軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

〆のゆずシャーベット

初物の柚子をおろし金ですると、店の中に爽やかな香りが広がった。

大市が終わった後の 古都(アイテーリア) はめっきり冬らしさを増している。雨よりも雪が多くなり、朝には見せの前に霜が下りていることも少なくない。あれほど活発だった街の人々は窓を閉ざし、厳しくなる寒さに備えている。

しゅんしゅんとヤカンが湯気を吹きはじめた。

しのぶがゆずシャーベットを作るのは久しぶりだが、手は覚えている。

ヘルミーナの食欲が最近めっきり衰えたとベルトホルトから相談を受けたのは、大市が終わってすぐのことだった。酸っぱい物や脂っこくない物なら食べられるということだが、身の回りに妊娠経験者がいないので二人とも驚いてしまったらしい。

信之と相談して食べやすい物を色々と差し入れしているが、今日はゆずシャーベットを作ってみようということになった。

既にヘルミーナの分は作り終えて、今仕込んでいるのは晩に出す店用だ。

砂糖を溶かしたお湯にたっぷりのゆず果汁とすりおろしたゆずの皮を加える。

ゆきつな時代は季節のデザートとして出していたレシピだ。

特製プリンを出すようになってからは、食後に甘味を食べたいというお客が増えている。

うまく作れれば、冬の間だけでも品書きに加えたい。

「……いい匂いがするなぁ」

香りにつられるようにふらりとやってきたのは、アルヌだ。

正式に侯爵の位に就いた後も、時折のぶを訪れては天ぷらやその日のお勧めを食べていく。

「いいんですか、また抜け出してきて」

「近隣の友好的な都市の視察も領主の大事な仕事だからね。それに市参事会に用事もある」

サクヌッセンブルク侯爵領で収穫される作物の多くは古都で消費される。つまりアルヌにとってこの街は最大の取引相手ということになる。

「しかし、ハンスくんも板についてきたな。衛兵を辞めると聞いたときは侯爵家に仕えないかと声を掛けようかと思ったんだが」

「ありがとうございます。お気持ちだけ頂戴します」

衛兵隊を惜しまれながら退職したハンスは今、自分の屋台を出すために修業中だ。信之が忙しいときは野菜の皮むきのような仕事を手伝いながら、のぶの味を盗もうと奮闘している。

ゆきつなでは後輩の指導もしていた信之は久しぶりにしごき甲斐のある弟子ができたと、基本からそれとなく学べるように叩き込んでいた。

「何か食べていきますか?」しのぶが尋ねるとアルヌは小さく首を振る。

「今日は遠慮しておく。こう見えても侯爵っていうのは意外に忙しいんだ」

後ろ手を振るアルヌの背中は自信とやる気に満ちている。

遊び人を気取っていた頃にも色気があったが、今の背中は生き生きとしていた。

きっと、性に合っているのだろう。

「ん、誰か来てたの?」

入れ替わりに、信之が裏口から帰って来た。珍しく私服姿の信之は、手に風呂敷を提げている。

「アルヌさん。古都の視察だって」

「ゆずシャーベットの試作品、食べて貰えばよかったのに」

「なんだか忙しいみたいよ」

「それもそっか」

生返事をしながら信之はもうハンスの剥いたじゃが芋の検分をはじめている。

緊張した面持ちのハンスに微笑みかけると、自分で包丁を手に取り、するすると剥き始めた。ハンスが剥いたじゃが芋より、皮が薄い。

「食べられるところを多く残したいのもそうだが、野菜や果物は皮の近くに旨みのある物が多い。なるべく薄く剥いて、そこもお客さんに食べてもらえるようにした方がいいだろう?」

「はい!」

今日の信之の口調は、ゆきつなの板長である塔原に似ている。

それもそのはずで、今会って来たばかりなのだ。師匠の塔原に、肉じゃがを食べてもらう。

それが今日の信之の外出理由だった。

重箱に詰めた肉じゃがにはしっかりと味が染みて、ちょうど良い味付けになっていた。料亭で出しても恥ずかしくない仕上がりだとしのぶが太鼓判を押した味だ。

「塔原さん、なんだって?」

信之は答えず、親指をぐっと突き出す。上手く行ったのだろう。

あの味なら、誰にも文句は付けられないはずだ。

「しのぶちゃんが味見してくれたお陰だよ」

「大将が頑張ったからでしょ」

料理人として、山を一つ越えた。今の信之には、そういう安心感がある。

この技を、ハンスにも伝えていくことになるのだろう。

ふと気配を感じて硝子戸の方を見遣ると、影が二つ。

手を繋いだ影を迎えるために、しのぶは心からの笑顔で挨拶をした。

「いらっしゃいませ!」

「……らっしゃい」

居酒屋のぶは今日も、古都の一角で暖簾を掲げている。