軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

戯曲 光と闇のエスプレッシーヴォ 前編 3

生徒会で演劇を公演する。

言葉にすると聞こえは良いが、俺達は演技指導を受けたことのない素人集団だ。相応の練習をしなければ、公衆の面前で恥をさらすことになる。

俺はともかく、お嬢様方にそんな失態は許されない。猛特訓が必要だが、文化祭がおこなわれるまで二ヶ月弱しか残っていない。

どうするべきかとの話し合いがおこなわれた。

「最初から合わせても上手くいくはずがないわ。まずは個々で演技の練習が必要ね」

「個人練習ですか。……演技指導の先生にあてはありませんか?」

稽古の方針を示したフォルに、アリシアが質問を投げかける。

彼女は下級貴族で、王都にそれほどツテはない。実家のある領地も遠く離れているために、すぐに演劇の先生を用意するのが難しいと言うことだった。

「そういえば、この学園には演劇の先生がいないわね。そうなると……そうだわ。シリルにお願いするのはどうかしら?」

「……なぜそこで私の名前が出てくるのでしょう?」

むしろ俺も稽古してもらう側の人間なのだが、執事はなんでも出来ると誤解されていないだろうか? なんて思っていたら「演技が上手そうだから?」と言われた。

むちゃくちゃ探りを入れられている気がする。

「残念ながら、私は演劇のノウハウを知っているわけではありません」

「でも、あなたならなんとかなるのではありませんか?」

俺は返答に困った。

最後のセリフを口にしたのがフォルではなく、ソフィアお嬢様だったからだ。

お嬢様が願うなら、それを叶えるのが専属執事の役割。だが、ソフィアお嬢様はアリシアと俺が仲良くするのを警戒しているはずだ。

なのに、俺に演技指導を任せようとする理由が分からない。

頷いても良いものかどうか。

口では同意を求めながら、心の中では否定を願っている。そんな可能性まで考える。ソフィアお嬢様の思惑がどこにあるのかと考えていると、彼女は再び口を開いた。

「あまり難しく考えないで、軽い気持ちで考えてはいかがですか?」

「軽い気持ち、ですか?」

「最終的には演技指導のプロを招くことになるでしょう。それまでの下準備として、シリルが皆の演技を指導すれば良いのです」

得心がいった。

ソフィアお嬢様が“アリシア”ではなく。“皆”と口にしたからだ。

そういえば、ソフィアお嬢様の習い事はすべて、俺が教えてから、最終的にプロの先生に見てもらっていた。今回も、いつもと同じように、最初は俺に学びたいと思っているのだろう。

お嬢様の願いなら、俺が叶えないわけにはいかない。

「お嬢様の仰せのままに」

俺は恭しく頭を下げた。

そうして顔を上げたとき、なぜかフォルが呆気にとられるような顔をしていた。

「……どうかいたしましたか?」

「どうもなにも、冗談だったんだけど……え? 本当に、あなたが演技の指導をしてくれるの? 演劇のことはなにも知らないんでしょ?」

「もちろんです。ですが、早急にノウハウを学び、みなさんにお教えできるように準備いたします。そうですね……三日ほどお待ちいただけるでしょうか?」

「三日って……」

フォルの驚きは理解できる。俺だって本当に三日で準備できるわけじゃない。だが三日あれば、最初になにを教えればいいかを学ぶことが出来る。

そうして初歩を学んでもらっているあいだに、俺は次のことを学ぶのだ。

ゆえに、俺の学習ペースがお嬢様に劣れば破綻する。だが、俺はいつだってそうやってお嬢様の教育係を続けてきた。今回だって、必ず為し遂げてみせる。

なにも問題ありませんと、すました顔でフォルの視線を受け止めた。それに対して、フォルは半ば呆気にとられた顔で「まあ……問題ないならかまわないわ」とため息を吐いた。

「じゃあ、シリルさんが私の演技の先生になってくれるんですか?」

即座にアリシアが詰め寄ってくる。

「ええ、もちろんです。プロには遠く及びませんが、みなさんの演技指導が出来るように全力を尽くさせていただきます」

「つまり、僕の指導もしてくれるのかい?」

続けて詰め寄ってきたのはアルフォース殿下だ。

さすがに王族はお抱えの劇団などのツテがあると思うのだが、殿下は前回の一件で軽い人間不信に陥っている。馴染みのない先生に学ぶのは難しいだろう。

「かしこまりました。では、お二人は今のうちにセリフを覚えておいてください。そのあいだに、みなさんに教えるためのノウハウを身に付けておきます」

ちなみに、フォルは自分の教育係に頼むらしい。なので、俺は王子、ヒロインのメイド、悪役令嬢の演技指導をすることとなった。

王子やメイドはともかく、お嬢様に悪役令嬢の演技指導……なんとなく複雑だ。

とにもかくにも、屋敷に戻った俺はさっそく演劇のノウハウについて学ぶことにする。

まずは、演劇に関する資料を取り寄せ、それらを片っ端から読みあさる。並行して王都にある劇団と交渉して、週に何度か俺やお嬢様の練習を見てもらう予定だ。

あれこれ調べていると、夜になってソフィアお嬢様に呼び出された。

部屋を訪ねると、ルーシェが部屋に通してくれる。

そのまま部屋の隅に控えるルーシェから視線を外し、ソフィアお嬢様に向き直る。彼女は部屋の真ん中で胸元の服をぎゅっと握り締め、俺に悲しげな瞳を向けていた。

「……どうして、わたくしを見てくれないのですか?」

背筋がゾクリとした。

闇堕ちする切っ掛けとなるセリフを、お嬢様が口にしたからと言うだけじゃない。俺がなにより驚いたのは、その声には深い悲しみと、行き場のない怒りが込められていたからだ。

なんだ、なにを間違った?

どうして、ソフィアお嬢様がいきなり闇堕ちしてしまったんだ?

……分からない。

分からないけれど、そのセリフに対する答えはずっと前から決まっている。

「そのようなことはありません。私はいつだってお嬢様のことを見ています」

遅すぎるかも知れないが、俺は自分の気持ちを打ち明ける。けれど、ソフィアお嬢様のアメジストのような瞳が瞬いて、続いてその小さくて愛らしい唇がむぅっと尖った。

「違います。そこは『すまない。僕はオレリアを愛してしまったんだ』ではありませんか。わたくしを見ていたら、闇堕ちする理由がなくなります」

「え? ……あぁ、そうでしたね」

なんだ、演劇のセリフだったか。ゲームのシーン以上に真に迫っていたから、思わず本当にソフィアお嬢様が闇堕ちしてしまったのかと誤解してしまった。

「……なにを驚いているのですか?」

「いえ、失礼いたしました。ソフィアお嬢様のセリフがあまりに真に迫っていたので、思わず本当に批難されているのかと勘違いしてしまいました」

「……まあ。それでは、さきほどのセリフはシリルの本心ですか?」

失言だった。らしくもなく動揺しているらしい。俺はすぐさま「使用人として、いつだってソフィアお嬢様を見ています」と誤魔化した。

部屋の隅に控えているルーシェの視線が痛い。

「――それより、もうセリフを覚えられたのですか?」

「ええ。まだ自分のセリフだけですが、おおむね覚えることが出来ました」

俺は軽く目を見張った。ソフィアお嬢様がおおむねと言ったのなら、それはほぼ完璧にそらんじることが出来ると言うことだ。

まさか、こんな短時間で暗記してしまうとは……

「わたくしも驚いているのですが、なぜかセリフがすんなりと頭に入ってきたのです。エルヴィールの気持ちに共感できるからかもしれません」

エルヴィールというのは悪役令嬢の名前だ。

光と闇のエスプレッシーヴォのタイトルやあらすじはそのままだったが、さすがに登場人物の名前は別の名前に差し替えられていた。

……というか、悪役令嬢の気持ちに共感できるというのはなんとも悩ましい。まさか、ゲームでの記憶が、お嬢様のどこかに残ってるとか言わないだろうな?

「ところで、さきほどのわたくしのセリフはどうでしたか?」

「驚きました。ソフィアお嬢様は演技の才能もおありなのですね」

「ありがとう。でもお世辞はいらないわ。どうすればもっと上手くなるかを教えてください」

「お世辞ではないのですが、そうですね……」

ハッキリ言って、さきほどの演技は素人の域を超えている。いまのが初めての演技だと知ったら、劇団がお嬢様をスカウトするレベルだ。

演劇のノウハウを学び始めたばかりの俺に、いまの彼女に対するアドバイスは難しい。

――と、本来なら謝罪しなくてはいけないところだが、幸いにして光と闇のエスプレッシーヴォは何度もプレイしている。

「さきほどのセリフは闇堕ちをする寸前のセリフです。ですので、もう少しだけ怒りを抑え気味にして、自分だけを見て欲しいという悲痛な想いを前面に出してください」

さきほどの演技は、俺に手遅れだと思わせた。だが作中の彼女のセリフには、最後の一線を越える直前、やりなおしたいという悲しみが滲んでいた。

ゲームで何度も聴いた声優さんの声のイメージを言葉にして見せる。

「……どうして、わたくしを見てくれないのですか? ――これくらいですか?」

「ええ……そうですね、そんな感じです」

俺は思わず視線を逸らした。

ソフィアお嬢様の声は、悪役令嬢を務めた声優さんと同じ声だ。しかも、幼少期からボイストレーニングを続けたソフィアお嬢様の声は声優さんと比べてもまったく引けを取らない。

そんなお嬢様が、悪役令嬢が闇堕ちするセリフを完璧に再現した。

可愛いと思うし、お嬢様の演技も凄いと思う。だがなにより、このままソフィアお嬢様と俺が処刑されてしまいそうな気がして不安になる。

――いや、そんなことにはさせない。

「シリル、どうかしましたか?」

「いいえ、なんでもございません」

「そうですか? では、続けてヒロインのオレリアを排除するために、自分の執事に酷な命令を下すシーンに行きますね」

「かしこまりました」

俺はセリフをまだ覚えきっていないので、パラパラと台本を捲って該当シーンを確認する。

悪役令嬢であるエルヴィールが、執事にヒロインの排除を指示。執事は反対するが、エルヴィールの命令に逆らえずに押し切られてしまうシーンだ。

……しかし、頼りない執事だな。お嬢様にお仕えする専属執事なら、命を賭けてでも苦言を呈するなりするべきだろうに……押し切られるなんて情けない。

「カレフ、殿下のお心を惑わすあの小娘を始末なさい」

「な、なにをおっしゃるのですかお嬢様。そのようなこと出来るはずがありません!」

「いいえ、やるのです。それとも、わたくしの命令が聞けないのですか?」

ここで圧力に屈し、かしこまりましたと頷くのが作中のシリル。

だが、俺はお嬢様の目をジッと見つめ返した。

「……それは、お嬢様の心からの望みですか?」

台本と違うセリフに、ソフィアお嬢様は目を瞬いた。けれど、すぐにアドリブであることを理解したのだろう。少し考えるような素振りを見せた。

「……もちろんです。わたくしは、愛する人に振り向いてもらうためなら手段など選びません。たとえ神々を敵に回したとしても、わたくしは真なる愛を手に入れて見せます」

「かしこまりました。それがソフィアお嬢様の望みだと言うのなら、私はどこまでもお供いたしましょう。――たとえ、未来に待っているのが破滅だったとしても」

作中のシリルはお嬢様の圧力に屈しただけで、その先に断頭台が待っているなど想像もしていなかった。もし殺されると分かっていれば、お嬢様の命令を拒否しただろう。

だけど、俺は違う。

お嬢様を破滅に向かわせるような真似をするつもりはない。

でも、もし……もしもそれしか道がないというのなら、お嬢様が全てを覚悟でその道を歩むというのなら、俺は行く先が断頭台だろうと笑ってお供をしてみせる。

「……ありがとう、シリル。だけど、安心してください。あなたが力を貸してくれるのなら、破滅などありません。わたくしは必ず、目的を遂行できるでしょう」

お嬢様はアメジストの瞳を細め――わずかな沈黙の後、ふっと息を吐いた。途端、悪役令嬢としての鋭さが霧散して、彼女本来の優しさがふわりと広がる。

ソフィアお嬢様は零れ落ちた髪を指で払い、隅に控えているルーシェへと視線を向けた。

「ルーシェ、いまの演技はどうだったかしら?」

「……正直に申し上げても?」

「え? えぇ……もちろんよ。でも、わたくしの演技はそんなにダメでしたか?」

「ダメと申しますか……完全に悪役令嬢とその執事の、身分違いの恋物語にしか見えませんでした。あと、二人とも名前が途中から本来の名前になっていましたし」

俺とお嬢様は顔を見合わせ、それからどちらからともなく視線を逸らした。

そんなこんなで最初の稽古は終了。

お嬢様に紅茶を用意した俺は、お嬢様の斜め横に控える。席に座っているお嬢様は斜めに座り、どこか尊敬するような眼差しで俺を見上げてきた。

「それにしても、シリルは演技が上手ですね」

「そういうお嬢様もとても上手でしたよ」

俺の場合は常々思ってきたことを口にしただけだなので演技とは言えない。

「エルヴィールの役はとても演じやすいんです」

「演じやすい、ですか?」

「ええ。彼女の気持ちはとても共感出来るんです。愛する人を奪われたら、わたくしもきっと、彼女のように嫉妬に狂ってしまうと思うから」

「……ソフィアお嬢様」

エルヴィールは違う環境で育ったソフィアお嬢様そのものだ。だからこそ、俺はソフィアお嬢様が闇堕ちしないように育ててきた。

だけど、そんなソフィアお嬢様が愛する人を奪われたら闇堕ちするという。その愛する人というのが俺だと思うのは、きっと自惚れじゃないだろう。

「ご、ごめんなさい。変なことを言いましたね」

「いいえ、かまいません。ですが……そんな心配は必要ありません。私は決してソフィアお嬢様を嫉妬に狂わせたり致しませんから」

「え、シリル、それは――」

アメジストの瞳が潤み、期待にキラキラと光る。

「私は、ソフィアお嬢様の専属執事ですから」

「……シリルは、ときどきイジメっ子だと思います」

愛らしく頬を膨らませる。拗ねたお嬢様も愛らしいと笑いそうになり、俺は慌ててなんでもない風を装った。

「ところで、お嬢様に一つお尋ねしてもよろしいですか?」

「もちろん構いませんが……改まってなんですか?」

「いえ、どうして演劇に乗り気なのかと思いまして」

お嬢様がなにやら計画しているのは知っているし、その目的もおおよそは想像がついている。ソフィアお嬢様は多分、身分違いの恋を叶えるためにあれこれ動いているのだ。

だが、その目的と演劇があまり結びつかない。

もしかしたら、なにか別の理由があるのかもしれないと思い始めている。

「わたくしが演劇に乗り気なのはある目的のため……というのもありますが、シリルと演劇をしてみたかったからです」

「……私と、ですか?」

その答えは予想外だった。

「先日、あなたと一緒に演奏したのがとても楽しくて、もっともっとあなたと一緒になにかをしてみたいと思ったんです。シリルが声だけで、舞台に上がらないのは残念ですけどね」

「……そう、でしたか」

俺も夢のようなひとときでした――とは声には出さずに呟く。

「でも……どうして悪役令嬢なんですか? お嬢様なら、ヒロインも似合いましたのに」

「いいえ、ヒロインの役はわたくしには相応しくありません」

そうでしょうかと首を傾げる。そんな俺に向かって、ソフィアお嬢様はいたずらっ子のように微笑んで、けれどきっぱりと言い放った。

「舞台の上に、わたくしの王子様はおりませんもの」