作品タイトル不明
北の国の公爵令嬢
「大神官様が罷免されたですって?」
王都に激震が走ったのは、私が神殿に駆け込んだ一週間後のことでした。
高潔かつ清廉と名高い大神官様には罷免される理由など、どこにもありません。間違いなく、王子の仕業でしょう。またありもしない罪を捏造したのかもしれません。
一週間前、王子にいじめを捏造され婚約破棄と追放を宣言された私は、卒業祝賀会の夜会服のまま神殿に向かいました。会場を追い出され馬車に戻ったものの、あまりの出来事に頭が真っ白で、何処へ迎えばいいかわからなかったのです。思えば大神官様にはあの偽聖女のことで何度も面会を申しこんでいました。でも面会は一年後と門前払い。大神官様が聖女の共謀者と思い込んでいた私は、せめて苦情を申し立ててやろうと思いつきました。
結論からいえば全部勘違いでした。大神官様は貴族も平民も同等に扱うため、皆が同じ条件で面会の順番に並びます。公爵家の私の面会希望も神殿の規定に従って一年先になっただけでした。貴族の身分が相互不可侵の神殿で通用すると考えていた自分が恥ずかしいです。そこらの落ち葉に埋まりたい。
神殿への道中でだんだん怒りが湧いてきた私は、夜間受付で「聖女と王子が神聖契約を破棄しました」と叫んだのです。神殿は大騒ぎになり、おやすみ前の大神官様に緊急で面会できました。
蓋を開けてみれば、大神官様は偽聖女の存在すらご存じありませんでした。北の国神殿の頂点としてお忙しい方です。貴族学園に聖女を名乗るものがいるなどという些末事がお耳に入るわけもなかったのです。
私が大神官様と面会している最中、王子から神聖契約による婚約を破棄するという書状が届きました。ただの書類です。本人はいません。
神聖契約は神に誓うもの。神官を通して神に直接誓いをたてるから神聖契約です。書類はあくまでおまけです。
その契約を破棄しようというのに直接出向きもせず、神様に対して手紙一通ってなめてんのか。
事の重大性を鑑みた大神官様の命により、翌朝一番で関係者に緊急召喚状が届けられました。もちろん当事者たる王子と偽聖女にもです。その日のうちに、欠席した殿下と偽聖女以外の全員の証言が採取されました。
大神官様のご厚意で、私も当事者として証言採取に立ち会えましたが、彼ら彼女らが嘘をつくたびに神器が光って神罰がくだされました。騎士でも泣くくらい痛いらしいです。神様こわい。
特に悪質だった殿下の側近三名が、十回目の嘘で規定による破門を即時宣告された時はうっかり快哉を叫ぶところでした。偽証判定を受けて訂正した証言がまた偽証判定されての繰り返しだったので、破門もいたしかたなし。
「この殿下による婚約破棄申請書類に、あなたの証言として記載されている文章は、ご自分の証言に間違いありませんか?」
「はい」
神器反応なし。
「ではこの証言が事実なら、最初の一文をそのまま読み上げて、これを事実と証言しますと付けくわえてください」
「はい。私は×年×月×日、貴族学園第一校舎大階段にて、王子の婚約者の公爵令嬢が聖女を突き落とすところを目撃しました。これを事実と証言します」
神器ピカー
「いたっ」
「神に偽りを述べることは赦されません。宣誓前に説明した通り、光は嘘の判定、痛みは神罰です。訂正して事実のみを述べなさい。恩情として教えますが、現在、どの国の神殿にも存命の聖女聖者は存在いたしません」
「はい。私は×年×月×日、貴族学園第一校舎大階段にて、王子の婚約者の公爵令嬢が子爵令嬢を突き落とすところを目撃しました。これを事実と証言します」
神器ピカー
「いだっ」
「嘘を重ねると神罰による痛みは大きくなります。また戦闘訓練を受けた方などは痛みに強いため、非戦闘員より強い痛みを与えられる傾向があります。訂正して事実のみを述べてください」
痛みに段階があった! 神様容赦ない。
それにしても、側近三名とも同じく破門とは殿下の愚かさでもうつったのでしょうか。公平を期するために採取が一名ずつでなければ、最初の一名以外は助かったかもしれません。神殿容赦ない。
早々に偽証を認めた十五名は破門には至らないと神殿からの罰は受けませんでした。とはいえ血筋の正当性に拘る公爵代理が、公爵令嬢への罪の捏造を許すはずもなく、証言の翌日には全員が貴族裁判に訴えられました。公爵令嬢への名誉棄損に損害賠償、おうちの方は青くなっているでしょうね。神聖証言は神殿によりすみやかに公表されるため、貴族家の権力で揉み消すことはできません。また神聖証言という確固たる証拠があるので事実を争う余地もない。家に戻ったあとで血の雨が降ったかもしれません。とくに破門者が出た家は。
殿下と子爵令嬢は王城にいて召喚に応じなかったそうですが、おそらく新婚気分で盛り上がった殿下が取り次ぎを禁じたのでしょう。あなたの側近が今、破門されましたとお知らせしたかったです。
それにしても、大神官名での緊急召喚状を無視するとは、殿下と偽聖女は神罰が怖くないのでしょうか。学生のくせに騎士気取りだった側近が、無様にも床に転がって泣くほどの痛みです。あれを見たら神様に嘘をついてはいけないと家訓にしたくなります。無知ってこわい。私も知らなかったけど。
神聖契約による婚約が王子側から書類で一方的に破棄通知されるという異常事態に加え、当の王子による召喚状無視。ありうべからざる事態の連続に、お忙しい大神官様が翌日王城へ出向くことが決定しました。迅速すぎて、そんなに大問題なのかと恐れおののきました。いえ、大問題なのはわかっていたけど、段違いに大問題だったなって。
この時点でも、いじめ捏造は証明されていました。冤罪を理由に婚約破棄など通るはずもありません。いっそ通っていたらよかったのかも。破棄が認められない以上、国にとって重要なこの婚約は継続となり、契約通り一年後に婚姻となります。残念無念です。いっそ放置しておけばよかったのかしら。いえ、王子から通知が来た時点で大神官様が動いて冤罪は晴らされたことでしょう。冤罪が晴れたはずなのになんだか嬉しくない。
塞ぎこむ私に大神官様が、婚約を続けたいですかと聞いてくださいました。私に、です。この婚約にあたって、私の意見など一度も聞かれたことはありません。十にも満たない子ども二人に、大人がよってたかって神聖契約を結ばせたのです。そういう意味では、ぶち壊したくなった王子の気持ちも理解できます。冤罪と私刑は彼がのたうちまわって死んでも許しませんが。
あの男と結婚するなど虫唾が走るほど嫌です。一から十まで何もかもあいません。自由に選べるなら絶対に選びません。我慢しているのは自分だけだと思うなよ。ですが、私が拒否しても、自身に足りない血の正当性を求める国王も、血統主義の公爵代理も婚約解消を許してはくれないでしょう。そのために子どもを神聖契約で縛ったのです。あの時の大神官が今の大神官様なら、私の両親かおばあ様が生きていてくれたら、子どもが当事者の神聖契約などありえなかったかも。
決して声に出すなと言い含められたので、首を振って否定しました。一方的に追放を言い渡されても耐えた涙が溢れます。
手巾が絞れるほど泣いた私がやっと落ち着くと、大神官様は神聖契約の秘密を教えてくださいました。
いわく、神は人とは違う何かだそうです。人の感情も、人の法も、人の常識も解さないと。
たとえば、神聖契約による証言で判定されるのは自覚のある嘘かどうかだけ。証言者が「人の血は白い」と心から信じ込んでいると、「人の血は白い」と証言しても嘘の判定はくだされない。赤い血を見たその人が血だとわからず「血は見ていない」と証言しても嘘とはならない。当人にとっては嘘ではないからです。ただし、血は赤いと本人に知らしめた後での証言なら嘘と判定される。それでも当人が血は白いとかたくなに信じる場合は嘘とならない。もっともその場合は証言者として不適格であることが誰の目にも明確となるので、証言内容と共にそう公表されるそうです。ただ、現実にはこんなに証明が簡単な勘違いとは限らないので、公平を期すために後日証言全部が公開され、市井からの指摘や関係者からの反論期間を設けるそうです。とんち感覚で反論してくる市井の人もいるとか。
このように神聖証言は非常に扱いが難しく、誤解や勘違いを極力排するために、かなり細かく状況を指定して質問します。複数の質問を同時にして、ひとつでも嘘の証言がまじればひとくくりに嘘と判定されるので、質問ひとつに証言ひとつと厳格な規定があるそうです。嘘の判定が出ると、その証言のどこが嘘なのかさらに細かく質問しなおして厳しくつめられます。そこまでやってもなお、質問の仕方で結論を誘導できかねないため、いわゆる弁護人も認められています。それこそ貴族法による裁判と同じかそれ以上の厳格さです。
神聖証言は厳格ですが、人の感情を判定してはいけないそうです。人間の心は愛憎が同居していることがほとんどで、神からすると白とも黒とも言えないらしい。実際、大好きな人でも喧嘩した直後は嫌いだったり、大嫌いな人でも世話になった直後は好意を感じたりと一定しません。証言させたところで、たとえば、その時は確かに好きだったのに、嫌いになった今から思い返すと好きと言ったのは嘘だったかもしれないと、少しでもそう思っただけで、その時は好きでしたという証言が嘘かどうかあいまいになって神器が点滅し始めるそうです。神様……。
神聖証言でわかるように、神には人間の感情も法も常識も通じません。神聖契約で問題となるのは神に誓った内容を守るかどうかだけ。万が一にも、とばっちりで神罰を受けないように契約条件は細かく決められるそうです。
たとえば婚姻契約書は神聖契約の一種ですが、姦淫したら姦淫したものに神罰がくだると定型文で書かれています。この場合、神罰の対象が姦淫したものだけと決まっているため被害者には神罰はくだされない。ただ、実際に神罰がくだるのは浮気した時ではなく被害者が神に訴え出て認定された時のため、本当に神罰がくだると知っている人は神官以外には少ないらしいです。どおりで私が王子からの婚約破棄を訴えた時、神官たちが慌てふためいたわけです。浮気による神罰案件と推定されたからですね。
一番身近な神聖契約である婚姻が定型文に署名する形であることと、神罰が本当にくだると知られていないことで、神聖契約による神罰が形だけの脅しだと世間に誤解されているのではないか、大神官様はそう推測していました。
今回、神聖証言に呼び出された人たちは揃って顔面蒼白でしたが、一族に浮気で訴えられた人がいたのでしょうか。世に知らしめるべきですね。浮気したら神罰がくだるし、浮気されたら神罰をくだせるよって。
かように神聖契約は厳格な契約なので、契約を成す前に神罰についての説明を受けるし、契約書にも記載されます。
神殿に保管されていた私の残念な婚約契約書にも、神への誓いを破ると神罰がくだると定型文で書かれていました。神罰定型文以外に書かれていたのは、今から王子と婚約することと、十八歳になったら婚姻することと日付と署名だけ。大雑把にもほどがあります。姦淫規定どころか規定が何もないので、王子の捏造が確定しても、逆に冤罪が事実でも婚約破棄申請は通らないそうです。嘘だから通らないのではなく事実でも通らないって、それはないわ神様。破棄できないように曖昧な内容にしただろう当事者どもが憎い。
このまま婚約破棄の手続きを進めれば、破棄は認められない上に神聖契約をやぶった神罰を受けかねないそうです。王子が神罰を受けるだけなら因果応報ですが、今回の場合、契約時の条件が曖昧すぎて、神罰がどこまで及ぶのかわかりません。人に神の意志は推察できない以上、神罰が私にもふりかかるかもしれない。だから大神官様の手元で手続きを止めてくださったそうです。ありがとうございます、大神官様! そして何してくれてんのよ、当時の関係者! 九歳で署名させられてから大神官様に見せてもらうまで契約書なんて見たことなかったんだけど名前覚えたから!
神殿の代表として大神官様にも謝られてしまいました。齢一桁の子どもに神聖契約を結ばせるなど、倫理的にありえないと。大神官様の就任前の契約ですから知らなくても仕方がないです。前任者どもめ!
婚約は続行したくないけれど、あの男の巻き添えで神罰を受けるのは嫌すぎる。偽証であれだけ転げまわるのです。契約破棄なんてどれだけの神罰が科されることか。
嫌だけど、すごく嫌だけど、生理的に嫌だけど、人格的にも嫌だけど、諦めて結婚するしかないのかしら。ああ、天国のおばあ様のところに行きたい、顔も覚えてないお父様、お母様助けて。
王子は階段から落ちて死ね。国王も雷落ちて死ね。心の中でならこんなに簡単に言えるのに、実際は何を言われても何をされても黙って俯くだけ。心の中では罵詈雑言が渦巻いていても表には出せません。神殿に怒鳴り込んだときに、一生分の勇気を使い果たしてしまったのでしょうか。
きっとこのまま結婚させられてしまうのだわ。
また涙がこぼれそうになって俯いたとき、大神官様がおっしゃいました。
神聖契約では何より当事者の合意が優先されます。冤罪による婚約破棄を取り下げさせ、両者合意による婚約解消のみを申請すれば神罰なしで解消できるでしょうと。
曇天に光が差したようでした。大神官様が輝いて見えます。後光がさすってこのことかしら。
ただ、王子にはあくまで一般に知られている神聖契約の説明しかできないそうです。わかります。身分的にも人格的にもあの王子に知らせていい内容ではありません。
私がこんなに詳しく教えてもらえたのは、一方的な被害者だったことと、神聖契約で他言無用を誓ったからです。誓いましたとも。だって神殿の秘匿事項です。知りたいでしょう。知ってしまったから神殿に留め置かれている気がしないでもありませんが。もちろん、私の意思が先です。卒業祝賀会場から駆け込んで以来、ずっと大神官様に保護してもらっているのです。公爵家に帰りたくない。帰っていたら私の意思なんて関係なく婚約継続一択だったでしょう。馬車の中で人生初の癇癪を起した自分をほめたいです。
今なら婚約も結婚もひっくり返せるかもしれない。
王子のことは嫌いですが、残念な人となりはよーく知っています。冤罪の証拠を突き付けたところで認めるはずもないということも。大神官様と側近の方々とで徹夜で作戦を練りました。
天国のおばあ様、私がんばります! 応援して……、待っておばあ様は血統主義だったかしら?
訂正、天国のお父様お母様、私がんばります! あら、二人も政略結婚じゃないの、応援してくれそうにないわ。
いいのよ、私には公明正大な大神官様がついています。法と正義と私の未来のために戦います!