作品タイトル不明
第91話 好意の証拠
私とアンセルム様は出迎えてくださったベルナール様に案内をされ、ヴィーの部屋を訪れていた。
「結構参っているみたいで、意識が朦朧としているみたいなので、以前のような事はないと思うんですけど……。何かあったら呼んでください」
「以前?」
「あはは」
近づいても目を覚まさないヴィーの傍で私達は言葉を交わす。
アンセルム様はベルナール様の言葉に首を傾げたが、私とベルナール様は互いに顔を見合わせてはぐらかす事しか出来なかった。
「まあ、アンセルム様がいらっしゃるなら問題ないとは思いますが。一応廊下に控えておりますので」
「わかりました。ありがとうございます。……あの、この度は」
「ああ、お気になさらず。寧ろ病などではなく一時的なものだと聞いて安心しました」
移動中、ベルナール様には今回の事の顛末を明かしていた。
私は自分の不注意でヴィーを不調に追い込んでしまった事を改めて謝罪しようとしたが、その言葉を遮るようにベルナール様は首を横に振る。
「それにしても、ヴィクトルって奴は本当に……」
ベルナール様は熱に浮かされている弟の様子を窺って苦笑した。
その言葉に首を傾げれば、彼は何でもないと首を横に振り、代わりに私達へ一礼する。
「それでは、一度失礼いたします。ごゆっくり」
ベルナール様の姿が扉の先へ消えたのを私とアンセルム様は見送る。
そして部屋の戸が完全に閉じた音を聞いてから、アンセルム様は困ったように息を吐いた。
「お邪魔しておいて言う事ではないかもしれませんが、持ち主が眠っている部屋に客を招くというのは杜撰といいますか、放漫といいますか……」
「た、確かに」
あまりにも簡単に中へ通されてばかりなのですっかり感覚が麻痺していたがよくよく考えればアンセルム様の考えが正しい。
以前も同様に部屋を訪れた経緯がある私は苦く笑うしかなかった。
「まあ、昔からマイペースなお方ではありますからね……」
アンセルム様は扉からヴィーへと視線を戻す。
「一先ず、こいつが目を覚ますのを待ってから、事情だけでも説明しましょう」
「そうですね」
私とアンセルム様はベッド脇に用意された椅子に腰を下ろし、ヴィーが目覚めるのを待つのだった。
***
ヴィーの額に滲む汗を拭ってあげたり、時折魘される彼の頭を撫でながら過ごしていると、伏せられていた睫毛がふと、小さく震えて彼が目を覚ます。
明らかに上気した顔のまま一度起き上がろうとしたヴィーはすぐにベッドへ倒れてしまい、あまりに不調そうな彼の身を私は案じていた。
「――かわいいな、ニコル…………」
「…………はい?」
しかしそんな私の不意を衝くように、予想だにしない言葉が彼の口から零れ……私は思わず呆けてしまう。
言葉を発した当の本人はまだどこかぼんやりとしていて、自分が呟いた言葉すら自覚がないようだった。
アンセルム様の長い溜息の後、長い沈黙が訪れる。
静寂が続くにつれて、羞恥と喜びがじわじわと湧き上がり、かと思えば突如顔の熱が急上昇する。
むず痒いような妙な部屋の空気を変えてくれたのは、アンセルム様の大きな咳払いだった。
「ヴィクトル。あまり口を開くと、治った時に頭を抱える事になるぞ」
「んぁ……セル? 何でいるんだ?」
「体調不良で寝込んだどこかの騎士の見舞いだが? ……おい、その手を放せ」
アンセルム様の話の最中だというのに、ヴィーはベッドの中でもぞもぞと動いたかと思うと私の手を引き寄せ始めた。
すかさずアンセルム様が間に入り、私の腕からヴィーの手を引きはがす。
「何するんだよぉ」
「今のお前が能動的にニコレット嬢に触れるのは危険だと判断したまでだ」
「俺の婚約者だけど!?」
二人が何やら言い争っている中、私はというと……場違いにも少しだけ浮かれていた。
(これは流石に……少なからず好意を寄せられていると考えても良いんじゃないかしら)
惚れ薬の影響を多大に受けているヴィーの、目が覚めてすぐの発言や、私を求める行い。
それらが彼から嫌われていない事の証明になっているような気がして、それがとても嬉しかった。
「……ニコル? 顔赤くないか?」
「……っ!」
「もしかして移した……!? わ、悪い」
「ち、違うわ! これはその……」
(しっかりしなさい、ニコレット……っ。ヴィーは体調を崩しているのよ。そんな中喜んでしまっていただなんて知られたら、それこそ最低な人間だと思われてしまうわ……)
急に呼ばれた私は、慌ててヴィーから視線を逸らし、顔の赤みを何とか誤魔化そうとする。
そこでサイドテーブルに置かれていた水差しとグラスが視界に入った。
「そ、そうだ。喉は渇いていない? お水はいる?」
「ん……じゃあ貰おっかな。ありがと」
「いいえ」
私はグラスに水を注ぐと、それをヴィーへ手渡す。
喉が渇いていたのか、ヴィーは水を一度で飲み干してしまい、私は空いたグラスに再び水を入れる。
その頃には平常心を取り戻していた事もあって、私はヴィーへ向き直って本題を切り出す事にした。
「それで……貴方に話さないといけない事があるのだけれど」
私はアンセルム様と共に、惚れ薬の件について洗いざらいヴィーに説明するのだった。
「……ほ、惚れ薬…………?」
全てを聞いたヴィーは引き攣ったような笑顔のまま、ただでさえ赤かった顔をさらに上気させた。
「……ごめんなさい。私の不注意で、苦しい思いをさせてしまって」
「い、いや、それは……いいんだけど…………」
ヴィーは何度も口を開閉させ、何故か助けを求めるような目でアンセルム様を見る。
しかしアンセルム様は何かを諦めるように、はたまたヴィーを宥めるように、緩やかに首を横に振るだけだった。
ヴィーは顔に熱を溜めたまま口元を片手で隠して俯き、かと思えば咳払いをして、どこかぎこちない動きで水の入ったグラスを口へ持っていく。
「それで……先生はすぐに治るとおっしゃっていたけれど、今回の件は私の落ち度だし、そのせいでヴィーが苦しむのは本当に申し訳がなくて。だから、貴方が嫌でなければ」
「ニコレット嬢……っ!」
視界の端で、アンセルム様が何かに気付いたように僅かに腰を浮かし、口を開く。
けれどその頃には私は話の続きを切り出していて、半ば彼の声を遮るような形になっていた。
水を飲んでいるヴィーを真っ直ぐと見つめながら、私は誠意を持って彼に伝える。
「――貴方を満足させたいの……っ」
「ゴフッ!? ……~~~~っ!?!?」
突如、ヴィーは含んでいた水を貴族にあるまじき大きな音と共に吹き出してしまう。
何か危機を察知したのか、彼の優れた騎士としての反射神経が作動したらしく、水を噴き出す直前に彼は私から顔を背けた。
しかしそのせいで、吐き出された水は綺麗で真っ直ぐな軌道を維持し――アンセルム様の顔面に直撃する。
「っ、ちょ、ちょっと……」
大きく咽るヴィーと、眼鏡や前髪を濡らしたまま硬直するアンセルム様。
地獄のような絵面の中、私は双方に掛ける言葉を失い、呆然とする事しか出来なかったのだった。