軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

北の国の王子

王城の一画にある貴賓室は贅沢に暖房され春の盛りがごとき暖かさだった。

鮮やかな彩りの服を着た青年と白一色の服を着た男性が、繊細な彫刻の施された卓を挟んで座っている。どちらの服も細かく織られた布が丁寧に縫製され、この北の国の寒さにも耐える贅沢なものだ。青年は酒精を漂わせ気だるげに、男性は無表情に一分の隙もなく座っている。

広い室内には青年側と男性側それぞれに書記用の机があり、書記官たちが筆記具を構えていた。他にも多数の人間が控えている。

「一昨日、王子殿下のお名前で、神聖契約による公爵令嬢との婚約について、書面による破棄要請がありました。王子殿下のご意志で間違いありませんか?」

白い服の男性は一語一語を区切る様にゆっくりと声を出した。二名の書記官が手早く書きとめていく。

「もちろん私の意志だとも」

青年が笑顔を浮かべて肯定した。声にも嬉しさがにじんでいる。

「婚約破棄は殿下ご本人の意志であると確認しました。

そのうえでお伺いします。殿下の婚約は神殿で神のもとに誓った神聖契約でした。それを神殿に諮らず書面で一方的に破棄したいとは、どのような意図でしょうか?」

男性は変わらず無表情である。彼は神殿の頂点に立つ大神官であり、賄賂も不正も許さない高潔な人格者として有名だ。神殿法厳守主義者でもある。

予告なしで重要文書を送りつけたことが気にくわないのかもしれない。内容が内容だけに直接本人が確認に来たのだろう。ここは謝罪したほうがいいか。

「書面での要請になってすまなかった、大神官殿。本来なら貴方の協力も得たうえで婚約を破棄したかったのだが、公爵令嬢による妨害が予想されたため内々に行うしかなかったのだ」

青年が一転して沈痛な面持ちを浮かべる。衣装も相まって芝居がかって見えた。

彼にあらかじめ話を通せなかったのは王子にとっても痛手だった。大神官の協力が得られれば婚約破棄などとうに終わっていた。懇意の神官長らを通じて何度も極秘での面会を申し入れたが、どこかで阻まれ実現しなかった。もっともそれは神殿側の手抜かりでもある。それとなく指摘して大神官の謝罪も引き出さなければならない。

「詳細は書面にあるが、公爵令嬢による犯罪が度を超えた。聖女の命すら脅かされていた。だからこそ急ぎ手を打つ必要があったのだ。神殿にも何度も連絡を取ったのだが、神殿内部にも協力者がいたようでな。大神官殿まで報告を届けることができなかった。私の力不足だ」

「質すべきことは多いですが、まず、命を脅かされたのはいずこの国の聖女殿でしょうか? 現在わが国に聖女は存在しません。我が国で他国の聖女の命が脅かされたとなれば、国境を超えてすべての神殿が動かねばなりません」

聖女の存在さえ大神官の耳に届いていなかったのか。王族に連なる公爵家の力を侮っていたようだ。

「いいや、わが国の聖女だ。彼女は学園始まって以来といわれる強力な治癒能力を持っている。大神官殿のように神聖魔法をすべて使いこなす日も遠くないだろう。

辺境伯家に連なる子爵家の令嬢だが、両親が婚姻していなかったために長らく市井で育った。しかしこの春、晴れて両親の婚姻がなり正式に子爵令嬢として認められたのだ。要件を満たしたので、聖女への推薦書が大神官殿のもとまで届いているはずだったのだが、妨害がそこまで及んでいたとは由々しき事態だ」

王子は慎重に言葉を選んだ。大神官が前評判通りの神殿法厳守主義者ならば、婚外子だった聖女を認めない可能性もある。実際、神殿からの回答はそうだったと聞いた。彼女の咎ですらない弱点を消し去るために、わざわざ自分が間に入って政略結婚だった子爵夫妻を離婚させ彼女の母と再婚させたのだ。ここで間違えては水の泡だ。

「他国の聖女に危害が加えられたなどという一大事が存在しなかったことは不幸中の幸いでした。

ですが殿下、万が一にも外交の場で、存在もしない我が国の聖女に言及されては神殿と王家の関係にヒビが入りかねません。神殿と国家は互いに不干渉の独立した組織です。だからこそ殿下が神殿のしきたりに詳しくないことは理解できます。この場では聞かなかったことに致しましょう。今後お気を付けください」

神殿法厳守主義者の大神官は、聖女認定前に聖女を名乗ったことが許せないようだ。ここは過ちを認め、改めて聖女と引き合わせよう。一昨夜の初夜に続いて昨日も一日励んでしまったので彼女を起こすのはかわいそうだが仕方がない。

「認定より先に聖女と呼んでしまうとは先走り過ぎたな。だが、彼女は間違いなく聖女だ。公爵家の妨害にあって大神官殿まで報告が届かなかっただけなのだ。彼女に会いさえすれば貴方にもわかる。ここに連れてこさせよう」

「必要ございません。聖女の顕彰は神殿の専権事項です。そこに王家が口を出すなど、ありうべからざる僭越です。これは王家の総意ですか?」

悪手と気づいた王子が否定する前に大神官が続けた。演説の名手の名に恥じない朗々とした長広舌だった。

「神殿と縁の薄い殿下はご存じないようですが、聖女とは只人の一生をもってしても成し遂げえぬ功績に対して贈られる称号です。我が国には歴史上、十五人の聖者と七人の聖女がいらっしゃいますが、称号を贈られたのは早くて晩年、ほとんどは死後でした。只人の一生をもってしても成し遂げえぬ功績なのですから、それも当然でしょう。

翻って殿下の仰る子爵令嬢ですが、学園を卒業したばかりと若く、まだなんの功績もあげておられません。強力な治癒能力とおっしゃいましたが、神官や市井の治癒術士が生涯にどれだけの患者を治癒するかご存じでしょうか? 寡聞にして私は、かの令嬢が神官や治癒術士の一生分以上の治癒をその年齢にして成し遂げたとは聞いておりません。将来なら可能性はありますが、現在の彼女は聖女の条件を満たしておりません。だから推薦書は私の元まで届かなかったのでしょう。

その程度の理由で聖女と成りうるならば、神殿の神官や市井の治癒術士はみな聖女聖者に叙さねばなりません。そうなれば称号の希少性も失われます。神殿としてそのような愚策はありえません。

どうぞ、国王陛下にも一言一句違わずご説明ください」

失敗した。強力な治癒能力さえあれば聖女に任命されて当然だと考えていた。年若い聖女として自身の婚約者となる資格も十分だと思ったのに。外遊中の国王に報告がいけば只ではすまない。しかし大神官が公式に会談を願い出た以上、会談内容は公文書に記録される。公式会談ゆえに王家の書記と神殿の書記の両方が立ち会って今現在も記録中だ。揉み消しは不可能だろう。

「そうではない! 神殿からの回答はあくまで彼女の出生を理由としていたゆえにそれが原因だと勘違いしたのだ」

「神殿がそのような回答をしたのですか。初代聖女は婚外子と見なされるみなしごだったのに、なんと不遜なことでしょう。その回答を出した者は教育し直さねばなりません。書面による記録などをお見せください」

「すぐに手配する」

控えていた侍従に目配せすると、すぐに部屋を出て行った。

時間を稼ぎ会談の主題を変えねばと焦る王子の背を一筋の汗が流れた。

「ではあらためてお聞きします。神聖契約による婚約を、なぜ神殿に諮らず一方的に破棄しようとなさったのですか?」

「実は、聖…、子爵令嬢が、私の婚約者であった公爵令嬢から悪質ないじめを受けていたのだ。私物盗難、損壊、罵詈雑言に進路妨害、時には暴力と酷いもので、遂には階段から突き落とされ危うく大怪我をするところだった。子爵令嬢は一時期、部屋からも出られないほど怯えていて私の一存で王城に匿ったほどだ。それまでは口頭での注意に留めていたが、もう見逃すことはできないと事実を公にし婚約を破棄したのだ」

こうなれば公爵令嬢の犯罪だけを争点とするしかない。たとえ相手が聖女ではなくとも公爵令嬢のしたことは罪である。弱者に優しく、強者に厳しく、厳格で公明正大と称えられる大神官ならば、婚約破棄の正当性と子爵令嬢の被害を認め、神殿の庇護と後ろ盾を与えてくれるだろう。

「悪質ないじめと仰いましたが証拠はございますか」

「破壊された私物は数多い。神殿に提出した分で足りなければすぐ追加しよう。それに多くの学園生が証言してくれた。証言者の中には公爵令嬢の取り巻きもいて、告発するのは勇気がいったことだろう。貴族がほとんどだが平民もいた。子爵令嬢は身分を問わず慕われているのだ。私も彼らの勇気に報いるつもりだ」

「昨日、その証言者を集め神殿で改めて証言を求めたところ、十八名のうち十五名が偽証を認めました。被害者とされる子爵令嬢が泣きながら公爵令嬢の名前を口にしたので、犯人と勘違いして直接見たかのように証言してしまったそうです。公爵令嬢を陥れるために嘘をついたと告白した者もおりました。結論として、いじめを目撃した者は一人もおりません。

また残りの三名ですが、神聖契約のもと証言した内容がことごとく虚偽であったため、破門としました」

「なんだと!」

王子は証言が偽証だったことよりも破門という厳罰に驚愕した。

神殿から破門された者は婚姻を認められない。婚姻できなければ貴族としては致命的だ。婚外子は家を継ぐ権利がないからだ。次代が望めない者に爵位を継承させる貴族家などない。証言者はほぼ同年代のはずだが、破門されれば後継者から外されるだろう。

誰が破門されたのかは不明だが、側近や有力貴族の子弟ならば自分の勢力がそがれたも同然だ。撤回させねば。

「神聖契約は厳格なもの、わずかな証言の齟齬でも許されないと聞く。私ですら、たかがいじめの問題で、神聖契約を持ち出されるとは思ってもみなかった。彼らも焦って曖昧な証言をしてしまったのだろう。偽証はもちろん罰されるべきだが、善意から子爵令嬢を救おうとしたものに証言の齟齬だけで将来を奪うのは厳しすぎる。神殿への奉仕で反省を促してやってくれないか」

「神殿と縁の薄い殿下はご存じないようですが、神聖契約による証言は言葉尻を捉えて判断するものではありません。神殿の秘匿事項ゆえにすべてを明かすことはできませんが、第一に本人に自覚のある嘘が判定されます。これは敬虔な信者なら知っていることです。神聖契約を施した後、一昨日の卒業祝賀会での証言をもう一度再現するよう指示したところ、十五名は偽証を認めました。偽証を告白した者は、神聖契約の元では嘘をつかなかったので破門されておりません。破門した三名は神聖契約で自身の偽証が露見した後もさらに偽証を重ねたために悪質と判断されたのです」

「神殿と縁の薄い殿下」と同じ言葉を繰り返されてようやく、「王子は神殿法を何も知らない」と揶揄されたことに気づいた。

「それから、たかがいじめの問題でと仰いましたが、ことは神聖契約による婚約の一方的な破棄要請です。神殿も総力をあげて調査するのは当然のことです。公爵令嬢にも神聖契約による証言をお願いしましたが、彼女の言葉には一切嘘がありませんでした。殿下の側近も含め、すでに殿下と子爵令嬢以外の全員が神聖契約による証言を終えています。

殿下と子爵令嬢にも他の方と同じく昨日の朝一番に召喚状を出したのですが、お二人が欠席されたためにこうしてお伺いした次第です。子爵令嬢も王城に滞在しているとのことですのでご一緒にお願いします」

神殿がここまで迅速に動くとは思わなかった。昨日は前日の初夜の名残もあって、一日二人きりで寝室に籠もって過ごしたのだ。何があっても扉を開けるなと言いつけたのが仇になった。側近たちもこんな時に駆け付けないで何をしているのか! まさか破門になったのではないだろうな?

「神殿と縁の薄い殿下はご存じないようですが、神聖契約による証言は基本的に公開されます。今回は三名の破門通告も同時に掲示されました。可能ならば全員の証言をあわせて公開すべきですので、早急にお二人の証言をお願いします」

掲示だと? どこにだ? すぐに手を打たないと手遅れになる。はやく会談を切り上げねば。

「無礼な。王子たる私の証言が偽証だとでもいうのか!」

「神聖契約による婚約を一方的に破棄したいと要請したのは殿下です。殿下の証言は何より重要ですし、破棄要請に至る事情が精査され公表されるのは当然です。殿下は卒業祝賀会という公の場で宣言されましたので国中が注視していると言っても過言ではありません。学園生や国民の信頼にお応えください」

私は偽証などしていない。何を聞かれても真実を答えられる。

だが他の証言者がすべて偽証だったとはどういうことだ。目撃者がひとりもいないだと。証言者には公爵令嬢の取り巻きもいた。取り巻きの証言があったからこそ真実性が認められたのだ。それが嘘なら証言が合致していた子爵令嬢も嘘をついたということだ。

子爵令嬢の証言まで虚偽となれば、私は偽証を元に婚約者を断罪し、神殿の神聖契約を破棄したことになる。王位継承者としてとんでもない失態だ。最悪の場合、立太子を前に神殿から破門されかねん! あの女狐め。

学園の卒業祝賀会で大々的に婚約破棄をしてしまったのが悔やまれる。国中の貴族が知り、神殿も知っている。隠しようがない。聖女になれない子爵令嬢では、王太子妃の候補にもなれない。それどころか彼女と結婚すれば私に王太子の資格がないと言われかねない。だが卒業祝賀会で発表してしまったことを今さら変更もできない。外遊中の父が帰国するまでに何とかせねば。いっそ余興の演劇だったとでも誤魔化すか? 公爵令嬢さえ協力すれば……

「そういえば殿下、公爵令嬢は身の潔白を証明するためとご自身で神殿に入られました。事情が事情ですので、私のもとで保護しております」

考え込む王子を見ながら大神官がついでのように付け加えた。

「……そうか、それは良かった。大神官殿は先ほど、子爵令嬢との顔合わせは必要ないと言ったが」

「聖女推薦のための顔合わせは必要ございません。証言のためにお呼びください」

「実は彼女は体調が優れなくてな」

「それはいけません。私も治癒術士ですので先に治療を行いましょう。万全の状態で証言していただけるよう全力をつくします」

大神官は治癒術の名手としても有名だ。仮病は通じないに違いない。だが子爵令嬢に証言させれば事態は間違いなく悪化する。

「そういえば殿下。先ほど、『たかがいじめの問題で、神聖契約を持ち出されるとは』と仰いましたが、『たかが』いじめの問題で神聖契約による婚約を破棄することはできません」

「そうか。ならば婚約は続行しているのだな」

助かった! あとは偽証した連中を共謀罪で裁き、私が被害者だと発表するだけだ。

「いいえ、婚約はすでに破棄されています」

「何故だ!」

「公爵令嬢からも婚約破棄の申し立てがございました。公衆の面前で婚約者である殿下に貶められ、冤罪で名誉を傷つけられ、一方的に婚約破棄と国外追放を通告されたために婚約続行は不可能との理由でした。契約の両当事者から破棄の申し立てがあったことと両者の意志が固いことから、両者の合意のもとに契約は破棄されました」

「私は合意していない!」

王子はすでに怒鳴り声となっていたが、大神官は表情ひとつ動かさなかった。

「おかしなことを仰いますね。殿下からの婚約破棄要請が一日早かったのですが」

「私は冤罪など知らなかった! 知っていれば婚約破棄などしない!」

「殿下ご自身による婚約破棄の意志を私の目と耳で確認した時点で婚約は自動で破棄されております。神聖契約では、両者の合意が何よりも優先されるのです。

神殿と縁の薄い殿下はご存じないようですが、契約の破棄は私の主観で決まったわけではありません。神が判断したのです。だからこそ神聖契約と呼ばれるのです。神官の立ち合いが必要なのは、神が契約者を観察するための目と耳とするためであって、神官の意志は関係ありません。私を説得なさっても神のご意志を変えることはできません」

そんな話は聞いたことがない! 何か手はないのか、何か。側近連中はどうした。こんな時にどこで何をしているんだ!

「殿下。部下の方がお待ちのようですが、神殿からの返答について記録を見せていただけるのでしょうか?」

王子が目配せすると、さっと近寄った侍従が王子以外の耳に入らないよう小声で報告した。

「子爵令嬢に直接確認したところ、神殿からの書類はすでに処分したとのことです」

もはや回答書などどうでもいいが、大神官が待っている。そのままには出来ない。

はやる心を落ち着けて、王子が笑顔を浮かべた。

「大神官殿、申し訳ないが回答書が見当たらないそうだ。恐らく子爵家か側近の誰かの家にあるのだろう。使いをやって探させるので、お待ちいただけるか」

「わかりました。神殿でも元となった推薦書を探してみますが、かなりの量がありますので大まかな日付だけでも教えていただけると助かります」

「日付だけなら日記などでわかるかもしれないな。探させよう」

「お願いします。それと証言採取についてですが、殿下からの一方的な婚約破棄ですと、その理由の正当性を神に証明しない限り殿下に神罰が科されるはずでした。ですが、両者合意で婚約が破棄されましたので、証言を拒否なさっても神罰は科されません。ただ、その場合は公開文書に証言を拒否したと記載されますので、ご承知おきください」

後から後から私が不利になる情報が出てくる。神聖契約など結ぶのではなかった。神殿に騙された。王家をたばかるとは、父上は神殿を野放しにし過ぎだ。

「証言は行うとも。私には何ら恥ずべきことはないのだから。

私から神殿に出向こう。王子による神聖契約での証言ともなると、神官長らも集めて神殿で行うほうがよいだろう。それに、他の証言者は神殿で証言を採取したのだろう?」

「はい。神官長の一部も立ち合い神殿で行いました。他の方々と条件を揃えるほうが好ましいことは確かです。ではこのままいらっしゃいますか?」

「いや、長くなりそうなので日を改めてもいいだろうか。子爵令嬢の証言も同日のほうが手間がない。回答書も用意しておく。準備できしだい使者を送ろう」

大神官は王子の申し出を了承した。

これで一息つけると王子が気を抜いた瞬間、大神官が滔々と語りだす。

「ところで殿下。これは老婆心から申し上げるのですが、たとえ本物の聖女と結婚しても貴方の血の補強にはなりません。

殿下もご存じでしょうが、傍系であった前国王陛下は血を補強するために前王妃陛下とご結婚なさいました。前王妃陛下は亡き先々代国王の弟王子の長子であり、この国の誰よりも王家の血を濃くひいていたからです。先々代王弟殿下の遺児が姉妹ではなく兄か弟なら、王位は彼らに渡ったでしょう。姉妹だったがゆえに、姉君が前国王陛下の妃となられました。ですが残念なことに、前国王夫妻には御子が出来ませんでした。

その上、側室との間に生まれた国王陛下もまた南東の国の姫を娶られました。前王妃陛下の妹君がお産みになったのはご兄弟で、姫君がいらっしゃらなかったからです。

このままでは西の国に嫁いだ先々代王妹の 曾孫(そうそん) である西の国公爵令息のほうが、殿下より王家の血が濃いことになります。彼は孫世代のいとこ婚により生まれたのですから。先々代王弟殿下の孫兄弟がご存命か、ご子息が生まれていれば、西の国から何を言われたとしても、上位の継承者がいるので国内で王位を継承するとはねのけられたかもしれません。ですが、ご兄弟ともに授かったのはご令嬢でした。だからこそ、殿下に血の正当性を与えるために、先々代王弟殿下の曾孫である公爵令嬢が婚約者に選ばれたのです。ですがその婚約は破棄されました。

血に拘り、長子継承、男子継承を旨とする貴族法のもとでは、子爵令嬢とのご成婚はいばらの道となるでしょう。ご健闘をお祈りします」

血の正当性だと! 西の国のたかだか公爵子息が私より上だとでも言うのか! 大神官め、どこの馬の骨とも知れぬ婚外子の分際で! 婚約破棄を覆せないなら、真実などどうでもいい。子爵令嬢は聖女で、公爵令嬢は加害者だ! 王子妃候補の聖女認定を邪魔立てする大神官は、政教分離に反して僭越を行ったので罷免する!

王子の目は血走り、握り締めすぎた拳は色を変えていた。

「大神官様、やはり神官長が全員揃っておりました。事前に連絡があったのは半数のみだと言うのに異常事態です。王族の証言採取とはいえ、あり得ません。王家の介入がここまで酷いとは」

大神官付きの神官が険しい顔で報告する。大神官はいつも通りの微笑をたたえていた。

「何があっても神官長会議の決定に従いなさい」

「ですが彼らが真っ当な手段をとるとは思えません」

「相手がどのような手段を使おうと、私のなすべきことは同じです。己の正義に照らし、正しいと思うことを行うだけです」

「私もご一緒させてください!」

最も年かさのお付きが巻き添えを覚悟して進み出ると、他の者たちも次々に続いた。大神官の顔から笑みが消え、一人一人の目を見てから厳かに口を開く。

「ある神官から密告がありました。身内の安全と引き換えに脅されていると。

今日、私に否やを唱える者のすべてが本当に敵とは限りません。彼らは反撃の機会を伺っているのです。それは今日かもしれませんし、十年後、百年後かもしれません。

ですが、正道に背く者には必ず報いがあります。その時のために、いずれ表に立って戦う誰かのために、陰から支える者が一人でも多く必要なのです。神殿にも、この国にもです。一人一人が、大義のために自身に出来ること、なすべきことを考えなさい」

大神官が再び微笑を浮かべた。

「心配はいりません。彼らにあるのはせいぜい私を罷免する権利だけです。命をとられるわけではありません」

大会議室に大神官の平坦な声と王子の荒ぶる声がこだまする。

「先ほどから申し上げているように、彼女は神殿の聖女認定の要件を満たしておりま……」

「黙れ! 聖女を不当に貶め、王家の婚姻に介入するなど僭越も甚だしい! 公明正大な大神官とは噂だけだったな。そなたは大神官に相応しくない」

「私が大神官に相応しいかどうか決定するのは殿下ではありません」

王子が鬼の首をとったように笑った。その表情には為政者に求められる清廉さは欠片も見当たらない。

「ならば神官長会の決を採ろう。ちょうど神官長が全員揃っているのだから条件は満たしているはずだ。後悔しても遅いぞ」

「後悔などいたしません」

神官長の中には顔色が真っ青だったり顔がこわばっている者もいる。彼らに微笑みかける大神官の姿は神々しささえ感じられた。

「神官長会の投票により大神官の罷免を決定しました」