作品タイトル不明
『御伽噺のお姫様』は一人の少女に戻る
――バラクシン・教会にて(アグノス独白)
私は今、王女という身分を剥奪され、バラクシンの教会に身を寄せている。一般的な見方をするならば、私は『お労しい』と言われるような状況、らしい。
……だけど。
だけど、私自身がそう感じたことは一度もない。
見送る人達は私に対し、痛ましげな視線を向けていたけれど……私には何が悲しいことなのか判らなかった。
だって、生きていく場所が変わるだけじゃない。
傍にいる人達が変わったところで、私の存在理由は変わらない。
私はお母様の願いのために存在し、それが叶わないならば、生きている理由もないのでしょう?
それらを口に出すことはなかったけれど、嘆くことも、悲しむこともない私に、王妃様や宰相のお爺ちゃんは少しだけ悲しそうな顔をしていた。どうしてかは判らなかったけど。
乳母が生きていたら……きっと、どこまでも私に付いて来てくれたでしょう。彼女が愛情とやらを向けてくれたことだけは、事実なのだから。
だけど、それさえも一番の理由は『お母様のため』。乳母はお母様を『大事なお嬢様』といつも言っていたし、私を守るのも『お母様との約束のため』だったから。
それが悪いことだとは思わない。だって、乳母の一番がお母様というだけのことですもの。
私にお母様の記憶はないから、正直なところ、一途にお母様に仕えようとする彼女の忠誠心は嬉しかった。
私を通してお母様を見ているのだとしても、お母様という人が生きていたことを覚えていて、今でも大事に思ってくれているのだから。
……そんな乳母も亡くなって、私の傍には、私を無条件に崇めるような人と、警戒心を滲ませた人だけになった。だけど、乳母が居なくなったこと以外、何も変わらない。
だから……私も変わらなかった。乳母の願いでもある、お母様の願いを叶え続けることが、私が乳母にしてあげられる唯一のことだったから。
――そんな日々も、終わりを告げる。
王女という身分がない私では、お母様のお願いを叶えることなどできはしない。
自分の身の上を嘆くわけでもなく、起こしてしまった過ちを悔いることもなく、私が思ったのはそんなこと。
さて、これからどうしよう――そう思っていた私の耳に響いたのは、突如、降って来た『誰か』の声。
『ひーろった! この子、今から私の所有物! 異議は認めない!』
国を追放された私を、そんな言葉と共に拾ってくれたのはミヅキだった。そのまま、私はミヅキの所有物になったのだ。
『拾った以上、面倒は見る!』というのがミヅキの方針らしく、私はそのままサロヴァーラへと連行。
そこで基本的な……本当に最低限の教育を受けたのだ。そのままでは生き辛いから、と。
ミヅキの教育は大きく分けて二つ。『私の思い込みを無に還す』ということと、『人と共存するための最低限の礼儀を学ばせる』というもの。
最初に言われたのは『判らなければ、人に聞け』ということだった。特定の誰かに聞けと言わなかったのは、ミヅキ曰く『人の数だけ意見があって、本人にとっては自分の意見が一番正しいものだから』とのこと。
『【どの花が一番綺麗か?】って聞かれても、答えは個人の好みによって大分違うでしょ? 薔薇が綺麗という人もいれば、百合の清楚さが好きという人もいる。決まった答えなんて、ないの』
答えを探したいのに、そんなに沢山の正解を言われたら、困っちゃうわ! と口を尖らせれば、ミヅキは『今のアグノスにはそれが必要だからだよ』と、頭を撫でられた。
『いきなり自分の意思を持てと言われたって、これまでの生活がある以上、無理だよね。だから、アグノスは多くの意見の中から、最も好ましいものを選べばいい』
『まずは自分が賛同できるものを。……それを【自分の意思で選ぶ努力】をしてごらん』
……私は。
私はずっと、『誰か』の言葉や願いに沿って生きて来た。だけど、ミヅキはそれじゃ駄目だと言う。私の所有物である以上、そんな生き方は許さない、と。
そう言われてしまえば、私はミヅキに従うしかない。だって、私はミヅキの所有物だもの。
そんなことを繰り返していくうち、何となくだけど、『自分の意思を持つ』ということがどういうものなのか判ってきた。
事ある毎に、ミヅキが私に何かを選ばせ続けたお陰か、私も自然と自分の意思で選び、行動することができるようになっていったのだ。
例えば、お茶と一緒に出て来るお菓子。
数種類のお菓子の中から一つを選ぶことで、それは私の物になった。それはとても嬉しかったけれど、同時に、他のお菓子を食べられないことを少しだけ残念に思って。
そんなことが繰り返されるうち、唐突に理解したのだ……『自分が望んだものを得る喜びや、嬉しさ』と『選択することで、失われるものがあるという寂しさ』を。
多分、ミヅキが私に身に付けさせたかったのは、こういったもの。
そして、同時に理解させたかったのだろう……『意思のない人形のように、【誰か】の思惑通りに生かされる虚しさ』を。
他の人達はそれを当たり前のようにできるけれど、私は反抗することさえ思いつかなかったのだ。
だから……『御伽噺のお姫様』でいられた。
作者に逆らわず、望まれた役を演じる『登場人物』になれたのだろう。
私にとって、それに気付けたのはとても衝撃的なことだった。だけど、一度気付いてしまえば、これまでの自分の歪さも判ってしまう。
お母様や乳母の願いを否定したいわけではない。だけど、私は……この数日間の間に、自分の意思で生きてみたいと思うようになってしまった。
自分でもよく判らなくて、だけど、このもやもやとした気持ちのままでいたくはなくて。
結局、ミヅキの所に行った。『面倒を見る』と言った言葉の通り、ミヅキはいつだって私の疑問に答えをくれたから。
自分が何を言いたいかもよく判っていなかった私は、感情ばかりを溢れさせてしまって。
癇癪を起こしたり、泣いたりしたけれど、ミヅキは根気よく私の言葉を拾い、付き合ってくれた。
そして、最後に一言。
『自分の生きたいように生きていいんだよ。だって、私の所有物なんだから、お母様のお願いなんて関係ないでしょう? 私が許す。無視しなさい』
そんな簡単に……とは思ったけれど、今の私の立場は『ミヅキの所有物』。所有者の言葉が絶対であり、何より優先すべきものなのだ。
そう思うと、心が軽くなった。『自由に生きるための言い訳』を得たことで、単純にも、私にはあっさりと正解が見えてしまったのだ。
『私は……自分の意思で生きてもいいのかしら?』
『所有者の私が好き放題やってるわけだし、その所有物が自由に生きたいと思っても、誰も文句は言えないよ。言ってきそうな連中は、許可を出した私が〆るから問題ない』
『悪いことをするかもしれないわよ?』
『その時は、鉄拳制裁。一応、言い訳は聞いてあげる。だけど、何の理由もなく、所有者たる私の意に沿わないことをするんじゃない』
……かなり物騒なことを言われたと思う。ミヅキはハーヴィスの砦を落としたらしいし、鉄拳制裁も誇張表現じゃないだろう。
だけど。
だけど……不思議なことに、私は何故か嬉しかったのだ。
私の話を面倒がらずに聞いてくれることも、駄目なことは駄目と言って止めてくれることも、全部……『私を見ていてくれるから』こそ。
そして、意外にも私の選択を後押ししてくれたのは、サロヴァーラのティルシア姫だった。
『私には王族という柵があるわ。だけど、貴女はすでに民間人……何の柵もないじゃない。まして、所有者であるミヅキが許可しているのよ』
『何を迷うことがあるの。何を躊躇うことがあるの。貴女の人生だもの、好きに生きなさいな』
そう言って、ティルシア姫はにやりと笑うと内緒話をするように、口を私の耳元に寄せ。
『……私は自分の願いを叶えたわ。これからは前以上に、好き勝手に生きるつもりよ』
自信満々に言い切った。
柵がある立場と言った直後に、この言葉。だけど、それが彼女らしいと思えてしまった。
きっと、ティルシア姫は自分の意思で今の立場を捨てないのだろう。だからこそ、柵があろうとも納得しているし、その上で、自分らしく生きようとしている。
選んだ道は苦労が待っているに違いないのに、ティルシア姫は……楽しそうだった。羨ましい、と思ってしまうほどに。
変わろう。これまでの人生を捨ててしまうことになろうとも、私は新しい生き方がしたい。
一度決めてしまえば、やるべきことなど判り切っている。ミヅキはお母様達の願いを『忘れろ』とは言わなかった。
だから……ほんの少しだけ、眠らせてしまおう。もしかしたら、それも優しい思い出の一つと思えるかもしれないもの。
『御伽噺のお姫様』はもう居ない。私はアグノス。魔導師ミヅキの所有物にして、庇護される『幸運な者』。
ここがきっと、私の人生のスタート地点なのだ。
――そこからはミヅキを筆頭に、色んな人達と関わってきた。
沢山学んだし、色々な人に迷惑をかけたと思う。だけど、その全てが今の私を形作るものであり、これからも増えていく。
そして気付いたこともある。私に手を差し伸べてくれる人は、予想以上に多かったのだ。
この教会でできた沢山のお友達……ミヅキとは違うけれど、大切な家族。皆と分け合うならば、一口ずつのおやつだって、とても美味しい。
『皆で食べるから美味しく思うし、分け合えることが嬉しいんだよ』
『皆と一緒に食べたいから、分けたいって思うでしょ!』
『幸せのお裾分けって言うんだって』
仲良くなった子達がそう教えてくれた。確かに、口にする量は少なくても、心はとても満ち足りている。
教会での日々は驚くほど順調だった。時々、ミヅキが傍に居ない寂しさを感じることはあるけれど、不安に思うことはない。
この場所にも、私が必要とする人達が居る。慈しみ、多くのものが欠けている私にも優しさを向けてくれる人達が居てくれる。だから、大丈夫。
それに……ミヅキは私が必要としたら、必ず駆けつけてくれるから。
私の所有者は破天荒で、自分勝手で、時々、物凄く怖いけれど……迷ったり、困った時は、必ず助けてくれるもの。
それが『所有者の責任』なのでしょう? ねえ、ミヅキ。