軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

徴税請負人と少女の涙(前篇)

「北行きの道はそろそろ雪解けだそうだよ」

レーシュを満たした 切子(きりこ) を傾けながらのイングリドの口調には、寂しげな色が聞いて取れた。

ゲーアノートはワイングラスの水面を見つつ、黙って聞いている。

今年の冬は長かった。

暦の上では春になっても、教会の聖職者達が忙しなく説法をはじめても、降り積もった雪がまだ残っていれば、それは冬だ。

古都(アイテーリア) の人間は、北向きの帝国街道が雪の中から姿を現したときが、季節の節目だと思っている。

帝国南部で生まれたゲーアノートもこちらへ移ってきた当初は面食らったものだった。

自然に受け容れられるようになったのは、帝国街道の交通が回復すると同時に市場に並ぶ品々が瑞々しさを取り戻すことに気が付いたからだ。

近隣の農村から運ばれてくる野菜を市場の物売りが声を嗄らして売るようになれば、それを春と呼ばずして何と呼ぶべきだろうか。

不思議な冬だった。

結婚もしていないゲーアノートに、俄に子供ができたのだ。

イングリドの薬店に預けられていたヘンリエッタは、今では父親と一緒に小さな旅籠へと移っている。父娘水入らずと言えば聞こえはいいが、衛兵の話ではなかなか大変だそうだ。

〈鼠の騎士〉が古都にいることを聞きつけた連中が、引きも切らずに旅籠へ押しかけていた。

無理からぬことだと、ゲーアノートでさえ思う。

徴税請負人は人に愛される仕事ではないが、真っ当な仕事だ。

それに対してゲオルク・フォン・ウンターベルリヒンゲンという男が長く手を染めてきた数々の仕事は、決して褒められたものではない。強請りやたかり、難癖を付けて金品を奪う仕事は、人の親として正しいものとは見做せないだろう。はっきり言ってしまえば、仕事でさえない。

ヘンリエッタは、そんな男の娘だ。

そして、ゲーアノートの被保護者だった。

「雪解け、か」

独り言ち、グラスの中身を干す。

いつになく、ワインの酸味がきつく感じられた。

「寂しいのかい?」

春になれば、ヘンリエッタは北に帰る。

所領へ帰るゲオルクについての帰郷だから、ゲーアノートに止める謂われはない。

「まさか。私は一時的に預かっただけですよ」

「おやおや、私はヘンリエッタのことだなんて、一言も言ってないんだけどね」

冗談めかしたイングリドの不意打ちに、ゲーアノートは思わず噎せ込んだ。

確かにヘンリエッタのこととは一言も口にしていないのだが。

片眼鏡の位置を直しながら、ゲーアノートは自分がヘンリエッタに思ったよりも執心しているのだと認めざるを得なかった。

「一時期とは言え、被保護者だったわけですから」

取り繕うように言いながら、肴のマグロ煮込みをフォークで口に運ぶ。

最近めきめきと腕を上げているハンスが、ワインに合う一皿を、ということで考えたそうだ。

東王国(オイリア) で食べられる牛肉の赤ワイン煮の主役をマグロに交代させた一品だが、これがよく合っている。いつもよりワインの進みが早いのは、この肴の出来がよいからに違いない。

「被保護者、ね」

悔恨混じりの溜め息を吐いて、イングリドが自嘲めいた苦笑を浮かべる。

「保護者として、私たちはあの娘に何かしてあげられたのかね」

ゲーアノートは答えられず、グラスに口を付けた。

はじめにヘンリエッタが迷子として保護されたのは、肉屋の前だ。

肉屋は農村から豚を買うついでに、村々を結ぶ郵便の役割を担っている。

今にして考えてみれば、ヘンリエッタは古都の肉屋を通じてゲオルクに〝脅迫状〟を送るつもりだったのだと分かる。

「何もしてやれなかった、のかもしれません」

何が保護者、被保護者だ。

子供を守るべき大人が何もしてやれない中で、ヘンリエッタはたった一人の戦いを続けていた。

被保護者の悩みに少しも気付くことなく、食事の世話をしてやった程度で保護者などと名乗っていたのだから、喜劇としか言いようがない。それも、出来の悪い喜劇だ。

「〈鼠が竜を産む〉なんて言葉があるけどね、あの娘は大したもんだよ」

頭から終いまで自分一人で考えて、あの〈鼠の騎士〉から自分自身を誘拐して、ちゃんと目的を達成してのけたんだからさ、とイングリドがレーシュの切子を呷る。

いやはや、と相槌を打ちながら、ワインのおかわりをリオンティーヌに頼んだ。

「ゲーアノートの旦那、今日は早いね」

「ん? そうかな」

指折り数えてみると、確かにもう五杯目だ。

普段なら居酒屋ノブで二杯を超えて飲むことはないから、大いにきこしめしている。

「はい、お代わりと炭酸水だよ」

六杯目と一緒に運ばれてきたのは、最近出回りはじめた泡の出る水だ。

シュワシュワとした飲み心地と水なのに感じる微かな辛みとが面白く、酔い覚まし用に頼む客もいる。ゲーアノートもその中の一人だ。

「そうだな。そろそろ酔いを醒ましておかないと」

酔い覚ましの炭酸水に口を付けたところで、表の引き戸の開く音がした。

「いらっしゃい!」

「……らっしゃい」

「こんばんは……」

入って来たのは、ヘンリエッタだった。

ゲオルクはいない。今日は保護者と被保護者だけの、夕食会だ。

「さ、こっちへおいで」

イングリドに招かれるままに、テーブル席にヘンリエッタが腰かける。

ゲーアノートとイングリドが斜向かいに座っていたので、ヘンリエッタの席はイングリドの隣、ゲーアノートの真向かいになった。

本当はカミラも来たかっただろうが、来なかった。泣き過ぎて目が真っ赤に腫れてしまったのだという。ひと冬という短い間とは言え、姉妹のように過ごしたのだから、無理からぬことか。

「本日はお招き頂き、ありがとうございます」

はじめて出会ったときには無口で何も喋らなかったのが嘘のように、ヘンリエッタの挨拶はしっかりとしている。

「ご注文はどうなさいますか?」

シノブに尋ねられて、ヘンリエッタは一度頷いてから、はっきりとした声で注文した。

「ナポリタン、をお願いします」