軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

たそがれローレンツ(後篇)

人の口に戸は立てられない。

居酒屋のぶで何やら面白そうなことがあるらしいという噂は陽の高い内に広まったようで、夜営業の始まる時刻にはのぶの店内は常連客が溢れかえっていた。

中にはローレンツの好みそうな食材をわざわざ持参した者までいる。

上手い具合にローレンツがやってきて、今宵の宴が始まった。

「今日はいったいどういう風の吹き回しだい?」

事情が飲み込めないのかいつもより心なしか声の小さいローレンツが周りを見回しながら尋ねる。常連たちは何も言わず、優しげな目を向けるだけだ。憐憫の情を覗かせるような客は一人もいない。

人間だれしも辛い時もあるということを知っているからだ。

「まぁまぁ、今日はホルガーの旦那の特別に粋な計らいだ。ローレンツの旦那は気楽に楽しめばいいんだよ」

リオンティーヌが押し付けるようにしてジョッキを手渡すと、不審げに眉根を寄せてから口を付ける。奢りの酒と言えば美味くないわけがない。

ごっ、ごっ、ごっと喉を鳴らし、しのぶたちの見守る前でローレンツは一気に一杯目のジョッキを空にした。

ぷはぁと口元を拭う赤銅色の腕は職人らしく鍛え上げられている。

「美味い。こんなに美味いトリアエズナマは久しぶりに飲んだ気がするな」

ローレンツを見て満足げに頷くホルガーをエトヴィンが肘で突いた。

「美味くないはずがなかろう、奢りなんじゃから。普段は喧嘩ばかりしておってもやはり持つべき者は友じゃな」

意地悪く言われるとホルガーは顔をぷいと背ける。顔が少し赤いのは早速空になっているジョッキのせいだけではないのかもしれない。

「さ、ローレンツさん。何でもお好きな物を注文してくださいね」

「しのぶちゃんにそう言われるとな。何か裏があるわけでもなさそうだし」

ローレンツが品書きに目を走らせ始めると、他の客たちも銘々に注文の手を上げる。

冷酒にワインに芋焼酎。それでも一番多いのはトリアエズナマだ。

若鶏の唐揚げに始まり春山菜の天ぷら、ベルトホルトの持ってきた烏賊の一夜干しの天ぷらと揚げ物が続いたかと思うと、鰹のたたきに煮魚、焼き魚と次々肴が運ばれてくる。

どれも信之とハンスが腕によりを掛けた料理だ。

大皿には料亭ゆきつな時代から信之自慢の飾り包丁の鳳凰が舞っている。

出てくる料理に最初は得意顔だったホルガーの笑みが段々引き攣ってきたのは、思っていたよりも豪勢だったからだろうか。

親友を元気付ける会に湿っぽさは似合わないから、金に糸目はつけないというのがホルガーの注文だったが、少しやり過ぎたかもしれない。

「しかしいったい全体、今日は何の催しなんだい?」

何も知らされずにたまたま居合わせたイングリドが鰹のたたきを美味そうに食べながら訪ねる。

「何でもローレンツを元気付ける会らしいぞ」

答えるエトヴィンは煮魚の頬肉を穿り出すのに忙しそうだ。

「当のローレンツ、今日は心配するまでもなく元気そうに見えるんだがな」

若鶏の唐揚げとチキン南蛮を食べ比べるベルトホルトの視線の先では、幸せそのものの表情でローレンツがトリアエズナマのジョッキを次々に干している。

肴はハンスの考案した餃子だ。所在なさげにだしまき卵を食べていたトマス相手に、これは自分の息子が考えた料理なんだとしきりに自慢していた。

「元気そうじゃないか、ローレンツさん」

「リオンティーヌさんにもそう見えるかもしれないけど、きっと内心ではいろいろと思うところがあるんだろうな」

訳知り顔でレーシュを呷るニコラウスはさっきからカンパチの刺身にご執心だ。

「……金貨五十枚、か」

ぽつりとこぼしたホルガーの方に客たちの視線が集まる。

幸い、ローレンツの方には聞こえなかったようだ。今度はエーファを相手に餃子が如何に美味いかを滔々と説いている。

「……金貨五十枚だって?」

「硝子の研磨台に随分張り込んだとは聞いてたけどさ」

「それでレンズが売れないんじゃなぁ」

会の趣旨が広まると、集まった人々のローレンツへの視線も自然と変わってくる。

よぅ、ローレンツ。ちゃんと飲んでるかと肩を組に行ったり、あれも食えこれも美味いぞと肴を皿に取り分けてやったりと、口には出さないが皆心配しているのだ。

「……どうしたんだ皆、急に気持ちの悪い」

事情を飲み込めていないのは、居酒屋のぶでローレンツ一人だけになった。

まさか自分を元気付ける会だとは思っていなかったらしく、常連客の温かさに戸惑っている。

「……良いんだローレンツ。全部聞いた」

そう言ってホルガーがローレンツのジョッキに軽く乾杯をし、一気に干す。

「聞いたって、何を?」

「硝子の研磨台の話だよ。聖王国から取り寄せたって言う」

「……ああ」

知っていたのか、という呟きがこぼれた。

「思い切った買い物だけあって、モノはいいよ。フーゴも気に入っている」

「それは良かった。それで粗悪品をつかまされたら目も当てられない。何にしても思ったより元気そうで何よりだ」

「心配してくれていたのか?」

ホルガーはローレンツの問いには答えず、新しいトリアエズナマのジョッキに口を付ける。

「……そうか、今日はオレを元気付ける会だったんだな」

「まぁ、そういうことだな。この所、ノブに来てもたそがれてばかりで全然飲まないから心配してたんだ。金を貸すことは出来んが、それ以外のことなら相談にも乗るさ」

ホルガーが肩を叩くと、ローレンツの口元に浮かんでいた笑みが急にぎこちなく歪んだ。

「どうした、ローレンツ?」

「あ、いや、何でもない。今日はオレのためにこういう会を開いてもらって嬉しいよ」

「そりゃそうだ。お前が元気じゃないってのは……張り合いがないからな」

また、ローレンツの笑みがおかしな具合になった。

「しかしローレンツ、そんなに金回りがよくないのか?」

「ああいや、エトヴィンさん。そんなことはないんだ。借金はいうほどの額じゃないし、オレが本気を出せばそれほどかからずに返済できると思う」

「じゃあ、なんであんなに元気がなかったのさ」

空いた皿を手早く片付けながらリオンティーヌが訪ねると、ローレンツはばつが悪そうに頭の後ろをばりばりと掻いた。

「ここ数日あんまり飲まなかったのは……金策のことじゃないんだよ、リオンティーヌちゃん」

「どういうことだい?」

「いやね、折角聖王国から品物を取り寄せるんで、ついでに ブランデー(ヴァインブラント) を樽で二つ仕入れたんだよ。それをぐびぐび飲んでたらさ……」

周りの常連の空気が段々と冷えていく。

「……つまり何だ、ローレンツ。家にブランデーが樽であるから、そっちを飲んでノブでは控えてましたってことか?」

すっかり目の据わったホルガーの問い掛けに、ローレンツは視線を逸らしながら頷く。

「元気がなかったのはなんでだ……」

ホルガーの口調が低く押し殺したものに変わった。まぁまぁと両掌で制しながら、ローレンツの顔には怯えた愛想笑いが浮かんでいる。

「慣れない酒を飲んだからか、ちょっと二日酔い気味で、な? 分かるだろ?」

「さて、経験したことがないから分からんな」

「お前さんも経験してみれば分かるさ。二日酔いってのは大変なんだよ」

「なるほどな……ハンス!」

「は、はい!」

急に呼ばれたハンスが背筋を伸ばす。

「ちょっと家に戻ってブランデーの樽を回収して来てくれ。皆で飲むぞ」

その言葉に驚いたのはローレンツだ。

「お、おい、ちょっと待ってくれよ! それはないぜ!」

ホルガーの口角が上がり、悪戯っぽい笑みが浮かぶ。

「なに、ちょっとその二日酔いって奴を皆で経験してみたいと思ってね」

その晩、居酒屋のぶがどんな有様になったかは、誰の記憶にも残っていない。