軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

いい報告と悪い報告(前篇)

降ったり止んだりの氷雨で少し 泥濘(ぬかる) んだ通りを、ラインホルトは急いでいる。

心なしか自分でも足取りが重く感じるのは、地面の状態のせいばかりではない。

気の重い報告を持っていかねばならないときには、誰しも自然とそうなるものだろう。

昼下がりの居酒屋ノブの硝子戸を開けると、残りの二人はもう席に就いていた。

「お先に始めさせてもらっているよ」

グラスを掲げてみせるゴドハルトと、小さく肩を竦めるだけのエレオノーラ。

〈馬丁宿〉通りの小さな居酒屋に古都の三大水運ギルドのマスターが集うのもすっかりお馴染みになっていた。

会合であれば市参事会に会議室があるのだから、何も居酒屋を使わなくてもと嗜める者もあったが、実のところ今はこの店で集まる方がいい。市参事会の庁舎は現在、少々使いづらいのだ。

「さて、お集まり頂いたのは他でもない。浚渫工事の進捗について、だ

さっそく今日の議題にとりかかるゴドハルトに頷きながら、ラインホルトはシノブに彼らと同じものを、と注文した。

古都による運河の浚渫工事は概ね順調に進んでいる。

取り仕切っているのは、古都の市参事会とサクヌッセンブルク侯爵家をはじめとする近隣貴族、それにビッセリンク商会だ。

これは同時に資金を出資しているのが誰かという話でもある。

それぞれに役割の分担をしているが、実際に工事そのものを担当しているのは、市参事会だ。

市参事会に席を持つギルドや社団はいくつもあるが、その中で出稼ぎ労働者の扱いに最も慣れているのは水運ギルドに違いない。

必然的に、工事の実際的な部分はひとまず水運ギルドが委任されることになった。

春になって工事が本格化すれば大工や石工のギルドも参画することになるが、それまでに人員の運用や、その他もろもろに筋道をつけるのは水運ギルドの仕事ということになる。

ゴドハルトの〈水竜の鱗〉が各種工事。

エレオノーラの〈鳥娘の舟唄〉が外部との交渉。

そしてラインホルトの〈金柳の小舟〉が資材の調達や準備。

三者三様の得意分野を活かす形でギルドごとに分業ができているので、実のところラインホルトとしてはやりやすい。

もちろん本来の自分のギルドの仕事とは兼務することになるので作業量は大幅に増えている。

だが、これまであまり関係のなかった市参事会の議員や、ギルド、業者、社団、貴族と繋がりを持つことができるというのは、〈金柳の小舟〉として必ずしも悪いことばかりではなかった。

むしろ、これからの事業拡大に役立つ人脈拡大といってもいいかもしれない。

挨拶に行った相手の中には父でありギルドの先代マスターであるセバスティアンのことを憶えてくれている者も少なからずいて、ラインホルトの知らない父の姿を聞かせてもらうこともあった。

それにしても、とラインホルトはゴドハルトとエレオノーラの横顔を盗み見る。

かつては友好的というよりも敵対的というべき関係だった三つのギルドが〈舳先を並べて〉同じ仕事に取り組んでいるというのは、ラインホルトにとって妙な気分だった。

嬉しい、のかもしれない。

敵対するよりも、同じ側にいた方が頼もしい、尊敬すべき二人だ。

「オレからはいい知らせが一つある」

へぇ、とエレオノーラが小さく驚きの声を漏らす。

このところ、定期的に集まっては悪い知らせばかりが積み重なっていたのだ。

特に工事を実際に見て回っているゴドハルトのところからは進捗の遅れや、余計な経費、危うく怪我人の出そうになった話など、悪い知らせは枚挙に暇がない。

ラインホルトの方は悪い知らせを一つ持ってきたので、ゴドハルトが珍しくいい知らせを持ってきたのは少し複雑だ。

どうせなら先に報告した方がよかっただろうか。

いい知らせと、悪い知らせ。

どちらを先に聞きたいかはその人の性格次第だ。

ラインホルトの持ってきた悪い知らせは、粘土の採掘場のことだった。

運河の浚渫と並行して、古都は城壁の修繕と、更にもう一周り外側に大城壁を築く計画を立てている。市参事会もサクヌッセンブルク侯爵家も運河が通れば古都の人口は増加すると考えており、市街地の拡大には大城壁の建設が必要だからだ。

元々、古都には大城壁が存在した、という伝説がある。

ここがまだ古帝国の北方前線殖民都市だった時代の話だ。

古文書の中にしか残らないと思われる大城壁だが、トマス司祭の調査では、確かに畑の中に古い大城壁の跡らしき遺構が見つかっている。

大城壁の建設には、煉瓦が必要だ。

石材を切り出す方法も考えたが、今は良質の石材が値上がりしている。

そんなわけで古都近郊で古くから住人に知られている粘土採掘場をラインホルトが調査していたのだが、一つ問題が持ち上がった。

泉だ。

採掘中に掘り当てたものなのだが、水量が多く、埋め戻すのも難しい。

問題なのは、この泉が常に泡立っているということだ。

ラインホルトも現地に行って実地に確かめてみたが、確かにぷつぷつという泡が絶え間なく湧き出ている。

勇気のある男が水を飲んでみて意外に美味しかったというものの、不気味なのは変わりない。

変な噂でも立って粘土集めに支障が出れば、煉瓦造り、引いては城壁の建設にも遅れが出ることは避けられないだろう。

「それで、いい知らせっていうのは?」

エレオノーラに水を向けられ、ゴドハルトが満足げに頷いた。

「厄介だった泥の運搬に、目途が付きそうだ」

おぉ、とラインホルトも思わず声を漏らす。

ラインホルトも試しに木鍬で掘り返そうとしてみたが、あの泥は固かった。

ほとんど岩のようになった泥の小山を、どうやって壊したのか。

「元傭兵で、今は出稼ぎ労働者のまとめ役をさせている奴が、なかなか目端の利く男でな。木鍬でダメならと新しい方法を考えた」

「鉄の鍬ですか?」

確かに鉄の鍬を使えば作業は捗るはずだが、数を揃えるにはちょっとした金がかかる。

必要な分はとてもすぐには集められないということで、今は木鍬で作業しているはずだ。

尋ねるラインホルトにゴドハルトがにんまりと笑ってみせた。

「そこが、そいつの偉いところだ。すぐには鉄の鍬が集められないことは分かっていたよ」

ホルストという男が使ったのは、農耕用の鉄犂だ。

牛に牽かせる重い鉄犂を農家から借り受けて来て、それで泥の小山を耕したのだという。

「鉄犂を入れておけば、他の連中も木鍬で楽に掘り返せる。作業が短縮できるというものだな」

これは確かにいい知らせだった。

シノブの運んできた飲み物を一口含む。

はて、とラインホルトは掌で口元を覆った。シュワッとした不思議な口当たりの飲み物だ。

辛い、のではない。心地よい刺激がある。

酒精自体は強いようだが、飲み口がとても柔らかになる。

面白い酒だと思いながら、ラインホルトは先を続けた。

「しかしよく思いついたものですね」

「それだよ」

ゴドハルトもグラスの中身で口を湿しながら、上機嫌に見える。

「なんでもそいつはこの方法を魔女に教えてもらったんだそうだ」

「魔女に、ね」

グラスを優美に傾けながら、エレオノーラがくすりと笑った。

「ねぇ、シノブさん、これ、お代わり頂戴」

かしこまりました、とシノブが新しいグラスを用意する。

「そう言えばエレオノーラさん、いつもの彼は一緒ではないのかね?」

ゴドハルトが水を向けると、エレオノーラが一瞬、妙な表情を浮かべた。

「ええ、いや、ニコラウスはちょっと今、貸し出しているのよ。市参事会に」

ああ、とラインホルトもゴドハルトも肩を竦める。

今の市参事会は、大変なのだ。

テーブルの上の肴にゴドハルトが箸を伸ばす。

ナンコツのカラアゲだ。

一つ一つと細かいことは言わず、豪快に四つも五つも放り込み、美味そうに噛む。

そしてそこに、グラスの中身をキュッと。

「ところでさっきから気になっていたんですが」

「なんだい、ラインホルトさん」

ラインホルトはグラスをひょいと持ち上げた。

「これはいったい、なんていう酒なんですか? えらく口当たりがよくて飲みやすいですけど」

「ハイボールです」