軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

おでんのじゃがいも(後篇)

「ああ、オデン、ね」

「……知っているのか、ニコラウス?」訳知り顔のニコラウスに、ハンスが尋ねる。

「いいや、知らん」

そんなやりとりをしていると、目の前に大ぶりなスープ皿が運ばれてきた。

具が、大きい。

これはスープ料理というよりも、煮込み料理の類なのだろうか、とハンスはあたりを付ける。外を吹く風が冷たくなったこの時期に煮込み料理は有り難い。

オデン、という名も、何処となく北方異民族の神の名を思わせるし、ひょっとするとこれは寒い地域の伝統料理なのだろうか。

「オデンな。これは卵、これは、 馬鈴薯(じゃがいも) か。 腸詰(ヴルスト) は入ってないのか? あれも煮込むと美味いんだが」ハンスが言うと、タイショーがニヤリと笑う。

「 腸詰(ソーセージ) か。確かにありゃ美味い。が、今日は無しだ。代わりに、これも入れてやる」

そう言って、肉を刺した串をハンスの皿の中に入れる。

ハンスには、それ以外の具の名前も材料も見当がつかない。何だかよく分からない、柔らかそうな具だ、という印象だ。

透き通ったスープの優しい香りが鼻孔をくすぐる。こんなのは、嗅いだ事がない。

「さ、早く食おうぜ」

ニコラウスに促されるままに、フォークを 彷徨(さまよ) わせる。

どれだ。どれから食べる。

知っているものから攻めるか、知らないものから攻めるか……

ハンスは薄い円柱形の具に狙いを定め、ゆっくりとフォークを入れた。

フォークがほとんど抵抗なく吸い込まれていく。スープをしっかり吸っているのだろう。色がしっかり沁みている。

恐る恐る口に含むと、ほろりと崩れた。

熱い。が、美味い。

「お、大根か。しっかり沁みてるだろう?」とタイショー。

「はふ、うむ、はふ、美味い」

ダイコン、とは何だ。分からない。が、美味い。

訓練で汗をかき、冷えた身体にこの温かさは、どうだ。

胃の腑の形までそのままに温まり、身体の心から解されて行く。

黒くふにゃふにゃしたコンニャクは、意外な歯応え。

串に刺したギュウスジの蕩けるような濃厚な味わい。

しっかりスープの沁みたチクワ。

そして、

「…… 馬鈴薯(じゃがいも) 、か」

こればかりは、どう料理してもそれほど美味くならないような気がする。

煮ても焼いても蒸しても揚げても、それは最早ハンスの身体に染み付いた味だ。

生まれ付いてから二〇年。母の乳を吸うのを止めた日から、毎日毎日この塊を食べ続けてきた。今更これを少々美味いスープで煮込んだところで、それほど味に変化があるとは思えないのだ。

「なんだ、じゃがいもは苦手か?」タイショーが訝しげにハンスの皿を覗きこむ。

「いや。散々食い慣れたもんだからね。オデンの感動が薄れやしないかと思って」

「ふぅん。じゃ、これ、付けてみるか?」

そう言ってハンスの皿の縁にべっとりと黄色いペーストを塗り付けた。

香りに覚えがある。マスタードだ。

「マスタード? 馬鈴薯(じゃがいも) にマスタードを付けるのか?」

「マスタードというか、カラシだな。ま、食ってみな」

ハンスもマスタードはよく知っている。

ちょっとした辛さと酸味を付けたす調味料で、肉の臭みを誤魔化すのに使う。それを、 馬鈴薯(じゃがいも) に、というのは聞いたことがないが、味の想像は付かなくはない。

少々の物足りなさを感じながら、ハンスはカラシを付けた 馬鈴薯(じゃがいも) を口に運んだ。

「ん、ふは? んん?」

辛い。鼻に抜けるツンとした辛さだ。これは、マスタードではない。

そして、 馬鈴薯(じゃがいも) 。

ほっこりとして、甘くて、美味くて……カラシの辛さと、合う。

何だ、これは。

「な、じゃがいも、うめぇだろ?」

頷きを返しながら、ハンスはまた馬鈴薯に齧り付く。

辛い。美味い。辛い。美味い。

こんなのは、馬鈴薯ではない。ほくほくした、別の何かだ。

この感動を共有しようとニコラウスの方を見れば、ニヤニヤと笑いながら何かを啜っている。ジョッキではない。小さな素焼きのカップで、だ。

「ニコラウス、なんだ、それは?」

「ああ、これはな、アツカンだよ。おでんに、合う」

「アツカン? タイショー、オレにも同じものを!」

「あいよ、熱燗一丁ね」

何が嬉しいのか楽しげに口元を緩めながら、タイショーが熱燗を準備する。

ほのかに香る酒精は、エールの物ともヴァインの物とも、ヨードの物とも違う。

「はい、お待っとぅさん」

そう言って持って来られたのは、首の長い焼き物のいれものと、素焼きの小さな小さなカップだった。

体温ほどに温められた中身を、ハンスは溢さないように慎重に注ぐ。

芳(かぐわ) しい。

喩えようもない香りを漂わせる澄み切った透明の酒は、伝説にあるネクタルを思わせる。

まずは、一口。

きゅっ、と口に流し込むと、頭の中にふわりと酔いが広がる。

強い。

これは、火酒か。

いや、違う。火酒のような、刺すような辛さではない。

熱く、それでいて、透き通った力強さ。静かな強さともいうべき味わいが、喉を通りぬけていく。何という旨さだ。

馬鈴薯にカラシを付け、口に運ぶ。

そしてそこに、アツカンを注ぎ込むと……

えもいわれぬ 妙味(シンフォニー) が口の中に広がる。

言葉では言い表せない幸せだけが、そこにあった。

気付けば、オデンの皿を平らげ、アツカンとトリアエズナマも追加で飲み干していた。

心地良い酩酊感と、浮揚感。

かつてこれほどまでに幸せな晩飯があっただろうか。

「お代は四分一銀貨一枚です」

給仕係の女に半銀貨を渡しながら、ハンスははてと思う。

本当にこれだけ飲んで食べて、四分一銀貨一枚で良いのか?

「少し、安過ぎはしませんか?」

ハンスがそう言うと、給仕係の女は小さく微笑んだ。えくぼが、愛らしい。

「お客さまのその満足そうな顔が、何よりのお代ですよ」

兵舎への道を急ぐでもなくぶらぶらと歩きながら、ハンスは溜息を吐いた。

それを見て、ニコラウスはにやりと笑う。

「なんで溜息を吐いたか、当ててやろうか?」

「うるさい。お前には関係ない」

ハンスの顔が赤かったのは、酔いの為だけだったか、それとも。

空にはオデンのじゃがいものような、円い月が浮かんでいた。