軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

ディーグ狩り(全)

衛兵隊は冬だというのに異常に忙しい。

多忙の原因はサクヌッセンブルク侯爵による”ディーグ狩り”だ。

ディーグは角の生えた熊のような獣で、時折森から人里に出てきて農作物に害をなす。

冬は穴倉で眠っているから面倒は少ないのだが、稀に穴持たずと言って冬眠に失敗したディーグが現れることがある。

この穴持たずは餓えているから凶暴で、人や家畜を襲うこともしばしばだ。

そういうわけで古都近くに穴持たずが出たという報告があれば、衛兵隊が駆り出されることもある。

ところがこの冬は、サクヌッセンブルク侯爵からの協力要請でディーグ狩りを手伝うことになった。

とは言え、主力となるのは侯爵の家臣団。

獲物を追い立てる勢子の役でもやらせれるのかと仲間内で愚痴を言っていたのだが、若き侯爵の目的は違うところにあったらしい。

除雪もされていない旧街道を歩いて布陣したのは、大河の近くの小さな丘だ。

ここはとある子爵の領地に近い。

〈 猪(エーバー) 〉の綽名を奉られる子爵は性格が悪いことで知られている。その綽名に相応しく従順とは程遠い性質で無頼な連中と好んで付き合い、父親からは勘当される寸前でさえあったという。それが土壇場で後を継ぎ、今では子爵閣下なのだから運命というのは分からない。

子爵になってからもやることなすこと独善的な猪突猛進で、少し前に皇帝陛下の発布した勅令にも反対の姿勢を取っていることで知られていた。

つまり、「川を通る船から通行税をとって何が悪いのか」、ということだ。

イーゴンに政治のことは分からない。ヒエロニムス辺りに聞けば何か立派なご高説が返ってくるのだろうが、そういうことを考えるのはイーゴンの仕事ではないと弁えている。

「何のために呼ばれたんでしょうか?」

白い息を吐きながら、イーゴンは中隊長のベルトホルトに尋ねる。

元傭兵で古都の誰よりも経験豊富なベルトホルトはディーグ狩りの協力任務だというのに、何故か部下全員に戦争用の装備を準備させた。持ち出しに許可のいる古都市参事会の旗も持てる限り持って来させている。

「侯爵閣下は大した役者だってことだよ」

どういうことだろうか。イーゴンが首を捻っていると、先行していた斥候役の衛兵が走って来た。

「は、旗です!」

「旗が見えたんだな。どこの旗だ」

歩調を緩めることなく進みながらベルトホルトが尋ねる。

「お、オーバーシュルツェン男爵はじめ、侯爵家麾下の 旗手(バナーヘル) の旗が無数に……」

「無数では分からん。お前は今回の件が終わったら、訓練場20周と、数を数える特訓だ」

はい! と寒さで顔を赤くした衛兵が隊列に戻った。

「イーゴン、一緒に先行するぞ。そろそろ面白いものが観られるはずだ」

「面白いもの、ですか?」

返事も待たずにベルトホルトは衛兵の隊列に小休止の指示を出すと、さっさと歩きだした。こうなるとイーゴンにはついていくしかない。

雪を踏みしめるザクザクという音だけが耳を打つ。

林を抜けると、見晴らしのいい平野に出た。きっと、白雪の下には麦畑か豆畑、あるいは牧草地が埋まっているのだろう。

止まれ、とベルトホルトが手だけで合図を出した。

視線の先には、サクヌッセンブルク侯爵と家臣が数名、騎乗したまま誰かと向き合っている。

侯爵の纏う青いマントが雪原の風に吹かれ、絵画のようだ。

「あれが〈猪〉子爵閣下だ」

遠目に見てなおはっきりと分かる太り 肉(じし) を鎧へ無理やり詰め込んだような子爵は、明らかに狼狽していた。

ベルトホルトの指示でイーゴンも姿勢を低くして会談の場へ近づいていくと、やりとりが聞こえてくる。

「どういうことですか、侯爵閣下! 先触れもなしにこのような大軍を我が領地に……近隣諸都市やギルドの兵までいるではありませんか!」

「ああ、済まないな、子爵。数日前に近くで狩りをするという連絡はしたはずだ。ディーグを追っていて、たまたま君の領地へ入り込んでしまったんだよ」

「ディーグを?」

イーゴンは、それで気付いた。〈猪〉子爵は、嵌められたのだ。

猟師をしているイーゴンの父から、狩りを巡る領主同士のやり取りについてはよく聞かされていた。

人間は領地の境界を理解するが、獣はそんなものは気にしない。むしろ、そこを越えれば人間が追ってこないのだと知れば積極的に獣は領地の境目を利用して逃げるようになる。

そこで領主同士がちょっとした約束をして、狩りの際には獲物を追う場合に限り、事前の簡単な連絡だけで越境を認めるのだ。

狩り好きで知られる〈猪〉子爵もそのような約束をあちこちの領主と相互に交わしていたはずで、その中にはサクヌッセンブルク侯爵も含まれていたのだろう。

「迂闊な話だな」とベルトホルトが鼻で笑った。

「狩りにこれほどの兵力は必要ないだろう!」

声を震わせながらも子爵は精一杯の気勢で威厳を保とうとしている。格上の侯爵、それも帝国有数の大諸侯が相手とは言え、ここは自分の領土なのだ。

「ああ、確かに。少し規模は大きかったかもしれんな。ディーグでなく、もう少し大きな獲物を狩ることもできるかもしれん」

侯爵の言葉に、子爵の鈍い危機感が漸く現状を認識させたらしい。腰が抜けた子爵は、真っ白な雪の上に尻餅をついた。

「お、同じ帝国諸侯として、その脅迫は看過できない!」

「同じ帝国諸侯?」

サクヌッセンブルク侯爵は、隣に控える家臣、確かイーサクという名の腹心に尋ねた。

「確かに聞いたな、同じ帝国諸侯である、と」

「はい。確かにそう仰いました」

「であるならば、皇帝陛下の勅令には従わねばならんのではないかな?」

イーゴンからははっきりと見えないが、獰猛な笑みを浮かべているに違いない。侯爵の言葉を聞いて子爵の顔面は蒼白になり、口元が歪む。

「まさか、通行税の徴収を続けると宣言をしたから、こんな暴挙をしでかした、と?」

「さて。私はディーグ狩りに来ただけだ、と先ほども言ったはずだが」

「詭弁だ! ディーグ一匹狩るのに数百も兵を引き連れてくる奴がどこにいる! こんなのは 破落戸(ごろつき) のやり方じゃないか!」

口角、泡飛ばすとでもいうのだろうか。雪の上にへたりこんだままで喚き散らす子爵の姿は滑稽で、失笑ものだった。きっと、 長袴(ホーゼ) も雪で濡れて尻が冷たいはずだ。

「破落戸、破落戸か……」

そう言うと、侯爵はおもむろに馬から下り、子爵に顔を近づけた。

「〈 猪(エーバー) 〉、久しぶりだなぁ。まさかこの顔を見忘れた、とは言わんよな?」

一瞬、虚を衝かれたように茫然としていた子爵だが、侯爵の顔をまじまじと見て、何かに気が付いたように絶叫した。

「あ、アルヌ!! お前は〈酔眼〉のアルヌ!!」

「という顛末だったわけです」

説明しながらイーゴンは スープ(ズッペ) を頬張る。

居酒屋ノブの中は雪原と違って暖かい。

「さすがはアルヌさんですね!」とエーファが目を輝かせている。

そういう方面には一切詳しくないイーゴンにしてみても、まるで芝居のような出来事だった、というのは分かった。

ベルトホルト中隊長の言う「大した役者」とはこういう意味だったのだろうか。

〈猪〉子爵はその場で通行税は取らないという皇帝宛の宣誓の手紙を 自発的に(・・・) 認(したた) め、侯爵に預けることとなった。

一戦も交えずに侯爵は目的を果たしたことになる。

きっとこの噂を聞けば、大河の流域で通行税を取っていた領主たちは震え上がることになるだろう。

今回はディーグ狩りという名目だったが、その気になれば行軍の難しい冬の間であっても数百の侯爵軍がやって来る、ということだ。

こうなればもう、皇帝の勅命に従うより他に道はない。

と、いうことだとヒエロニムスが教えてくれたのだ。

「ところでさっきからイーゴンの食べておるその スープ(スッペ) はなんじゃ?」

「ああ、それはほうとうです」

エトヴィン助祭の問いに厨房のタイショーが答える。

「ホウトウ?」

聞き直す助祭に、イーゴンは腰に下げていた大ぶりな麻袋を叩いてみせた。

「小麦の粉を練って延ばして切って、 スープ(ズッペ) で煮たものだそうです。今回の謝礼に頂いたのが、小麦粉だったので」

サクヌッセンブルク侯爵は今回の“ディーグ狩り”に参加した人々に、謝礼として小麦の粉をたっぷりと振舞ったのだ。

実際に狩りもしたから、旗手の中には獣の肉で受け取ったものもいたようだが、何も貰わなかった者はいない。

古都からだけでなく、近隣の都市や街からも人々は呼び集められていたから、彼らは土産と共に今回の顛末を各々で持ち帰ることになる。

ヒエロニムスに言わせればこれは大した策略で、話題の乏しい冬の時期に噂は方々へ広まるだろう、ということだった。

つまりそれも含めて政治、ということなのだろう。

ズズッとホウトウの汁を啜った。

美味い、という気がする。

イーゴンはあまりものの美味い不味いを気にしてこなかった。

何を食べても一緒だと思っていたし、それよりも腹が膨れることの方が重要だったのだ。だから、茹でた 馬鈴薯(カルトッフェル) で事足りていた。

味を気に掛けるようになったのは、居酒屋ノブと出会ってからだ。

食べると心地よい。この快い感覚を、人はどうやら美味いと言っているらしいと気付いた。

それからは、食べる時に「自分はこれを美味いと感じているか」と気を付けながら食べるようにしている。

馬鈴薯も、茹で加減がちょうど良い時の方が快い。つまり、美味いと感じているという発見があった。

その観点で言えば、ホウトウは、美味い。

色々な種類の野菜と小麦粉を練ったホウトウ。 スープ(ズッペ) にも色々な滋味があるというのは、新鮮な驚きだった。

「おかわり」

空になった碗を突き出す。

小麦粉を持ってきて調理を頼んだとき、どんな料理がいいかとタイショーに聞かれたイーゴンは「満腹になる料理」がいいと答えたのだ。

「……は、はい、おかわりですね!」

何故か、シノブの声が震えているような気がする。

「よく食べるねぇ……」

しみじみと感心している風なのはリオンティーヌだ。

「ちなみに今、何杯目なんじゃ?」

エトヴィンに問われたので、イーゴンは胸を張って「まだ入りますよ!」と答える。

それを聞いてタイショーとハンスの顔が一瞬、引きつったように見えた。

「イーゴンさん、腰の麻袋、もう一度お借りしていいですか? ほうとうを作り足します」

なるほど、作り足すということもできるのか。勉強になる。そう思いながらイーゴンは麻袋をタイショーに差し出した。

「……それとハンス、野菜、もっと切っておいてくれ」

「……はい」

エトヴィンはやれやれという風な表情で自分の酒を呷っている。

イーゴンにはよく分からないが、とにかくホウトウは美味い。

こんなに快い食事が楽しめるのなら、冬の出動も悪くはないかもしれないな、と思う。

運ばれてきたホウトウを、豪快に口に運んだ。

やはり、快い。これは美味いと言っても差し支えないだろう。

今日のイーゴンにとって、それが一番大切なことであった。