私は聖人様の初恋に巻き込まれただけです!
作者: 月追める
本文
「もし、見ず知らずの誰かが恋に落ちる瞬間を目撃してしまったら、どうしますか?」
そう聞かれたら、あなたはどう答えるだろうか。
もし、誰かが恋に落ちる瞬間を目撃してしまったなら、私は――。
----------
「貴女のような令嬢が、クリスフォル様の婚約者だなんておかしいわ!あの方の隣に立つのは、清らかな方であるべきだもの!」
演習場へと向かう途中、甲高い叫び声に呼び止められ、私はうんざりしながら振り返った。
「……私にそう言われても困るのですが」
「じゃあ何かしら。あの方から望まれたというつもり?デレシー・バディア!」
ビシッと指を差されるが、目の前にいるのは人差し指でピンと弾けば吹き飛んでしまいそうな華奢な令嬢だ。小動物が威嚇している程度にしか見えず、下手に言い返すことも出来ない。
「聖人であるクリスフォル様には、聖女見習いである公爵令嬢エウヘリナ様の方が相応しいわ!」
「そうよそうよ!騎士なんて目指している貴女が、どうしてあの方と並んでいるのよ!」
ひとつの汚れも見えない聖女見習いの衣装をまとう令嬢達は、それだけで清廉に見える。ただし、その表情や言動には一切の上品さや思いやりはないが。
「すみませんが、失礼します。今から訓練があるので」
「ちょっと!話はまだ……!」
「何度も言っていますが、その手のことはクリスに直接言ってください。立場上、私が何か言ったところで変わるはずないでしょう?」
目を細めると、令嬢達はびくりと体を震わせた。睨んだつもりもないのに、この怯えよう。私の顔が怖いのか?それとも、この高い身長のせいか?
女なのにパンツを穿き、リボンやレースといった飾り気の一切ない訓練着を着ている私。手は剣だこだらけだし、女性特有の柔らかな曲線もない。
令嬢達の言う通り、美しさや清らかさからは程遠いだろう。
(はぁ……。私だって普通の令嬢になりたかったさ。それなのに、どうしてこんな……)
私は、怖がりながらもこちらを敵視する可愛らしい令嬢達と自分を見比べて、そっと肩を落とした。
貴族の令息令嬢が通うこの学園には、多くの学科が存在する。
中でも素質のある者しか入れない学科があり、聖人聖女科、魔術科、騎士科は入学前の試験を通過しなければならない。
聖人聖女科であれば、聖なる力の具現化。魔術科であれば、規定レベル以上の魔術が扱えるかの実証。
そして騎士科は――筋力や持久力などの体力測定全項目。更には、剣術もしくは武術での総当たり戦にて点数が出され、定員数で切られるというもの。
……いや、騎士科だけ圧倒的に内容が多すぎるだろう!?
この理不尽極まりない試験を通過し、騎士科に入学した私――デレシー・バディアは、辺境伯領出身でもなければ騎士を輩出している家柄でもない、ごく普通の伯爵家の娘だ。
女でありながら騎士を目指すのは、先程挙げたような家の令嬢くらいしかいない。同級生で騎士見習いの令嬢は、私ともう一人だけだからな。
そんな私が、令嬢達――特に聖女見習いからやっかみを受けている理由は、私の婚約者が侯爵家などという高位貴族の令息であり、聖人の称号を授かっているからに他ならない。
「デレシー、今日も訓練お疲れ様です」
「……クリス、また見に来ていたのか?」
「はい。怪我はしていなさそうですが、一応治癒しておきますね。ヒール」
私に手をかざし、キラキラとした光を放っているこの男こそ、私の婚約者のクリスフォル・シエルフル。
「ありがとう。疲れた体が軽くなったよ」
「いいえ、どういたしまして」
こうして息をするように神聖力を行使出来るため、学生の年齢でありながら特別に“見習い”を免除され、既に聖人と認められている。
教養も高く、一般試験の学力テストでは三位だったと言っていたか。
ただ、優秀そうにはあまり見えない、何処か抜けている柔らかな雰囲気を持っている。次期当主としての威厳は物足りないが、人好きのする性格や丁寧な口調もあって親しみやすいのだろう。
当然だが見た目もいい。中性的で綺麗な顔立ちで微笑めば、令嬢達はイチコロなのだ。
――するとどうなるか。
令嬢達がクリスとお近付きになりたいと考え、まずは婚約者の有無を調べる。
そして辿り着くのが、私だ。
釣り合うような高位貴族の令嬢でもなければ、騎士科に属している泥くさい騎士見習いの女。それを聞いて、みなこう考える。
聖人であるクリスフォル様に相応しくない!
と。女騎士を目指しているような野蛮な令嬢が、クリスの婚約者だと認めたくないのだろう。
「そういえば、来週の野外演習の班が決まりましたよ。僕は勿論、デレシーと同じ班ですからね」
クリスは頬を緩め、私の腕に手を添えてきた。
水浴びもしていないから汗臭いはずだ。そう思って身を引こうとするも、ガッチリと腕を絡めてきた。どうやら離すつもりはないらしい。何故だ……。
「そうは言っても、クリスは引率役だろう?私を贔屓するような真似はしないでくれよ」
「分かっています。デレシーはしっかりしていますし、僕の立場を使っていい評価をもらおうなんて考えていないでしょう?」
……立場を使って職権乱用しているのはお前の方だろう?そんな意味を込めて目を細めると、クリスは笑って誤魔化した。
「僕はただ、『野外演習に向かう婚約者の身が心配で』と言っただけですよ」
「いや、言ったんじゃないか。まったく……」
クリスは、一般的な授業を受ける際はいち生徒として振舞っているが、聖人聖女科の授業では講師や引率のような役割を担っている。
そのため、同じ班になるよう発言したようだ。
(こいつの場合、授業すら生徒扱いする必要はないと思うがな……。学園の授業内容なんて全て学び終えているだろうし)
あぁ、婚約者が優秀過ぎて辛い……。しかも、令嬢達からすると、それをひけらかさないのもいいのだろう。
クリスの人気が高まれば高まるほど、比例して私に向く視線は鋭くなる。
騎士科に属しているだけあって、私の危険察知能力は低くない。令嬢から足をかけられそうになっても、水をかけられそうになっても、全て躱せるので然程実害はないが。
(また面倒なことになるんだろうな……)
そんな私の気苦労などおかまいなしに、クリスは純粋無垢に微笑んだ。
「楽しみですね、野外演習」
「……はぁ」
私は今から胃が痛いよ。そう言葉にすれば、少しは楽になれるのだろうか……。
そうして数日後、野外演習の日。集められた班の人数は、全員で八名。その顔ぶれを見て、私は眉間に皺を寄せた。
まず、本職の者が引率・サポート役を務める。聖人のクリス、そして魔術師と騎士が一人ずつの計三名。
演習を受ける学生からは、聖女見習いが一人、魔術師見習いと騎士見習いが二人ずつの計五名。
聖女見習いとして佇んでいたのは、公爵令嬢のエウヘリナ・ハルフィード様。前にも絡んできた、私を最も敵視している令嬢だ。クリスをうっとりと眺め、その後すぐ私を睨み付けてきた。器用だな……。
もう一人の騎士見習いは、私が入学前試験で叩きのめした令息だ。そのせいで擦れ違うたびに「女のくせに」「馬鹿力だ」と悪態を吐いてくる。ことあるごとに勝負を挑んでくる、面倒極まりないやつだ。
魔術師見習いの令息と令嬢は、そんなピリピリとした雰囲気を私のせいだと思っているらしい。二人とも神経質そうな目を眇め、不愉快だと訴えている。いや、私にそんな表情を向けられてもな……。
「あー……コホン。この班の引率、班長を務める王国騎士団第三番隊隊長のロルダン・モントスだ。宜しく」
モントス卿の挨拶に、クリスは満面の笑みで拍手を送る。釣られて他の生徒達もパチパチと手を叩いた。
「これから入る森には魔物が潜んでいる。とはいえ、演習区域内は結界が張られているし、強い魔物は生息していない。授業で学んだことを活かして動くように」
「「「「「はい!」」」」」
それから隊列を組み、時折現れた魔物と戦いながら奥へ進んだ。
演習とは言え、実戦には違いない。隊列の先頭を任された私は、もっとも魔物との交戦が多い。
そんな中でも、みなが歩きやすいよう草木を掻き分け、雑草を踏んで道を作りながら進んでいるのだが……。
後ろを確認すれば、クリスは嬉しそうにモントス卿と談笑していた。まぁそれはかまわない。隊列で二人は隣同士で、殿を務めているのだから。
しかし、その前を歩くハルフィード公爵令嬢と騎士見習いの男は、それぞれクリスやモントス卿に話しかけたいのか、隊列を気にせず、振り向きながら話しかけていた。
いや、呑気か!?列を乱すんじゃない!
時々注意をするが、二人は聞く耳を持たない。
魔術師見習いの二人の瞳からは不愉快さが消え、代わりに不憫なものを眺めるような目で見られた。知らない間に哀れまれているじゃないか!
一時間ほど歩いたところで少し開けた場所に到着し、そこで一度休憩することになった。
どっと疲れた私は、木に凭れかかる。本音を言えば座り込んでしまいたいが、騎士がすぐ動けない状態ではいけない。
そんな私の目の前で、騎士見習いの令息は豪快に座り込んだ。お前ええぇっ!!
「魔物なんて大したことないな」
加えて放たれた一言に、私は呻きそうになった。お前が言うな!と。
クリスやモントス卿は、談笑しながらもきちんと周囲に気を配っている。だが、二人がのんびり話しているからと、この男や公爵令嬢は警戒心を解き、庭を散歩しているように歩いているだけ。
(次は緊張感を出させるために、二人を先頭にと進言すべきか?いやしかし、クリスやモントス卿と引き離すためだろうと文句を言われて、班が拗れるだけだろうか……)
あぁ、頭が痛い。何故私がこんなことを考えなければならないんだ。これでは私がみなのお守りをしているようじゃないか……!
ぐるぐると頭を悩ませていた時、ふとクリスが話しかけて来ないことに気付いた。いつもなら「怪我は?」と一声かけてくるはずなのに。
モントス卿へと視線を向けるも、クリスの姿はない。その他の者達の治癒でもなさそうだ。
そうして見渡していると、ハルフィード公爵令嬢もいないではないか。
(……おいおい、何処に行ったんだ?)
ここが安全な区域なのは、学園が演習用として結界を張り、強い魔物が入り込めないよう管理してくれているからだ。
だが、その外に出れば――。
「みな、すまない。クリスとハルフィード公爵令嬢は何処に」
「きゃああああぁぁっ!」
東の方角から悲鳴が上がり、私は瞬時に駆け出した。暫く走った先、結界の外に座り込んでいる人影が見える。
尻もちをついて体を震わせているハルフィード公爵令嬢と、その前で祈りの姿勢をとるクリス。
正面には――大型の魔物が群れを成していた。
クリスが加護を発動して、魔物の脅威を弾いているようだ。
私は、躊躇いなく結界の外へと飛び出した。公爵令嬢を抱えあげ、結界内へと下がるために。
しかし混乱しているのか、抱き上げようとすると彼女は半狂乱で体を捩った。このままでは落としてしまうかもしれない。
私はぐっと抱き寄せ、「聞け!」と叫んだ。びくりと公爵令嬢の体が震える。
「もう大丈夫です。怖ければ目を閉じてください」
「あ……っ」
潤んだ瞳の焦点が合い、やっとこちらを捉えた。その瞬間に後方へ下がり、結界内にその体を下ろす。他の生徒達は、外の魔物を見て立ち竦んでいた。
「こちらは頼んだぞ」
「おい!女のお前なんかには無理だ!」
令息の制止も聞かず、私は再び結界の外へ駆けた。
クリスが加護を解けば、結界内に戻るより先に襲われてしまう。引率の二人は魔物を減らそうと必死に戦っているが、その数はあまりにも多い。
「加勢します!」
「……!いや、お前は結界の中に」
モントス卿が止めるよりも早く、私は剣を振り抜いた。グオオッと雄叫びを上げ、魔物が崩れ落ちる。
「次っ!」
それから、クリスを狙う正面の魔物達を一掃し続けた。
粗方数が減ったところで、祈り続けているクリスの肩を掴んだ。その額にはじっとりと汗が滲んでいる。長く加護を発動していた負荷だろう。あれほどの魔物の大群を弾いていたのだ。無理もない。
「……デレシー」
「加護を解け。クリスがここにいると、次々魔物が寄ってくる。私が必ず守るから、結界内に戻るぞ」
「分かりました」
聖人や聖女は魔物にとって天敵ではあるが、逆にその血肉を喰らえば力が増すのだ。奴らにとって聖人聖女は、甘美なご馳走に見えていることだろう。
クリスが組んでいた手を解くと、ふわりと加護が切れていく。私達は結界へと一目散に走った。
もうすぐ結界に入る――その目前で、横から魔物が飛び出してきた。
クリスめがけて大きな爪が振り下ろされる。ぎゅっと身を縮こませたクリスの肩を引き寄せ、剣で爪を弾いた。
「クリス!結界まで走れ!」
「デレシーは……!?」
「私なら大丈夫だ。行け!」
何故か頬を紅潮させたクリスは、静かに頷いて駆け出した。
クリスの後を追おうとする魔物の前に立ちはだかり、「お前の相手は私だ!」と一閃。
他の魔物も押さえ込みつつ、無事に結界内へ入ったクリスを確認し、
「クリスは無事です!お二人も結界内へ!」
と声をかけた。私も身を引き、結界内に滑り込むと、呼吸の荒いクリスの背中を撫でながら支える。
「大丈夫か?」
「……まるで、あの時みたいです。あぁ、デレシーも凄く、格好いい……」
「おい、人の話を聞いてくれ?」
熱っぽい瞳で恍惚とした表情を浮かべるクリスに、私は呆れて脱力する。
すぐに後退してきたモントス卿と魔術師。あれだけの数を相手にして、かすり傷程度なのは本当に凄い。
そんな二人の表情は、鬼のように険しかった。
「この班の野外演習は中止とする。評価以前の問題だ」
「そうだね。隊列も酷かったけど、結界の外に出るなんて論外だよ。これについては事情聴取もするからね」
引率二人の判断に全員が頷いた。こればかりは仕方ない。
……いや、仕方がないのだろうが、私は骨折り損のくたびれ儲けじゃないか!
「僕がいながら、すみません。全員に治癒をかけさせてもらいます。ヒール」
「疲れているだろうに悪いな。さぁ、早く学園へ戻るぞ。何があったのか、詳しく聞かせてもらおう」
はぁ……と打ちひしがれる私の腕をクリスが掴んだ。寄りかかるように擦り寄ってくるその瞳は、うっとりと揺れていて。
お前、まさかわざとじゃないだろうな……と、そんな声が出かかった。
学園に着いて話を聞いたところ、ハルフィード公爵令嬢と魔術師見習いの令嬢がグルだったと判明した。
クリスに近付きたかった公爵令嬢は、身分の低い魔術師見習いに魔術をかけさせ、自分の姿を私に変えさせたらしい。
その姿のまま、班から離れて森の奥へと向かったようだ。きっとクリスが付いてくるだろうと考えて。
「デレシーが周りに断りもせず、勝手に森の奥に行くはずありません。誰かの悪戯だろうと思って、引き返すよう注意しようと後を追ったんです」
「なるほど。クリスフォルの落ち度は、誰かに一声かけておくべきだったことだな」
「それについては面目次第もありません。まさか結界を越えてしまうとは思わなくて……」
あっさり私ではないと見破られた公爵令嬢は、何故あの女なのかとクリスに問い詰めたらしい。その時に私を散々軽んじ侮辱したそうで、クリスは怒ってしまったという。
「デレシーの努力は、僕が一番よく知っています。僕が彼女を巻き込んでしまったせいで、望んでもいない女騎士を目指さなければいけなくなったのですからね」
「なっ!?この女は、騎士を望んでいないだと!?」
「……そういえば君は今日一日、僕の婚約者に嫌悪感をずっと向けていましたね?最近、彼女について陰口を叩いているのも知っていますよ」
「そ、それは……っ」
「演習での行動も杜撰で、結界の中で怯えているだけだったというのに、デレシーに失礼な態度ばかり……非常に不愉快です」
クリスは気分が悪そうに顔を 顰(しか) めた。いつもにこやかな彼にしては珍しい表情に、全員が息を呑む。きっとこの顔を公爵令嬢にも向けたのだろうな。
「……と、このように少々刺激してしまったようで、結界の外に飛び出していってしまって」
「クリス、一体何を言ったんだ?」
「その……『デレシーも本来なら“見習い”期間なんて不要なほど強いんです。それでも彼女は、僕のコネだと思われないよう見習いから始めると言って、みなさんと平等に試験を受けたんですよ。とてもまっすぐで素敵な子なんです。貴女なんかよりずっとね』と」
……最後にしっかり煽ってしまったらしい。引率の二人と私は揃って頭を抱えた。
クリスの言葉に触発された公爵令嬢は、「わたくしだって!」と叫んで結界の外に出てしまったらしい。聖女見習いなんて、魔物にとっては格好の餌じゃないか。本当に何をしているんだ……。
「二人には、当然だが罰を与える。最悪の場合、クリスフォルやデレシー嬢の命が失われていたかもしれないんだからな」
魔術師見習いの令嬢は「そんなっ!?」と悲鳴を上げた。首謀者のハルフィード公爵令嬢は、静かに俯き受け入れている。
「そうだね。流石に結界の外は僕達だけじゃキツかったし、バディア伯爵令嬢があれほど戦えたのは本当に助かったよ」
「まったくだ。デレシー嬢、随分強くなったな」
二人から褒められ、私は遠い目で笑う。
「ところでさっきの、バディア伯爵令嬢が騎士志望じゃないって、どういうことなの?こんなに戦えるようになるには相当な訓練をしたはずでしょ?よく続けられたね」
「あぁ〜……それはだな」
引率の魔術師の疑問に、モントス卿は言葉を濁しながらクリスを見た。眉を下げたクリスは、静かに私を引き寄せる。
「僕が彼女を気に入って、連れ回してしまったせいなんです。まず最初にデレシーと出会ったのは、薄暗い荷馬車の中でした」
「えっ!?それって……」
「僕は、早くに聖人の力を発現させたこともあって、少しばかり有名でした。それに侯爵令息ですから、僕を捕らえて利用しようとした連中がいたんです」
言葉の通り、クリスは過去、人さらいに遭っている。
とある貴族の開いたパーティーで、木陰で休んでいたクリス。そこで麻袋に入れられ、連れ去られたのだ。
そして、それを運悪く見てしまったのが――私。「え?」と目を瞬いている間に、同じように袋に放り込まれ、荷馬車で連れ去られてしまったのだ。
「貴族の邸宅内で人さらいが起きるなんて、普通じゃないでしょう?手引きした者がいるとして、王国騎士団が動いてくださったんです」
「私達は無事、騎士に助けられました。……その時ですよ、クリスが騎士に惚れ込んでしまったのは」
「……ん?」
魔術師は首を傾げた。他のみなも、きょとんとしている。
「クリスの初恋は、騎士なんです」
「女騎士だったの?」
「いいえ、男の騎士ですよ。でもあの表情は、恋する乙女のようでしたね」
「ち、違いますよ……!ただ格好いいと思っただけで!」
クリスは頬を僅かに染めながら、あわあわと慌てる。そんな彼の言葉を、キッと睨み付けて否定する。
「嘘をつけ!その時の事情を知るのが私しかいないからって、毎週騎士の訓練場に連れ回したくせに!」
「だ、だって……!」
「しかも、しょっちゅう『またあんなふうに守っていただけるでしょうか……』なんて切なそうに呟いて!そんな事態に早々なられてたまるか!」
どうやらクリスは、騎士に助けられた状況にときめいてしまったらしい。
いや分かる、分かるぞ?確かにあの時、私も騎士の逞しさや力強さに救われた。安心感からか、クリスと共にほろりと泣いたのも覚えている。
だがな、騎士に惚れて執着するとすれば、普通は令嬢である私の方だろう!なんでお前がそうなるんだ!しかも、“助けられる側”なんてお姫様ポジションを求める令息などいるもんか!
「結局クリスのそれが治らないから、侯爵様に頼まれて私が『婚約者兼女騎士』になる羽目になったんじゃないか!息子が騎士に憧れて止まないから、婚約者を騎士にしてしまおうと考えられて……事情を知る私に騎士になれだなんて!」
それから、地獄のような特訓の日々が始まったんだ。
剣術や武術など無縁だった私が、何故こんな血反吐を吐く思いをしなきゃいけないんだ!と……本当に辛い毎日だった。
(それでもクリスが「凄いね!」「デレシー、格好いい!」なんて褒めて 煽(おだ) てるから!こんな私でも変われるのかと頑張ってしまったんだ……。その結果がこれだ!くそうっ!)
全員が唖然と目を瞬く中、一人だけ訳知り顔で苦笑していた。それもそうだろう。私は勢いよくモントス卿を示した。
「ちなみに私達を助けてくれたクリスの初恋の相手は、そちらにいらっしゃるモントス卿です!」
「うわあああっ!?や、やめてください、みんなの前で!!」
「どうせ同行者希望で、卿の名を言ったんだろう!また迷惑をかけて!お前も少しは自重と反省をしろっ!!」
私は懇々とクリスを叱り続けた。
そんな中、魔術師は無言でモントス卿へと視線を向ける。卿は、「まぁ、そういうことだ」と肩を竦めていた。
その後、事件を引き起こした二人は一週間の停学処分を受けた。そして、クリスはというと――。
「一週間、罰掃除だなんて……」
しょんぼりと肩を落とし、箒で落ち葉を集めていた。
「引率なのに報連相を怠って、その場を離れたんだから当然だろう」
「罰も与えられていないのに、僕に付き合ってくれるデレシーは本当に優しいですね。いつもありがとうございます」
私達は生徒達から注目を集めながら、掃き掃除をする。
しかし、前のような嫌な視線ではなく、生温かいものへ変わっていた。寧ろ、くすくすと笑い声さえ聞こえる。どうやらクリスと私についての噂が広まってしまったらしい。
「しかし、困りました。まさかハルフィード公爵令嬢が、デレシーに惚れ込んでしまうなんて」
「あ〜……」
私は眉を寄せ、頭をガシガシと掻く。
二人が停学になったその日、彼女から私宛てに手紙が届いたのだ。
また文句でも書かれているのだろうかと開いたそこには、助けてもらった感謝が丁寧に綴られていた。
少しは反省してくれたのかとほっとしたのも束の間、その後には助けた時の情景を詩的に表現した感想が延々と……それはもう延々と書き連ねられ。
最終的には、『わたくし、あの時のデレシー様の強さに魅了されてしまいましたの』だとか。
この展開、既に経験済みなんだが!?しかも、なんで矛先が私に向くんだ!あんなに嫌っていただろう!?
「まさか公爵令嬢がライバルになるなんて。彼女が学園に戻ってきたら、すぐデレシーに絡みに来そうですよね」
「ライバルってなんなんだ……。それに、これまでも散々絡まれていたのに、今度は別の意味でまとわり付かれるのか?はぁ……」
いい加減、勘弁してほしい。今以上に注目を集めるなんてごめんだぞ!
「素敵な騎士には、誰しも守ってもらいたいと思うものです。デレシーが認められたようで嬉しい反面、僕だけの騎士じゃなくなるのは寂しいので、絶対に譲れませんね……」
「いや、そんな怖い顔して何を言っているんだ?」
「確かに、僕の初恋はモントス卿でしたが……今、僕が恋をしているのも愛しているのもデレシーだけです。こんな僕にずっと付き合ってくれる貴女を、大事に想わないはずないでしょう?」
「なっ……!」
クリスはそう言うと、蕩けるような笑みを浮かべた。こういうところが本当にズルい。じわじわと顔が熱くなっていく。
しかし、甘い雰囲気を味わう間もなく、クリスの切り替えは早かった。
「ここは聖人として、上下関係をしっかり見せなければなりません。優先して守られるべきは僕であって、貴女はただの見習いなのですよと言い聞かせなければ。デレシーは僕だけの騎士なんですから」
仄暗い顔でブツブツと呟き始めたクリス。聖人聖女はみな清廉な衣装に身を包んでおきながら、どうして揃って表情や言動に一切の上品さや思いやりがないんだ……?
さっきまで高鳴っていた鼓動はどこへやら。この先待ち受ける面倒事に、私は頭を抱えた。
「……頼むから、私を巻き込まずに勝手にやってくれないか」
項垂れて呟いた言葉は、吹き抜けた風に攫われていく。集めた落ち葉も舞い上がって、私は深く溜息を吐いた。
見ず知らずの誰かが恋に落ちる瞬間を目撃してしまったら、あなたはどうしますか?――だと?
普通は知らぬ顔一択だろう!どうしてこう巻き込まれなくてはいけないんだ!?
しかもだぞ?もしもクリスが、次は魔術師に惚れ込んだら、今度は魔術師になれと求めてくるかもしれないじゃないか。
だって今やクリスは、それを惚れた相手でなく私に求めてくるに決まっている!
い、嫌だっ!これ以上付き合っていられるか!
私だって……私だって本当は、守られる側の方がいいんだーーっ!!