軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第69話 駆け引き

ラガルド殿下が私を見て目を見開く。

「お前、は――」

辺りには甘い香りが充満していた。

道中も漂っていた香り。

それはラガルド殿下が持っている魔導具から放たれていた。

(これが『夢の香霞』……。この匂いを嗅いでも私がまだ正気なのは、恐らく人を惑わせるのにも香り以外の条件があるから)

そもそも、複雑な魔法程、それを行使する対象や発生させる事象を明確にする必要性がある。

たとえ三魔法器が機能面において優れており、その過程の大半を省略することが出来たとしても、ゼロにする事は出来ないのだろう。

(魔法の特性を鑑みるに、『普段通りに過ごしつつ、主人を殺せ』などという複雑な指示や洗脳は、ラガルド殿下と被術者が目的を明確に認識した上で無ければ成り立たないのではないかしら。少なくとも、彼が私を洗脳しようと思った時――何かしらの前触れがあるはず)

恐らくは仮面舞踏会の時の事を覚えているのだろう。

追手に追い付かれた事、そしてそれが見知った人物であった事から驚きを見せたラガルド殿下は、すぐに『夢の香霞』を使用する素振りは見せなかった。

(私がすべきことは、洗脳を避けつつラガルド殿下の足を止める事。要するに、時間稼ぎ)

彼を捕らえようだとか、退けさせようだとかは考えていない。

私にできるのは精々、彼の動きを一時止める程度。

シャルル様の安否は心配だけれど、彼の横をすり抜けて先に研究室へ向かおうとすれば、その時点でラガルド殿下は『夢の香霞』を使うだろう。

そもそも私では道中の監視に足止めされ、シャルル様から共有されていたテレーズ先生の研究室まで辿り着くことが出来ない。

だからこそラガルド殿下が足を止める時間を可能な限り引き伸ばし、この状況を打破できる者の応援に懸ける。

私にできるのはそのくらいだった。

そして、ラガルド殿下の考えは仮面舞踏会の際の接触や、また聞きしていた学園での様子から、僅かながらに理解していた。

私の予感が正しければ……彼はすぐに私の口を封じる事はしない。

私はラガルド殿下の手を掴んだまま、笑みを顔に貼り付ける。

強張ってはいけない。虚勢に気付かれてはいけない。

目の前に、対抗する術のない圧倒的な力が存在しようとも、余裕があるように振る舞わなければならない。

私はそう自己に言い聞かせた。

「ご機嫌よう、ラガルド殿下。――ニコレット・ド・リヴァロルでございます」

空いている片手でカーテシーを見せると、ラガルド殿下が過去を思い返すように目を細めた。

「リヴァロル……ああ、あの時の女もお前か」

恐らくは、学園内で遭遇した際の事を言っているのだろう。

顔こそは隠し通したものの、黒髪の人物であったことは彼も認識していただろうから。

「なるほどな。兄上の息が掛かった人間だったか。ならば今回の騎士の配備も、仮面舞踏会の追手も、お前が裏で糸を引いていたと」

私は笑顔を貼り付けたまま、肯定も否定もしない。

実際にはヴィーの手柄だけれど、彼の本質に気付かれる事無く、王太子陣営において私が重要な立場にあると誤認してくれる事は非常に都合の良いことだった。

(問題なのは重要人物として警戒された挙句、意識を掌握される事)

私は手元の『夢の香霞』を警戒しながら、ラガルド殿下へ微笑む。

その様子を見た彼は、私の強気な様子を見て鼻で笑った。

「一度目は身分を明かしていなかったからこそ目を瞑ってやったが、今のお前は僕が王族である事を理解した上で許可なく接触している事になる。これが不敬に当たる事は重々承知しているんだろうな?」

「嫌ですわ、殿下」

暗に『手を離せ』と命じるラガルド殿下。

それに食い下がりながら私は笑みを深める。

「私はただ、あの晩にお会いした殿方との刺激的な夜の続きを、もう一度味わいたいと思っただけですのに」

「ハッ、思ってもいない事をつらつらと」

ラガルド殿下は無理矢理、私の手を振り解く。

私はそれに無理矢理しがみ付くような事はせず、大人しく手を離した。

彼と私では力量に大きな差がある。

ラガルド殿下が握っている『夢の香霞』を奪い取ろうとしても失敗に終わるだろう事は目に見えていたし、刺激をすれば即座にそれを行使される事も理解していた。

「無理に引き留めようとはしないか。賢明だな」

ラガルド殿下は『夢の香霞』を私へ見せつける。

そしてこちらの顔色を窺いながら言った。

「どうせお前も、これが何であるかは察しているんだろう? なら、多少なりとも怯むなり恐れるなりするものではないのか?」

「恐れる? 一体何故でしょう」

白々しく小首をかしげる。

「確かに、そうすれば私は貴方様のお言葉全てに耳を傾けるでしょう。けれど……それでは、面白くない」

ラガルド殿下の眉が僅かに動く。

「あの晩、私の素顔を見ようとしたのも、今こうして会話が成立しているのも、ラガルド殿下が多少なりとも私という人間を評価した結果だと考えております。全てを意のままに操るには惜しいと、そう考えてくださっているからなのでは?」

「随分と自信家な女のようだ」

「見当違いであれば申し訳ございません。けれど私は、あの晩の駆け引きは決して悪いものではなかったと感じておりますわ。殿下にとっては、そうではなかったのでしょうか?」

思ってもいない言葉ではあった。

けれどこれこそがラガルド殿下の求める反応であるという確信があった。

……第二王子派の貴族は、傲慢で高圧的な彼を自分達の傀儡とするべくとにかく彼の顔色を窺い、おだて続けた。

だからこそあの晩、身分を理解していなかったとはいえ、ダンスパーティーのマナーを無視して、偉そうに指図をしてきた型破りの女を――これまで関わって来た人間とは異なる私を、面白いと評価したのでは……私はそう考えていた。

恐らくは、彼がヴィーに甘いのも同様の理由なのだろう。

(ラガルド殿下はグザヴィエ殿下に比べて王族としての情緒に未熟な点が多い。感情に左右されやすい事は常々耳にしていた。……けれどそれこそが、今回は私の都合の良い展開へ転がる要因と成り得る)

油断と愉悦。

それらのお陰で、彼が私との対話に時間を割いているのだ。

「……やはりお前は、愉快な女だ」

ラガルド殿下は私の声に耳を傾け、こちらを観察した後、歪んだ笑みを見せた。

「その肝の座りように免じて、一度だけお前の不敬に目を瞑る機会をやろう」

彼はそう言うと、私へと手を指し伸ばした。

「僕の側へつけ。ニコレット・ド・リヴァロル」