軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

戯曲 光と闇のエスプレッシーヴォ 後編 3

文化祭まで残すところ二週間。

フォルはまだ登校していないが、近日中には練習にも顔を出せると聞いている。だからこそ、彼女が戻ってきたときに笑顔を浮かべてくれるように努力を続ける。

俺達は訓練室を貸し切って、ただひたすらに演劇の練習に打ち込んだ。

その甲斐もあり、アルフォース殿下の演技はだいぶ良くなった。光と闇のエスプレッシーヴォにおける彼と比べると幼いが……ショタ好きに受けそうな健気さが強化されている。

文化祭の舞台では、高等部のお姉さん方の注目を集めるだろう。ソフィアお嬢様が口にした、自分らしくという助言が影響しているようだ。

ただ、王子役としては様になってきているが、ソフィアお嬢様の好みからはどんどん離れて行っている気がする今日この頃。

教えた方がいい気もするが、それで演技が元に戻ったら台無しなので悩ましいところだ。

ひとまず、アルフォース殿下の演技指導はソフィアお嬢様が行っているので、このまま練習を続ければ問題はない。

問題なのは――と、メイド役を演じるアリシアに視線を向ける。以前と比べるとかなり改善されたのだが、周囲の成長に後れを取っている。

セリフが少ないとはいえ、葛藤するヒロインの背中を押す大事な役なのだが……

「……やはり、感情移入できませんか?」

「ごめんなさい。フォルさんのためにもしっかり演じなければいけないのは分かっているんですけど、どうしてもヒロインに共感できなくて」

共感できないと聞いて、複雑な気持ちに陥る。

アリシアがヒロインに共感できるようになれば役が上手くなると思う反面、ソフィアお嬢様をヤキモキさせて闇堕ちさせる要因となりかねない。演劇は上達しつつ、現実では控えめなままというのが理想だったのだが、そう上手くはいかない、か。

「あ、でも、好きなら諦められないって部分だけは共感できます。やり方は間違ってると思うけど、オレリアが王子を思う気持ちだけは共感できるようになりました」

「それは……」

思わずゴクリと生唾を飲み込んだ。

それはつまり、演劇の上達にはあまり繋がっていないのに、現実では積極的になるよう気持ちが前向きになったという意味ではないだろうか?

……修羅場に対する警戒が必要かも知れない。

「そんなこともあって、悪役令嬢の役なら上手く出来そうな気がするんですけどね」

「……そうなのですか?」

俺の問い掛けに頷いたアリシアは、背筋を伸ばして青みがかった黒髪をなびかせ、悲しみと憎しみをないまぜにしたような表情を浮かべた。

「……どうして、わたくしを見てくれないのですか?」

ゴクリと生唾を飲み込んだ俺は、一瞬それが演技だとは分からなかった。ソフィアお嬢様に詰め寄られたときと同じような罪悪感と恐怖に駆られる。

「わたくしは……ずっと、ずっとあなただけを見ているのに、あなたの瞳にわたくしは映らない。どうして……っ。どうしてわたくしを見てくださらないのですかっ!?」

反射的に謝りたくなった。

微妙にアドリブが入っているが……演技、だよな? 演技のはずだよな? 俺に向かって言ってるわけじゃないんだよな? そんな風に焦っていると、アリシアがふっと笑みを零した。

「どうでしたか?」

どうやら、ちゃんと演技だったようだ。

その事実にホッと安堵のため息を吐く。

だけど……アリシアは役に感情移入が出来ないから演技が上手くいかないと言った。だったら、悪役令嬢のセリフには完全に感情移入が……いや、これ以上考えるのはよそう。

「アリシアさん、悪役令嬢の役なら上手く演技できるのですね」

ソフィアお嬢様が感心した顔で近付いてきた。どうやら、こっちの練習を見ていたらしい。

「あ、いえ……その、ソフィア様には全然敵わないですけど、悪役令嬢の方が感情移入はしやすいなって思って……ごめんなさい」

「謝る必要はありません。それより、役を交代してみますか?」

少し考えたソフィアお嬢様がそんな提案をする。

たしかに、ソフィアお嬢様ならどんな役でも完璧にこなすだろう。全ての役のセリフを覚えているので、お嬢様が役を入れ替えることに問題はない。

さきほどの感じからして、アリシアも役の交代は出来るかも知れない。

だが――

「そ、そんな、ソフィア様にメイド役なんてさせられません!」

アリシアが慌てて両手を振った。予想通りの反応である。

実際、その正体はともかく、表向きは伯爵家の養子とおぼしき平民のフォルが主役。あまり気にするなと言いたいところなんだが……子爵の娘としての体裁もあるのだろう。

自分の演技が不十分なせいで、侯爵令嬢に迷惑を掛けたとなると色々言われそうだからな。

「私のせいで、みなさんの手を患わせてごめんなさい」

アリシアが項垂れる。

だがソフィアお嬢様は、あなたが悪いわけではありませんと微笑んだ。

「感情移入できない役をあなたに押しつけてしまったのは私達全員の落ち度です。ですから、アリシアさん一人が落ち込む必要はありません」

「で、でも、私の演技がダメなのは事実ですし……」

ソフィアお嬢様は笑顔と沈黙で答えた。

表情だけ見れば否定してるが、沈黙は肯定である。

アリシアがそれに気付くより早く、ソフィアお嬢様が「そうですね」と口を開く。

「アリシアさんが役に感情移入しやすくなるように、少しヒロインの演技を変えてみるというのはいかがでしょう?」

「演技を変える、ですか?」

「ええ。性格とセリフを少しだけ。フォル先輩ならそれくらいの変化はそつなくこなすでしょうし、少しだけ試してみましょう」

ソフィアお嬢様はそう宣言すると、アリシアの前で寂しげに目を伏せた。

「私、知ってしまったの」

「え、なにをですか? ……って、ああ、演劇のセリフですね」

アリシアは演技だと気付くのに遅れた。それほどまでに、ソフィアお嬢様の演技は真に迫っている。俺も知らずに聞かされたら、何事かと問い返していただろう。

「アルフレッド殿下に婚約者がいらっしゃったの」

「まぁ……そうだったのですか?」

アリシアの演技はいまのところ自然だ。

問題はここから。王子に婚約者がいると知って落ち込むアリシアを元気づけ、エルヴィールから王子の愛を勝ち取るようにと後押しするシーンだ。

けれど――

「ねぇ……カリーヌ、私、負けたくありません」

「……え? 負けたくない、ですか?」

本来とは違うセリフにアリシアが戸惑いを見せた。

「以前の私なら、叶わぬ恋だと諦めていました。でも……いまの私は諦めたくない。たとえどんな手段を使っても、この恋を叶えたいのです」

それが演技だと知っていても、演技とは思えないような真剣な眼差し。アリシアはソフィアお嬢様の演技に気圧されたように沈黙。

やがて――

「それがお嬢様の望みなら、私はどこまでもお供いたしましょう」

覚悟を秘めた声で言い放つアリシアも、いままでの迷演技が嘘のように真に迫っていた。

アリシアは俺への好意を隠そうとしない。

そんな彼女が、演技の上とはいえソフィアお嬢様の恋を後押しするという。普通に考えて修羅場すれすれの状況だが、演技が上手くいっているので良しとしよう。

と言いたいところだが――

「ソフィアお嬢様、それではまるで悪役令嬢です」

執事がメイドになっただけで、悪役令嬢とほとんど変わらないと指摘する。

「あら、悪役令嬢とはまるで違いますよ」

「……どの辺りが違うのですか?」

「エルヴィールは悪事に手を染めて破滅することになりますが、わたくしはそのようなミスは犯しません。あらゆる手を尽くして願いを叶えます」

「なるほど……」

それは、お嬢様に悪役令嬢としての道を歩ませたくなかった俺の教育方針。

どうしても叶えたい願いがあるのなら手段を選ぶ必要はない――けれど、その手段によって破滅しては意味がない。ゆえに、あらゆる事態を想定して動くようにと教えた。

さすが俺の育てたお嬢様は、作中の悪役令嬢とはひと味違う。……って、納得して良いのだろうか? ヒロインが悪役令嬢より極悪になっている気がするんだが。

――ひとまず、そのシーンに関してはフォルと相談と言うことになった。

その後も、ソフィアお嬢様はヒロイン役を演じる。王子とのやりとりが続き――最後はヒロインと王子のキスシーンで締めくくられる。

もちろん、練習中はほんの少し身体を寄せるだけ。ダンスをするときの光景と変わらないのだが、アルフォース殿下が真っ赤になっていた。

それに気付いたソフィアお嬢様が小首をかしげる。

「殿下、そのように照れていては本番で困りますよ?」

「い、いえ、本番は問題ありません」

「……あぁ、フォル先輩は従姉でしたね」

半分正解で半分不正解だ。ソフィアお嬢様には礼儀作法や様々な教養を教えたのだが、少年の恋心についても教えるべきだったかも知れない。

そんな感じで練習を続けていると、リベルトが訪ねてきた。

「シリル、おまえに頼まれていたモノが出来たぞ」

「おや……もう少しギリギリになると思っていましたが」

「最後の調整なんかもあるからな。急いで作らせたんだ」

「それはそれは。ぜひお見せください」

訓練室の片隅へと移動して、リベルトが持ってきたそれらを机の上に並べていく。その頃には、こちらに気付いたソフィアお嬢様方も集まってきた。

「シリル、もしやあれが出来たのですか?」

「ええ。仮縫いの段階ですが、ついに出来たようですよ」

完成したのは演劇に使う衣装だ。

フォルは学園の制服と手持ちのドレスをそのまま使うつもりだった。だが、俺は前世の服のデザインを、こちらのセンスに合わせて再現したいと以前から思っていた。

だから試金石を兼ねて、演劇用にアレンジした制服を作ることを提案。皆の許可を取った後、リベルトを介して服飾店に依頼しておいたのだ。

男性の衣装は燕尾服を制服にアレンジしたようなデザイン。女性の衣装はブラウスに、コルセット風のウェストから広がるフレアスカート。

基本的なデザインはこの学園の制服と変わらない。

ただし、より前世の近代風のデザインを取り入れており、襟や女性の衣装のコルセット部分などにはチェックの生地を使っている。

ちなみに、合宿の直前は転生者として疑われているのを警戒していた時期。このデザインを提出することは迷ったのだが、合宿場所を選んだのと同じ理由で踏み込んだ。

かなり無理なスケジュールだったので間に合うか微妙だったのだが、俺が期待を寄せる例の服飾店は超特急で間に合わせてくれたようだ。

「シリル、試着してもかまいませんか?」

真っ先に声を上げたのはソフィアお嬢様だ。

完成した服の感想はなし。その立ち居振る舞いは侯爵令嬢然としているが……仮縫いが施された服を胸に抱く彼女はいつもより少しだけ浮ついて見える。

そんなわけで、さっそく試着することになった。ソフィアお嬢様やアリシアが制服を抱きしめて女子更衣室へと移動して、アルフォース殿下は男子更衣室へと移動する。

けれど、ナレーションだけの予定である俺には衣装がないはず――だったのだが、明らかに俺のサイズに合わせたであろう燕尾服風の制服が残っている。

「……リベルト様、これはどういうことでしょうか?」

「まぁ……いままでの詫びみたいなものだ」

「お詫び、ですか?」

リベルトにお詫びをされるような心当たりがない。なんのことだろうと首を傾げると、リベルトはガシガシと頭を掻いた。

「おまえや、おまえのお嬢様を警戒して、キツく当たったことに決まってるだろ」

「あぁ……あれですか。しかしあれは、選民派を欺くためだったのでは?」

「もちろんそれが理由だが、過剰な敵意を剥き出しにしてたのは事実だからな。だから、あのときは悪かった。どうか許して欲しい」

リベルトが深々と頭を下げた。

少し驚いた。なにか心境の変化でもあったんだろうか?

「ひとまず、詫びの意味は分かりましたが、それでなぜ制服なのですか?」

「商会長の息子としての勘ってヤツだ」

「勘、ですか……?」

当てずっぽうと勘は似ているようで違う。

様々な情報を無意識に処理した結果から導き出される予測を勘という。それを前提に考えるのなら、リベルトの勘には相応の根拠があるはずだ。

だから――と、制服をありがたく受け取ることにした。

その後、男子更衣室で燕尾服風の制服を身に着け、寸法の確認をしようとしたのだが――俺の意見が聞きたいというソフィアお嬢様に呼び出された。

ひとまず、俺は燕尾服風の制服を身に着けたままお嬢様のもとへと向かう。

女子更衣室の扉をノックすると、入ってくださいというソフィアお嬢様の声が返ってくる。

「いえ、さすがに女性の更衣室に入るわけにはいかないと思うのですが……」

「私も大丈夫だから、入って良いですよ。良かったら私のことも見てください」

続けて返ってきたのはアリシアの声。

そういうことならと部屋に入る――寸前、背後から「やっぱりおまえは敵だっ」とリベルトの呟きが聞こえてきたが、それはともかく更衣室の中に入る。

そこには、俺がデザインした制服に身を包んだソフィアお嬢様とアリシアが並んでいた。

「シリル、どうでしょう?」

「似合っていますか?」

軽く背中を合わせて、斜に構えた二人が照れくさそうに問い掛けてくる。

学園の制服とデザインに大きな開きはない。けれど、学園の制服より垢抜けたデザインで可愛らしさが引き立てられている。

お嬢様な二人が、お嬢様系アイドルになったと言えばしっくりくるかも知れない。

「お二人とも、とても良くお似合いですよ」

「……本当、ですか?」

問い返してきたのはソフィアお嬢様だが、アリシアも不安そうな顔をしている。

乙女ゲームの登場人物でありながら、多くの男性を虜にした二人が、ゲームよりもずっとずっと魅力的に育っているのにも拘わらず、執事な俺の評価を気にしている。

これで修羅場の危険がなければ素直に喜べるんだけどな。

「お世辞など申しません。本当にとてもお似合いですよ」

「……では、わたくしとアリシアさん……どっちが似合っていますか?」

ソフィアお嬢様が上擦った声を絞り出した。その小さな声は不思議と響き渡る。喧噪が一瞬で消え、更衣室に沈黙が広がった。

いつもなら、アリシアが驚異的な回避能力を発揮するところだが、今日の彼女はその能力を発揮しない。ソフィアお嬢様の横で固唾を呑んで見守っている。

その顔は、私も答えを知りたいですと書いてあった。

――これが、彼女の枷を外した報いなのだろうか?

修羅場の足音が近付いてくる。

だが、この程度の修羅場は予測済みだ。

「お二人共、その服が一番お似合いですよ」

俺が笑うと、二人はパチクリと瞬く。

銀に近いプラチナブロンドのソフィアお嬢様と、青みがかった黒髪のアリシア。二人仲良く並んでいると対照的で、本当にアイドルのユニットにも見える。

「よくご覧ください。お二人の制服は、それぞれの髪や瞳の色、雰囲気に合わせて少しだけデザインに変化を持たせているんです」

ソフィアお嬢様は淑やかな雰囲気が引き立つように。アリシアは裏表がなく元気な雰囲気が引き立つように。それぞれのシルエットや色を細部で変えている。

「お二人ともタイプの違う美しさをお持ちですから、誰かと比べる必要などありませんよ」

ぽかんとした二人の顔が印象的だった。

無事に修羅場を回避した後は、仮縫いの寸法を確認して解散となった。

ソフィアお嬢様と並んで夕焼けに照らされた学校の敷地を歩く。ローゼンベルク侯爵家の迎えの馬車へと乗り込む――寸前、ソフィアお嬢様が俺の服の袖を掴んだ。

「……どうしましたか、ソフィアお嬢様」

「一つ、言い忘れていました」

「……言い忘れ、ですか?」

問い返すと、ソフィアお嬢様は俺の袖を軽く引いて、胸に額をトンと押し当ててきた。

「シリルの制服姿、凄くかっこよかったよ」

囁き声を残して、ソフィアお嬢様が一歩後ずさった。明後日の方を向く彼女の頬を、夕日が赤く染め上げていた。

賛美の言葉を口にするのも、口にされるのも慣れているはずのソフィアお嬢様が、恥ずかしそうな顔で俺のことを褒めてくれた。その事実に胸の奥がじわりと熱くなった。

だから――

「お手をどうぞ、ソフィアお嬢様」

ソフィアお嬢様の手を取って、馬車へと引き上げる、寸前――

「人前で、あのように意地の悪い質問をしてはいけませんよ?」

彼女の耳元で囁いた。

ソフィアお嬢様はビクッと身を震わせて、驚いた顔で俺を見る。そうしてなにか言おうとした彼女の唇に、そっと人差し指を押し当てる。

頭から湯気が出そうなほど真っ赤になるお嬢様が愛らしい。

想い人に振り向いてもらえるくらいに可愛く育てて欲しいと、彼女にお願いされたことを俺は忘れていない。俺はその願いを叶えるために彼女を育てている。

だから――

「俺が一番可愛いと思うのは、お嬢様に決まってるだろ」

その小さな耳に唇を押し当てるように囁いた。