軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第72話 山場は越えて

扉を蹴破った勢いのまま、ヴィーは研究室へ飛び込む。

部屋へ入室した私達が見たのは自らの首に短剣を押し当てるテレーズ先生と、傍で倒れ伏すシャルル様、そして一人の中年の男性――フォンタニエ伯爵だった。

部屋へ足を踏み入れた直後、ヴィーは私を素早くその場に下ろす。

気が付いた時には彼は私から離れ、テレーズ先生へ距離を詰めていた。

研究道具を躱し、机を軽々と飛び越える。

そして目にも留まらぬ速さでテレーズ先生の背後に回り込んだ彼は短剣を握っていた彼女の手を掴み上げ、その場に組み敷く。

動きを封じられたテレーズ先生は虚ろな顔で身じろぎをするが、その項へヴィーの手刀が加えられ、あっという間に意識を失った。

一方の私は、腹部から血を流しているシャルル様へと駆け寄る。

「っ、シャルル様……!」

顔を蒼白とさせたままか細い呼吸を繰り返す彼の半身を抱き起こして患部を確認する。

背中からの出血が大きい。放っておけば致命傷になりかねなかった。

ハンカチを患部へ押し当てるも、すぐに意味はなさなくなる。

(もっと大きな布がないと……っ)

深刻な状況を打破すべく、私は周囲へ視線を巡らせる。

視界の隅に映るシャルル様は自分の体よりも意識を失ったテレーズ先生を気に掛けるように、彼女ばかりをぼんやりと見つめていた。

「思ったより、応援が早かったらしい。仕方がない……後の事はお任せしよう」

止血するものを探している傍ら、そんな声が聞こえて私は弾かれたようにそちらを見る。

いつの間にか私達から離れていたフォンタニエ伯爵が不敵な笑みを浮かべたまま、部屋の隅に記されていた魔法陣の前に立っている。

私達がシャルル様やテレーズ先生に気を取られている内に移動したのだろう。

「っ、待――」

「いい!」

咄嗟に腰を浮かせた私だったが、それをヴィーの鋭い言葉が止める。

驚いてそちらを見れば、フードに隠された顔が私の方へ向いていた。

「人命が優先だ。彼を死なせるわけにはいかない」

シャルル様は洗脳を受けていない被害者。彼からしか得られない情報だってある。

おまけに魔法陣の先には何があるか分からない。

そのような状況で私が後を追うのは確かにリスクが大きすぎた。

また、意識を奪ったとはいえ明らかに正気ではないテレーズ先生を放っておくことも出来ない。

私はもどかしい気持ちを抱えながらフォンタニエ伯爵を睨みつけた。

彼は勝ち誇ったような笑みのまま魔法陣の上に立ち、その体が光に包まれる。

「賢明な判断だ。尤も――あのお方の存在がなければの話ではあるが」

人の神経を逆撫でるような、悪意に塗れた高笑いの中、フォンタニエ伯爵は続けた。

「ああしかし、私がいる間に愚息をしっかりと始末しきれなかったのは悔やまれるな」

どんな事情があれ、相手は血を分けた子供。

そんな相手にここまで心無い言葉を浴びせられる者がいるというのか。

家庭環境に恵まれてきた私にはシャルル様とフォンタニエ伯爵の関係が理解できなかった。

けれど、家族の死を望む彼の心無い言葉は、沸々とした怒りを私に抱え込ませる。

今の私は淑女らしからぬ、険しい表情をしていたに違いない。

眩い光の中、姿を消すフォンタニエ伯爵。

その姿を見送りながら、私はシャルル様を強く抱きしめた。

フォンタニエ伯爵の姿を掻き消した光は霧散し、その場には私達とシャルル様、テレーズ先生のみが残される。

訪れる静寂。それは数秒と続かない。

離れた場所からやって来るいくつもの足音が微かに聞こえてきたのだ。

応援の気配に安堵し、小さく息を吐く。

それから比較的近くに見られた、止血に仕えそうな布類を見つけてその場を発とうとした時、隙間風のようなか細い呼吸と共に低い囁きが耳に届いた。

「…………あり、がとう……」

その礼が、自分を助けようとしている事に対するものではない事はわかり切っていた。

テレーズ先生の話をしていた彼の穏やかな顔や、先程の彼の視線を思い返しながら、私は込み上げる感情を呑み込む。

そして彼の背中を優しく叩き、敢えて強い語気で伝える。

「礼を言うにはまだ早いです。――生きてください。駆け付けた私たちの為にも……テレーズ先生の為にも」

彼が深手を負った理由に心当たりはあった。

誰よりも警戒していただろうシャルル様はきっと、唯一心を許していたテレーズ先生に刺されたのだろう。

けれどそれだって、彼女の意志によるものではない事は明白だ。

『夢の香霞』の影響を受けているテレーズ先生が正気に戻った時、彼が命を落としていたら……そして当時の記憶が残っていたのならば、テレーズ先生がどう思うかは想像に難くない。

シャルル様の気持ちを奮い立たせるべく、私は敢えてテレーズ先生の名前を出し、恩をチラつかせる。

すると耳元で、微かに笑う息遣いがあった。

「そう、だな……」

それきり、彼の声は聞こえなくなる。

止血の準備の為、その場から離れるべくシャルル様を仰向けに寝かせようとした時、彼が意識を失っている事が分かった。

「待った。傷口を床につけないように」

私が離れるより先にヴィーが動いていたようで、彼は私が目星をつけていた布を回収すると持って来てくれる。

それを剣の刃で裂き、丸めて厚みを持たせた一部をシャルル様の背中と床の間に挟み込む。

患部を床と接触させずに浮かせる為だった。

「患部をこれで押さえていてくれ。応援が来たらすぐに運び出させる」

「ええ」

的確に処置の指示を出す彼に従い、私はシャルル様の応急処置を始める。

生死を彷徨うシャルル様の血の気のない顔や、浅い息遣いが、『彼が死んでしまったらどうしよう』という恐れを生む。

(そもそも、事前に『夢の香霞』の事を詳細に告げられていたなら――)

私の立場上、それが不可能だった事は理解している。

自分に許された範疇での助言は行ったつもりだ。

しかし一方で、あの程度の助言のみでは、シャルル様がテレーズ先生を警戒の対象として見ることが不可能だったというのも分かる。

どうしようもなかった事故だ。

だがそれでも、もっと何か上手く立ち回ることが出来たのではという罪悪感がこみ上げた。

私の指先は微かに震えていた。

結局、研究の成果は奪われてしまったが、巻き込まれた人達の全滅という最悪の事態は回避した。

望む結果ではなかったにしろ事件の山場は越えたのだ。

にも拘らず、今だ緊張が抜けない。

そんな私の頭にそっと、大きな手が添えられる。

「君がいなければ、もっと悲惨な結果だって充分にあり得た。――ありがとう、お疲れ様」

その言葉と頭を優しく叩く掌の温もりが、目の前の人物の死の可能性に怯える私の心をゆっくりと溶かしていく。

(課題は山積み。だけれど、それを不安に思っても仕方がない。シャルル様の容態だってそうだ。私がすべきなのは悔やむ事じゃない。今は、今の自分に出来る最善を尽くすだけ)

深呼吸を一つする。

動悸が落ち着いていくのを感じながら、私はシャルル様の治療という目の前の使命に集中するのだった。

***

テレーズの研究という成果物を抱えたフォンタニエ伯爵は日暮れの中、路地裏を速足で進む。

「ラガルド殿下」

入り組んだ道の先。

外套を深く被ったラガルドが立っている。

涼しい顔をしている彼の前までやって来たフォンタニエ伯爵は、恭しく跪く。

「こちらが成果物になります」

「ああ、ご苦労だった」

「いいえ。殿下こそ」

ラガルドは差し出された研究資料と小瓶を受け取り、それを確認する。

「貴様が用いた魔法陣は?」

「勿論、研究室と繋がっていた方は逃走直後に消してあります。想定外に早い応援がありましたが、元々研究室の証拠隠滅の方をラガルド殿下が請け負ってくださっていたお陰で、難なく逃れることが出来ました。ありがとうございます」

成果物の中の一つである小瓶を揺らしながら眺めていたラガルドは、フォンタニエ伯爵の言葉を興味なさそうに聞き流す。

「まあ、あの出来損ないの息子の死を見届けられなかったのは……少々、残念ではありましたが」

「哀れなものだな」

「ええ、本当に。我ながら、不出来な息子を育ててしまったものです」

「そうではない」

ラガルドは小瓶をしまいながら冷たく答える。

彼の頭には恐ろしい形相で自分に命じる女性の姿が過っていた。

ラガルドの返答に首を傾げるフォンタニエ伯爵。

そんな彼を脇目にラガルドは資料を足元に放る。

「まあいい」

そしてフォンタニエ伯爵と、彼がやって来た方角を交互に見やり――

「ではこれで――貴様の役目も終わりという訳だ」

――妖しく、口角を釣り上げたのだった。