軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

女傭兵(後篇)

風でも通り抜けたかのように店内が静まり返った。

皆の視線が集まってくるのをリオンティーヌは感じる。

憐み、同情、好奇心。

向けられる表情は様々だが、リオンティーヌの胸に訪れているのは失恋の悲しさなどではなかった。

「あっはっはっはっは!」

「リオンティーヌ……さん?」

突然哄笑しはじめたリオンティーヌの顔を、ヘルミーナが心配そうに覗き込む。失恋の衝撃で気でもおかしくなったと勘違いしたのだろう。

「いやいや、いいんだよ、ヘルミーナ。そりゃそうだ。あれから何年経っているんだって話だよ。小便臭い小娘だったあたしが立派な女傭兵に育つだけの時間があったんだ。あの馬鹿強い<鬼>が家庭持っていたって何にも不思議なことはありゃしない」

「は、はぁ……」

「あたしはね、逆に嬉しいんだよ。あの人がどこかの戦野で屍晒してるんじゃないってことが分かっただけでもさ」

一気に中身を飲み干すとリオンティーヌは空になったジョッキを天井高く掲げた。

「失恋記念だ! 今日はあたしの奢りだからじゃんじゃん飲んでくれよ!」

おぉ、というどよめきが起こると、次々と注文の声が上がる。

失恋記念というのは自分でも妙な言い訳だとは思うが、こんな夜は飲んで騒がないとやっていられない。

ヘルミーナももう一人の給仕も、皿洗いの少女までもが一気に増えた注文を取るのに大わらわだ。

「り、リオンティーヌさん……ほ、本当に良いんですか?」

両の手に三つずつトリアエズナマのジョッキを運びつつ、ヘルミーナが心配そうに尋ねる。形のいい眉は端が下がって、何かあれば今にも泣きだしそうだ。

泣きたいのはこっちなんだよ、という言葉をぐっと飲み込み、リオンティーヌは掌でバンバンと背を叩いてやった。

個別の注文に応えることを諦めたのか、店主が大皿に盛った肴を次々に持って来た。取り皿に取って自分の好きに食べろということだろう。

色とりどりの料理の中にはリオンティーヌの見たことがないものもあるが、どれもこれも美味く、何より酒に合う。

奢りだということで遠慮会釈なく酒を酌み交わす酔客たちを見つめていると、不意に硝子戸が引き開けられる音がした。

「おいおい、こりゃ何の騒ぎだ?」

その声を聴いた瞬間、リオンティーヌの胸は生娘のそれのように高鳴る。

忘れるはずがない。この声は、<鬼>だ。

何年も何年も夢にまで聞いた、あの<鬼>の声に違いない。

振り返って戸の方を見遣ると、確かにそこにはあの男が立っていた。

「<鬼>……<鬼>じゃないか」

思わず駆け寄りそうになるのを、リオンティーヌは戦場で鍛え上げた自制心で何とか食い止める。

戸惑う<鬼>の顔は、あの戦場でリオンティーヌに情けを掛けてくれた時のままだ。

「えっと、お前さんは……」

相手はリオンティーヌのことに気付いていない。当然だ。何年も前に一度だけ戦場で刃を交えた相手を覚えている筈がないのだ。

一抹の寂しさが胸の奥を焦がすが、無理もない。

「ひょっとして、イカ兜の傭兵じゃないか?」

どくん。

また、心臓が高鳴る。そんなはずはない。覚えている筈がない。

自分にとっては昨日のようなあの日は、彼にとってはごくありふれた戦場の一幕だったはずなのだ。

「やっぱりそうだ。その身体つき、間違いない」

「お、覚えていたのか……?」

そんなはずはない。

あれから幾度も戦場を駆け巡ったが、ただの一度も遭っていないのだ。

もしそれでも<鬼>が覚えているとしたら、どれほどの奇縁なのだろう。

<鬼>は人差し指で左腕を擦りながら、照れくさそうな笑みを浮かべた。

「女の傭兵であれだけできる奴っていうのも珍しいからな」

その言葉に相手の顔を直視できなくなったリオンティーヌは、よそってあった潮汁の大振りな椀を慌てて手に取ると、顔を隠すように啜った。

塩味の利いた汁が、疲れた身体に心地良い。

「<鬼>、今日はあたしの奢りだ。お前さんの奥さんも一緒に飲もう」

「良いのか、<イカ兜>の?」

「構いやしないよ。今のあたしはちょっと羽振りがいいんだ」

<鬼>の笑顔を見ながら、リオンティーヌは密かに決めた。

明日、古都を発つ。この笑顔を見ていたら、また諦めきれなくなりそうだからだ。

今の<鬼>にはヘルミーナという立派な奥さんもいる。

未練が深まる前に、この街を出よう。

でも、今夜一晩。今夜一晩くらいは、<鬼>を好きなままでいたい。

そんなことを考えながら飲む潮汁は、少し塩味が利き過ぎている気がした。