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侯爵令嬢リスティ・オートルの初恋

作者: 宮澤

本文

その日、リスティ・オートル侯爵令嬢は本当に疲れていた。

疲れていたが故に、少しばかり彼女は気を張ることをやめてしまった。

学園の、裏庭。

辺りには人っ子一人の気配もなく。

だからか、ほんの少し、本音を漏らしてしまったのだ。

「あ〜、疲れた。あの王子ももう心はとっくにジル伯爵令嬢に決まってるんだから早くガツンと宣言して欲しいわぁ。身分なんてお得意の口八丁でなんとかなるでしょうに……」

その、ほのかに赤く染まる唇から出た言葉は普段の彼女からは考えられぬものだ。

「早く自由になってのんびり本でも読んで過ごしたいわぁ。そんな日が訪れればだけれど。

……私は後どれだけの期間、あの人を好きでいれば良いのかしら」

誰もいないと思ったからこその、ため息と真実。

「――……オートル侯爵令嬢」

ふいに、彼女の背後から掛けられた低い、低い声。

「え、あっ……あ」

壊れた人形のようにリスティは振り返る。

誰もいないと思っていた静寂から掛けられた声。

(―――気配も何も無いはずだわ)

「ご、ごきげんよう、アーデント様」

腰を折り、上擦った声で何とか返事を返すリスティ。

ゼイン・アーデント公爵子息、二六歳。

彼は嫡男では無い故に幼き頃から騎士の道を志し、現在は王立騎士団の第一隊長を務めるほどに優秀な男だ。

週に2回程学園を訪れ、剣技の指導を行なっているためここにいるのは何ら不思議はない。

190程あるだろう背丈に、がっしりと鍛えられた厚みのある身体。

二重を通り越して三重にも見えるその意志の強そうな目は、頭を下げるリスティから逸らされることなく、揺るがない。

「あぁ、楽にして欲しい。―――すまない、先ほど貴女の口からとても聞き捨てられない言葉が落ちた気がしたもので」

(お、怒ってらっしゃる…)

恐る恐る顔を上げたリスティの視界に映るのは、どこか腑に落ちないといった感情を隠さない顰められた形の良い眉と、鋭い眼光。

「単刀直入に聞いても?貴女はアルフレッド様に好意を寄せていたと思うが…違うのだろうか?」

(あぁ、齢17年。私の令嬢生活もここまでね…)

リスティは両手をギュッと握り締め、その震える口を開こうとしたーーーその時であった。

「ゼイン、ここに居たのか。剣技の授業がもうすぐ始まるから―――…あぁ、オートル嬢」

かさかさと落ち葉を踏む音と共に現れたのはこの国の王太子、アルフレッド・ヴェルフバイザーその人だった。

「ご、ご機嫌よう、アルフレッド様」

再び頭を下げるリスティの心臓は今にもはち切れんばかりに忙しなく動いている。

(ああ、どうしよう…多分アルフレッド様には私の発言は聞かれていない…はず……冷静に、冷静になるのよリスティ)

「こんにちは、珍しい組み合わせだね?」

アルフレッドの言葉にゆっくりと頭を上げたリスティの顔に先ほどまでの動揺はない。

和かに、上品に笑う彼女はもういつものリスティ・オートルだ。

「えぇ、私がこちらで休憩していた時にちょうどアーデント様がお通りになったので。ご挨拶させて頂いただけですわ」

「そう、じゃあ申し訳ないけどゼインは連れて行くよ?教師がいないと授業にならないからね」

「勿論ですわ。アーデント様、お手を煩わせてしまいましたわね、私はこれで失礼致します」

「―――オートル侯爵令嬢」

「…何でございましょう?」

「……貴女の兄上に伝えてほしい。週末会いに行くと」

「……畏まりました」

去って行く2人の後ろ姿を、リスティは完璧な笑顔のまま見送る。

そうして、ようやくその姿が見えなくなった時。

「ああああぁ〜!もう、胃が痛いですわ……」

リスティの日々は確実に、変化が訪れようとしていた。

「う〜ん、ゼインに聞かれちゃったのか…」

その夜、屋敷に帰ったリスティは兄・ルイスに涙目で昼間会ったことを話した。

「ど、どうしましょうお兄様…私切り捨てられてしまうかもしれません」

「それは絶対にないから安心してーーう〜んでも、そうか。彼は週末来るって言ってたんだね?」

「はい…」

「―――実は先ほど、手紙も届いたんだ。僕と“リスティ”に会いに来たいって」

「うぅ…」

「あのね、リスティ。ゼインはああ見えて柔軟な男だよ。だから、大丈夫」

「…王家を欺いた罪とかで捕まりませんか?」

「その時は捕まるのは父上だから大丈夫だよ」

「そう、ですわね…」

ルイスに頭を撫でられリスティはほっと息を吐く。

そんなリスティにルイスは父上が捕まるのは良いんだな、と思ったが口には出さなかった。

そして迎えた週末。

色深い薔薇に囲まれた、白いガゼボに3人は居た。

「久しぶりだね、ゼイン。家まで来てくれて嬉しいよ」

「急な連絡を受け入れてくれて感謝する。……この前の夜会ぶりだな」

「そうだね、あの日の珍事件は今思い出しても―――」

2人はそれが当たり前と言ったほどすんなり、楽しげに会話を始めた。

「………」

(アーデント様とお兄様って、私が思うより仲が良かったのね)

2人が学園で同級だったことは知っていたが、こんなに気安く話す仲だとは知らなかったリスティは驚いた。

「オートル侯爵令嬢……リスティ嬢も先日は軽率に話しかけてすまなかった」

「いえ、私こそーー本日はお越しいただき嬉しく思います。あ、今お茶を淹れますね」

「――貴女が?」

「ああ、リスティの趣味なんだ。ティータイムが好きで、そこからお茶の淹れ方の研究を始めてーーー我が妹ながらとても上手だよ」

「そうなのか」

「ふふっ集中すると周りの声が聞こえなくなってしまうんだ。ほら、もう僕たちの声なんて届いてない」

ルイスにつられてもう一度ゼインがリスティに目を向けると、彼女はそれはもう真剣な顔で茶葉を蒸らしていた。

―――ゼインはその顔に見惚れた。

「―――少なくとも俺が学園にいる間は、彼女があんな表情をしているのは見た事がないな」

「……そうだろうね」

「……リスティ嬢はアルフレッド様のことを好いているのだと先日までは思っていた」

「尊敬は、してるんじゃない?どうしても学年首位の座を奪えないってこの前泣いてたし」

「……泣くのか」

「泣き虫だよ、リスティは昔から」

「―――学園での彼女はいつも凛としていて、隙がない印象だった。リスティ嬢こそアルフレッド様の婚約者に相応しいと言った声ばかりだ」

「でも、アルフレッド様の好みではないでしょう?ジル伯爵令嬢は表立って目立つ方じゃない。控えめで、少し隙があって、けれど男にもたれ掛かる訳でもない。ーーーん?リスティが素のまま学園に行ってたら危なかったな……」

「お前、知ってたのか。アルフレッド様の想い人を」

「お待たせいたしました。どうぞ」

そっとゼインの目の前に置かれた紅茶は甘やかさもある中、どこかすっきりとした鼻に抜ける香りを感じた。

「ありがとう」

一口含み、思わず目を見張る。

ゼインは茶葉の種類などにはてんで詳しくない―――が。

「…美味いな」

思わず漏れたゼインの一言に、ルイスの横に腰掛けたリスティは破顔する。

ふわりと、花が開く様な笑顔だった。

「ありがとうございます。そう言っていただけると…とても、嬉しいです」

頬を染め喜ぶその笑顔に、ゼインは再び見惚れた。

(――なんだ、この可愛い女性は)

思考を止めたゼインを他所に会話は続く。

「それで、お兄様。どこまでお話しに?」

「うん、リスティはとても可愛いって話まで」

「何のお話ですの!?」

「いや〜良かったよ。リスティが学園で頑張ってアルフレッド様の好みじゃない女性を演じてくれて」

「好みも何も、アルフレッド様は“ジル伯爵令嬢”がお好きなんでしょうに」

あっけらかんと言い切ったリスティに、何も辛そうな気配はない。

「――なぜ、アルフレッド様に好意のあるふりを?」

投げかけられたゼインの言葉に兄妹は顔を見合わせる。

「……リスティはね、アルフレッド様と同年代の令嬢の中で一番、婚約者として丁度良いんだ。家柄も、容姿も何もかもね。ーーー何と言うのかな…アルフレッド様に一番近いとされる女性が節度を保っていたなら、他もそれに倣うんだよ」

「……女性同士の諍いが発生しないということか?」

「ゼロではないけどね…少なくとも大きな争いは生まれない。小競り合いはあるかもだけど」

「……それはあまりにリスティ嬢の負担が多いのでは」

「僕もそう思うよ――でも、父上がね……。あの人は陛下の代の骨肉の争いをそばで見てきた人だから…」

「あぁ…」

その言葉にゼインは納得した。

今代陛下の学園時代、それはもう修羅だったというのは有名な話だ。

当時、一番婚約者に近いとされた女性はそれはもう悪辣であの手この手で恋敵を蹴散らしたと聞く。

―――当然、他の令嬢達にもそれは伝染し。

結局、陛下が結婚したのは当時学園に所属していなかった属国の姫だったのだから彼女たちの無念たるや凄まじいものだったのだろう。

未だに夜会などの際、王妃周りの警護の厳重たるやで、陛下もあまり王妃を外に出したがらない。

「高位貴族の勤め、だとか何とかでリスティに苦労を押し付けてーーいつか、お返しはしようと思っているよ」

「お兄様…それだけお父様は凄まじいものをご覧になったのですわ――暫く女性不信になったとも聞いておりますし―――それに、きっとあと少しですわ。近々アルフレッド様は決心なさるんじゃないかしら」

「決心?」

「……ジル伯爵令嬢は私達の一つ年上。最終学年ですわ。もう時間が残されておりませんもの」

季節は、秋。

冬の訪れはもう間も無くだった。

「――全てが終わったら、貴女はどうするんだ?」

「え?私ですか?……そうですねぇ、父上が縁談を持ってくるまでは少し家でゆっくりさせていただこうと思っていますわーーそれくらいは許されますでしょう?」

「そうか」

「いつまでもゆっくりしてて良いんだよリスティ。君はもう、好きなことだけしたら良い」

「ふふっ!お兄様は私に甘いわ!」

「―――リスティ嬢は何が好きなんだ?」

「そうですねぇ…お茶と、お花と……最近は本を読むのも。後は、うーん…何かしら」

悩むリスティは、すっかり緊張がどこかに行ってしまったことに気づかず、その後も穏やかな時間を楽しんだのだった。

「今日は急な訪問すまなかった―――リスティ嬢」

「はい」

「俺は……週に2回ほどしか学園に居ないが…それでももし必要な事があったらいつでも声を掛けて欲しい。――学園に居ない時でも、連絡をくれれば駆けつけよう」

「あ…ありがとうございます。―――頼もしいですわ」

ずっと、学園の中で1人で立ち続けたリスティはその言葉だけでももう十分に嬉しかった。

口の端を少しだけ上げて笑うその男らしい顔を見て、リスティはようやく気づいた。

(…アーデント様、私とお話しする時は目線を合わせてくださっているんだわ)

でなければリスティは顔を真上まで上げなければ彼と視線を合わせることはできなかっただろう。

何せリスティの身長はゼインの胸元程しかない。

切れ長の、鋭い瞳はけれど優しい光を湛えていた。

(私、アーデント様の事誤解していたわ。……もっと怖い方だと思っていた)

屋敷から去っていく馬車を見つめながらほう、と息を吐く。

「良い人だったろう?彼」

「はい。私が思うよりもずっとずっと優しい方でしたわ」

「あ〜…でも僕は少し後悔しているよ…」

「何をですか?」

「…いや、何でもないんだ。冷えてきたから中に入ろう」

ルイスに背を押されてリスティは屋敷の中へと戻る。

その胸はほのかに暖かかった。

あれから、リスティには週に2日、学園が嫌じゃない日ができた。

表立って話すことはないものの、すれ違う時にふと絡む視線に。

ほんの少しの挨拶に、心が緩むのを感じた。

剣技の授業をこっそりと窓から覗く。

そうするとゼインの勇ましい姿を確認できて、リスティは思わず頬を染める。

(おかしいわね、私―――外見の好みで言ったらアルフレッド様のような方が好ましいと思っていたのに)

それでも、リスティはアルフレッドを好きになることはなかった。

―――それなのに。

(私、はしたないくらいにアーデント様を意識してしまっているわ)

あの日を境に、ゼインは時々ルイスの元を訪れるようになった。

そうすると必ず、リスティも同席を許される。

そして、ルイスは早々に仕事が終わらないからと席を外してしまうのだ。

(お兄様にも、申し訳ないわ。アーデント様はお兄様に会いにきてるのに、私は2人で過ごす時間を望んでしまう…)

ゼインはいつも何かしらのプレゼントをリスティに贈ってくれる。

それは、本だったり、美味しそうな茶菓子であったり、可愛らしい置物であったりとリスティが遠慮してしまわない絶妙な物で。

お礼に、とリスティが刺繍をしたハンカチをゼインはとても嬉しそうに受け取ってくれたため、最近のリスティは刺繍に夢中だ。

新しい作品ができるたびにゼインに見せ、それを褒めてくれる彼にいつの間にかプレゼントしているのが最近の流れだ。

今やゼインのハンカチは全てリスティが刺繍をしたものだと言っても過言ではないだろう。

ゼインを見つめながらリスティは胸を抑える。

鼓動の早さが何を指しているのか彼女はもう分かっていた。

「聞きまして?リスティ様!最近伯爵令嬢風情がアルフレッド王子の側に侍っているとか!」

「まあ…」

昼食の後、リスティが食堂のテラスでゆったりとお茶も嗜んでいた時に掛けられた声に内心苦虫を噛み潰したような顔をした。

それでも表面には変わらず優雅に微笑むリスティ・オートル侯爵令嬢を貼り付けて。

「リスティ様を差し置いて!許せませんわ!」

(自分を差し置いて、と本当は言いたいんでしょうね――しかしとうとうジル伯爵令嬢の存在が明るみに出てしまったのね……いや、明るみにした、のほうが正しいのかしら?あのアルフレッド様ですものね)

「私は別に、アルフレッド様の婚約者ではありませんもの。王子が誰と交流を深めようとも宜しいのではなくて?」

「いいえ!リスティ様以上にアルフレッド王子に相応しい方はいらっしゃいません!お二人が並ぶ姿を心待ちにしている者はたくさんおります!」

(当の2人はどちらも望んでないと言うのに)

「リスティ様!一言物申すべきでは?伯爵令嬢風情が勘違いも甚だしいと!」

「―――はぁ」

そのため息は、間違いなくリスティから出たものだった。

その重たさに、令嬢も言葉を止める。

音もなく、ソーサーにティーカップが戻される。

その流れる様な所作にリスティの侯爵令嬢としての全てが詰まっていた。

「―――今のお話、悪いのはアルフレッド王子ではありませんこと?」

「は…」

「あなたから見たアルフレッド王子はどんなお方?私を含めて、他のご令嬢を一定期間以上お側に置いていたことはあって?こちらからではなく、王子から女性に近づく姿をご覧になった事があるかしら?」

「……ありません」

(そう、ないのよ。アルフレッド様が私をお側に呼んだことも、ずっと側に置くことも)

「そう、件の伯爵令嬢以外はね。ーーーねぇ、これはつまりそういう事ではないかしら?だとしたら悪いのはやはり、噂が出てしまう前に手を回し損ねたアルフレッド王子が悪いのです。あなたが私を思ってくださった事とても嬉しく思いますわーーーけれど、どうかその優しいお心を私のために消耗しないで」

「リスティ、様」

リスティは涙ぐむ令嬢の目元に優しくハンカチを添える。

「大丈夫、今ここでお話ししたことは私たちだけしか知りません。ほら、涙をお拭きになって?可愛いお顔が可哀想だわ」

「リスティ様…っ!ありがとうございます…っ」

暫くすると落ち着いた令嬢は、深くお辞儀をし去っていった。

「……まぁ、いいわよね。ジル伯爵令嬢に敵意を向けるより、アルフレッド様に向けてもらった方が何かと穏便に済むでしょうし―――あぁ、お茶が冷めちゃったわ……」

「よかったら、新しい紅茶代は私に出させてくれるかい?」

「―――!」

それは唐突に、テラス近くにある大木の上から聞こえた声だった。

木の上から3人、テラスに向かい飛び降りてきた。

「え、あ、あ」

(な、なんて所からーー!!)

リスティの目はただ1人に釘付けだった。

短く整えられた黒髪。

秋に咲く薔薇のように深い深い緋の瞳。

一際高い長身に、よく鍛えられた事がありありとわかる、その人物。

「いや、俺が出そう。年長者だしな」

リスティに向けて密かに細められた瞳は温水のようだ。

さっと横をすり抜け室内にある注文カウンターへと向かうゼインにリスティは肩の力を抜いた。

「リスティ・オートル様。先駆けて声をお掛けすることをお許しください。本当に…申し訳ございませんでした」

掛けられた声にハッと意識をそちらに向ける。

アルフレッド王子の横に立つ小柄な女性はジル伯爵令嬢―――リリー・ジルその人だった。

(そうか、私から声を掛けなくてはいけなかったのに)

「いえ、こちらこそ失礼いたしました。少し気が抜けてしまって……アルフレッド王子にもご挨拶が遅れましたこと――」

「いや、そのままで。私たちも同席して良いかな?」

「……ええ、もちろんですわ」

立ち上がり礼を執ろうとしたリスティを制して、アルフレッド王子が椅子に腰をかける。

「ジル伯爵令嬢。あなたはアルフレッド王子の横に座ったらいかがかしら?」

「……失礼します」

どこに座るか悩んでいたリリーは、リスティの助言に従いそっと隣の椅子に腰掛ける。

さてどうしようと悩んでいるリスティの元に新しい紅茶を載せた盆を持ったゼインが戻ってきた。

盆ごとテーブルに置いたゼインは余っていた椅子をリスティの真横へと移動させると迷うことなくそこに腰掛けた。

未婚の男女にしては近すぎる距離に驚いたのはアルフレッドとリリーだ。

リスティはここ最近彼女の刺繍をよく見るためにその距離が当たり前になっていたこともあり、その違和感に気づくこともなく。

ゼインだけは、ひどく満足げだ。

「リスティ嬢、砂糖は二つでいいか?」

「ええ、ありがとうございます……あら、紅茶の数が足りませんわ」

「俺はこれでいい」

そう言ってゼインはリスティの前に置かれていた、飲みかけの冷めた紅茶を自分の元へと引き寄せた。

「そんな!そんな訳にはいきませんわ」

「いい、俺は貴女が淹れた紅茶以外の味の違いはよく分からん」

すっかり冷めた紅茶を啜り、ゼインは事も無げに言う。

「もう!それもお砂糖を入れてしまいましたから甘いでしょう?アーデント様は無糖がお好きでしょうに」

「たまには甘いのも良い」

「……随分と仲が良いんだね?」

アルフレッドの呆然とした声にリスティははっとする。

目の前に驚きに溢れた顔が二つ並んでいた。

リスティが答えるより先に言葉を発したのはゼインだった。

「ええ、俺は彼女を好いているので」

リリーは咳き込み紅茶を吹き出した。

しかしそれを咎める者は誰もいない。

「え、ええ!?あの、あのあのあの」

突然の告白に狼狽するリスティをゼインは愛おしげに見つめる。

「どうした?リスティ嬢」

「あ、あの、その、すす、好いてるって…」

「そのままの意味だ。貴女を愛おしいと、日々思っている。でなければあんなに侯爵家に顔を出さない」

「お、お兄様に会いに…」

「それは口実だ。ルイスもとっくに気づいてる」

「そ、そうでしたの…」

「ああ。ですから王子、私は今回の一件に少し思うところがあります。貴方にしては少し…だいぶ初動が遅かった」

「わ、わたしの所為なのです!!」

ばん、とテーブルを叩き立ち上がったリリーは大声で、早口で話し始める。

普段の彼女からは考えられぬ慌ただしさだった。

「私が!!覚悟を決めきれなくて!!お恥ずかしながら女性社会のこともわかっておらず…オートル様に負担がかかっていることも気づかず!!大変申し訳ございません!!オートル様も……アルフレッド様のことを好きなのだと思っておりまして……その……」

(ジル伯爵令嬢って思っていたよりずっと…実直な方ね…。控えめな方だと思っていたけど、嘘がつけない方なんだわ…)

「……私はね、ずっとあなたとお話ししてみたいと思ってましたの」

「え!!」

「学年首位の奪い方は、学年首位の方に聞くのが一番かと思って」

リスティの発言に耐えきれないと笑い始めたのはアルフレッドだった。

「ふ、はは!オートル嬢。まずは謝罪を。薄々気づいてはいたんだ。君がいることで令嬢達が落ち着いているんだろうと。分かっていて、君を利用していた面も大いにある。すまなかった」

「いえ、我が家が勝手に動いたことですもの」

「いや、しかし勿体無いことをしたな。君がこんなに面白い令嬢だと知っていたらもっと早く友人になれたのに」

キラキラと眩い光を纏う黄金の髪。

翡翠色の瞳は理性に溢れ、理想の王子様そのものの姿をしている。

その隣に座るリリーは薄灰色の長い髪を一つに縛り、知性を感じさせる紫の瞳が逸らされることなくリスティを見つめている。

多分、美しさで言えばアルフレッドと並び立つのはリスティが丁度良いだろう。

―――しかし、だ。

(こうして見ると、とても絵になる2人だわ)

「……不思議ですわね。なんだか、お二人が並んでいる姿に酷く納得してしまいますの。あるべきところに収まっているのだ、と」

「―――…オートル様……っ」

泣き出しそうになったのはリリーだ。

「きっとみながそう思いますわ。爵位など取るに足らぬものだとじきに気づくでしょう。ね、アーデント様」

「貴女は本当に優しいな」

静かに事の成り行きを見守っていたゼインは、リスティの髪を耳にかけ優しく微笑む。

彼は騒動の最中、リスティしか見ていなかった。

「――…ゼイン、君もそんな顔をするんだね」

「好きな女には」

「うっ…!」

先ほどからリスティの心臓はゼインに鷲掴みにされっぱなしだ。

「何故かしら……外見で言えばアルフレッド様の方が好みだったのに…」

思わず漏れてしまったリスティの心の声に、恐ろしいほどの静寂が訪れた。

彼女の目の前に座るアルフレッドは楽しげな笑顔で、リリーの顔は青ざめている。

リスティは思わず口を抑える。

「え、あら?いやだ私声に「リスティ」

「ひっ」

初めて、敬称なく呼ばれたその名に体が震えた。

「へぇ!私みたいのが好みだったのならゼインとはだいぶ趣向が外れてるね」

「ア、アルフ!それは火に油……」

リスティは隣から漂う冷気が恐ろしくて横を向けなかった―――が、そんな彼女の顔をひょいと自身の方に向かせたのはゼインで。

「リスティ。ぜひ知りたいな、貴女の好みとやらを」

笑っているはずのその顔から静かな怒りを感じたリスティは混乱する頭で考えたことをそのまま口にする。

「いえ、あの本当に、その、私は恋というものをしたことがなかったので知らなかったのです。私アルフレッド様の事、お姿で言えば格好いい方だと勿論思っておりますわ。多分この学園に通う婦女子の皆さんもそう思っているでしょう。ーーーなのに、恋はしなかった。

不思議ですわね……最初はアーデント様の事少し恐ろしい方だと思っていたし…こんなに、こんなに毎日あなたの事を考えてしまう様になるなんて。学園ですれ違えた日はもう一日中嬉しくて、なんだか羽でも生えた様な気分ですのよ?授業中も窓からあなたが見えるとついつい目を奪われてしまって……板書を写すのを忘れてしまったりして。お休みの日もあなたが来られる日は朝からそわそわして落ち着かなくてーー本当に、私は自分がおかしくなってしまったのかと。でも、ある時これが恋なのだと気づいて納得したものです。あなたの声をお聞きするたびにどきどきして、もっとずっとお話ししていられたら良いのにって。あなたが笑ってくれる度にこの瞬間を永遠に残せたら良いのにって考えていて」

「オートル嬢」

「もう、今の私にはアーデント様の姿が眩くて眩くて、最近ではそのあまりにもの格好良さに騎士科の女性にまでやきもちを焼いている始末で」

「……オートル嬢〜」

「……いつか、いつか私にゼイン様、とお呼びする事を許していただけないかと考えたりなどして」

「オートル嬢!!」

目の前でパチン、と両手を叩く仕草をされ、リスティはようやく我に返った。

手を合わせた本人であるアルフレッドはやれやれと言った様子でリスティに声をかける。

「何度呼んでも止まらないからどうしようかと思ったよ。ほら、君の愛の告白を受けたゼインが横で固まってしまったから君がなんとかしてね?」

私たちは失礼するよ、と顔を真っ赤にしたリリーの手を引いてアルフレッドは去って行った。

後にリリーはあんなに真っ直ぐな告白を目の前で見てその美しさに、絶対にリスティと友人になりたいとアルフレッドに語ったという。

「あ、あのアーデント様?」

目を見開き固まる男にリスティは恐る恐る声をかける。

「あ、申し訳ありません……私、気持ち悪かったですわね……」

先ほどの自分を思い出してリスティは顔を赤くして俯いた。

何も考えずに発した言葉の数々は、一方的に言われたゼインには不愉快だったのかもしれないと考えたからだ。

「あの、アーデント「ゼイン」

「え?」

「ゼイン、と呼んでほしい」

「……良いのですか?」

「是非」

「ーーーゼイン、様っ!」

リスティが名を呼んだその瞬間、気がついたら彼女はゼインのその腕の中にきつくきつく、抱きしめられていた。

「あ、あの、え、と」

「ーーーすまない。暫く、暫くこのままで」

(苦しい、けど)

きっと加減されているのだろうが、それでもリスティには強すぎるその抱擁は些か息がしづらいーーーけれど。

「ーーー温かくて、ずっとここに居たくなりますわね……」

「ーーっああ、本当に!」

こてん、と体を預けたリスティに我慢ならなかったのはゼインだ。

「貴女は!どうしてそんなに可愛いことばかり!俺の理性を試してるのか!!」

「り、せい」

「本当に…こうして居ないと貴女をどうにかしてしまいそうだ」

抱きしめながらリスティの髪を撫でる手はこの世のものとは思えぬほど優しく。

「週に2回、ここに来るときは必ず貴女に会える場所を歩く様にしている」

「…えっ」

「週末も仕事がないときはずっと貴女に会いに行っていた」

「…そ、うなんですの?」

「貴女が俺に話しかける度、その声を持ち去りたくなる」

「ーーっ」

「貴女が俺に笑いかける度、その顔中に、全身に口付けを落としたくなる」

「……く、ち!?」

「俺は、貴女が愛しく愛しくて仕方がないんだ」

「ーーーっ!!」

ぶわり、と空からたくさんの花が落ちてきたのかと思うほどに、世界を愛おしいとリスティは思った。

「ーーー嬉しい、嬉しいですわゼイン様……」

その大きく逞しい背に、リスティも腕を回す。

(大きい背中……全然腕が回らないわ)

「私も、あなたが大好きですわ!」

「ーーー!!あぁ、本当に!無自覚だからタチが悪い!」

目尻に少し涙を浮かべ、満面の笑みを浮かべるリスティの美しさは、腕の中に囲うゼインしか見られなかった。

その事をゼインは本当に幸運だったと後々も思っている。

あんなに可愛いリスティを見てしまったら誰しもが彼女を欲しくなってしまうから、と。

けれど、そんな笑顔を引き出せるのはこの世でゼインしか居ないのだ。

ーーーそんな2人のやり取りは、学園のカフェテラスで行われて居たわけで。

テラスには人気はなかったが、室内から目撃した者は多数いるわけでーーー。

次の日にはもう、学園中が知ることになって居た。

侯爵令嬢リスティ・オートルは、第一騎士隊長ゼイン・アーデントと恋仲である、と。

後日その噂を聞いたリスティは嬉しそうにゼインに耳打ちした。

“これでゼイン様は私のものだと周知されましたわね”と。

どこか自慢げな顔をするリスティに、ゼインは今度こそ彼女の顔中に口付けの雨を落とした。