作品タイトル不明
晩餐会(前篇)
今晩のロンバウト・ビッセリンクは笑顔を取り繕うために大きな努力を要した。
無理もない。
知らぬ間に自分の名前で晩餐会が開かれることになっていたら、誰でも怒るだろう。
まして、その晩餐会の準備が完璧で、自分でもこれほどまで上手く手回しすることはできないということを痛感させられるとあれば、尚更のことだ。
招待状は、帝国全土にばらまかれている。
帝国全土というのは、把握できた限り、ということに過ぎない。
下手をすれば国外にも届けられているかもしれないが、控えの精査は秘書のベネディクタに任せてある。
眼鏡を売るための商談行脚をしていたロンバウトが部下からの急報で慌てて古都へ帰ってきたのはつい一昨日のことだった。
理解しがたい。
晩餐会の準備には通常、膨大な手間がかかる。
主催者のなすべき仕事はあまりにも多く、晩餐会前に過労で倒れる商人さえいるほどだ。
事態の全容を把握する暇もなく晩餐会の準備に取り掛かったのだが、驚くべきことにロンバウトのなすべきことは何一つとして残されてはいなかった。
そう、何一つ。
会場を飾り付ける花の支払いさえ、全て事前に終わっていたのだ。
それも、ロンバウト・ビッセリンクの名前で。
支社の帳簿からは泪滴型銀貨の一枚も支出されていないから、悪戯にしてはあまりにも規模が大き過ぎる。
こんなことができる人間は、帝国広しといえども数人しかいなかったが、ロンバウトは最悪の可能性を可能な限り考えないようにしていた。
「こんばんは。ご無沙汰しております」
会場となる〈四翼の獅子〉亭の入り口前で、ロンバウトは必死に作り笑いを浮かべる。
招待されている客は、大商人ばかりではない。
銀行家、高利貸し、高位聖職者に、諸侯と呼ばれるほどの大貴族。
いずれも帝国や近隣諸国の通商に大きな影響力を持つ、巨大な力の持ち主たちだ。
ビッセリンク商会の支店長に過ぎないロンバウトなど鼻息一つで吹き飛ばすことのできる面々が、古都に集いつつある。
いったい誰がこんなことを。
疑問を必死に隠しながら賓客を出迎えるロンバウト・ビッセリンクの眼前を、見慣れた顔の老人が素通りしようとした。
通り過ぎようとした老人の手を無理やりに引っ掴む。手紙と帳簿と督促状と書き続け、インクの匂いが染みついた手だ。
ロンバウトは努めてにこやかに挨拶する。
「……こんばんは。ご無沙汰をしております、父上」
「おお、これはこれは。お招きありがとう、ロンバウト・ビッセリンク殿」
飄々と答える父の顔を見て、ロンバウトは全てを察した。
今回の一件、父の仕組んだことに違いない。
「まさかお越し頂けるとは思いませんでしたよ」
懐から封蝋を割った招待状を取り出し、ウィレムは茶目っ気たっぷりに片目を閉じて見せる。
「息子からの招待を無礙に断るほど、耄碌はしておらんよ」
よくもいけしゃあしゃあと、と口には出さず、ロンバウトは笑顔で会釈した。
本当ならここで舌戦を繰り広げてもいいような気分だったが、矛を収める。
贈った眼鏡を父が掛けてくれているのが、少しだけ嬉しかったのだ。
「ロンバウト様」
ベネディクタの声に振り替えると、次の馬車が今まさに〈四翼の獅子〉亭の前に到着するところだった。
「それでは父上、また後で」
「そうだな。また後で」
もう一度握手を交わし、父の背中は会場へと吸い込まれていく。
馬車から降りてきたのは紋章からすると帝国南部の豪商、ゼーゼマン商会の当主だ。
一角羊の雌雄がのんびりと草を食む牧歌的な意匠の紋章とは対照的に、ゼーゼマンはきな臭い噂の絶えない商会だった。
領主たちに金を貸し付ける一方で地元の貧農たちの独立運動にも出資し、あちらこちらで恨みを買っている。
言ってしまえば、悪党の類いだ。
そんな真似をしながら地位を維持しているのは、類稀なる政治力によるところが大きい。帝国側と聖王国側の双方の貴族を上手く争わせ、巧みに利を得る姿勢はロンバウトも舌を巻くほどだ。
こんな人間にまで父は声を掛けていたのだから驚きだった。
「お招きいただき、ありがとう」
商人というよりも野盗の棟梁でもやっていそうな顔つきの男が、凄みのある笑みでロンバウトと握手を交わす。
いかつい顔とは裏腹に、掌は女のように柔らかい。
父や自分と同じく、商人の手だとロンバウトは直感した。
羽根ペンの胼胝と、インクの匂い。
この手を持つ人間は、どんな顔をしていても信頼できる。たとえ神に背いたとしても、利益を決して裏切らない人間だからだ。
連れている背の高い女秘書は、ベネディクタの方に興味津々という様子だった。
眼鏡が気になるのかもしれない。
だとすれば、商機があるかもしれないな、とロンバウトはぼんやりと考えた。
次々と馬車が訪れ、続々と大物が吐き出されていく。
「次はバクーニン商会の方ですね」
耳打ちするベネディクタにロンバウトは小声で問い直した。
「バクーニン? 聞かない名前だ」
「大公国の大商会ですね。確か、リュプシカという魚の塩漬けを毎年、北方三領邦を通じて帝国へ輸出しているはずです」
「美味いのか?」
「火酒に合います」
ベネディクタが即答したところで、バクーニン商会の会頭がにこやかに手を出してきた。熊のような大男だ。毛皮の帽子が何とも大公国らしい。
「お招きいただきありがとう、ビッセリンク殿」
「お目にかかれて光栄です、バクーニン殿。生憎、リュプシカはご用意できませんでしたが」
リュプシカの名を出すとバクーニンの片眉がピクリと動いた。
熊のような大男が、俯き、震え出す。
何かしくじっただろうか。
慌てるロンバウトの目の前で、バクーニンは大地を震わす如くに呵々大笑してみせる。
「いや、遠路はるばる西の果てまで来た甲斐があった。こんなところにも我が商会の名が轟いているとはな」
熱く抱擁する大公国式の挨拶をしてみせ、バクーニンは上機嫌で会場へ消えた。
連合王国の勅許状商人から聖王国の悪名高い生臭司教まで、次々と人が押し寄せる。
ロンバウトが名前どころか存在すら知らぬ貴顕も少なくなかったが、ベネディクタの手助けで、なんとか上手く挨拶は終えることができたようだ。
「お疲れ様です、ロンバウト様」
労うベネディクタの顔にもさすがに疲労の色が見える。
しかしここで休むわけにはいかない。晩餐会は、これからが本番だ。
「だが、これだけの人間、満足させる饗応ができるのか?」
「料理人の腕に賭けるしかないでしょうね……」
それが一番の問題だった。
古都に滞在しはじめてからというもの、ロンバウトは〈四翼の獅子〉亭の宴席というものを、見たことがなかったのだから。