軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

流しそうめん

樹々の間を心地の良い風が吹き抜けていく。

森の中では古都の茹だるような暑さがまるで嘘のようだ。

せせらぎの音に耳を傾けながら、しのぶは木椀の中身を竹の樋に流した。

近くの滝から引いた清水が、真っ白なそうめんを流していく。

「あ、また流れて来た!」

流しそうめんに歓声を上げているのはエーファと弟妹、そしてカミラだ。

竹箸を器用に使ってそうめんを掬い取り、美味しそうに頬張る姿は見ていて微笑ましい。

「ブランターノさんの森の奥にこんなところがあったなんてなぁ」

追加の素麺を茹でてきた信之がしのぶの傍らで汗を拭う。

「ほんと、いいところ」

古都から歩いて行ける距離にあるブランターノの森は古都の住民に広く開放されていた。

その少し奥まったところ、小川の傍に開けた場所があるということはブランターノ本人から直接教わったことだ。遊びに来るにはちょうどいいということだった。

盛夏の森は瑞々しい生命力に満ちている。

常連も誘っての森遊びには打ってつけの晴天だ。

居酒屋のぶはこのところ、昼営業の成功もあって大繁盛と言っていい。

日替わり定食はすっかり定着し、古都の他の店でも真似するところが増えてきた。料理の味は真似することが難しくとも、それぞれの店が工夫して色々な日替わりを出している。

のぶへの客も分散し、尋常ではない繁忙から解放されたところで久しぶりの休みを取ろうという声が出るのは自然なことだった。

「それにしてもこの流しソーメンって奴はなかなか面白いね」

竹を輪切りにしただけの椀に口を付けながらリオンティーヌが笑う。

最初はそうめんに挑戦していたが今は子供たちに場所を譲って、小川で冷やした日本酒を堪能している。店から色々と肴も持ち出しているから、アテには困らない。

「夏の風物詩だからねぇ」

しのぶが懐かしそうに目を細める。

料亭ゆきつなでは夏になると例年、流しそうめんの会を催していた。常連を招いての会は毎年盛況で、賑やかだったことをしのぶは憶えている。

身体に染みついていたのか信之は今回も手際よく竹を組んでいた。長年の経験だろう。

竹はもちろん、ブランターノの森から採れたものを使っている。

日本で見る孟宗竹とよく似た太さで、流しそうめんに向いていた。

「タイショー、良い具合ですよ!」

「ああ、ハンス。すぐ行く」

そうめんを茹でるためのかまどとは別に、調理用のかまども幾つか作ってある。

その内の一つで焼いているのは、釣ったばかりの魚だった。

焼き具合を見に行く信之にしのぶもついて行くと、ハンスに言われた通り何匹かはちょうど良い具合に仕上がっている。

塩を振って齧りつくと淡白だがしっかりとした旨味がしのぶの口の中に拡がった。名前も知らない異世界の魚だが、川魚としてはかなり美味しい。

安定して手に入るなら、店に出しても面白いだろう。

「一匹貰っても良いですか」

そう言って魚に齧り付いたのはフーゴだった。

ビッセリンク商会との大口の取引もまとまり、今は眼鏡用のレンズを研磨する毎日だという。

トマスの口利きで<星読みの学会>からも望遠鏡用レンズの注文も引っ切り無しにあるようで、忙しい日々を送っている。

ナ・ガルマンのアリイル・ブロスナンからも追加の依頼があったというから、大した人気だ。

一度働き始めると周りが見えなくなって倒れるまで働き続けてしまうというので、今日はローレンツが無理やり引っ張るようにして連れてきた。

そのローレンツは、ホルガーと一緒に釣りに夢中だ。

「オレの釣った方が大きいね」

「いやいや。こっちの方が大きいだろう」

この辺りの川には普段釣り人がいないからか糸を垂れはじめてから入れ食い状態が続いている。

塩を振っただけのきゅうりを齧りながらビールを呷り、釣りに興じる。考えようによっては最高の休日かもしれない。

フーゴの仕事で工房が回り始めているので、最近のローレンツは裏方に回ることが多くなったそうだ。本格的に次の世代への交代を考え始めているらしい。

「後継者が欲しい」とぼやくホルガーとは対照的だった。

珍しい組み合わせは、アルヌとゴドハルト、そしてロンバウトだ。

侯爵と水運ギルドのマスターと大商会の御曹司。

三人揃って流しそうめんを楽しみつつ、詩について激論を交わしている。

立場の全く違う三人が同じ趣味に付いて語り合っているのは何とも不思議な光景だ。

「しかし本当にクローヴィンケルも居酒屋ノブに訪れるのですか?」

まだまだ不慣れな箸を使いながらもロンバウトが気にするのはクローヴィンケルのことだ。

「ああ、本当だ。次に会ったらロンバウトのことも紹介しよう」

「お願いしますよ、閣下」

「ここでは閣下ではなく、アルヌさんと呼ぶべきではありませんかな」

窘めるゴドハルトは既にほろ酔いだ。

しのぶは詳しいことを聞かされていないが、古都を巡る計画が順調に進んでいるらしい。

古都が栄えるのなら居酒屋のぶとしても大歓迎だった。

「それにしても賑やかになったね」

流しそうめんをする、というだけでこれだけの常連が集まる。居酒屋としては本望だ。

「ありがたいことじゃないか」

開店から一年半。ここまでやって来られた実感が信之の短い言葉には籠っている。

「依田さんたち、無事に帰り着いてると良いね」

「まだ旅の途中だろうなぁ」

連合王国は随分と遠いという話だ。

北の港町まで出てそこから船を乗り継ぐか、陸路で帝国の西部まで歩き、そこから船で連合王国へ渡ることになる。

当然、ナ・ガルマンまではまた徒歩だ。

頻繁に古都と行き来の出来る距離ではない。

「ねぇ、ナ・ガルマンって温泉があるんだって。皆で行きたくない?」

「温泉は行きたいけど、お店はどうするのさ」

信之の現実的な答えにしのぶの頬がぷぅと膨らむ。

だからと言ってこの場限りの適当な相槌を打たれてもそれはそれで腹が立つだろうから、しのぶ自身としてもどう答えて欲しいのかは分からない。

「なんかこう上手い具合にいかないかな? 日本側を通って依田さんの故郷からとか」

「天狗の抜け穴って、依田さんの所のお孫さん以外も通れるのかな?」

「ああ、それもそっか……」

あちらの道を使ってしまうとこちらの裏口が通れなくなるなんて言うことがあっても困る。

むぅと考え込んでいると、リオンティーヌが両手に竹の器を持ってきた。

「どうしたんだい、お二人さん。難しそうな顔をして」

渡された器には麺つゆに浸かったそうめんが入っている。受け取ってちゅるりと啜ると、口の中が幸せになった。森の中で食べるとただのそうめんでも一味違う。

「しのぶちゃんが、温泉に行きたいんだって」

信之の説明は実も蓋もない。

「温泉ねぇ。一日二日の距離にあるっていう話は聞かないね」

「あ、いや、そうじゃなくて、依田さんのところのお孫さんの顔も見たいっていうか」

慌てて弁明するとリオンティーヌは呵々と笑った。

「赤ん坊の顔が見たいなら古都でもついこないだ生まれたばかりじゃないか。可愛いもんだよ」

「それもそうですね」

ヘルミーナは産後の肥立ちも良いのだが、すっかり心配性になってしまったベルトホルトはいつも何くれとなく世話を焼いている。

今日イングリドが来ていないのも、ベルトホルトに呼び出されたからだった。

直前までぶつくさと文句を言っていたイングリドだが、たまにはカミラを子供たちと遊ばせたいと思っていたようだ。羽を伸ばしてきな、と快く送り出してくれた。

「タイショー、次のソーメン、茹で上がります」

「分かった! すぐ行く!」

ハンスに呼ばれ、信之が走っていく。茹で上がりの声を聞いて、大人たちも竹の器を手に腰を上げ始めた。大人に負けまいと子供たちが樋の上流へ移動する。

子供たちが楽しげにしているのを見ていると、自然と笑みがこぼれた。

「みんな、元気ですね」

「ベルトホルトとヘルミーナの子供も、あんな風に遊ぶ日が来るのかね?」

「なに言ってるんですか、リオンティーヌさん。そんなのすぐですよ」

「そっか、すぐか。それもそうか」

古都で生まれた子供たちが、古都で育って行く。

彼らにとってはここが故郷で、その記憶の中には居酒屋のぶも含まれるのだ。

「そっか、すぐか」

「そうですよ。すぐです」

盛夏の森を一陣の風が吹き抜ける。

古都の夏は未だ、終わらない。