軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

一枚の羊皮紙(後篇)

商談の場を、居酒屋ノブに移した。

朝早いこの時間に、客は一人もいない。

無理を言って開けてもらったのは、なるべく中立の場所で話を付けたかったからだ。

「買い戻すという話は、先日断ったばかりだと思ったがね」

「はい。先日の申し出はこちらの考えが甘かったと深く反省しました」

目の前の青年が求めているのは、古都の漁業権に関わる勅許状だ。

以前、ギルド間の小さな揉め事があった時に、補償として〈金柳の小舟〉から〈水竜の鱗〉に譲渡されたものである。

元々は雑魚しか獲れない古都の漁業権など、白楓の朝露ほどの値打ちしかない。

価値が生まれたのは、ここ居酒屋ノブでウナギ料理が流行ったからだ。

奇縁といえば、奇縁としかいいようがない。

「それで、あの革袋か」

「先日の〈槍〉のウルスラの奇襲に倣いまして」

ああ、とゴドハルトは大きな顎を左の掌で撫でた。

数日経った今も、侯爵家を巡る掠奪婚の一件で古都の噂は持ち切りだ。

各地から吟遊詩人や戯曲作家が噂を聞いて詰めかけているという話も聞く。

あの一幕での〈槍〉のウルスラの奇襲は語り草だ。侯爵軍と衛兵、河賊の不意を突いて、見事に〈四翼の獅子〉亭にまで辿り着いた。

人によっては実力で道を切り拓いたと言う者もあったが、さすがにそれは英雄譚の読み過ぎだ。

いくら強いといえども、老女と元女傭兵一人がそこまで強いはずがない。

「それでシルバーマン銀行の刻印入り革袋、というわけだ」

帝国大金貨一千枚。

正直なところ、ゴドハルトの考えている金額よりもはるかに大きい金額だ。

「それだけの金額を払うべきだと、私は考えています」

はっきりと言い切るラインホルトの顔に、ゴドハルトは自然と笑みが漏れた。

かつての気弱そうな雰囲気はすっかり鳴りを潜め、今では立派なギルドマスターがここにいる。

「こちらが値を吊り上げるとは考えなかったのか」

「更に必要だと仰るのであれば」

まだ資金を積んでもいい。ラインホルトの目は、そう言っていた。

金の出所は分かっている。造船所だ。

運河用に平底船を作るというラインホルトの新しい商売は、先日の掠奪婚の一件で広く古都中に知られることとなっている。

少しでも目端の利く商会は先を争って手付金を払ったというから、資金に余裕はあるはずだ。

「そこまで誇りというのは大事なものかね?」

椅子の背もたれに、ゴドハルトは体重を預けた。

ほんの少し、ラインホルトが羨ましくなったのだ。

古都三大水運ギルドの中で、〈金柳の小舟〉は最古の一つである。

そして、ギルドマスターが直系の血族で続いている唯一のギルドでもあった。

勅許状は、初代のギルドマスターが皇帝陛下から直接交付された由緒のある品だ。

伝統と、誇り。

そこにラインホルトが価値を見出すのは、分かる。

どちらもゴドハルトの持っていないものだ。

本当なら今すぐにでも、革袋と羊皮紙を取り換えていいと思っている。

そうしないのは、ちょっとした嫉妬心からだった。

「違いますよ」

否定するラインホルトの語調は、強い。

ふむ、とゴドハルトが尋ね返しそうとしたところで、シノブが皿を運んできた。

「これは?」とラインホルト。

見たところ、何の変哲もないテンプラだ。

「噂の一皿です」

噂の、と聞いて、思わずゴドハルトの口元に笑みがこぼれた。

〈凍てつく島〉のオーサ姫が、〈槍〉のウルスラを唸らせた一品。

オデンのダイコンのテンプラだ。

ゴドハルトとラインホルトが、ゆっくりとハシを伸ばす。

「ほほう」

サクリとしたテンプラの衣を齧ると、中からじんわりとオデンの味が広がった。

これは今までに食べたことのない食感だ。

「新しいな」

辛口のアツカンが欲しくなる。そんな味だった。

オデンだけでも美味い。それとテンプラとすることで、新しい味になっているのだ。

「ゴドハルトさん、私が勅許状を買い戻したいのは、このテンプラのようなものです」

ハシでテンプラを割りながら、ラインホルトは続ける。

「オデンのよさ、テンプラのよさ。その両方を活かすには、どちらかに負い目があっては、上手くいかない。私はそう考えています」

ゴドハルトは、腕を組んで、スンと鼻を鳴らした。

目の前にいるこのギルドマスターの言いたいことを、一瞬にして理解したのだ。

勅許状を買い戻したいのは、誇りや伝統のためではない。

〈水竜の鱗〉と〈金柳の小舟〉の完全な和解の証として、勅許状が必要なのだ。

新しい協力関係のために、過去の貸し借りを全て清算する。

金貨入りの革袋は、そのための金だということだ。

完敗だな。

いつまでもひよっこだとは思っていなかったが、ここまで見事にしてやられるのはもっと先だと思っていた。

「いいだろう」

ゴドハルトの差し出した手を、ラインホルトが握り返す。

これははじまりだ。

古都は変わる。そして、水運ギルドも変わるという、はじめの一歩。

満足げに頷くゴドハルトに、ラインハルトも頷きを返した。

和解を祝して乾杯、といきたいところだが、さすがにまだ早過ぎる。

「ところでラインホルトさん、エレオノーラはどうするね」

〈鳥娘の舟歌〉だけを仲間外れにするわけにもいかない。

ああ、とラインホルトが苦笑を浮かべた。

「エレオノーラさんはニコラウスさんに命じて、古都の三大水運ギルドの協力に関する覚え書きの草案をもう作っているみたいですよ」

なんとまぁ。

ラインホルトとゴドハルトの和解をとっくに見越していたということか。

オーサ姫も、ウルスラも、エレオノーラも、リオンティーヌも、エーファも、シノブも。

「いつの時代も、本当に強いのは女ってことか」

何となく清々しい気持ちになって、ゴドハルトは笑った。

「そういうことですね」

つられたように、ラインホルトも笑みを漏らす。

今日はいい日だ。ゴドハルトは、テンプラの残りを頬張りながら、そう思った。