なんとも途方もないことを言い出した。

確かに仙人に寿命がないならば、二千年生きている者も一万年生きている者もいるだろう。いないとは言い切れない。

そして彼らが剣を極めようとしていれば、確かに目の前のスイボクよりも高みにいるかもしれない。

「エッケザックス、パンドラを憶えているか?」

「無論だ」

「今目の前にパンドラを着込んだものが現れれば、儂も逃げるしかない。儂が切り捨てたお前を抜きに、儂はアレに触れることもできぬだろう」

パンドラ、その名前は聞いている。ディスイヤが保管しているという災鎧だ。

それを誰かが着ているのなら、スイボクをして勝ち目がないという。

「最強など、言葉通りに『最も強い』と考えだせばキリがない。最強とはな、つまりは目標であり理想像なのだ」

とてもシンプルで、分かりやすい回答が帰ってきた。

たしかにそれには、納得せざるを得ない。

「今の自分よりも強くなりたいという想いがあり、どうやって強くなりたいのか、どうやって強さを証明するのか。それが栄冠であれ奥義であれ認可であれ、或いは強敵の打破であれ民衆からの称賛であれ、己が描く理想や目標として最強があり、それを目指すことが大事なのだ」

この世で並ぶ者なき強さを得た、そこからさらに先を目指した男は、悩んで得た答えを惜しみなく語っていた。

「誰かを殺したいのなら、むしろ最強など足枷に過ぎない。殺すために戦う、と思うことが間違っている。野に生きる獣の如く息をひそめ、油断した一瞬に喉笛を噛みちぎればよい。態々戦いたいと思う心は、強さを証明したいと思う心は、そもそもが非合理的なのだ」

殺すことが目的なら、そこいらに落ちている石で寝ているところを襲えばいい。

護衛に見つからないように家へ侵入し、人知れず殺して去ればいい。

伝説の剣もたゆまぬ鍛錬も必要ない。戦う力ではなく、戦わずに殺すための力こそが必要なのだ。

「魔法を帯びた剣で斬ろうが奥義で斬ろうが、剣豪が切ろうがそこらの悪漢が切ろうが、結局人が死ぬだけだ。元々武器とはそのためにあるのだからな」

何ともわかりやすく、山水の師らしい言葉だった。

「最強を目指すということは、好きでやっていることだ。それが他の誰かに劣るか、或いは噛み合わせの関係で負けようが、それは全て仕方がないことだ。最強を極めるという、なんの生産性もない事に時間を費やしておいて、それがたった一度の敗北や死で間違っていたと思うことがおかしいのだ」

修行することは楽しい。鍛錬することは楽しい。努力することは楽しい。

最強を目指すこと自体が楽しいのであって、それで負けても文句など言うべきではない。

頓智合戦や数値の比較や天運や人数によって、手も足も出ずに負けることもあるだろう。

だが最強を目指していた者ならば、そんなことを気にすることはないのだ。

何故なら、修行していた日々が楽しかったのだから。

「だからこそ嬉しい。我が弟子の剣を見て惚れ込んでくれたなら、儂が目指した『最強』に対して、憧れてくれたということだからな」

「……はい、一目ぼれでした」

「そうか、ありがとう」

自分の作り上げた術理に誰かが憧れてくれた。それがとてもうれしい。

だからこそ暖かく、剣聖の師は後輩を迎えていた。

「とはいえ、儂は教える気はない。サンスイに鍛えてもらえるように頼むことだ」

「それは……理由をお伺いしても?」

その上で、自分ではなく自分の弟子に弟子入りするようにと、仙人は語る。

もちろんトオンに不満も文句もあるわけもない。山水がトオンを弟子にしたくないのは師匠から許可をもらえていないからであって、師匠から教える様にと言われれば拒む理由がなくなる。

だが、教えたくない理由には興味があった。

「うむ……実を言うとな、サンスイが弟子をとりたくないという気持ちもわかるのだ。なにせ儂もアレも、限られた寿命しか持たない者に、剣を教えようと思ったことがないからだ」

悠久の時を過ごしている仙人らしい言葉だった。

そして、山水も思っていることだった。

「しかしだ、儂が言うのもどうかと思うが、限られた寿命しか持たぬ者が儂の剣を使えぬというのなら、それは剣術とは呼べないのではないかとな」

「剣ではなく、仙術だと?」

「うむ、第一……どのような術理であれ、どのような修行方法であれ、千五百年たゆまずに行っていれば当然のように強くなるはずだ。違うか?」

本人や弟子も自覚している引け目を、やや恥じらいながら言っていた。

そして、開祖が赤裸々に語ると、他の面々も否定できない。

それはそうかもしれないが、それを言ってはいけないのではないだろうか。

「い、いえ……千五百年もの鍛錬など、早々できるものではないかと……」

「そうは言うがな、先ほどの例を否定するようで悪いが、それでは術理もへったくれもあるまい。少なくとも儂はそれなりに悩んで今に至っている。仮に儂よりも長く生きている者が現れて戦うとしても、負けを覚悟するつもりなどないぞ。それではただの我慢比べではないか。自分よりも若いものにしか勝てないというのなら、やはり術理とは程遠い」

スイボクも苦悩の果てに自分なりの最強を描いた男である。

その『最強』が、自分よりも長く生きて長く修行している、という相手に無条件に劣れば、それはそれで嫌な気分になるだろう。

先ほどの悟った様な事とは対照的な、極めて個人的な理屈だった。戦って負けて死ぬことは、不運でも不幸でもないが、それはそれとして不満に思っても仕方があるまい。

「それにだ……儂の弟子であるサンスイも、実際の所習得の速度は速いのだぞ」

「であろうな……少なくとも、我と別れた時のお主よりも強かったぞ」

他ならぬエッケザックスが、山水とスイボクを比較して答えていた。

「うむ、アレは昔すぎて憶えておるまいが、たかが五百年しか修行しておらぬ身で、五百年前の儂と腕前は互角ということだな」

スケールが大きすぎて、寿命が短い面々は思考停止しそうになる。

ざっくりいえば、スイボク自身の指導があったとはいえ、千年修行したスイボクに五百年で山水は追いついたということだろう。

二倍以上の速さで上達した、という意味ではスイボクの指導は意味があったのだろう。

もちろん、常人にはどちらも永遠に不可能ということだが。

「であればだ、アレもいい加減弟子をとっても良かろう。才能と熱意のあるものならば、限られた寿命の中でも習得できる。それが本来の剣術と言うものだ」

「それは……」

「うむ、儂は仙人として剣士として、弟子を一人前に育てたと思っている。であれば、儂の弟子には人間の剣士を育てることを試みて欲しいと思っている」

人の理を越えて己を鍛えていた剣士は、しかし人が使えてこそ剣術だと語る。

人が目指せる『最強』でなければ、『最強』ではない。理想像にも目標にもなりえないのだという。

「ということでだ、儂の方からも頼む。どうか儂の弟子の剣を継ぎ、それを次に伝えてほしい。それが生きた剣と言うものだ」