作品タイトル不明
第85話 惚れ薬
放課後に入ってすぐの事。
私はジュリエンヌ様と共に廊下を歩いていた。
「いいの? ヴィクトルと落ち合わなくて」
馬車回しへ向かう中、ジュリエンヌ様が私へ問う。
心配そうな面持ちの彼女が言わんとしている事は理解していた。
昼休憩にアンセルム様とお話した事で、私は恐らく、ヴィーから疎まれてはいないのだろうという自覚を持つことが出来た。
一週間前、女子生徒の会話を聞いたその日からヴィーと全く目を合わせることが出来なくなった私だったが、一度本人と話をしてみた方が良いという結論に落ち着いた。
しかし……下手に一週間、彼を避け続けてしまったせいでどう声を掛けるべきか、話を切り出すべきかが分からなくなってしまった。
(それに……『万が一』という言葉が過ってしまっては不安になっている。きちんと心の準備が出来てから、しっかり話したいわ)
何度も同じような事をぐるぐると考えては問題を後回しにしてしまう。
そんな不甲斐なさが自分の中にあった事に呆れながら私は溜息を吐く。
「はい。一度、もう少し自分の中で整理してから話しに行こうと思って」
「ふぅん?」
意味深長な相槌と共に、ジュリエンヌ様が私の顔を覗き込む。
くすくすと品よく笑う彼女はとても楽しそうだ。
「ヴィクトルはさておき、まさかニコレットにも春が来るなんて」
「別に以前から、彼の事は……」
「わたくしにくらい、誤魔化すのはやめなさい。これまでの貴女がヴィクトルに向けていた好意が、異性に向けたそれではない事くらい、分かっているわ」
苦し紛れの言い逃れをするも、その嘘はすぐに気付かれてしまう。
逆に居た堪れない気持ちが強まってしまい、私はジュリエンヌ様の視線から逃れるように視線を落とした。
「別にいいじゃない。政略から始まった婚約に、恋心が芽生えたって。わたくしは嬉しいのよ、ニコレット。いつもわたくしの相談ばかり乗ってくれていたから、これからは対等に相談し合えるのだと思うと」
「ジュリエンヌ様……」
「ふふ、いつもは白い肌が林檎みたい。本当に可愛いのだから」
熱を持っている私の顔を見てジュリエンヌ様が笑みを深める。
一人で抱え込むのではなく、こうして寄り添ってくれる人が傍に居てよかった。
幾分か心が軽くなるのを感じながら、私はそう思った。
「本当に使うのか?」
そんな折。
近くの教室から複数の男子生徒の会話が聞こえる。
扉が開け放たれた教室の中、数名の生徒が何やら話し合っているようだった。
その内の一人は顔色が悪く、今にも泣き出しそうなくらいに深刻そうな表情をしていた。
「うん。だってもう、これくらいしか思いつかない」
(あれは、魔法薬学専攻の生徒……)
他の生徒達の視線を受けながら話すその生徒は一つの小瓶を持っている。
制服のデザインの違いなどから、彼らが二つ上の学年の、別の分野を専攻している生徒達である事が分かった。
魔法薬学は魔法の効果を孕んだ植物を用いたり、複数の材料を混ぜ合わせる事で魔法と同等の薬剤を生み出す学問の総称だ。
魔法薬学専攻の生徒達の話の中心人物となっている生徒が持っている小瓶の中身は、恐らくは自分で作った薬品なのだろう。
「大丈夫なはずだよ。主な成分は興奮作用を含むものだけど、良識的な量の範疇で用いるだけなら人体に影響を齎すような材料は入れていない」
「とはいえ、ダニエル……惚れ薬なんてよぉ」
(――ダニエル? ……惚れ薬!?)
一週間前の女子生徒達の会話で出た男性の名と、聞き間違いを疑うような単語が飛び出し、私は思わず足を止めてその教室の方を二度見してしまう。
惚れ薬という言葉にはジュリエンヌ様も興味を惹いたのだろう。彼女もまた、目を見張っていた。
「あくまでこれは薬を用いた後、最初に視界に入れた人物に対し、既に抱いている好意を一時的に底上げして引き出す為のものでしかない。これをマリーに使っても彼女に変化が見られないなら……その時は僕達の関係は政略的なものでしかないと割り切って諦める」
「そ、そこまでしなくとも、本人に直接言えばいいだろう?」
「言おうとしたさ! でもそれっぽい空気になって僕が話を切り出そうとする度、彼女の顔は強張るし、明らかに話を切り上げようとするんだっ!! どうせ脈なしさ! それでも……期待が捨てられないから、こうして諦めるきっかけを探しているんだ!」
決して珍しくはない名前であるが故に、一週間前に話題に上がった人物とは同名の別人である可能性も考えていたが、声を荒げる彼の言葉から、どう考えても同一人物であると確信してしまう。
「……ニコレット」
ダニエル様に憐みの気持ちが湧きつつあった私は、ジュリエンヌ様の声でハッと我に返る。
学園に通う生徒は行事等、講師が許可した場合を除いて、武器や魔法、その他学園内で生まれた成果物等を他者へ行使してはならないという規則がある。
ある程度黙認されていたり、裏で規則を破る者が一定数いるのは事実だが、私やジュリエンヌ様は生徒会長であるグザヴィエ殿下と関わりがある立場。
学則を破る瞬間を目撃すれば、止めない訳にはいかなかった。
目配せをするジュリエンヌ様へ、私は頷きを返す。
私達は共に教室へと足を踏み入れた。
「お待ちください」
男子生徒達の視線が一斉に私達へ向けられる。
教室の中、私とジュリエンヌ様が自身の身元を明かした上で、学則を破ろうとしている生徒を止めに来た旨を告げると、ダニエル様は観念したように膝から崩れ落ちたのだった。