軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第三百話 Side桐山玲二 二年 千年郷日本国③

Side桐山玲二

嫁と娘が俺を置いて家から出て行って何年経つだろう。最初の頃は家に様子を見に来てくれたりしていた。しかしある日からパタリとやんだ。日にち感覚がなくなりどれほど前か分からないが、ある日日本中の人間がどこかに避難した。

それでも俺は避難しなかった。何一つ更新されることがなくなり、電気も水道もガスも止まったこの日本にとどまった。

『ダンジョンによって世界は平和になる』

誰かがそんなことを言っていた。どこがだよ。日本中避難させられてるじゃないか。それなのにみんな信じたんだ。俺の家族だって、俺以外は全員間違ったんだ。だから【千年郷】とかいう意味のわからないものの中に消えた。

「どうしてみんな探索者の言うことを信じてしまったんだ」

一時期は探索者の立場はすぐに地に落ちると思っていたのに、俺の思いとは反比例して、探索者がどんどん威張り散らしてる。空が見えなくなり真っ暗になった日本で、健康な男がレベル1だと口にする。

それだけで、馬鹿にするような目を向けられる。全員が穴倉の中で殺し合いをするのが正しいと思ってる。いつから日本はこんなに狂ったんだ。俺だけがまともな感覚を残している。家族ですらおかしくなった。

「みんな死んだんだ。探索者に殺されたんだ」

そう考えただけで、外に行くのが怖くなって家の中で籠もりきり。何年か前、テレビのニュースで頻繁に探索者の言うことを聞いて避難しろと言われた。日本人の全ての避難先があるのだというバカな話が、本当だとでもいう気か。

俺はあの日、日本はついにおかしくなったんだと確信した。

【森神様の守りは1ヶ月以内に切れます。それまでに避難しない場合、命の保証はありません。他国からの大規模な日本への攻撃が開始されると予想されており、ジェノサイドが起きる可能性は非常に高い。一刻も早く避難するように隣の方にも呼びかけて、探索者の言うことを聞きましょう】

『はは、いやいや、日本人が全部避難するってどんな場所だよ』

『おい、桐山さん。ご家族さんから、何かあったらあんたを助けてくれって言われてるんだ。おおい! 早く避難しよう! 外国のやつらマジで日本にめちゃくちゃするつもりらしいぞ!』

誰かが俺を外に連れ出そうとしてる。お隣さんの声と似ていた。あの時俺は必死になって隠れた。普通に隠れても探し回られて見つかったらまずいと思い、床下収納を取り除いて、その中に隠れたんだ。

『あなたいた?』

『いや、それがどこを探してもいないんだ。どうする?』

『どうするってお金まで渡して任されたのよ。美鈴ちゃん、かなり探索者として出世してるらしいし』

『それは分かってる。六条様の正妻になるかもしれないんだろ。その親にもしものことがあったら大変だ』

しつこいやつらで何時間も探し回られた。

『いないわよね?』

『ああ、どうする?』

『おい、何をしてる! さっさと避難しろ! この地区の避難は明日までに終わらせなければいけないのだ! お前たちだけではない! 日本人全員が避難するんだぞ! 計画に遅れは許されんのだ! 呑気にするな!』

『は、はい!』

『あなた探索者の人が最終確認をしてるわ。もう避難しないと。きっと桐山さんの旦那さんは、真っ先に避難しちゃったのよ』

『早くしろ!』

ようやくそれで誰もいなくなった。それでもすぐ後に探索者が来た。

『床下に心臓音がするな……人間?』

『バカな。床下に人間なんているわけない。どうせ犬か猫だろう。残念だが飼い主に連れられていない時点で、避難対象から外せと指示されている。家畜からペットから何から何まで避難させろと言われてるんだ。野良まで避難させてたら、本当に間に合わなくなってしまうぞ』

『可哀想だが……』

『【千年郷】の中に食べ物が潤沢にあるおかげで、こっちの食べ物はほとんど残していく。野生化して元気に生きていくことを願おう』

『おい、犬か猫。元気で頑張れよ』

犬や猫じゃない。余計なお世話だ。さっさと行けと心から思った。

「俺は知ってる。ああいうのは嘘ばっかりだ。口車に乗って避難なんてしたら強制労働とかひどい目に遭わされるに決まってる」

だから俺は避難には従わなかった。そんなもの絶対にするものかと、家の中に食料を貯めた。テレビでは【千年郷】の中には食料が豊富にあるから、食料の買い占めなどはしないようにと何度も注意してきた。

お前たちの言葉を信じる意味がどこにある。俺はネットで調べて、これが陰謀だって分かってる。だからそんなの絶対信じない。

「玲香、芽依、美鈴、母さん。俺がこの家を守り抜くからな」

ネットで調べて備蓄食も大量に買い込んだ。俺は缶詰を開けると、今日もそれを食べた。

「うっぷ。毎日同じような味で、さすがに飽きてくるな」

とはいえ備蓄食にバラエティは期待できない。こんな食事を初めてもうどれぐらいなのか。カレンダーが更新されることはなく、日付けまで表示する時計も電池が切れた。外は相変わらず静かだ。探索者のせいで人がいなくなった日本。

たまに大規模な地震のようなものが起きる。その揺れは週に1回ぐらいある。一度など家が潰れないかと心配するほど揺れたこともあった。一体外では何が起きてる。

「もう日本人は全員死んで俺しか残ってないんじゃ」

そんな想像が頭の中にこびりついて怖くなってくる。母さんも美鈴もみんな死んでる。

「俺だけ一人生き残ってしまった」

そんな思いがここ何日もずっと続いてる。電気もつかないから余計に引きこもってると気が滅入る。それでも外に出るのが怖い。しかしそうも言ってられないことが起きた。毎日食べ続けた缶詰の備蓄食が底をついた。

「え? もうないのか?」

買いに行かなきゃ死ぬ。いや、そもそも買いに行く場所があるのか?

俺は恐怖で何日も腹が減るのを我慢した。

ただこのままじゃ死ぬのがわかってた。

俺は恐る恐る外に出た。

今が何月かもわからない。何が起きてるのかもわからない。みんなが出て行って以来初めて外に出る。外は静かだった。空を覆っていた巨大の樹木がいつのまにかなくなってる。あんなものが落ちてきたら大変だと思っていたが消えた。

いろんな家が草だらけだった。窓ガラスが割れている家も多い。

「お…お……おーい。誰か……いるかぁ……」

長く誰とも喋っていないせいで、自分ではしゃべれるつもりが、声を出そうとすると出せなかった。住宅街を歩いていく。国分寺駅が見えてくる。ほとんど歩いてなかったから疲れた。休もうと腰を下ろす。

なんだか奇妙なほど横から風が来た。そちらの方に目を向けると。

「え!?」

地面が抉れるように断裂していた。1㎞以上あるような獣が地面を引っ掻いたような傷跡。地震のように感じたのはこれだろうか。かなり前のことなのか断裂した地面には草が生えていた。

自殺でもしたのだろうか。道路の真ん中で信号機に首を括りつけて死んでいる人間がいる。やっぱり外は怖い場所だ。さっさと食料を集めないと。

「確かこの辺に」

お腹が空いて仕方がなかった。早くお腹に何か入れないと死んでしまいそうだ。デパートを見つける。ガラスが割れて、簡単に入れた。ものすごい食べ物の腐った匂いがする。たまらなく臭い。食べられるものが残ってるだろうか。

缶詰類から調べる。しかしみんな考えることは同じか。備蓄のきく食材は何もなかった。何でもいい。食べさせてくれ。

「まだ死にたくない」

フラフラと歩いてると急に浮遊感を感じた。下を見ると地面がない。俺は盛大に転んだ。斜面になっていて、中心部に向かって転がっていく。どうして俺がこんな目に遭わなきゃいけないんだ。

転がるのが収まると立ち上がろうとして激痛が走った。

「お、折れてる」

足を見ると変な方向に曲がってる。

どうなってこうなったのだと周囲を見渡すと、巨大なクレーターの中に落ちたのだと気づいた。隕石でも落ちたのか? 何とか這いずってでも上に出ようとするが出られない。芽依が家にもしかの時のためのポーションを置いてくれていた。

あれを飲めば治る。痛いけど家まで帰ればまだ助かる。でも片足が使えない状態では斜面を登れなかった。

「本当に登れない……どうするんだよ……」

散々もがいて日が暮れてくる。

奇妙な唸り声があちこちから聞こえてきた。

俺はその唸り声に思い当たることがあった。

『おい、犬か猫。元気で頑張れよ』

そうか。野生化した犬か猫か。野生化するとそういう動物も危ないという。こんな状況でガブッて来られてはたまったもんじゃない。何か武器になりそうなものぐらい持ってくるべきだった。

「ギャ」

「ギャギャ」

だが何か違う声に聞こえた。そんなことを考えていたら、沈みかけの太陽に照らされてそいつはいた。

「ご……ゴブ……リ…ン」

ゴブリンだ。その姿は一度だけ入ったダンジョンで見たことがあった。緑色の肌にするどい牙。手に日本刀を握っている。小6男子ぐらいの身長の凶暴な生物。昔、これに俺は殺されかけてダンジョンに入るのが怖くなったんだ。

美鈴や芽依や母さんにできるなら、俺にもできると思ってこっそりダンジョンに入った。全然できなかったんだ。人間を見たら殺すことしか考えてないこいつに追い回されたんだ。ギリギリで近くにいた探索者が助けてくれた。

そしてそのまま礼も言わずに逃げて出てきた。あれ以来こいつらの姿を見るのが怖くて、絶対にダンジョンに入らなかった。どうしているんだ。日本はダンジョン崩壊してないはずじゃ。

【大楠ダンジョンが崩壊して、近隣に大変な被害が出ております。自衛隊の指示に従い決して一般の人は近づかないように気をつけてください。ダンジョンは一度崩壊すると二度と閉じません。外に出たゴブリンは全て探索者によって処理されましたが、未だにゴブリンが出てくるのが止まったわけではありません。決して近づかないよう立ち入り禁止区域には間違っても入らないように気をつけてください】

そうだ。千葉県にある大楠ダンジョン。そこだけは崩壊している。日本人が日本にいなくなってどれぐらいだ? ゴブリンがここまで来る時間は十分にある。繁殖力が強いと言うからひょっとすると日本中にいるんじゃ。

ゴブリンと目が合う。

「ひっ」

こんなところで死にたくないと心から思う。

「ギャギャッ……」

しかしいつまでたっても痛みが来なくて薄く目を開けた。寸前のところでゴブリンが止まっていた。体に太い槍のようなものが刺さっている。それがさらさらと消えて、ゴブリンが地面に倒れてこちらに転がってきた。

「ひっ、ひぃな……に……」

子供のようなゴブリンにぶつかられてまた地面に転んだ。ゴブリンの血が体についた。

「ほらやっぱり死にかけてる」

誰か来た。

歩く音が聞こえてくる。

「はあ、もう、てっきり避難してると思ったのに」

なんだか聞き覚えのある声の気がした。いや騙されない。俺の知り合いの声真似をして、日本人唯一の生き残りの俺を発見しようとしてるんだ。外国のやつらは何としてでも日本人を見つけて皆殺しにするつもりだ。

怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。

無理して外になんか出なきゃよかった。結局碌な食べ物も見つけられなかった。

「まだまだ生きてるのね」

「お母さんそれはちょっと言い過ぎじゃ」

「美鈴。放っておいた方がいいわよ。もう完全に醒めちゃってるんだから」

それにお母さんはイライラした声を出す人じゃない。ものすごくイライラしたお母さんの声がしたのだ。やっぱり外国人だ。最後の日本人を殺そうとしてる。

「ちょっ、本当にお父さん死にそうなの?」

西日に照らされてその顔はよく見えなかった。

「どこかで野垂れ死んだと思って諦めてたわね」

嫌だ。俺を見るな。惨めな俺を見るな。怖い。怖い。怖い。そんな俺の恐怖を無視して、クレーターの中に入ってきた人間の姿がしっかりと見えた。

「く、臭い……」

「まずお風呂ね」

「お父さん生きてる? 美鈴だよ。ほら立って」

「へ?」

2年以上風呂に入ってない俺の手が、そのまま降りてきた女の子の優しい手に握られた。お母さんに思える綺麗な女の人が鼻を抑えていた。

「お……お……」

あまりにも長く誰とも喋っていなくて、やはり声が出しにくい。

「なんか歩けそうにないわね。ほら、背負ってあげるからのって」

驚くほどの美女が、服が汚れるのに背中に乗るように言ってきた。

「いや……でも……きたな」

「芽依。お母さんが背負うから」

「お母さん、嫌なんでしょ。気持ちはわかるし、無理しなくていいよ。お父さん、ほら」

「あ、おう」

そのまま綺麗な女の人は軽々と俺を持ち上げた。芽依に似てるなと覗き込んだら、やはり別人に見える。

「だ……誰?」

「芽依よ。本当は私たちが地球に出たらダメなんだから。ちょっと急ぐね。あと、これ飲んで」

芽依と名乗る女は、片手で俺を背負い口の中に無理やり瓶を突っ込んだ。

「あなたも根性が有るんだか無いんだか。こんなところにずっと引きこもってるぐらいならさっさと避難すれば良かったのに」

「外は……危ない……みんな分かってない」

俺は精一杯の力で抵抗しようとした。しかし背負ってる女の人はびくともしない。そこからは早かった。わけもわからず避難場所に連れて行かれ、美鈴と芽依だと称する女の子たちが、俺の体を無理やり綺麗にした。

それから俺が落ち着くまでの1週間。その間に美鈴の昔からの友達だった小春ちゃんと美鈴が、どうしても忙しいからといなくなる。芽依と名乗る女性もどうしても外せない仕事があるとその姿を消した。

1週間経ってみて俺はようやくみんなはダンジョンに入ってますます綺麗になっただけで、本人達だと認識することができた。そして、美魔女なお母さんから説明されて、自分がかなり危険な場所にいたことを理解した。

さらに今の日本の状況も教えてもらえた。俺の今いる場所は【千年郷日本国10区】で、美鈴の計らいでかなりその中でも治安が良い、高級住宅街に住めることになったらしい。その言葉は本当のようで、広さが倍以上あった。

「俺が悪かった」

ようやくその言葉が出た。自分はただのバカだったらしい。今日までの間、勝手に苦労して、勝手に死にかけて、道化のように踊っていただけたと思うと恥ずかしくて仕方ない。それでも俺には頼りになる家族がいる。

もうここにいれば何もかも大丈夫だ。そう思って安心して眠った。その翌日、お母さんが俺の家を訪ねてきた。自分の家に帰ると言って昨日はいなかったのだ。一緒にいてほしいとお願いしたが、明日考えを整理して必ず来ると言われた。

俺は昨日の夜、久しぶりに性欲が滾った。お母さんも何年も放っておかれて、怒っているようだ。今日はたっぷり綺麗になったお母さんを抱きしめて、俺の嫁だと認識させてやろう。俺はセックスにはかなり自信があるんだ。

そして色気の増したお母さんがリビングのテーブルにつくと、俺に向かいの席に座るように言って真剣な顔になっていた。どうしてか、それだけで気圧された。

「——離婚?」

「ええ、申し訳ないのだけどあなたには愛情を感じられません。あの子たちも、1週間あなたともう一度一緒に過ごして、考えが変わらないようだったら指示するって言ってくれてました。安心してください。あの子達は優しいし、あなたの子供のままです。でも私はもう嫌なの。別れてもらえますか?」

その深く憂いを含んだ瞳が俺を捉えた。以前以上に綺麗になったこの女は俺のものじゃなかったのか? これから豊かな乳房をたっぷり揉んでやろうと思っていたんだぞ。

「な、何を言ってるんだ母さん。冗談はほどほどにしてくれ。こんな状態でお前に捨てられたら俺は生きていけなくなる。10区の人間には社会保障も最低しかないんだろう?」

「まあそうですね。日本にいた時とほぼ同じです」

「それで、どうやって生きていけと言うんだ」

やっぱりまだ夢の中にいるんだ。母さんは絶対にこんな冷たい言葉を言う女じゃなかった。

「私ね。気づいたの。早く結婚したから外の世界なんて全然知らなかった。でも、美鈴から六条様の話とか聞くとね。世の中の男の人ってあなたよりはるかにマシなんだってよくわかったの。そうするとダンジョンに入るほど、あなたに対する愛情が消えていくことに気づいたの」

「お、お前俺があんなに苦労してたのに浮気してたのか!?」

「してないわ。ただ、はしたない話だけどね。私美鈴に見せてもらった六条様の顔がどうしても忘れられないの。思い出すと心が疼いて仕方がないの。だからね。美鈴があなたを助けに行くと言った時、私死んでてくれたらいいのにと思ったの。でも生きてるんですもの」

「な、なんてこと言ってるんだ! 有名人に憧れて旦那を捨てるというのか!」

六条祐太の名前は聞いたことがある。日本中で避難しろという指示が出た時、【千年郷】というものを手に入れたのが六条祐太だと何度も放送されていた。時の人のように扱われて気に食わないと思っていたのだけは覚えている。

俺の嫁は、そんな有名人に惚れたとでも言うのか?

「そういう世間擦れしてるところももううんざりよ。【千年郷】を用意してくださったのは六条様なの。これがなければ日本人はどれぐらい死んでたか想像もつかないわ。実際1つ大きな国が滅んで世界ではもう10億人ぐらい死んでるの。日本もそうなりかけたのを救われた。それは六条様のおかげよ」

「だからってお前……相手は有名人だぞ?」

「美鈴のことも知らないのね」

「美鈴がどうした? まさか六条に何かされたのか!?」

「はあ、その話はいいわ。六条様を好きな女はこの世にありふれてる。特にダンジョン前の昔の写真が人気なの。あの幼くて頼りなさそうな顔。あの時に私が一緒にいたら全力で守って差し上げたのに。はあ、美鈴が羨ましい」

「お前何を言ってるんだ!?」

「別に私のようなおばさんが、六条様と関係を持ちたいとかそんなバカなことを考えているわけではないの。いくら美鈴の母親でも、あなたに触られたような体は触らせられないわ。ただあなたへの愛情がなくなったって話をしてるの。あなたも別の女を見つけてちょうだい。10区でなら、美鈴の名前を出せば誰か見つかるでしょう」

「はあ!? お前何の話をしてるんだ!」

俺が叫ぶと呆れたように見てきた。

「1週間あれだけ説明してあげたのにまだよく分からないのね。まあ無理もないわね。以前なら私の方が間違ってたのかもしれない。でも今だとそうでもないのよ。安心して。あなたは生きるのに何も困らないわ。10区で少々問題が起きたところで美鈴は痛くも痒くもないのだし」

嫁の距離感が奇妙に思えていた。それがこういうことだったのか。日本で床下に住んでいる間、俺は嫁が自分の間違いを認めて、俺のところに逃げ込んでくる。そんな期待をなぜかしていた。

しかし、それとは真逆に嫁はいつの間にか俺に興味をなくしていた。

「お、お前は間違ってる。ダンジョンなんてものは野蛮人が殺し合いをしているだけなんだ。いずれお前だって後悔する時が絶対に来る」

「本物の穴倉にずっと引きこもっていただけのあなたがそれを言いますか?」

「り、離婚なんて絶対にサインしないぞ」

「そちらが不同意でもレベルが倍以上開いている場合、離婚は一方の強制的な権利によって成立する。本来はあなたの許可を取る必要もなかった。私はそうしようと思ったけど美鈴が『さすがにちゃんと話し合ったら』って言ってくるから仕方なくです」

「み、美鈴が言ったから何なんだ。あの娘は家長でも何でもないんだぞ」

「まだ理解できないんですね。これだから一般人は……。美鈴は米崎博士に頼んで、からくり族を一体あなたに恵むそうですよ。言っておきますがかなりの高級品です。壊したりしないようにしてくださいね」

嫁が立ち上がった。

「待ってくれ! どうしてだ! 母さんはとても優しい女だった。まるでダンジョンで人が変わったみたいだ。やっぱりあんなところに入ったからおかしくなったんだ。そうだろう!?」

「10区ではそれまで持っていた資産がそのままの価値として与えられています。私は財産を全て放棄しますし、あの子たちも必要ないそうです」

嫁が遠ざかっていく。何もかもを失う。足下の地面が崩れていくようだった。ダンジョンなんて現れなければ、探索者なんていなければ、こんなことにならずにすんだのに。

「だ、ダンジョンに入ってみる! 入ってみるから!」

叫んだが嫁は振り返ることもなく歩き去った。そして俺は明日からダンジョンに行こうと思って今日は眠った。必ずお母さんを見返してやる。美鈴も芽依も、みんな見返してやる。そう思い続けて翌日もテレビを見ていた。

玄関でチャイムの音が鳴っている。お母さんかと思って恐る恐る玄関を覗く。そしてその日から俺は自分が、

「造られた存在だ」

と口にするどう見ても人間の。しかもかなり美女との生活を始めた。