軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

彼と彼女の計画 1

文化祭の初日の午後。俺は急遽、王子役を演じることになった。光と闇のエスプレッシーヴォの公演を前に、講堂には多くの生徒、そしてその家族が集まっている。

最前列には、宣言どおりにパメラやフェリスが陣取っていた。彼女達は派閥だからと言うだけでなく、ソフィアお嬢様達の演技を心から楽しみにしてくれているようだ。

だが、観客の多くはお嬢様方の演技を楽しみにしているわけではない。彼らの多くは、王家や侯爵家との縁を繋ぐために、子供の演劇を観たという話題が欲しいだけだろう。

――だけど、そんなことは関係ない。

フォル先輩、そしてアルフォース殿下の想いを受け取った。ソフィアお嬢様がヒロインを演じる舞台で失敗なんてあり得ない。

幕が上がり、初々しい少女を演じるソフィアお嬢様が透明感のある声を発する。

その瞬間、客席の空気が変わった。

彼らは少し驚いた顔をして、それから舞台へと興味を抱き始める。

シーン1。

パーティー会場で迷ったヒロインが、貴族のどら息子に絡まれる場面だ。

オーケストラの演奏をバックミュージックに、オレリアがパーティー会場に立つ。そこにナレーションが入るのだが――お嬢様が演技に戸惑いを滲ませた。

ナレーションが予定されていた俺の声ではなかったからだろう。

アルフォース殿下の申し出があまりに急だったため、ソフィアお嬢様に役の交代を告げる暇がなくてこうなった――訳ではない。

ちょっとしたサプライズだ。

ちなみにナレーションを務めるのはこの国の王子。その声の主に気付いた者達がざわめいているが、アルフォース殿下は台本を片手にナレーションを務めている。

自分が選民派ではなく、庶民に寄り添う王子であると強調する良い機会、だそうだ。

前回のパーティーで選民派でないと証明したからといって、その後の行動が庶民に寄り添っていなければ、あれはパフォーマンスだったと言われるかも知れない。

彼はそこまで考えていたようだ。

本当に、彼はこの短期間で王子としての成長を見せている。

そんな彼のナレーションによって、ヒロインのピンチが告げられる。

いよいよ王子の出番が巡ってきた。身だしなみを整えた俺が舞台に上がる――直前、アルフォース殿下と視線が交差する。

彼はこくりと頷き、俺もまた頷き返して舞台に一歩を踏み出した。

魔導具のスポットライトが降り注ぐ。その光を浴びながら舞台の中央へと向かい、戸惑うソフィアお嬢様を背後に庇った。

お忍びのアルフレッド王子が機転を利かせて貴族のどら息子を追い払った。そんなナレーションに合わせてクルリと振り返る。

そこには――戸惑った様子のヒロインがたたずんでいた。

「お嬢様、大丈夫でしたか?」

キラキラの王子を演じつつ問い掛けると、お嬢様は驚いた顔で「シリル?」と呟いた。たしかに俺はシリルだが、いまは演技を優先してくださいと囁きかける。

ソフィアお嬢様はハッと思い出したように背筋を正した。

「助けてくださってありがとう存じます。わたくしは大丈夫ですわ」

「そうですか。あなたが無事で良かった」

ソフィアお嬢様が頬を染めた。

ここは、ヒロインが王子に一目惚れをするシーンだが、演技で頬まで染めてしまうとは、さすがお嬢様と言わざるを得ない。

――そう、これは演技だ。その証拠に、恋する乙女のような顔をしながらも、その瞳の奥には『聞いていませんよ?』と言いたげな批難を滲ませている。

お嬢様のびっくりする顔が見たかったんですとは口が裂けても言えない。

だが、ここは舞台の上。

自分を探しに来たメイドを見て、王子が名乗りもせずに立ち去ってしまうシーン。俺は追及を逃れるように「それでは、私はこれで――」と身を翻した。

――刹那、お待ちくださいとその袖を引かれる。

「どうかなさいましたか?」

演技として客席へと響かせるように問い掛けながら、本当にどうしたのかと首を捻る。ソフィアお嬢様はいたずらっ子のような顔で「ここなら、逃げられませんよね」と囁いた。

その意味を考えるより早く、ソフィアお嬢様が右手を差し出してくる。

「わたくし、実は退屈していましたの」

この世界において、女性からダンスを誘うのは少々はしたないとされている。ゆえに、いまのはダンスに誘って欲しいという遠回しな申し出だ。

そんな誘い受けを教えた覚えはないのだが、お嬢様は成長している。

――といって良いのだろうか? 台本とまるで違う展開だが……お嬢様の言うとおり、ここでヒロインの誘いを断るという展開はあり得ない。

……いや、違う。

お嬢様はずっと、俺とのダンスを望んでいた。そしていま、この状況であれば、お嬢様をダンスに誘ったとしても、俺を咎める者は誰もいない。

だから――と、お嬢様に向かって手を伸ばす。誰よりも近くにいて、けれど決して埋まらなかった距離が驚くほどあっさりと埋まった。

「よろしければ、私と一曲踊っていただけますか?」

「――ええ、あなたとなら喜んで」

その直後、まるで示し合わせていたかのようにワルツが流れ始めた。演劇のBGMは楽団による生の演奏だ。舞台袖に控えていた彼らがアドリブで曲を演奏してくれたらしい。

俺はそれに合わせてソフィアお嬢様を抱き寄せ、緩やかにワルツを踊り始める。

最初はソフィアお嬢様の調子に問い掛けるように緩やかなステップを踏み、すぐに難度の高いステップへと移行する。

繊細に、時に大胆に、魔導具によるスポットライトを浴びるお嬢様はまさに舞台のヒロイン、複雑なステップを踏んで銀色の髪を煌めかせる。

「……それで、どうしてシリルが王子役をしているのですか?」

「おや、お嫌でしたか?」

「……嫌なら、ダンスなんていたしません」

視線を少しだけ逸らす。もしかしたら照れているのだろうか? そんな風に思っていると、そのアメジストの瞳が再び俺の姿を映し込んだ。

説明しろと視線で促された俺は、軽くアルフォース殿下とのやりとりを話す。

「そうですか、殿下がそのようなことを……殿下には感謝しなくてはいけませんね」

薔薇のつぼみが花開くように微笑んで、軽やかにステップを踏む。お嬢様はもしかしたら、アルフォース殿下がどのような想いで王子役を譲ったのか気付いているのかもしれない。

だが、いまはなにより演劇だ。

序盤からダンスが始まり、観客が退屈をしているのではと心配になるが、ある者は羨ましそうな眼差しで、またある者は感心するような眼差しで、一様にこちらを注目していた。

特に、お嬢様の派閥の者達が目を煌めかせているのがここからでも分かる。

「――シリル」

「かしこまりました、お嬢様」

もっと観客を沸かせるようなリードを。そんなお嬢様の意思を感じ取った俺はいつもよりも大きなステップを踏む。客席からの雑音が消え、音楽へと意識が没頭していく。

お嬢様のことを考えて、お嬢様を輝かせることだけに注視してステップを踏む。不意に、俺の示すリードにわずかな抵抗があった。

そのことに驚きつつ、他の手段でお嬢様が輝くようにリードのパターンを変える。けれど、やはり抵抗がある。お嬢様が続けて俺のリードに不満を示した。

なぜと疑問を抱いたとき、アメジストの瞳に俺の顔が映り込んでいることに気が付いた。

――私を見て。

ソフィアお嬢様の一途な想いが伝わってくる。

パートナーを輝かせる一心でリードを示し、ソフィアお嬢様のことを見ていなかった。ソフィアお嬢様が望んでいるのは自分が輝くことじゃない。

二人で一緒に輝くことを望んでいる。

目立ちすぎるな――と、当主の忠告が脳裏をよぎった。

けれど、関係ない。

ソフィアお嬢様が望むというのなら、たとえどれだけの困難が立ちはだかろうと前に進むだけだ。俺はお嬢様を輝かせるのではなく、一緒に輝くためのリードを示した。

今度は抵抗がない。それどころか、リードを予測しているかのように、お嬢様は流れるようにステップを踏み始める。

お嬢様の気持ちが手に取るように伝わってくる。同時に、俺の気持ちも伝わっているのだろう。薔薇のように咲き誇るお嬢様が、無邪気な微笑みを浮かべる。

それに釣られて俺も笑う。お嬢様と俺が一つになったような一体感を抱きながら、スポットライトの下で二人だけのワルツを踊った。

「わたくしはオレリアと申します。あなたのお名前を教えていただけますか?」

ダンスを終えた直後。身を離したソフィアお嬢様がそう口にした。けれど、ここで王子であることを明かすと物語が破綻してしまう。

「訳あって名乗ることは出来ないのです。ですから私のことはアルと呼んでください」

「……アル様。いつか、必ず貴方に会いに参ります」

決意を秘めたお嬢様はとても綺麗だが、原作にそんな男前なセリフはない。偶然再会するのではなく、自ら会いに行くなんてまるでこの世界のアリシア……いや、考えるのはよそう。

出だしから予定が狂ったが、演劇は問題なく続いていく。

やがて、学園で再会した二人は急速に惹かれあう。

けれど、王子には婚約者のエルヴィールがいる。その事実を知ったヒロインは葛藤を抱くのだが、それでも王子を諦められないと王子への愛を募らせる。

この辺りも、原作ではメイドに後押しされることでようやく王子の愛を受け入れる――と、若干受身の展開だったはずなのだが、ソフィアお嬢様の演じるヒロインは少し肉食系だ。

アドリブが随分と入っているが、メイド役のイザベラは難なくついてくる。メイドの役でありながら、ソフィアお嬢様に一歩も引けを取っていない。

オレリアの良き理解者となって後押しをする。

こうして、ヒロインと王子は想いを通わせ始めるのだが、王子の心が自分から離れていることに気付いたエルヴィールが闇堕ちする。

「――どうして、私を見てくれないのですか?」

闇堕ちの切っ掛けとなるセリフ。エルヴィール役のアリシアの向かいに立つ俺は、罪悪感を抱いた顔をして、けれど彼女の目を見て口を開く。

「すまない。私はオレリアを愛してしまったんだ」

「それでもかまいません。だから私のことも見てください!」

え、いや……セリフが違うんだけど。

というか、そこで頷いたらただの二股チャラ王子である。

「エルヴィール、キミを傷付けて本当に申し訳ないと思う。だが、私は彼女の側にいると誓ったのだ。その約束は、今後どのようなことがあっても変わらない」

物語の本筋を戻すためにセリフを変える。

本当は、もう少し悪役令嬢を突き放したセリフだった。そもそも、この頃の悪役令嬢は既に病み始めていて、王子に距離を置かれていた。

だからこその決別シーンなのだが――

「彼女の側にいるからと言って、私を見ない理由にはならないと思います。私はただ、私のことを見て欲しいと言っているだけではありませんか!」

な、なんか、俺自身が責められているような気がしてきた。

いや、落ち着け。これは演技、演劇である。俺は台本の筋に従って、「すまない」と逃げるように踵を返す。そんな俺の背後で、彼女が悲しげな声を上げる。

どうして自分を見てくれないのかと嘆く彼女は、やがて一つの結論にいたる。

「……そうだ。あの子がいなければ、彼は私を見てくれるはずよ」

むちゃくちゃ怖い。なにやら、殺意が籠もっていそうな声である。悪役令嬢が、原作より闇堕ちしているように感じるのは気のせいだろうか?

一人芝居でオレリアの抹殺計画を立てる。狂気に満ちたアリシアの演技に、客席にいる者達までもが身震いをしている。まさに真に迫った演技だった。

アリシア、ヒロインのメイドは感情移入できないからと演技が上手くなかったのに、悪役令嬢の役はとんでもなく上手い。

つまりは……そういうことなんだろうな。

予想外の恐怖にさらされながらも、アルフレッドはオレリアとの愛を育んでいく。

光と闇のエスプレッシーヴォの光の部分。だが闇の部分では、オレリアがエルヴィールに嫌がらせを受けている。それに気付いたアルフレッドが立ち上がった。

一つ一つの嫌がらせを阻止しても意味はない。

アルフレッドはあえてオレリアと距離を取ることでエルヴィールの悪事を誘い、一線を越えようとした瞬間、王子の名の下に彼女を拘束する。

大衆の面前へと引き立てられるエルヴィール。

アルフレッドである俺は、悪役令嬢の罪を次々に暴いていく。演技とはいえ、ソフィアお嬢様を救おうとしている俺が、悪役令嬢を処刑へと追いやろうとしている。

複雑な気分を抱きながら、エルヴィールに対する罪状を言い渡した。

「――お待ちください」

ソフィアお嬢様の凜とした声が響く。

これは物語における予定調和。ヒロインが悪役令嬢に贖罪の機会を与えるが、闇堕ちした彼女はヒロインに対する呪いの言葉を吐き捨てて処刑される。

はずだったのだが――

「わたくしは、彼を愛しています」

オレリア役のソフィアお嬢様から、唐突に喧嘩をふっかけた。

「わ、私だって彼を愛しています!」

喧嘩を買うエルヴィール役のアリシア。

いきなりの修羅場である。

「知っています。わたくしはそれを知った上で、あなたから王子を奪った。だから――」

ソフィアお嬢様がエルヴィールに背中を向け、俺へと向き直る。

「アルフレッド王子、彼女に慈悲を与えてください」

「……いいのかい?」

とっさに問い返すのが精一杯だった。

これはあくまで光と闇のエスプレッシーヴォの演劇だ。原作とは関係がないし、ましてやこの世界の現実とも関係がない。だが、それでも、他の誰でもないソフィアお嬢様が、悪役令嬢を救おうとすることに、言いようのない感情を抱く。

「かまいません。わたくしは、彼女にとって命より大切な人を奪いました。だから、わたくしの命を奪おうとした彼女を一度は許します」

「それがキミの望みなら」

先ほど読み上げた罪を考えると、無実にするのは現実的ではないだろう。そう考えた俺は、アルフレッドとして、彼女を修道院へ幽閉すると宣言した。

それを聞いたソフィアお嬢様は、跪かされている悪役令嬢の元に歩み寄る。

「私は、諦めませんよ」

床の上に座ったまま、アリシアがソフィアお嬢様を見上げる。それがただの演技なのか、それともリアルな想いが込められているのかは分からない。

だけど、ソフィアお嬢様は「諦める必要なんてありません」と笑う。

「だけど、わたくしは絶対に負けません。だから、いつだって受けて立ちます」

高らかに宣言して、ふわりと身を翻す。それを合図に、アリシアを照らすスポットライトが消えた。舞台の上で映し出されるのは、俺とソフィアお嬢様の二人だけ。

いよいよ、ラストシーンが始まる。

「殿下、出過ぎた真似をして申し訳ありませんでした」

「いや、気にする必要はない。私は、あなたを救うために彼女の罪を暴いたんだ。だから、あなたが彼女を許すというのなら、私もまた彼女を許そう」

そう応えて、ソフィアお嬢様を抱き寄せる。アドリブが入りすぎて原形を留めていないが、ここで永遠の愛を誓ってハッピーエンド。

――なのだが、ソフィアお嬢様が先に口を開いた。

「……そもそもあなたが悪いのですよ? 不用意に他の女性をその気にさせて。振り回される彼女達の気持ちを考えて、ちょっとは自重してください」

思わず素で謝りそうになる。

いまの声は小さくて、客席に届くようなセリフじゃなかった。前のセリフとも繋がっていないことを考えると、たぶんソフィアお嬢様の本心だろう。

そう思って顔を見ると、クスリと笑われてしまった。

「――わたくしは、そんなあなたを愛しています」

高らかな声で宣言した。

オレリアとしてのセリフだが、“そんなあなた”が掛かっているのは、エルヴィールを許すといったアルフレッドか、それとも……

俺はその考えを振り払い、「私もあなたを愛している」とソフィアお嬢様を抱き寄せる。

ここで照明が落とされて終わり――なのだが、照明が落ちない。ちらりと視線を向ければ、照明の魔導具を操る装置の前で笑うトリスタン先生の姿。

「……シリル、どうしたのですか?」

「照明が落ちません。トリスタン先生のイタズラのようです」

「あら、それは困りましたね。どうするつもりですか?」

小声で囁くソフィアお嬢様は、いたずらっ子のように笑っている。そういえば、先ほど舞台袖に引っ込んだときに、ソフィアお嬢様は彼になにか耳打ちをしていた。

この状況は、ソフィアお嬢様のイタズラでもあるという訳だ。

「悪い子には、お仕置きが必要ですね」

お嬢様の顎を指でくいっと持ち上げる。

見開かれたアメジストの瞳を覗き込むように、俺はゆっくりと顔を寄せた。